第9話

理科室の中は写真通りの一般的なもの、と言えた。問題はぴちゃん、と滴る水音。視線を滑らせればそこにはやはり、と言うべきか。大きな水槽がひとつ、流し台の中で横倒しになっていた。水が排水口の中に流れ続けている筈なのに注がれる音が止まることは無く、見た限りでは水かさが減ることもない。視線を合わせるまでもなく俺は一歩下がってソルトバレットが詰まったマガジンを装填し、雫は前に進み、ナイフを構える。当然そのナイフも浄めてある代物で厳密には短刀に近い代物だ。何故先程までの緩い空気感で居られないのか、答えは単純。危険度が高い怪異を見分ける際に幾つかある法則の特に重要視される1番初めに覚える警戒すべき三ヶ条に抵触するからだ。


ひとつ、「四肢が揃った人の姿なのに二足歩行していないもの」

ふたつ、「社がない祠にいるもの」

みっつ、「不滅に見せる技量があるもの」


この3つ目。仮に幻術だとしても、不滅に見せかけられる、ということは観測者を意識していることを表す。侵入に気付いた上で不滅に見せかけ襲撃は無い。その異様さ自体が警戒するに値するものだった。視線を合わせて数度深呼吸、幻術を解く術を発動する為に手を二度打ち合わせる。


「汝のまことをうつし示せ」


反応は無い。軽い幻術ならばこれで解除できる筈で、大抵の妖程度ならばこれで対応出来るはずだった。なんの反応も無く、揺らぎもしないことに内心焦りつつ雫に連絡を、と声をかけようとした途端にバン、と強烈な音が響いた。教室の引き戸が閉まっている。電気がチラチラと点滅を繰り返し、ギシギシと建物全体が揺れる、揺れる。封印して三十一年経つ怪異があからさまに力を発揮するなんて本来ならば想定されていない状況だった。逃げて報告するまでが仕事だ。拡散する可能性が少ない現状ならば撤退が最優先。だというのに雫が動く気配を見せない、どうして、と苛立ちながら声を荒らげた。


「雫!出るぞ、理科室は最初の犠牲者が出た場所の筈だ!拡散する恐れが低い以上指示を仰ぐしかない!」

「────ダメ。

これは放置したら不味い、絶対にそう。簡易的なものだけど封印の上書きをするから唯央は先に行って連絡を!出来るだけ早く!」


雫の判断が間違ったことは無くて、でもそれは見捨てることと殆どイコールになる。何故って雫の封印の仕方とは術式を刻んだナイフで自分ごと対象を刺すことだったから。数秒迷ったのはまだ未熟だったからだろうか。水槽から溢れる水の量が増え、吹き上がるようにして形を変える。手遅れになったと悟るのは簡単だった。











「わっちはなぁ、こういう役回りは好きじゃありんせん。だから───黙って居るのが『約束』。」



形を無そうとした水が糸に絡め取られてばしゃり、と床を濡らす。跳ね返った水が足元を濡らして正気に返った。顔をあげれば水槽の側、窓の向こうに逆さの女の顔がある。

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特殊部隊怪奇部門調査部~僕はツンデレなんかじゃない~ 多羅千根らに @tarachine831

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