第10話 精神年齢

 三週間ぶりに魔法局に戻ると、シャーリーはすでに帰ってきていた。放課後、中庭で落ち合った。

 久しぶりに会ったシャーリーは相変わらず――いや、こんなに綺麗だったっけ?改めてシャーリーは美少女だったと思い知る。12歳の時はお人形のような、妖精じみた少女だった。それから3年以上経ち、今は美少女と云うだけでは物足りなさを感じるくらいだ。子供っぽさが抜けてきてしかし大人にはなりきれていない今だけが持てる美しさに満ちている。白い貌とピンクブロンドの髪が透明感に拍車をかけている。

「どうしたの? 今さらわたしに見惚れちゃった?」

「いや、久しぶりだな、と思っただけだ」

 そして日本語で喋るため、遮音しておく。

「はい、お土産。ノイエシュタイン領特産の紅茶よ」

「お!? ありがとう。悪いがおれはそこまで気が回らなかった」

「えー、ひどくない?」

「――そうだな、買ってきた菓子があるから、明日持ってくるよ。今日届くはずだ」

 本当はカイルと食べようと買った物だが、仕方あるまい。

 しばらく情報交換をした後に、シャーリーに訊いてみた。

「なぁ、この世界って、紙は無いのかな?」

「あー、紙ねぇ、欲しいよねぇ」

「やっぱ無いのか?」

「こっちに転生して早15年、紙の存在については聞いたことが無いわ。羊皮紙に書くだけならまだいいけど、あのやたらに重い本は何とかしたいよね」

「自分で作るしかないか――?」

「作れるの?」

「和紙の紙すき体験ってのをやったことはある。問題はあの器具をどうやって作るかだな」

「紙を作るのに向いた植物を探すのも大変そうよ」

「だな。この世界にも蔡倫さいりんみたいな人がいないかなぁ」

「たしか、紙を発明した人よね」

 蔡倫は後漢の時代の人で、樹皮などから現代の紙に繋がる「紙」を作った。

「いきなり紙を作るのはハードルが高すぎるわ。まず順を追ってみましょうよ。地球では紙が発明される前は何を使ってたかしら」

「粘土板——板状にした粘土か?」

「シュメール文明まで戻る必要はないでしょ。粘土板なんて羊皮紙より重いんだから論外だわ。日本でも古代に使われていたものがあったじゃない」

「——木簡か」

「日本では木簡の出土が多いけど、竹簡の方がより軽いと思うわ。古代中国ではほとんど竹簡みたいよ」

「でもに竹はあるのか?」

「わたしは探したことがないから分からないわ。竹なんて言葉自体十何年も使ってないし。まぁ、こっちでは何て呼ぶのかわからないけど」

「グーグル先生がいない今としては図書館で調べるしかないか」

「早速、今度の週末に王立図書館に行きましょう」

「え。一緒に行くのか?」

「その方が効率いいでしょ。やったねおじさん、JDとデートだよ」

「元JDだろ。しかもはたから見たら高校生カップルくらいにしか見えんだろ、今は」

「カップルだなんて、やだエッチ」

「どこがエッチなんだよ!」

 どうも、この異世界の先輩に遊ばれているような気がするが、きっと気のせいにちがいない。今さら高校時代の甘酸っぱい青春を追体験する気はないのだ。やらなきゃいけないことがありすぎる。


「そう、そのことなんだけどさあ」

「そのこと?」

「元JDってやつ。確かに大学生じゃなくなってから15、6年経ってるわけだけど、全然歳をとってる実感が無くて、未だに二十歳の感覚っていうか、気分ていうか‥。そんな気しない?」

「精神的に成長してないだけなんじゃないか?」

「そういうことじゃなくてさ。多分シャーリーがわたしの——円華の歳に追いつくまではずっと変わらないのかなぁって」

 私は転生してから3、4年しか経っていないし、もともと30を過ぎていたからそういう違和感は感じていなかったが、云われてみると35としての実感はないかもしれない。かと云って35歳になったときに何かしら実感があるのかどうかは分からないが。

