第8話 互いの体温を信じる二人
武が美津子の前に現れたのは、夫の死から五年後の夏だった。夫を亡くした美津子は、夫との間に出来た息子を育てていくため、カキの養殖販売所で勤務していた。
再会時、武が最初に発した言葉を、美津子は忘れたことはない。
「みつ、脇の怪我は大丈夫か。」
美津子は幼い頃、囲炉裏に落ちて脇にやけどを負っていた。武はその負ったやけどを、ずっと覚えており、心配していたのだ。
最後に別れてから、二十二年の月日が流れていたが、美津子は幼い頃の面影を残しており、武はすぐに見つけることができた。
武は夏の剣道部の合宿で生徒を連れて穴水の方へ来ており、見学地の一つとして、カキの養殖工場へ訪れたのだった。
死んだものと思っていた武が目の目にいることを受容できない美津子は、武を直視できなかった。また見学時間も限られており、近況報告すらもできなかった。武は帰還してから茫然自失状態で、言われるまま師範学校へ進み、教員になったこと、自分を取り戻してから美津子のことを思い出したが、穴水にいる親戚の元へ疎開したと聞き、詳細な居場所を知らず連絡の取りようがなかったこと、今日こうやって奇跡的に再会できてうれしいと手短に述べ、また連絡すると言い、生徒の元へ走り戻った。
生徒の輪の中に居る男が武なのかまだ確証が掴めていない美津子は、騙されても良いと覚悟を決め、一行が施設を出て行く間際、武に駆け寄り、手に連絡先を握らせた。
武からの連絡はすぐにあった。お互いに電話で近況報告をする状態から、逢瀬を重ねる関係に発展するにはそう時間はかからなかったものの、婚姻までにはかなりの月日を要した。武は家族を持っていたからだ。
昭和五十年、武は美津子を選んだ。美津子は武が何と言って離縁したのか知らない。
武も進んで話そうともしなかったし、美津子もあえて触れようとはしなかった。二人は黙って、お互いの体温を信じると決めた。
美津子の一人息子が所帯を持った頃、武は再任用の講師として、泉中学校に呼ばれた。武はこの時既に六十五歳を迎え、公立学校勤務最後の務めとなっていた。
日頃は饒舌な武が全く口を利かず、返事も上の空で、遠くを見つめていることが多くなったのは、勤め始めてから半年ほど経過した初冬のことだった。
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