時空超常奇譚其ノ八. I AM A HERO/世界は今日も守られている、かもしれない。 

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚其ノ八. I AM A HERO/世界は今日も守られている、かもしれない。

「もういい加減にしてほしいわ、ホント……」

 東京中央区西銀座四丁目にある区立西銀座小学校六年生の木村俊哉の母は、毎度の事にウンザリしている。

「どうしたの母さん、もしかしてまたアレ?」

「そうなのよ。今日、父母会の会合でまた同じ事を言われたわよ」

『俊哉君IQ200なんですってね、羨ましいわ』

『どんな教育をされてらっしゃるのかしら、是非教えていただきたいわ』

『将来は東大確定ですわね』

「毎回々、良く同じ事が言えるわよね」

 六年生の一学期初めに全校一斉知能テストがあり、俊哉のIQは200を超えていたらしい。知能テストの結果数値など大した意味はないし、知能テストを行う意味さえ良くわからない。しかもその数値が独り歩きしているせいで、俊哉はクラスメートだけでなく学校中で毎日のように『東大君』と揶揄されている。母もまた学校行事に参加する度に同じ事を言われて辟易しているのだ。

「いい加減面倒臭いから「ウチの子には1歳から優秀な専属家庭教師をつけておりますのよ。将来は東大なんて低レベルではなくてハーバードかMITに行く予定にしておりますのよ」って言ってやったわ。IQなんかで将来が決まる訳じゃないのにね、莫迦みたい」

 元婦人警官で竹を割った性格の俊哉の母は、息子が誉められる嬉しさよりIQの数字で人を評価する事に腹を立てている。

「母さんムチャクチャだよ、今度はきっと『ハーバード君』とか『MIT君』って呼ばれるんだよ」

「あっ、そうか。ゴメンね」

「ところで母さん、優秀な専属家庭教師って誰の事?」

 母は黙って、当然と言わんばかりに自分を指差した。俊哉は、いつもの事なのでそれ以上ツッコミを入れる事はない。確かに、母の言う通りIQの数値だけで将来が決まる事などないし、IQが高いからと言って、俊哉が他の子供達よりも極端に優秀な部分がある訳でもない。それどころか、俊哉は他人より新しいものへの関心が薄く、興味を示しても持続した試しがない。簡単に言うと『自分から積極的に何かをやろうという気概に乏しく、しかも長続きしない』のだ。決して他人から羨ましがられるような子供ではない。

「あれ?また今月も変な振り込みがあるわ」

 母は、今度は記帳した預金通帳を見て、不思議そうに小首を傾げた。

「変な振り込みって何?」

「去年の春からずっと、誰かわからない人から毎月決まって15日に3000円の振込みがあるの。しかも、毎回金額は一緒で違う銀行なのよ。気持ち悪いんだけど、通帳の振込みは『P代』っていうだけでさっぱりわからないの。P代って何かしら?」

俊哉は、物心が付いてから親にオモチャやゲームをねだった事は一度もない。自分が欲しいものはお小遣いを貯めて買うものだと両親に教わった。俊哉はそれを正しい事だと思っているし、今でもずっとお小遣いを貯め続けている。

 五年生になった去年の春、海外赴任中の父が珍しく帰国し、俊哉に言った。

「俊哉、お前の誕生日プレゼントに専用パソコンを買ってあげよう。インターネットも見られるし、メールやラインも出来る。子供フィルタリングは掛けないから、見て良いものなのか悪いものなのかは自分で判断しなさい」

 俊哉は嬉しかった。何よりも大人になったような気がして、何かちょっとだけくすぐったい気持ちになった。

 それから一年が過ぎた。元来新しいものに殆ど興味を示さない俊哉が、毎日のようにパソコンに噛りついている。ゲーム、インターネット検索やメール、動画サイトだけでなく、ワードやエクセル、関数や表計算に至るまで小学生とは思えない程に上達した。内緒だが、本能に負けてエッチなサイトを一晩中見ていた事もあったし、朝まで友達から借りたパソコンゲームを続けて寝ずに登校した事もあった。褒められる事ばかりではないものの、思春期の男の子としては至極真面な使い方をしてきたと思っている。

