塔の魔女と祝福の魔法

かんなぎ

塔の魔女と祝福の魔法

昔々、古びた塔に住んでいる魔女に恋をした王様がいました。

魔女に恋い焦がれた王様は、つれない魔女に取り引きを持ち掛けます。

一年間だけ妃になってくれるのならば二度と貴女の前には現れない。

妃になってくれないならば自分が死ぬまで貴女に迫り続けるだろう。


魔女は困ってしまいました。

不老長寿の魔女とは言え、人の一生を賭けて追いすがられるのはあまりに長い時間でした。

仕方なしに何度も何度も約束を交わし、ようやく魔女は塔から出て、王様の元に一年間だけ嫁ぎました。

その一年間の結婚生活は、王様にとっては大変幸せなものになりました。

そして一年後、魔女は塔に戻ると、一人の子供を産み落としました。



魔女の娘もまた、魔女でした。



王様はそれを知ると、今度は子供が欲しいと魔女の元に通いつめます。

魔女は大層美しく、たった一年間では我慢できない程に魔女を愛してしまっていたのです。

だからこそ子供さえ手に入れば、きっと魔女自ら王様の元へと訪れるようになるだろうと考えたのです。


魔女は王様の狡い考えを見抜くと、すぐさま自らの塔に魔法をかけました。

レンガを積み上げただけの壁は、どんな石より硬い壁に。

脆くて美しい硝子の窓は、銀で出来た強固な格子窓に。

木製のドアは、それ自体を無くしてしまいました。

そして最後に、この魔法は二百年は解けないように、と魔女は呪いをかけました。


けれども王様は諦めません。

名のある魔法使いを呼び寄せて、魔女の塔を壊そうと企みます。

魔女はとても優秀な魔女でしたが、それでも世界で一番の魔女という訳ではありません。

何度も何度も魔法使いの攻撃を受けては、魔女の魔法がかかったこの塔も、いつ壊されてしまうか分かったものではありません。


困った魔女は、ついに禁忌の魔法に手を出しました。

それは、忘却の魔法です。

魔女は不老を代償に、忘却の魔法を歌いました。


けれどなんという事でしょう!

