―純白―

 幼い頃は、ただひたすらに可愛らしいと褒められ続けた。私はそう言われるのが何より好きだった。

 しかし、何もせずとも褒められた時間は長くない。

 可愛らしかった容姿も成長と共に変化して行った。私自身はそれを自覚しておらず、自分が誰よりも可愛いと信じていた。そうして元より存在していた周囲との溝を、より深いものにしてしまった。

 イタイ子だと言われた、それが小学生の頃だ。いじめというより、相手にされなかった。だから引き篭もるようになった。人との交流が嫌いになり、両親と話すことも嫌だった。

 不登校が続き、中学生になってもそれは変わらなかった。しかし私にとってショックだったのは、思春期と共に訪れるニキビや肌荒れ。その時期になってようやく自認し始めた、自分の顔の醜さ。

 生き様や表情次第で何とでも変えることが出来たはずだった。自分の顔が醜悪なものに見えるのは自分にプライドがあるからこそでもあり、それを拗らせて内へ内へと暗い方向へ進んでいった結果であった。

 中学はほとんど行かなかったが、高校は進学校に入って再スタートを切った。友人は相変わらずいなかったが、いじめられることもなくなった。家にずっと引き篭もっていたことで私は勉強は出来るようになっていた為、その時代が最もストレスがなかったと言える。

 大学。私の人生が狂ったのは、多分この頃だ。所詮、可愛くありたいという願望は幼い頃の苦い思い出であり、笑い話にさえ出来たはずだった。

 家に引き篭もっていた時期が長かった私に、コミュニケーション能力はない。というよりも、会話が何たるかを理解していなかったのかも知れない。私の中の常識は本から得たものでしかなく、会話も小説の中の人々がするような現実にそぐわない不自然なコミュニケーションとなってしまう。

 だから、いじめられた。大学生にもなって、ただただ誹謗中傷を繰り返す最低な人たち。でも、私が人と違うのも悪いんだと思うようになり、逃げ場はなくなって行った。

 地獄の学生時代を終えるが、面接には受からず定職に就かずに数年をフリーターとして過ごした。食い繋いでいく為だけのアルバイト。コミュニケーションを極力避ける為裏方の仕事をするが、それでも指示を違うことをしては怒られ、私がそれに対して返答するとさらに怒りに火を点ける。

 そんな生活もやはり長くは続かなかった。いつしか外に出るのが怖くなった。中学時代に逆戻りしてしまったが、今度は家の中にさえ居場所がなかった。

 両親は私が心を病んでいることを理解してくれなかった。吐いてしまっても過呼吸の発作を起こしても、それが仮病であると決めつける。

 この世のどこにも居場所はない。それもこれも、自分の顔が原因だった。この顔があったから貶された。この顔があったから引き篭もりになった。可愛かったあの頃へ戻りたい。何もしなくても両親に愛されていたあの時代に。

 今の顔。いや、可愛くないと言われ始めてから現在までの全ての顔が憎い。ただ可愛いと言われたあの時間だけが懐かしく幸せだった。この顔と自分という存在の痕跡を全て焼き尽くしてしまえば、それが消えるような気がした。

 自殺の方法には色々ある。飛び降りに入水、首吊り。しかし私は身を焼くことを選んだ。この顔を跡形もなく消去したいから。

 ある日、私は両親から悪態を吐かれ、素直に死にたいと思った。

 ガソリンを頭から被った。点火すれば私は天国に行って輪廻転生できるはずだ。可愛いと言われ続けて、人との交流もなく過ごす幼少時代を所望する。

「……さよなら」

 その言葉は、誰に向けていたのだろう。友人はいない。両親も愛していない。世界だって嫌いだ。

 ライターの火を点けた瞬間、身体に燃え移った。最初は温かいと感じた。このまま上手く一酸化炭素を吸って意識を失うのなら安楽死と変わらない。そんな甘い考えはすぐに打ち消される。

 温かさは熱さに。熱さは痛みに変わる。針に刺されるような鋭い痛みが、全身に走る。私はその瞬間全てを後悔してのた打ち回った。

 こんなに簡単に死を決意すべきではなかった。こんなに簡単に人生を諦めるべきではなかった。こんな顔だって、死ぬよりはマシだった! こんな顔でも生きていたい……!