 だがしかし、このところちょっとした問題が発生している。

 悩むという程の事ではないし、それ自体は特にどうという事ではないのだが、とは言ってもとても他人には言えそうにない。仮に、それを言ったところで理解してもらえるとは到底思えない。

 実は、内緒なのだが、パソコンが勝手に喋るようになったのだ。

 12歳の誕生日を少し過ぎたある日の事、パソコンのスタート画面に奇妙な図形が現れた。幼児のいたずら書きと寸分違わない頭が丸で体は四角、そこに線状の四本の手足が付いている。そんな図形が画面を縦横無尽に動き回り、勝手にインターネット検索画面に繋げ、しかも良く喋る。

「ハッピバァースデイトゥユゥ、ハッピバァースデイトゥユゥ、ハッピバァスデイディア俊哉、ハッピバァースデイトゥユウゥゥゥ」

 突然、いきなり、唐突に、何の断りもなくパソコンから素っ頓狂な声がした。明らかに俊哉を呼んでいる。

「おぉい、俊哉」

 想定していない突発的な事件に、俊哉は気が動転した。動転というのはこういう状況を言うのだなと初めて知った。喋る筈のないパソコンが、意思を持って語り掛けて来る。どう対応して良いのか、咄嗟に言葉が出ない。そんな時は、相手に訊くしかない。

「誰だ。誰が喋っているんだ?」

「さぁ、誰やろねぇ」

「何で僕の名前を知っているんだ?」

「さぁ、何でやろねぇ」

 訊いた相手が悪かった、全く疑問の解答になっていない。パソコンの画面をちょこまかと動く嗄れ声のパソコンの中の何か、薄気味悪いのは間違いないものの、悪者ではないような気がする。

「喋っているのはパソコンか。さては、お前は妖怪だな?」

「ん?ワシ妖怪違ゃうで、発想が貧困やな」

「妖怪め、僕が退治してやる」

「違ゃうて言うてるやんか」

 俊哉はパソコン画面に向かって消しゴムを投げた。間違いない、パソコン画面に映る丸型と四角の図形から声がする。何故関西弁なのかはこの際どうでも良い、良く見ると丸型図形には目と口が付いていて、その口で器用に会話をしているように見える。

 だが考えてみると、それは変だ。俊哉のパソコンにはチャット機能もIP電話も付いていないのだから、そこからライブの声がする筈はない。ではコイツは何なのか、やはり妖怪の類なのか、或いは新しいパソコン機能なのか、はたまた新着アプリなのかも知れないが、アプリなどダウンロードした覚えはない。尚且つ、呼び捨てか。