王様は魔女への愛情を忘れてしまいましたが、執着の心は忘れませんでした。

どうして塔の中に居る魔女に会いたいのかは分かりませんが、とにかくどうしても魔女に会わなければならない気がしていたのです。

来る日も来る日も塔を壊そうとし続けました。


魔女は頭を抱えてしまいました。

魔女は不老を代償にした為に、いつか必ず魔女としての力が衰えてしまいます。

その時にまだ王様が執着の心を忘れていなければ、魔女はついに捉えられてしまうでしょう。

そうしたらこの小さな魔女の娘は一体どうなってしまうのでしょう。


とうとう魔女は決心をして、長寿を代償にもう一度忘却の魔法を王様にかけました。

―――そして、長く生き過ぎていた魔女は、ついにその身体を保てずに砂になって消えてしまいました。




王様が忘れ去り、魔女が死に、塔の中に残ったのは幼い魔女の娘、唯一人。

成長しても魔法の師匠が居ないのですから、いつまで経っても魔女としては未熟なままです。

母親がかけた魔法を破る事も出来ずに塔の中で暮らさざるを得ないのです。

生活に必要な事は何だって母親が塔にかけてくれていた魔法で叶えられました。

けれど、どうしたって一人で生きていくにはこの塔の中には楽しいことが少なすぎました。


小さな魔女の娘は、来る日も来る日も暇でした。

窓の外に向かってひたすら歌う事ぐらいしか楽しい事はありません。

偶に小鳥や小さな栗鼠が訪れる窓辺を見上げ、ただひたすらに歌ってばかりいました。


ある日、窓の外を叩く音がしました。

魔女の娘はびっくりして歌うのを止めてしまいました。

そうすると今度は外から野太い声が聞こえます。

おうい、そこに誰かいるのかい、と。


魔女の娘は、今まで母親以外の人間とお喋りをした事はありません。

偶に塔の外を通りがかる人は居ましたが、その誰もが塔の中に人が居るとは思ってもいなかったから、誰にも話しかけてきた事はなかったのです。

魔女の娘は驚き過ぎて、ついに返事をする事は出来ませんでした。

けれどもその事に気を落とす事はありませんでした。

次の日も、そのまた次の日も、歌っていると野太い声の主は魔女の娘に話しかけてきたのですから。


次第に仲良くなったその野太い声の主は、魔女の娘がどうして塔の中に居るのかを聞きました。

魔女の娘にはそんな事は分かりません。

この塔の中には何でもあって、飢える事も寒さに震える事もありません。

けれども、魔女の娘にとってはこの塔はまるで牢獄であるかのような心地すらしていました。

二百年もこんな場所に居続けなくてはならないなんて、そんな事は到底耐えられませんでした。

魔女の娘はこの塔を出たいけれど、それは自分には出来ないのだと伝えます。

野太い声の主は、その魔女の娘の言葉に大層同情して、自分がきっと其処から出してやろうと約束してくれました。


魔女の娘はその言葉に大層喜びました。

そして、その日から魔女の娘と野太い声の主は沢山の作戦を立てました。

けれどもそれらは何一つ塔を攻略する手立てにはなり得ません。

硬くて硬くて仕方ない壁を破る為に、男は何度も槌を奮ってみましたが、結局傷一つ付けられませんでした。

銀の格子窓を打ち壊そうと、今度は金剛石で出来た金槌を奮ってみましたが、これもまた一切傷をつける事は叶いませんでした。

それでも、魔女の娘は気落ちしませんでした。

だって、毎日野太い声の主が魔女の娘の話し相手になってくれるのですから。

だって、毎日自分を助けようと奮闘する、まるで王子様のような野太い声の主に壁越しに会えるのですから。


そうして何年も何年も過ごし、魔女の娘は十六の歳を迎えました。

魔女にとって十六歳とは特別な歳です。

魔女の身体が成長を止める歳なのです。

自分の誕生日を祝ってくれる声に、魔女の娘は前々から気になっていた事を聞きました。

どうして野太い声の主は自分を助けようとしてくれるのか、と。

いつもの通り、壁を破ろうと金槌を奮っていた野太い声の主は、それを聞いてほんの少しだけ黙ってしまいました。


そして、会ったことも無いけれど、魔女の娘に恋をしてしまったのだと言いました。


その言葉に喜ぶよりも先に、魔女の娘は気付いてしまいました。

野太い声の主は、きっと一生を賭けて自分を助け出そうとしてくれるだろうと。

魔女の娘は不老長寿ですから、何十年待つことになっても問題ではありません。

でも、野太い声の主は普通の人間です。

魔法の塔を打ち破れるだけの力も、魔法がいつか解ける日まで待ち続けられる寿命も持ってはいないのです。

このままでは、野太い声の主の人生を無駄にさせてしまうかもしれません。

野太い声の主の事を同じように恋しく思っていた魔女の娘は、そんな事は望んでいませんでした。


魔女の娘は、野太い声の主が自分に対して興味を無くすように、気のない態度を取るようになりました。

歌ってくれとせがまれても、今日はそんな気分ではないと不機嫌を露わにしてみたり。

話しかけられても、今日は貴方と話したいとは思ってないと答えてみたり。

せめて声を聞きたいと言われても、声を絶対にあげなかったり。

魔女の娘はその度に心を痛め、涙を流しました。

早く自分に愛想を尽かしてくれる事ばかりを祈っていましたが、野太い声の主はそんな魔女の娘の祈りをものともしません。

どんなに酷い事を言われようとも、どんなに無視されようとも、魔女の娘がずっと寂しがっていた事を知っていたのですから。


そしてまた何年も経ちました。

魔女の娘が歳を重ねる事はありませんが、野太い声の主はどんどん歳を取っていきます。

このままではこの先ずっと、死ぬまで野太い声の主は塔を壊そうとし続けるかもしれません。


とうとう困った魔女の娘は、たった一つ、母親が命をかけて教えてくれた魔法を口ずさみました。

それは、あの禁忌とされる忘却の魔法です。

魔女の娘は、不老を代償に野太い声の主の恋心を消しました。

―――そして、その日から野太い声の主が塔を訪れる事はなくなりました。




それからの毎日は、魔女の娘にとって何とも空しいものでした。

何年も何年も、毎日訪れていてくれた野太い声の主が来なくなって、また一人ぼっちになってしまったのですからそれも仕方がありません。

魔女の娘の事を忘れていても、もう一度この塔の近くを通らないかと期待して、毎日毎日塔の外の音に耳を澄ませました。

たとえ話しかける事は出来ずとも、近くに来てくれればそれで良いと思ったのです。


そんなある日、魔女の娘は足音を聞きました。

誰か人が来たのです!

もしかしたら野太い声の主かもしれないと思って、魔女の娘は耳を澄ませました。

けれどもそれは、聞いたこともない声でした。

がっかりとした魔女の娘は、それでも久しぶりの人の声をよく聞こうと窓辺に近寄ります。

そうして聞こえてきた二つの声は、思いもよらない事を話していました。


町一番の働き者の男が、今日結婚するのだと。

その男は何年もこの森に通い詰めていたけれど、ようやく町長さんの娘との結婚申込みを承諾したのだと。

けれども結婚式当日の今になっても、未だに自分が結婚する事に対して首を傾げているのだと。

幸せにしたかった人が別に居たような気がすると言っているのだと。


外の声が話している人は、野太い声の主に違いありません。

魔女の娘はそれを聞いて泣きました。

野太い声の主が結婚する事が悲しいのではありません。

幸せを目前にしてもまだ魔女の娘の事を心のどこかで覚えていて、幸せになる事に疑問を抱いてる事が悲しかったのです。

恋心は完全に消しました。

それでも野太い声の主は魔女の娘を大事にしていて、幸せを願っていてくれたのだと知ったのです。


魔女の娘は泣きながら歌いだします。

自分を忘れて幸せになってほしいと、長寿を代償に忘却の魔法を歌いだします。

その滑らかな歌声は、鉄格子を通り抜け、風に乗り、城を越え、川を渡り、家々に響き渡ります。

愛しい人の為に歌う忘却の歌は、どこまでも美しく、どこまでも高らかに、想い人の幸せを願います。




男は懐かしい歌声を聞いた気がして、ふと振り返りました。

けれど、教会の外からは男達の歌う祝いの歌が聞こえるばかりです。

懐かしくて、迎えに行きたくて、泣きたくなるような気持ちが心に浮かんで――すぐにそれも消えてしまいました。

男は首を傾げます。

はて、大事な事を忘れている気がするぞ。

けれどもそんな疑問も、幸せそうに微笑む花嫁に腕を引かれ、すぐに忘れてしまいました。

自らが幸せにすると誓った花嫁と腕を組むと、どこからかまた美しい歌声が聞こえてきます。

まるで女神の如く清らかな歌声が、二人の幸せを歌います。

きっとこの結婚は神様に祝福されているのでしょう。

男は花嫁を腕に抱えると、これからの幸せを思って笑いました。


今日は町一番気立ての良い娘と、町一番の働き者の男の結婚式です。

どこからか響いてくる祝福の歌は、いつまでもいつまでも彼等の幸せを願って途切れる事なく旋律を奏で続けるのでしょう。

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