第7話 20数年ぶりの再会
田島美津子とは、武が僻地校を盥回しにされていた昭和四十年に再会した。
美津子と武は同じ町内会で顔見知りだった。面倒見がよく、妹のように可愛がってくれる武に美津子は、徐々に淡い恋心を抱くようになっていた。
武が予科練に行く際、町内会一同という括りで見送りに行ったが、武に最後の声掛けはできなかった。武の目は既に明後日の方向を向いており、『元気で』の一言すら寄せ付ける隙を与えなかった。
戦況が悪化していく中、富山大空襲が昭和二十年の四月十八日にあり、次は石川県ではないかと言う話が飛び交い始めた。美津子は家族と共に、漁師をしている親戚が住んでいた穴水町へ疎開することになった。
穴水町はその当時、空襲が酷かった大阪などからの学童疎開も多く受け入れていた。
武からの最期の手紙と小包が実家に届いた頃、美津子は親戚の子らと、彼らのお世話に忙しかった。
「山本武君が特攻へ行くと言う手紙を送ってきたそうだ。」
と聞いたのは、終戦間際であった。連日新聞では、特攻兵の活躍が大々的に報道され、英霊と讃えられていた。武も英霊となる道を選択したのかと思うと、虚脱状態となり、美津子はしばらくの間、自分と声を失った。
終戦後、美津子の家族が親戚と共に漁師をしていくと決めたため、そのまま穴水に残ることになった。無論、美津子の錯乱ぶりを傍らで見てきたため、金沢へ美津子を戻すと、さらに発狂するのではないかと恐れ、親は穴水移住を決めたというのもある。
精神的に落ち着きを取り戻してきた翌年、美津子は新しくできた穴水農学校(現・穴水高校)へ進学した。卒業後は戦地から帰還し、漁師として働いていた男と結婚した。
夫は傷痍軍人で、夜中に突然、叫び、泣くことがあった。お国のために怪我をした人に尽くすのは当然のことと思い、理不尽な要求をされても美津子は寄り添った。美津子の中には常に武が住んでおり、武の不運を思えば、どんなことにも耐えることができた。もちろん、近所には戦死した兄の弟と再婚した『逆縁婚』を決めた人もいて、みんな戦争でしっかりと不幸せになっていた環境が転がっていたというのも大きい。
美津子の夫は昭和三十五年の冬、漁に出ている最中、亡くなった。元々不自由な体で無理して漁に出ていた夫は、高波で船が転覆し、海に投げ出され溺死したのだった。
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