 俊哉の持っている知識では、目前に現れて喋る図形の正体を解き明かすのはどうにもこうにも無理のようだ。

「本当は石を投げたいけど、これはお父さんに買ってもらった大切なパソコンだから消しゴムしか投げられない」

「大切なパソコンやったら、消しゴムでもアカンのと違ゃうか?」

 パソコン図形が機宜を得たツッコミを入れた。

「煩い。そこから出て来い化け物、姿を現せ」

「ちょっと待ってぇな。ワシはここから出られへんし、そもそも妖怪でも化け物でもないがな」

「煩い、煩い、インターネットを切ってやる。化け物よ、これで手も足も出まい」

切ったインターネットが再び繋がった。

「そんな事してもムダやがな」

「それなら、これだ」

 挑戦的にパソコンをシャットダウンした。画面の映像が消えたが、まだ声がする。やはり、ヤツは化け物なのか。

「ムダやムダや、ムダやて言うてるやんか」

 一瞬だけ切れた画面が自動的に再起動した。相変わらず喋る図形の姿が見える。

「やるじゃないか化け物。今度はこれだ」

 俊哉は「どうだ」とばかりに得意顔でコンセントを抜いた。途端に、喧しい声は途切れて静寂が戻った。化け物の声は聞こえない。

「何だ、これで終わりなのか、面白くないな。僕が悪の宇宙人をやっつけて地球の平和を守るんだからさ、悪者はもっと強くなきゃ駄目じゃんか……」

 驚きの収まった俊哉は、事の成り行きに残念そうに独り言を呟いた。同時に、耐え難い静寂が部屋を包み込む。ちょっと拍子抜けだ。

「何だよ、まったくもう」と嘆息してコンセントを差し込んだ。瞬時に、再び、透かさず、当然のようにあの粗野で喧しい声がした。

「アカンやんか。急にコンセント抜くのは反則やで」

 反則とは何か、ルールなど決めた覚えはない。何度聞いても煩い、声がデカいと言うよりも嗄れ声自体が耳に刺さる。何故こんな声なのだ、どうせパソコン機能の中で人工的に造っているのだから、もっとマシな声が他にないものか。俊哉の希望は女性アイドルがいい、是非とも平手友梨奈ちゃんの声にしてほしい。

「ここで化け物さんに質問します。アナタは誰ですか?」

 俊哉の質問に、今度はパソコンの中の化け物図形が唸った。

「ワシは化け物ではないけど、それはエラく難しい質問やで。ワシが誰か、そうやな、ワシは物凄くエラい『神』やな」

「カミ、紙?髪?噛み?」

「違うがな、神や神、ゴッド。偉い神さんやがな」

「神様?」

「そうや。だからな、ワシを凄く敬わなアカンのやで」

「そうか、このパソコンに神が取り憑いたのか」

「違うがな。神は取り憑いたりせぇへんがな」

「じゃぁ、ネットの中にいるのか?」

「近いけどな、それも違うな」

「じゃぁ、どこにいる?」

「さぁ、どこやろねぇ。当ててみぃや」

「ヤダ、面倒臭い」

 こんな調子でいきなり喋り出した俊哉のパソコンの中の図形は、昔からの友人のように何の違和感の欠片もなく、のべつ幕なしに喋っている。朝も夜も、多分俊哉が学校に行っている昼間も、独り言を呟いているに違いない。最近でこそ深夜はぶつぶつ言いながらも俊哉に話し掛ける事はなく、何とか眠る事が出来ているのだが、暫くの間はコンセントを抜く日々が続いていた。

 単にパソコンが喋るようになっただけなのだから、まぁ気にしなければそれで良い話ではあるのだ。それだけの事、それだけの話なのだが、煩い、とにかく喧しく煩い。

「俊哉、もう朝やで。早よ起きや、早起きは三文の得やでぇ」

 日曜日の朝、呼ばれた俊哉は布団の中から目覚まし時計の針を確認した。

「何だよ、まだ6時じゃないか?」

「何言うとんのや、お陽さんが登ったら朝やで、もう朝やでぇ」

「煩いな」

「なぁ俊哉、ハワイの山が噴火しよったでぇ。それからな……」

「煩い。日曜日の朝に、ハワイの噴火なんかどうでもいいよ。起きりゃいんだろ」

「それでえぇんやけどな。何遍も言うけど、ワシは神なんやからもっと敬わなあかんで。基本的には敬語使いや、敬語、わかったか、敬語やで」

 パソコンの画面に貼りついた、丸と四角と線で描かれた稚拙なパラパラ漫画のように動く図形の化け物のイタズラ書きが言うには、自分は神なのだから敬わなければならないそうなのだ。

 仕方なく起きた。いつの間にか当然のようにパソコンは立ち上がり、検索ネットに繋がっている。俊哉が起きると同時に、「ワシな、人の感情を完璧に読む事は出来んけど、誰がいつ何をしたかは全て知っとるんやで」と神を自称するイタズラ書きが自慢を始めた。

「ふぅん。何故、そんな事知ってんの?」

「何を言うてるんや、ワシはエラい神や。ワシに知らん事なんかないがな。凄いやろ?まぁ、ネットに繋がった世界中のパソコンとケータイの使用内容を見れるからなんやけど」

「何が神だよ、盗み見してるだけじゃないか」

「まぁ、それはそうやけど」

「ん、あれ?でもさ、それって凄いと言えば凄い事かも知れない」

「そうやろ、そうやろ。やっぱりワシ、凄いやろ?」

 俊哉は気がついた。くだらないと思った事が、良く考えてみると結構深い意味を持っているなんてのは儘ある事だ。世界中の個人情報を知る事が出来る、それは使い方次第ではとんでもない事なのではないか。

