第7話 海軍軍人である前に

 最終日、キムが家族の写真を見せてくれた。彼と手を繋いでいる三歳くらいの男の子と生まれたばかりの赤ん坊を抱いた女性が映っていた。

「いいご家族ですね。」

「ええ、子供たちは私が帰るといつも抱きしめてくれます。妻はとても優しいんです。

 子供が生まれるときに私は陸にいれませんでした。でも彼女は私を励ましてくれるのです。」

 それを聞いて自分たちと彼らは本当に同じなんだと思った。

「とてもいい奥さんですね、私の元カノなんて、頻繁に連絡できないとか言って、すぐにわかれましたよ。」俵藤が自嘲気味に愚痴を言う。

「その人は、海の人間とは付き合える人ではなかったのですね。」

「ええ、今度は仕事を理解してくれる方と付き合いたいものです。」

 海軍兵は一度出港すれば帰れるまでに最低でも1か月はかかる。兄弟の結婚、同窓会、嫁の出産、子供の行事、そして親族の不幸の時でさえ帰ることができないなんてザラである。当然、こんなことは入隊前から覚悟している。しかしそれは本人だけだ。家族や友人、恋人に要求するのはあまりに残酷だろう。

「みんな苦労しますね。私も福建にいるいとこの結婚式に行けませんでしたよ。」

 中国人家族は日本人家族よりも結束が強いと聞く。旧正月には必ず何十人も集まって過ごすそうだ。いとこなんて兄弟姉妹のようなものだろう。軍務のためとはいえ家族が集う特別な場に行けないことはきっと尋常じゃないほどに寂しいことには違いない。

 国は違えど、抱える苦悩は同じか。そう思ったのと同時に呉から彼らを迎えに来た庁用車が見えた。

「いよいよお別れですね。短い時間でしたがありがとうございました。」

「こちらこそ貴重な経験ができました。」

 彼らの乗った車を帽振れで送り出す。たったの二泊三日だったがいろいろと考えることがあった。車が見えなくなったとき俵藤が突然聞いてきた。

「北村、もしあいつらと戦場であったら、お前はあいつらを撃てるか。」

 答えは決まっている。

「撃てるさ、撃ちたくはないけど。」

 奥さんと子供の顔を見ちまったんだ。実際に顔が見える距離で殺しあうのであれば俺は躊躇してしまうのかもしれない。

「もし世界中の士官同士に絆があれば戦争は悲惨にならないだろうな。」

 俵藤がぼやいた言葉が妙に頭に響いた。士官のモラルが戦場を決める。確かに士官同士が顔見知りになれば、実際の戦争行為に及んでも、捕虜虐待や市民虐殺、略奪、強姦といった戦争犯罪を最低限防げるのかもしれない。でも一体どうすればいいのだろう。そもそも何で俺たちはそんなことを考えたのだろう。今回、二人の同世代の外国軍人と話して、一体俺は何を感じることができた? じゃあそれを世界中……いや、まず日本とその周辺国の海軍士官に自分達が感じたものを共有させる方法があるとするならば……

「よし!わかった!できるぞ!俵藤!」

「なんだよ、いきなり。らしくないぞ。」

「俺たちがやればいいんだ!うちと韓国、中国の海軍士官候補生同士が毎年交流できるようにすればいいんだよ!」

「そんなことできるのかよ。なにより共通点が軍人じゃ心は通じないだろ。」

「他の軍種ならな。俺たちは軍人である前に何なんだ?」

 陸軍の全員が歩兵なわけではない、空軍の全員がパイロットなわけではない。だが俺たちは海軍だ。

「日本人?」

「そっちじゃない!俺たちは船乗りだ!船乗りには軍人も国籍も関係ない!」

 海軍兵たるもの、、いかなる職務に当たっていようと一度は海に出るのだ。パイロットも軍医も、船乗りとしてみんな海で生きたことがあるのだ。厳しい節水や強烈な船酔い、家族との別れ。港を出て水平線の向こうへと漕ぎ出し岸が見えなくなったときの感動と不安。人工の灯りが何一つ存在しない夜の海の上で満天の星の中から北極星を見つけ出せたときの喜び……すべての人格は海で作られるという船乗り共通の認識がある。国の事情もあろう。軍人としての忠誠もあろう。しかし何か一つでも特別な共通性があるのなら、きっと協力し合えるに違いないと思う。

「でもそれにはただの将校には難しいだろって。」

「偉くなれば出来る、俺が将官になればいい。」

「はあ、中二病丸出し、まあ応援するよ。だけどな同期の出世頭はこの俺だ!」

「教官の前で言い切ったな小僧ども。」

 あ、死んだ。上官がいるのをすっかり忘れていた。

「北村、俵藤、腕立て三百回!外周十周!」

「わかりました!」


 我らは海軍の軍人、掲げる旗、尽くす国、守る人は違えども、

 海を愛する心だけは同じと信じる。

 ここは江田島、覚悟のないやつが生きていけない島。

 覚悟のあるやつが世界を変える術を学ぶ島。


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軍人である前に船乗りとして 鉄のクジラ @steel_whale_88

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