第60話 その掃除屋は日常に戻る

 リュシーが制服に着替えてカウンター業務に入るまで待っていようと思ったのだが、受付嬢のお局様デリアさんに手招きされてしまった。


「ギルドマスターが呼んでるわ」


 そう言うと、デリアさんは二階を指差してみせた。

 サインを貰ったプーロからの依頼票をカウンターに出して、リュシーへの伝言を頼む。


「これ、昨日終わらせてきたから処理しておいてくれるようにリュシーに伝えてもらえます?」

「いいけど、あんた覚悟は決まったんでしょうね?」

「んー……面倒な事は良く分からないけど、自分の気持ちには正直でいる事にしたよ」

「ふーん……まぁ、いいわ。リュシーを泣かせたら承知しないんだからね」

「その前に、俺がギルマスに泣かされないように頑張ってきますよ」


 慌てた様子で着替えを終えてきたリュシーに、依頼票の件を手振りで頼みながら階段へと向かう。

 ギルドに来るまでも、街中の話し声に聞き耳を立てていたのだが、まだプーロの幹部が失踪した件は広まっていないようだ。


 それでも呼び出しがあるのだから、ギルドマスターの所には情報がもたらされているのだろう。

 執務室のドアをノックして、中に向かって呼び掛ける。


「おはようございます、マサです」

「どうぞ、お入りなさい」


 ドアの向こうから聞こえてきたギルドマスター、ジェルメーヌの声は機嫌が良さそうに聞こえた。

 ドアを開けて執務室に踏み込むと、にこやかな笑みを浮かべたジェルメーヌが応接ソファーに座るように手振りで示した後で、自らお茶の支度を始めた。


 執務室に入ってドアを閉めた時点で、外からの雑音はシャットアウトされた。

 またジェルメーヌが、部屋全体に結界を張ったのだろう。


 今日はダービッドのオッサンはいないから、ここからはジェルメーヌとサシでの談判だ。


「どうぞ……」

「いただきます」


 ジェルメーヌの淹れてくれたお茶は、ふわりと花の香りがして、口に含むと手入れの行き届いた庭園にいる気分にさせられた。


「ゆうべはお楽しみだったみたいね」

「ごふっ……」


 プーロの一件をどう切り出してくるのかと思って身構えていたので、ジェルメーヌの予想外の一言でお茶を咽てしまった。


「そんな事を聞くために呼び出したんですか?」

「あら、ギルドの職員の将来を左右する事なんだから大事よ」

「まぁ、お楽しみだったのは確かですけどね」


 雉鳩亭の部屋の中まで覗かれていたとは思えないが、変に隠し立てする必要も無いだろう。


「仕事の方もキッチリこなしてくれたようですし、ギルドとしては貴方の働きぶりには感謝しているわ」

「そりゃどうも……でも、俺としてはギルドの働きには不満ですけどね」

「あら、どういう事かしら?」

「俺に関してギルドが持ってる情報を横流しする職員がいたら、安心して働けませんよ」


 嘘か真か分からないが、プーロの連中はギルドの内部に裏切り者がいると話していた。

 さて、ジェルメーヌはどんな反応をするだろう。


「そうね、ギルドの内部情報を外に漏らすのは重罪だから、受付嬢のセリスは王都に研修に行かせたわ」

「はっ? 研修?」

「えぇ、昨日王都に向けて出発させたわ。表向きは幹部候補のための研修だけど、とっても厳しい研修でね、耐えきれずに失踪して行方知れずになる人も少なくないのよ。プーロの大幹部みたいにね……」


 つまり、ギルドの裏切り者は既に処分してあるという事なのだろう。

 というか、組織を守るためなら身内の者も容赦はしないという事なのか。


「プーロの大幹部? 何の事です?」

「昨晩、娼館『黒鳥』に集まっていた大幹部の三人が忽然と姿を消したそうよ。娼館で働いている女の子たちの借金の証文も金庫ごと消えているとかで、大騒ぎになっているみたいよ」

「へぇ……それじゃあ俺がサインを貰った後で何かあったのかもしれませんね。そうだ、この金を俺の口座に積んでおいてもらいたいんですが」


 プーロの金庫から持ち出してきた革袋を六つ、鞄から取り出してテーブルに積み上げた。

 話の流れからしても、俺が『黒鳥』で何をやったか大体の事は掴んでいるようだから、革袋に詰まった金の出所も分かっているはずだが……ジェルメーヌは顔色一つ変えなかった。


「いいわよ、手続きしておくわ」

「よろしくお願いします。それで、今日は何の呼び出しなんですか?」

「あらあら、そうね、肝心な事を伝えないといけないわね。ダービッドが特別な掃除はもうしなくていいと言っていたわ」

「特別な掃除? 何の事です?」

「さぁ、それは本人に聞いてちょうだい。ただ、貴方の働きには満足していたみたいよ」

「俺の働きねぇ……扱き使っておいて良く言うよ」

「まぁ、不満はあるでしょうが、それなりの報酬は支払うつもりだそうだし、臨時収入もあったのだから良かったのではなくて?」

「どうなんですかねぇ……俺は普通の仕事して、普通に生きてくだけで十分なんですけどねぇ……」

「そうね。でも、その普通を守るのは簡単ではないのよ」

「まぁ、ギルドマスターという地位にいれば、組織優先になるのも仕方ないんでしょうね」


 多少の嫌味を込めてみたが、ジェルメーヌはまるで表情を変えなかった。


「その通りよ。貴方がどの程度理解しているか分からないけど、ギルドは人々の生活の中心にあって、全ての利権が集まる組織だと言っても過言ではないわ。当然、その利権を自分のものにしようと画策する者は後を絶たないわ」