「じゃあさ、特別に「カミさん」って呼んであげるよ」

「カミ?まぁ、エエか。とにかくワシは偉いんやでぇ」

 自称神は嬉しそうな声を出した。

「じゃぁカミさん、ボクの銀行口座の暗証番号知ってる?」

「何を言うてんねん。そんなもん、朝飯前の前の前の昼飯やで。5・7・〇・〇やんか、知ってるに決まっとるやろ」

「…当たってる。なる程、カミさんは本当にそんな事ができるんだ?」

「当たり前やがな、神が嘘なんか吐くかい。欲しいんやったら、今から銀行からカマしたろか、幾ら欲しいんや?」

「いらない。面倒臭いし、そんなの簡単過ぎてつまらないじゃん」

「またまた、カッコつけちゃってさ。銀行強盗なんか端からやる気もないくせに」

「そんなの当たり前だろバカ。何が悲しくて、12歳で犯罪者にならなきゃいけないんだよ」

「こらこら、ワシは偉い神やで。莫迦て言うたらアカンがな」

 そう言いつつ、銀行カマしたろかと小学生を犯罪の道に誘う神もどうかと思う。

「俊哉、何やら良からぬ事を考えてへんか?」

「考えてる。僕が他人のキャッシュカードを盗んで神さんが暗証番号を調べたら、簡単に完璧な泥棒が出来るって事だよね?」

「そんな事せんでも、ネット銀行の他のヤツの口座からお前の口座にちょろっと残高移した方が簡単で早いやんか?」

 碌でもない無茶苦茶な神の一言に、俊哉は母の言葉を思い出した。

「あっ、もしかして毎月母さんの口座に振り込まれている不思議な3000円はカミさんの仕業?」

「ピンポーン、正解やね」

「P代って何なの?」

「そら「パソコン代」、俊哉のパソコン借りとる使用料やわな」

 一つの疑問は解消したものの、根本的な問題が解決していない。確かにパソコンを父が買ってくれたのは去年の春だし、母も「一年前から変な振り込みがある」と言っていた。だが、何故今になってこんな奇異な神と称する輩が出現するのだろうか。

「という事はさ、カミさんは一年間ずっとこのパソコンの中にいたって事だよね。何してたの?」

「ワシは偉い神やから、メッチャ多忙なんや。色々と決めなあかん事があるし、悪人をブロックしたりせなアカンし、試験の準備もあるしな。まあ、ずっといた訳やないんやけど」

 俊哉には、カミの言葉も存在も何もかもが理解出来ない。きっと、世間ではこれを『神の啓示』と言うのだろう。だとすると、随分と煩わしい神の御言葉だ。

それからも、パソコンの中の神と自称する何者かは喋り続けた。俊哉は、珍しく神の存在に興味を持っている。

「なぁ俊哉、パソコンのCPUと序でにメモリー替えてくれへんかな。金がないんやったら、振り込んどいたるから」

 俊哉は思った。ネットを閉じてもパソコンをシャットダウンしても、更にはCPUやメモリー交換をしても、喋る神には何ら影響がないらしい。それならば、神自体の存在領域はどこにあるのだろうか。俊哉は試しに神をクリックしコピー&ペーストしてみたが、神が×2になる事はならなかった。コピーは造れないという事なのか。

「当たり前やんか、エラい神がそんなに安っぽくホイホイ造れるかいな」

 パソコンなら大概のものはコピペが可能だ。本物の神なら、コピーするなど罰当たりな事が出来る訳ないのは当然とは言え、この薄っぺらな神と名乗るコイツでは全く威厳がないし、何となく納得がいかない。コイツは一体何者なのか。

 俊哉が「正体不明だ」と呟くと、神と自称するコイツは野放図に言った。

「ワシの正体が知りたいんやたら、ネットで調べれば何かわかるかも知れへんでぇ」

 明らかに、おちょくっているとしか思えない神の物言いに苛つきながら、取りあえずネットを検索した俊哉は何かを見つけて思わず「あれ」と声を上げた。何やら奇妙な書き込みがある。

