第9話 80年ぶりの「エンドウ豆の卵とじ」
ようやく武が口を開いたのは正月だった。
おもむろに一人の生徒について語りだした。その生徒は終戦記念日生まれで、『桜花』という名前であること、戦争の傷跡である武に興味を持ち、授業後も頻繁に話しかけてくること、“いじっかしい”作文指導をしても食らいついてくるところがあり、よく自分に日記も見せてくることを説明した後、
「自殺と特攻隊は同じなのかと聞かれた。」
と足下を見つめた。
桜花は日記において、最近日本の自殺者が増えてきていることを受けて、
「自殺したくなるのは、発熱するのと同じ体からのメッセージだと思います。特攻隊が国のために命を捧げると誓ったのも、体が発したメッセージだったのでしょうか。」
と質問してきたという。
河村が乗って国のために死んでいった特攻機と同じ名前の生徒に言われた言葉は、武の心に深く沈み、言葉を消失させた。
「みつ、昔ワシは河村先輩に同じことを言われたんや。山本、頭で考えているわけやない。『敵機、沈めろや。』ワシの体の声や。発熱するのと同じ、体が発する声や、と。ワシは当時、河村先輩に『死ぬのは怖くないですか?』と質問した。その回答でこれが帰ってきたんや。河村先輩は答えをはぐらかしたと思っていた。彼女が言うように、自殺志願と特攻志願は同じなんだろうか。」
この年の正月、武は好きだった酒も飲もうとせず、ずっと自分と向き合っていた。
〇
「私があのような日記を書いた後、山本先生は離任されていきました。もちろん契約期間が終わったからだ、と言うのは分かっています。あの質問の答えはとうとう聞けずじまいでした。でも質問した後、すごく後悔しました。特攻隊の生き残りであったとはいえ、多くの特攻兵を見送って来られた先生です。胸に去来するものも多かったと思います。私のあの質問は先生の心の柔らかい部分を刺したのではないか、殺したのではないかとずっと気にしてきました。」
桜花は濃紺のワンピースの裾をつかみながら、音を立てずに涙を落とした。
.「桜花さんが主人に言った言葉、あの当時、数日考え込んでいました。でも泉中学校を離れてから主人なりに回答を見つけたようでね。『重要なことを決めるときは、体がメッセージを発するのではないか』と。主人の人生も、私の人生もそうです。頭で考えていない。主人が予科練に行ったのも熱にうなされていたでしょう。特攻兵の承諾もそうです。主人と私の結婚も頭で決めたわけではなく、今更恥ずかしいですが、お互いに熱を持っていたからです。自殺者が自分の命の最期を決めるのは非常に重要なことです。だから体からメッセージを発すると桜花さんは当時、日記に綴ったのではないでしょうか。主人はあなたに傷つけられたとは思っていないですよ。思っていたら誕生日のたびに、電報なんぞ送りません。」
美津子は桜花の肩を優しく抱いた。桜花は少し震えていた。ありがとうございます、と何度も呪文のように重ねた。
「桜花さん、エンドウ豆好き?先日、今が旬だからと、ご近所さんからエンドウ豆を頂いたの。主人は決して食べようとしなかったから、実は私も四十年以上作っていないし、食べていないのよ。」
「お供えしたら先生、びっくりしますよ。」
「もう向こうで河村さんとお会いしていると思いますよ。主人は頑固で一度決めたら動かない人だったけど、本当は好物の一つだったから、すごく食べたかったはずです。」
「私、作るの、お手伝いします。」
台所から二人の明るい声が聞こえる。しばらくして、武好みの甘めの味付けで作られた、緑と黄色の優しい色合いが目でも楽しめる一品が、そっと遺影前に置かれた。
エンドウ豆の卵とじ ラビットリップ @yamahakirai
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