―深紅―

 真っ暗な空間を走っていたと思えば、唐突に目が覚めた。

 景色を一切認識していない状態で走り続けていたら、いつの間にかそれは無意識の暗闇に変容していて、気づいた時にはここにいた。

「……痛い」

 どうやら私は両腕を拘束されているようだ。身体を見ると、白かったはずのワンピースは所々が赤く汚れている。これは自分の血だろうか。

 赤い電灯で薄暗く照らされ自らが吊るされ監禁されているという状況に、どうしてか安心感を得る。これまでのシチュエーションと比較して格段に現実味を帯びているからだろうか。

 しかし、どうしてこんな状況になっているのだろう。私は暗闇の中を必死になって駆け抜けていた。あの少女に追いつかれたとは思えないが、途中で転んで気を失っただとか、そういう理由だろうか。あるいはあの暗闇に入ることが、こうなる条件だったのか。

 何にせよまずは現状のことを考えよう。

 私は両腕を拘束されて動けない。狭い部屋にあるのは大小様々な刃物ばかり。しかしこれは何だかもう見慣れてしまって怖くはない。あの不可解な少女たちもこの部屋にはいない。見渡す限りでは扉さえ見当たらない。だから入っては来れないだろうという常識的には直感的な印象を覚える為に精神的には良い。あの少女たちには、もう会いたくない。

 瞬きをした。瞬間というのはまさにこのことを言うのだ。その時、両目に映ったのは真っ赤な瞳だった。

「きゃっ!?」

 思わず小さく声を漏らしてしまう。

 瞳が離れて行くと、それが私が今最も会いたくないあの少女のものであると分かる。今回の少女は赤いワンピ。

 彼女は人形かロボットのように最低限の動きしかしない。呼吸や鼓動をしていないのではないかと感じてしまう。

 小さな鋏を持ち上げた少女は私にそれを向ける。

「思いつく限りの拷問を用意してるんだ。古今東西色んな道具をここに持って来てるの、ちゃんと痛がってね」

 彼女は早口に捲し立てるが、しかしつまらなそうだ。何せ無表情なのだから。私の平常心はとっくに破壊されていた。

「だ、誰か! 誰か助けてッ!」

「誰も来ないよ。もしかしたら観客や、拷問したいって人は来るかも。さて、まずは皮膚をはぎ取るところからかな」

 不意に腕の皮膚を抓まれ、その部分をあっさりと鋏で切断された。

 その時点からあまり記憶がないのは不幸中の幸いだったのかも知れない。ただ覚えているのは、叫びと興奮だけで痛みを耐え凌いでいたこと。そして最も恐ろしかったのは、彼女がその拷問を終えても私は死ぬことができないのだということを直感的に理解してしまっていたことだ。肉体が死んでしまえば、それは気づかぬ内に再生している。そして似たような拷問が延々と繰り返されるのだ。

 もう、どうでもいい。

 痛みを感じている間も意識はあった。けれど、肉体が再生した後はもうそれを思い出す体力さえ残っていない。ただ苦しい、その感情だけを覚えている。

 いつの間にか腕の拘束具は外されていた。別の場所に吊るされたり、水に溺れさせられたり、無数の棘のある椅子に座らされたり、頭に変な器具を取り付けられたり。

 痛みが続く間、喉が壊れても肺や心拍が限界近くなっても叫びを続けていたように思う。

 

赤い少女は飽きて消えてしまっていた。永久に続くのではないかという時間も、過ぎてしまえばあっという間。

いつの間にか綺麗な身体で倒れていた。瞼を上げると、変わらないその部屋。

「なんで……」

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 赤い涙を流す。こうなってしまった原因は? 私は何の罪を犯してこんな罰を受けているのか。そもそもこれは罰なのだろうか。

 拷問は一先ず終わったのだろう。時間がいくらでもあるのなら、この世界がどこで、私がここにいる理由を考えてみても良いかも知れない。

 あの色とりどりの少女たちは私を憎んでいるのか、執拗に傷つけようとする。最初に出会った青い少女は私に対して消えろと言い放った。そして赤い少女は拷問を楽しんでいた。私は憎まれているのだろうか。

 考えてみれば、彼女らの行動は仲間外れの類のいじめに似ている。私だけを除け者にして遊んでいたり、私の姿を見つけると強い反発を向ける。

 子供が他人を仲間外れにする動機には、カテゴリ的に際立って違っているように見えるという理由が多いかも知れない。ならば、自分が彼女らと違う部分は何だ。身長も年齢も同じくらいで、顔だってそっくりなのに――。

 顔が、そっくり?

 私はその言葉に疑問を覚えた。私は自分の顔を直感で知っていた。それは自分の顔だからだとこれまで疑ってかからなかった。しかし私はこの邸宅で鏡を一度も目にしておらず、そして顔が実際にどんな造形をしているのか確認していなかった。

 もしも。もしも私の顔が、私の想像した顔ではないとしたら。どんな顔をしているのだろう。のっぺらぼうだとか、口裂け女のようなのだろうか。

 だから、それを確認したかった。

 確認するに際して何も鏡を用意する必要はない。この邸宅で目覚めてから、私は一度も顔を触っていない。つまり、触ってみたその感触で全てが分かる。

 造形を確かめる為に肌に触った。しかし、その材質で私は悟る。

 ――この肌。焼け爛れてしまったその感触。

 これは、焼身自殺した二十六歳の自分の顔だ。しかし、目や鼻や口がちゃんと機能していたからこれまで全く気づけなかった。見た目だけが、焼けている。

 全て思い出した、何があったのか。そしてこの世界の意味も、ほとんど理解した。

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