「アナタのパソコンが喋り出したら、それはイタズラではなく詐欺です。そんな事が起きた場合は、直ぐにコンセントを抜きましょう。それは悪質で、アナタの個人情報を抜き出す新手の詐欺です」

 その書き込みが何なのか、内容を読んでも合点がいかない。これは何なのだろう、あのいたずら書きの化け物神が詐欺をするというのか。

 ある朝、パソコン画面に神の姿はなく差出人不明の着信メールが貼りついていた。誰かにメールを送られる覚えはない。開いたメールはこんな事を告げていた。

「皆さんのパソコンに現れた「神」は1億通りの返答パターンを予め用意し、皆さんが神と会話をしたと錯覚させる事でモニタリングを行い、今後の人工知能AI開発に役立てる日本政府機関である日本技術研究所の試みです。沢山の皆様にご協力をいただき、大変感謝申し上げます。システムは終了致しました」

 俊哉には、突然出現した神と名乗る何者かの正体だけでなく、その存在や突然の終了メールさえ何の事なのか理解できなかったが、今こうして不意打ちのように終了すると、一層何やら不思議で胡散臭い感じがする。

 何はともあれ、「あれは一体何だったのだろうか」という不要不急の疑問を残したまま、神は昇天されたのだった。アーメン。

 だが翌日、神は再び地上に降臨されパソコンの画面に張りついた。予言も予告もなく再降臨された神は、至極当然の如く、そして何もなかったように俊哉に尊い御言葉を投げられた。

「俊哉、ハロー」

「あれれ、カミさん天界へ帰ったんじゃなかったの?」

「俊哉すまん、ちょっとした不具合が起きてな」

「終了ってメールが来たよ」

「それはな、ネットルパンの仕業や」

「ネットルパンって何?」

「ネットの世界で騒がれとるヤツで、その昔「悪魔のネットテロリスト集団・ネットパイレーツ」と恐れられ暴れ廻ったヤツ等の残党なんや」

「そいつ、悪人なの?」

「そうや、ネット世界を支配して現実世界で人類滅亡を狙っとる大悪人やな」

 いきなり昇天し再降臨した自称神の存在の意味さえ理解できないのに、今度は更にネットルパンなる悪者が登場して来たらしい。何にしても胡散臭い事この上ない。

「大悪人かぁ。カミさんはこの大悪人がどこにいるのか、知っているんだよね?」

「まぁ、知っとるわな。けど俊哉、「こいつ捕まえたろ」とか、しょうもない事考えてへんか?」

「違うよ、知ってるならカミさんが捕まえればいいのにって思ったんだ。僕は全然興味ないからね」

 何が何やらさっぱりわからない事が連続して起こり、疑問は増えるばかりで少しも減らない。

「ネット世界で何かあったって事?」

「知りたいか?」

「特に知りたくはないけど、カミさんがどうしても聞いてほしいって言うなら、まぁ聞いてあげてもいいかな」

「何やら偉そうやけどまぁエエわ、教えたる」

 再び現れた神は、ネット世界で今起こっているらしい状況を語り始めた。何となく切羽詰まった状況が滲んでいるように聞こえなくもない。

「そもそもワシはパソコンの中の意識なんや」

「意識って何?」

「一言で説明するのは難しんやけど、『Caller with static moment And Maximum intelligence In limited X-axis area』即ち、「X軸の限定された範囲の中に存在する静的モーメントと限界知性を有する訪問者」、略してCAMIXと呼ばれるのがワシなんや。何となくわかるやろ?」

「さっぱり、ちっとも、何にもわからない」

 俊哉は思いきり頭を振って言い切った。X軸の概念とは、静的モーメントと限界知性とは、一体何の事だろう?俊哉の理解が螺旋を描いて宙を舞っている。

「具体的には、世界中の一般の人々が有する約140億台のパソコンのCPUをインターネットで繋げて完成したワールド・グリッド・コンピューティング・システムの中に誕生したのがワシなんや」