 この世がどんな条理で成り立っているのか、私には分からない。

 けれど、輪廻転生か死の間際の夢なのか。私の願いが叶ったことは確かなのだ。私のその優柔不断な願いが、この邸宅を創り出した。

 そう。この邸宅は私が創ったものである。私が逃げ出そうとしようが共存を決意しようが、邸宅は意思を持っているかのように変化していく。とにかく脱出を阻もうと、変化する。それは私の深層意識。外には出たくない。その一心だ。

 そしてあの少女たち。私はコミュニケーションを苦手としていたし嫌いだった。人との関わり合いなんて持ちたくないと信じていた。でも、そう思っていたのはきっと、心のどこかで友人の存在を望んでいたから。

 だから六歳の私と同年代、そして似たような顔の少女たちが無数に存在していた。けれど私が周囲の人間と関わりたくないという二律背反した意識が、大学生時代のいじめの記憶とリンクしたんだ。

「そうだったんだ……」

 友人が欲しかった。こんなに沢山の同年代の遊び相手がいれば、どれだけ楽しいだろうか。本当は周りが羨ましかったからこそ、馴染めない自分が嫌で引き篭もりになった。独りになってしまえば、そんな事実も隠せるから。

 この邸宅は私の全ての願いを叶えていたのだ。矛盾した相容れないはずの願いさえ、形で表現してくれていた。炎で死んだことを後悔したから、炎での拷問は一度もされなかった。精神的な痛みに耐えることには慣れっこだったから、そんな強がりがこの部屋を生んだのかも知れない。

 考えていると、一人の少女がやってきた。何かを抱えている。

はは、また拷問をするのかな。半分諦めていた。私の勝手な願いがこの邸宅にこの少女たちを創り出し閉じ込めてしまったのだから、恨んでいても当然だ。

「これを見て」

 彼女が持ちだしたのは、鏡だった。

 この邸宅になかったもの。理由は簡単だ。醜怪に育った自分の顔を見ることが何より嫌いだったのだから。

 しかし、勇気を出してそれを見た。

「……え?」

 焼け爛れて見るに堪えない顔が映っているはずだった。しかし、視界に飛び込んできたのは美しい少女の顔。この館で見慣れた少女たちの顔に似ている。

 違う。これは――これこそが、あの頃の私の顔なのだ。私にとって一番可愛らしく、両親にも無条件に愛されていたあの頃の顔。

 思えば少女たちの顔は各々、私と比べて些細な違いがあった。あれは自分の理想の容姿に近いものではあったが、少しだけそうではなかった。多分私は、同時に遊び相手として、私ではない別の人間が欲しかった。自分自身であり、違う人間。

「ごめんね。あなたの願いは、こんなものじゃなかったんだ」

 少女は初めて優しい笑みで声を発した。

 そうして、これまでなかった扉を指差す。

「あのドアから出てみて」

 立ち上がる。しかし、足が踏み出せなかった。なんだか、怖い。

「大丈夫。怖くないよ。信じて」

 この友人を、私は信じることにした。

 一歩一歩着実に扉に近づき、そこに触れる。隙間から白く眩い光が漏れているのが分かった。

「開けるね」

 私は少女にそう宣言し、扉を押した。


 ――そこに広がっていた世界は一つの穢れもなく、真っ新で幸せな世界。そこにいる人々は、全て私を愛してくれる。そしてここにはいつまでも、この優しい邸宅があった

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優しい邸宅 登坂けだま @Kedama_Tosaka

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