 ジェルメーヌ曰く、ギルドは国からは独立した組織ではあるものの、まったく国からの意向を無視できる訳でも無いらしい。

 それでも一応の独立性を保っているから、国から疎まれた人物であっても、身分や技能、預金を保持したまま他国に移り住む事が可能なんだそうだ。


「でも、逆に言うならギルドに逆らったら生きていけないって事ですよね」

「そんな事はないわよ。ギルドの方針に異を唱えた程度では排除したりしないわ。でも構成員に危害を加えたり、ギルドの運営を危うくする行為には断固対処するわね」

「その割には、前回ここに来た時には、随分と重圧を加えられた気がしますけど」

「あらあら、それは見解の相違というものよ。それこそギルドを守るために、ギルド内部の有用な人材を活用するのは当然ではなくて?」

「つまり、今後も必要とあらば強制的に仕事をさせるって事ですよね?」

「それは違うわ。勿論、圧は掛けさせてもらうけど、本当に嫌ならば断わっても構わないわよ」

「でも、断れば王国に引き渡すんじゃないんですか?」

「さぁ、それはどうかしらね。さっきも言った通り、ギルドは国からの独立性を保たなきゃいけないの。そのために有用な人材を簡単に手放すと思う?」

「働かなければ有用な人材じゃなくなるんじゃないですか?」

「向こうが価値を認めて引き渡しを要求しているならば、取引の材料として使えるかもしれないけど、相手が価値に気付いていないのに、わざわざ知らせてやる必要は無いんじゃなくて?」


 これは、ちょっと盲点だった。

 今の時点で国は俺の有用性に気付いていない。


 豚に真珠、猫に小判ではないが、国に掃除屋を与えても使いこなせないと分かっているならば、手放すなんて馬鹿のやる事だろう。


「それに、人間は必要だと思えば、他人がどうこう言おうと行動するものよ。プーロをあのまま放置して、貴方の良く知る人達にまで危害が及ぶようになったら、それでも貴方は何もしなかった?」

「いいえ、街の害になるようなゴミは掃除していたでしょね」

「そうなる前に、憲兵隊のお墨付きで動いた方が、やりやすかったんじゃない?」


 確かにそうだ、例え露見しても憲兵隊に捕らえられる心配が無い状況で動くのと、下手を打てば死罪を覚悟しなきゃいけない状況で動くのでは、どちらが楽かは言うまでもない。

 結局のところ、ジェルメーヌやダービッドに従って動いた方が良かったのだろうが、手の平の上で転がされているみたいで気分は良くない。


「それで、フェーブルを出て行くの?」

「いや、もう暫く居てもいいかな」

「そう、それなら、普通の掃除での活躍を期待してるわ」

「特別な掃除なんか、もうやる気はないですよ」

「さぁ、それはどうかしらね……」


 余裕の笑みを浮かべるジェルメーヌにイラっとしてしまうが、今は逆らわない方が良さそうだ。

 実際、今回の件では自分なりに考えて行動したつもりだったが、先行きへの読みを含めて、まだジェルメーヌやダービッドに比べると考えが浅い。


 それに、俺自身に対してプレッシャーを掛けても、俺の周囲の人間を人質に取るような真似をしないだけ、まだギルドや憲兵隊はマシな組織だろう。


「とりあえず、俺は普通の日々に戻らせてもらう。次に特別な頼みをされても、気に入らなければ断らせてもらう」

「えぇ、それで結構よ」


 俺が腰を浮かせると、ジェルメーヌはポンと手を叩き、その直後に街のざわめきが聞こえてきた。

 俺からの話も終わりだし、ジェルメーヌの話も終わりという訳だ。


「そうだわ、忘れるところだった」

「まだ何かあるんすか?」

「普通の日々を望むなら、もう少し上手に爪を隠しておきなさい」

「そりゃどうも……」


 まったく食えないババアに食えないジジイだ。

 だが、確かに最近は魔法がある世界に慣れてしまったからか、少々色々とやり過ぎている気はする。


 ここは助言にしたがって、もう少し上手く爪を隠すとしよう。

 ギルドマスターの執務室を出て一階へ降りると、昼を知らせる鐘の音が聞こえてきた。


 どうせだから、リュシーを誘って昼飯を食べに行こう。

 カウンターに足を向けると、リュシーがちょっと恥ずかしげに小さく手を振ってみせた。


 うん、こんな毎日も悪くない。

 さぁ、普通の日々に戻ろう。

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その掃除屋は爪を隠す 篠浦 知螺 @shinoura-chira

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