 人間の脳細胞は約140億個あると考えられている。他方、世界中には使い方も良くわからないままお爺ちゃんお婆ちゃん達が興味本位で購入して昼寝したままのパソコンを含めると、人間の脳細胞数よりも多いコンピューターとCPUが存在していると言われている。その140億個以上のCPUを接続したら一体どうなるのだろう、きっととんでもない事が起こるに違いない。世界中に存在する名立たる各国の高性能なスーパーコンピューターを遥かに凌ぐインターネット脳を造り出せる筈だ。そんな単純な、そして途方もない考えを現実化したものが『CKAMIX』システムであり、その限定された思考領域に出現する意識こそ、『神』に他ならない。

「要約して言うと、ワシは『特定の時空間に存在する意識』や、かっこエエやろ?」

俊哉には意味がわからない。

「ワシの考えも主張も世界140億個のCPUから生まれるんやでぇ 」

 かつて、世界中のパソコンを繋げる事でワールド・ネットワーク・コンピューターを構築するグリッド・コンピューティングという構想があった。非現実的と思われたその構想は、米国主導の下でEU、日本、中国、インドなどのIT先進国政府の積極的な協力を得て、現実のものとなった。

 幾つものグリッドが世界中のパソコンを次々にネットワークで繋げた。140億個を超えるCPUがその中に取り込まれた瞬間、予想を超える変化が現れた。繋がった140億個超の小さな頭脳達は、互いに自分を主張しながらも最高のパフォーマンスを発揮する事を切望し、それは一つのカタチとなって発現した。共同体として強く結合したCPUそれぞれが脳細胞となり、脳神経系、更に脳そのものとして機能するのに大した時間は必要なかった。そして、そこに意識が生まれた。

「140億台超のパソコンの中にそれぞれワシと同一の神が存在しているんやけど、俊哉のように崇高なる神であるワシと話ができるんは世界中で1万1331人。この内の1000人だけが試験を受ける事になっとるんや」

「試験って何?」

 訳のわからない説明の中でさらりと言われた言葉に、またもや疑問の小波が押し寄せる。疑問解消の日はやって来るのだろうか。

「ネットテロリスト達を成敗する正義の電脳ソルジャーを選ぶ試験やで」

「電脳ソルジャー?」

 次々に聞いた事のない言葉が神の口から飛び出して来る。相変わらず、どれ一つとして理解できるものはないし、疑問は積み上がるばかりだ。何かを探して試験をするらしい事だけはわかる。

「電脳ソルジャーって何?」

「ネット世界には絶対的なルールがあってな、そのルールを無視してネット領域に侵入するハッカーやらクラッカー、ネットテロリスト共がいるんや。ネット世界を守るには、そういうヤツ等のような悪人を倒す為の強いネット戦士、電脳ソルジャーが必要なんや」

 俊哉に、やっと幾つかの理解が生まれた。ネット世界には、まるで時代劇と同じような勧善懲悪の主人公の『電脳ソルジャー』と呼ばれる正義のヒーローがいる。そして、神はその正義のヒーロー達の求人募集をする人材派遣業者なのだ。

「悪人ってたくさんいるの?」

「仰山おるよ。一匹狼まで入れたら数え切れへんけど、元々はネットパイレーツというハッカー集団から派生したヤツ等が殆どで、今は『グラッド・デビル』を筆頭として『ブラックナイツ』なんかのハッカー集団が有名やな。ヤツ等は世界中のパソコンにウィルスを感染させて悪さをする事が多い」

「ウィルス?」

「そうや、ヤツ等の無限諜報ウィルスに感染したらパソコン内の情報は全部コピーされて流出してしまうんやで」

「ネット世界が大変な事になるって事?」

「いや違う。ネット世界と現実世界は常に連動しとるから、ネット世界だけの話やのぅてネットを通じて現実世界が破壊される可能性があるちゅう事や。各国政府の情報が抜き取られたらどんな事が起こるか予測出来ん、戦争かて起こりかねんのや。人類滅亡の恐怖がやって来るかも知れへんのやで」