「つまり何が云いたかったかというと、二人でいる時は二十歳の娘として扱ってよね、ってこと」

「まあ、今さら同年代だの先輩と思えって云われても無理だろうしな」

「あ、先輩として敬うのは問題ないのよ? 年齢は関係ないからね」

「へいへい」

「へいは1回、じゃなくて、へいって返事は何よ。後輩のくせに生意気だわ」

「いきなり先輩風を吹かすなよ…」

 ふとシャーリーが顔をあげて私の後ろを見遣った。振り向くと3人の教生の女子たちが少し離れたところで手を振っていた。遮音を解く。

「あ、来たね。今日はあの子たちと帰ることになってるの。じゃあ、またね」

 小さく手を振ってシャーリーは3人の方に駆け寄った。

「シャーリー様。お話中ではなかったんですか?」

「大丈夫よ。もう済んだから」

 一部の人からシャーリーは様づけで呼ばれている。それは魔法学院時代からだ。上級貴族である伯爵家の娘だし、「シャーリー」に徹するととても上品かつ気位が高そうに見えるからだろう。

 私も寮に帰ろうとしたが、呼び止められる。振り向くとカイルが立っていた。

「よぉ、久しぶりに屋台に行こうぜ」

 上級貴族っぽさを拭い去ったカイルが云った。


「ほお? ノイエシュタイン嬢とデート? いつの間にそんな仲に進展したんだ? ちゃんと報告しないとダメじゃないか」

 云ってからカイルは陶製のコップを煽った。この世界にはガラスはまだないが、陶器はある。

 コップの中身は、カイルは果物の蒸留酒、私はジンジャーエールのような炭酸飲料だ。この国では17歳から酒を飲めるが、私はこの身体が20歳になるまでは酒は飲まないことにしている。長生きしたい。

 「デートじゃないよ。調べものをするだけだし。それに進展したとしてなんで逐一君に報告しなきゃいけないんだよ」

「云っただろ。おれは他人の恋路で楽しむしかないんだから。まあ、いいさ。それより——」

 急にカイルが真顔になった。

「いつまでその話し方を続けるつもりなんだ? それが地じゃないだろ」

 そういえば、12歳の頃と喋り方を変えてないな。流石に幼すぎたか?

「いや、下級とはいえ一応貴族だし、あまりに砕けた話し方にすると実家に帰った時にそのまま出ちゃいそうでな」

「じゃあ、おれは貴族らしさが無いと」

「きみは大貴族として扱われるのが嫌だからそうしているんだろう? 使い分けがちゃんとできるんだよ」

「じゃあおまえも使い分けられるようにしろ。大体自分では気づいていないようだが、時々おれって云ってるぜ」

「マジか…」

「それに妙に大人びた話し方をする時もあるしな」

 むう。カイルには気を許しすぎて地が出てしまっていたのかもしれない。

「わかったわかった。今後そうするよ」

 カイルには大貴族の家のものに対して遠慮しているように見えたのかもしれない。私自身は30を超えているから劇的な成長はないだろうが、ケイロスとしての成長はさせないといけなかった。シャーリーが云うように、ケイロスとしての年齢が私に追いつくまではメンタルの成長はないのだろうか。

 いや、メンタルの成長は本人の気の持ちようだから、外見の年齢とは関係ないはずだ。一方で若い頃の柔軟さを損なわないようにする必要がある。

 転生生活も案外ラクじゃないな。


「ところで、カイルはタケって知ってるか?」

「タケ?」

 ああ、そうだ、日本語で云ってもしょうがない。

「円筒形に真っ直ぐ伸びる植物で、幹の中が空っぽになっている」

「そんな奇妙な植物は知らん」

 やっぱりこの世界には竹は存在しないのだろうか。



                                第10話 完

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