第8話 呼吸法と術式

 カイルに触発されたわけではないが、改めてシャーリー・ノイエシュタインを見てみる。卵型の輪郭の中にアーモンド型の目と形の良い鼻とちょっと集めの唇が収まっている。瞳は翡翠のような淡い緑で、今日はハーフアップにしている髪はきれいなピンクゴールドだ。

 確かに美人だしあと2、3年もすれば、街で噂されるような美少女になることは間違いなさそうだ。

 性格も明るく社交的だが、自ら何か事を為すというタイプではないらしい。どこか鎧をつけたままという印象で、周りを囲む級友らとは一線を引いているようにも見える。伯爵令嬢の矜持みたいなものだろうか。これだから上級貴族は面倒くさい。カイルのような者のほうが稀なのだ。

「何か御用ですか?」

 まずい、まじまじと見すぎたか?

「用ってほどでもないけど、君は今日来る先生の見当は付いているんだろう?」

「メーテルリンク先生であろうことは想像に難くないですわね」

「やっぱそうだよなぁ」

「何か不都合でも?」

「いや、僕はあの先生には怒られてばかりだったから」

「ああ、思い出しました。あの、魔力量がとびぬけて多い方がいらっしゃると聞いてはいましたが、貴方だったんですね」

 魔法学院は1学年100人余りいたから、全員で魔法実践の授業を受けることはなく、三つのクラスに分けていた。3年の間にシャーリーと同じクラスになったことはないが、噂は伝わっていたようだ。

「多いだけで制御できなければ意味がない、むしろ危険だ、って云われてね」

「わたくしの言葉を覚えているのは感心だが、実行できているのか?」

 いきなり後ろから声をかけられてゆっくりと振り向く。まず視界に飛び込むのはショッキングピンク。予想通り、エリザベート・メーテルリンクが立っていた。ピンクのローブと身体にぴったりしたスタイルは学院にいるときと変わらない。この魔法局は王立の機関だというのにお構いなしらしい。

「なんだ、わざわざわたくしが出向いてやったのに驚かんのか」

「予想の範囲内だったんで」

「つまらん奴だ。いいか、魔法局の備品はすべて臣民の血税で賄っている。貴族どもからはいくらむしり取ってもよいが、臣民にはそうもいかん。壊すなよ、アーシア」

「善処します!」

「そちらはノイエシュタインだったな」

「ご無沙汰しております、メーテルリンク先生。再会できて光栄ですわ」

「うむ、そなたも相変わらずのようだな」


「さて、聞いていると思うが、わたくしの魔法実践の講義は、明日からは毎日午後に行う。午前中はギースの座学と魔力の取り込みをしておけ」

 いや、聞いてなかったぞ。

「では、早速魔力補給を始めろ」

「まだ、教わっていません」

「何!? 昨日のうちに教えておけと云っていたのに、あの筋肉ダルマは何をしておるんだ!?」

 こっちの世界にも「筋肉ダルマ」に相当する言葉があるのか。

 リズ先生はギース先生を睨みつけたが、少し離れたところでほかのグループの指導に余念がないらしく、リズ先生の射殺すような視線に気づかないようだ。

「仕方ない。そこに胡坐で座れ」

 先生と僕はそのまま芝の上に座ったが、シャーリーはローブのから手巾ハンカチを出すと広げて芝の上においてから腰を下ろした。伯爵令嬢は地べたの上に直接座ったりはしないものらしい。

「よし、では呼吸法からだ。手は膝の上に置き――」


 魔法局の教生になってから始まった実践授業はもう一つあり、それが術式である。

 基礎魔法は意志とイメージを魔力に乗せて放ったり対象に影響を及ぼすことで、魔法陣や呪文の詠唱などは必要ない。逆に云うと、魔法陣と詠唱の要らない魔法が基礎魔法と云うことだ。

 それより高度で強力な魔法を使うためには魔法陣を描いたり呪文を詠唱する必要がある。その魔法陣と呪文をセットにして術式と呼ぶ。そしてこの術式は物質に付与することができる。正確には魔法陣と呪文の一部だが。

 その付与された物質として最も使用されているのが杖である。RPGやRPG系の小説・漫画で魔法使いが持っているアレだ。ただの木の棒だけでは、大した魔法は使えないが、水晶などの貴石が付いていればより複雑な術式を付与することができる。