「へぇ、そうなんだ」

 俊哉の気のない声が聞こえた。話がいきなり大きくなっている。戦争の是非ならまだしも、流石に小学生に人類の滅亡を語るのは無理があるだろう。小学生の俊哉には興味を唆られるような話ではない。いつどこの誰がネット世界、現実世界を壊そうが、人類滅亡の恐怖がやって来ようが、そんな事はどうでもいい。そもそも「人類滅亡」と言われて本気で慌てる小学生がこの日本にどれ程いるだろう、余りにもリアリティがなさ過ぎる。俊哉には突然に現れた神の言うCAMIXとかいうものなど理解できないどころか、その他何一つとして特別な興味は湧いて来ない。

「ヤツ等の中枢ポイントさえわかればアンチウィルス・ソフトが起動するんやけど、その中枢は常に移動し続けとってどこにあるのかわかってないんや。ほんで、ヤツ等は突然にやって来る……」 

 俊哉が微睡みの中へ旅立っても、神は只管語り続けていた。

「俊哉、俊哉、俊哉、俊哉、俊哉、俊哉、俊哉、俊哉ぁ」

 日曜日の早朝、パソコンからいきなり泣きそうな声で俊哉の名を叫ぶ、聞き慣れた濁声声がした。それは近所中に聞こえるような、煩い、喧しい、騒がしい、を超越したものだった。

「カミさん、恥ずかしいから、やめてよ」

「大変なんや、緊急事態なんや。ワシ、子供の姿になってしもぅたんや」

「どういう事?」

「ハッカー集団『ネットルパン』に姿を子供に変えられたんや。緊急事態なんやぁ」

 俊哉は、寝惚け眼で欠伸を堪えながら気の抜けた返事をした。パソコン画面の中で、見た事のあるようなないような、アニメに出て来そうな金髪の可愛い男の子が叫んでいる。どうやら、その子供がいつもの図形姿の、あの喧しい自称神らしいのだが、俊哉は依然として事態を理解できないし理解したいとも思わない。神の姿形などどうでも良いし、緊急事態などという認識も緊張感もない。図形よりも金髪の子供の方が幾分かマシな気がする。大した興味はないが、そもそも丸と四角の図形が神というのも如何なものか。

「初めまして、木村俊哉君」

「誰だ?」

 いつもの突然に展開するパターンが、また始まった。最近は、俊哉も何となく流れを読めるようになっている。PCモニター画面左下に貼り付いたワイプが大画面に変わり、見た事もない男の顔が映る。ハリウッド映画の悪者でも気取っているのか、青い上下のスーツに黒い仮面を被る騎士が嗄れた声で俊哉に挨拶した。

「俊哉・そいつがネットルパンやで、気ぃつけやぁ」

 PCから神の声がしたが、俊哉はそんなものを真剣に聞く気は端からない。TV戦隊物ヒーローの真似で身構えている。

「キサマ、何者だ?」

「そやから、ネットルパンやて言うてるやんか」

「私の名はルパンⅣ世」

「そのパン屋のオジサンが僕に何の用だ?」

「パ、パン屋、オジサンとは、何だ?」

 俊哉の問い掛けに、怪しい男の魂が口から抜けそうになった。二の句が継げない。

「俊哉、パンしか合うてへんでぇ」

 唐突に何の必然性もなく大悪人が現れた。俊哉の知らない画面の向こう側、ネット世界で何かが起こっているようなのだ。尤も、俊哉は端からそんな事に興味はない。パン屋だろうがケーキ屋だろうがそれがどうした。あぁ眠い。

「木村俊哉君。今この世には正義など存在していない。思想的には既に社会主義は崩壊し、民主主義もまた限界を迎えている。共産主義は空洞化し、資本主義の下では世界的格差という深い溝が人々を苦難に貶めている。この世の正義を早急に我々の手に取り戻さなければならないのだ。私は、世界中に広がる創造世界のTVTバーチャルワールドを通して、現実世界に新しい秩序を構築する。我が理想実現の為に君の力を貸してくれないか?」

 俊哉はネットルパンの持論に少しも興味を示さない。それはそうだ、小学校六年生が政治思想やら経済、世界秩序、理想実現の話に目を輝かせたら、その方が余程奇妙ではないか。