 これにも得手不得手があるらしく、術式の講師はジェニングスという中年男性だった。凡庸な見た目と服装であるが、教え方は巧かった。そのおかげか私は得意不得意で云えば得意の方だった。 

 ただ相変わらず魔力量の調整が難しく、風や炎の上級魔法が暴走して建物を吹き飛ばしそうになったのは一度や二度ではない。ジェニングス先生やシャーリーが相殺する魔法を使ってくれたおかげで、まだ実際に吹き飛ばしたことは無い。この魔力量の莫大さが転生ボーナスだったとしたら、無くてもよかったな。


 数日後、私たちは魔法局庁舎の外周を走っていた。魔力をより多く蓄えるためには体力も必要――ギース先生のその説明は確かにうなずけるが、週3回もこんなに走る必要があるだろうか。魔法局しか入っていない庁舎だが、魔法の修練のためには広い敷地が必要だから、そこを含めた外周となると、5kmくらいにはなる。それを4属性の合同クラスの約30人が一斉に走るのだ。しかもローブを着たままで。

 この日は秋にしては暑かった。

 その中を20分近く走っていたのだ。汗がなかなか止まらない。芝生の上に座り込んで脱いだローブで身体を扇いでいると、傍らにシャーリーがやってきた。すでに息は落ち着いている。この数日で分かったが、この令嬢は見かけより体力がある。

「なにこれくらいでいるんですか。もっとシャキッとしなさいな」

「相変わらず元気だな」

 しかし、15歳の身体だからこの程度で済んでいるのだ。32歳のままだったら完走できないかもしれない。

「喉が渇いた。「ビール飲みてぇ」」

「「なに云ってんの。まだ未成人でしょ」」

 ん? 未成人が大っぴらにビールなどと云えないから、私はあえて日本語で云った。誰かに聞かれても内容は分からないと思ったからだ。

 しかし、いま的確に返事が来た。しかも日本語で。

 顔を上げると、やはりぽかんとした表情をしているシャーリーの顔があった。

「「今……あんた、日本語で?」」

「「ああ、そう云う君もな」」

 ギース先生の集合の声がかかった。

「「――放課後だな」」

「「放課後だね」」

 顔を見合わせてうなずき合うと、ギース先生の元へと駆け寄る。

 うっわ、マジかよ!?


 練習場使用の許可を取り、放課後、私たちは練習場の一角にいた。

「一応、遮音、かけとくな」

 遮音というのは風魔法を応用して私たちの周りに空気の断層を作り出す。波である音は断層を超えることはできない。つまり声が外に漏れることはないのだ。

 広い練習場にはちらほら他の教生もいる。万一聞かれたら面倒だ。さらに、日本語で話すことにする。

「で、やっぱ転生者なのか?」

「そうみたいね。元々は地球という星の日本という国に住んでいたわ」

「あの事故で?」

「電車のね。じゃあ、うちら同じ時に死んだんだねぇ」

 あっけらかんとしている。絶対私より年下だ。

「日本語で話すの、15年ぶりだけど、意外と話せるもんだね。ああ、そうか、時々こっそりと日本語の歌を歌ってたからかな。いやぁ、またこうして日本語で会話できる時が来るとは思わなかったよ」

 久しぶりの日本語が嬉しいのか、立て板に水のごとく言葉が続く。

 ん? ちょっと待て。

「ちょ、今15年ぶりって云わなかったか?」

「そうだよぉ。生まれ変わってから15年だもんね」

「と云うことは、生まれた瞬間にこっちに来たのか?」

「転だからね。当然でしょ」

 あの神もどき、何か色々と隠しているんじゃねえか?

「ねえねえ、前の名前はなんて云うの? あ、わたしは露崎つゆさき円華まどか。二十歳だよ、ってか二十歳だったよ」

「おれは井上巧。32歳かっこ当時。おれが転生したのは3年前だ」

「え? 3年前? 12歳の時ってこと?」

「そうだ。なあ、転生する前に変な奴に会わなかったか? 声だけ聞こえたり、猫の姿になったり。って云うか、転生した時の状況を教えてくれないか?」







                          第8話 完




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