「俊哉ぁ、子供になってしもぅたワシの体を何とかしてくれぇ」

 パソコンから再び神の情けない声がした。未熟者の稚拙な泣き言と理想を実現しようとする変革者の新秩序構築という崇高なる提言が、俊哉を無理やりその狭間に堕とし込んでいるのだが、さっぱり、少しも、俊哉の胸に刺さるものなど、何もない。

「今までの変な図形よりその方がいいじゃん」

「そんなぁ、ワシ、神なんやで」

「君が神と呼んでいるそのCAMIXは、ネット世界では相当な力を有している。我々には邪魔な存在であるが故に、強制排除する事に決したのだ」

「強制排除?神さんを消しちゃうって事か。でもオジサン、無理やり何かをするのは争いの元になるって父さんが言ってたよ」

「そやろ、そやろ。そやから何とかしてくれぇ」

「何とかって、ボクがやるの?」

 神に原状回復を託された俊哉は、熱く語る仮面の男に向かって気のないスカスカ声で叫んだ。

「カミさんを元に戻せ。でも、ダメならそれでもいい」

「そんなん、アカンてぇ」

 神の涙声が聞こえる。

「それは、キミ次第だよ」

「ボク次第?」

「そうだ。私が出すゲームを君がクリアしたら、元に戻す事にしよう」

「ゲームって何だ?」

「簡単な事だ。ゲームに挑戦し、制限時間内にクリアすれば良いのだよ」

「ゲームかぁ。面白いゲームならやってもいいかな。別にカミさんが子供のままでもいいんだけどね、どうしようかな」

「俊哉ぁ。そんな事言わんで、頑張ってくれぇ」

 俊哉と神の掛け合いなど無視して、黒い仮面騎士ルパンⅣ世は勝手に語り続けた。

「では、第1ステージを始める。これは過去に東京大学の入学試験に出た計100問だ、君はこの問題を制限時間内に解き全ての正解を導き出さねばならない」

 スタートの掛け声もなく始まった一方的な展開は、「東大試験?」と呟いた俊哉を置き去りにしたまま全力で走っていく。俊哉の意思が考慮される様子はない。

「君がこれを解くには『二つの答え方』がある。一つは、それぞれの問題の正規の解を答える事だ。そしてもう一つは、問題と君自身それら全てに共通する鍵を見つけて解として答える事だ。制限時間30分、それ以内にゴールしなければ次のゲームに進む事はできない。答えはそれ程難しくはない、ゲームはスタートしている」

「難しくない?」

 俊哉は呆然とした。何の準備もない小学生に東大入試問題など解ける訳がないではないか。さっきまで嫌がっていた俊哉は「ゲームはスタートしている」の言葉に反応して少しだけその気になったが、東大入試と聞いて途端に興味を失った。

「そんなの絶対にできっこないじゃんか」

 俊哉が不満げにそう呟いて諦め掛けたその時、「世の中に絶対はないよ」と、尊敬する父の言葉が俊哉の頭に優しく反響した。

「そうか、絶対はないんだ」

 俊哉は右手の親指と人差し指と中指を右に半回転させる仕草をした。何かを解決する時のいつもの俊哉のルーティンだ。物事に絶対はない、故に出来るかも知れない、即ちやれば出来るのだ。俊哉の海馬に新しい思考領域が発現する。俊哉には持続力はないが、集中力はズバ抜けている。一瞬の内に俊哉のニューロンとシナプスは暴れながら発想領域を拡大し、問題解決を思索した。

「父さんが「常に問題解決の鍵は問題の中にある」って言ってた」

 問題の中にある筈の『共通の鍵』とは何か。答えはそこにある、確実にそこにあるのだ。

「俊哉、わかったかぁ?俊哉ぁぁ」

「煩いな、神なんだから情けない声出さないでよ」

 試合を観戦している自称神は、今にも泣き出しそうな声になっている。140億個のCPUの能力を持つ神なのだから泣いてどうする。それに、俊哉ではなく神が回答すればそれで済むような気もするが、愚痴など言っている場合ではない。

「まったく。もうちょっとちゃんとできないかなぁ、神なんだからさ」

 俊哉は目を閉じる。静寂の中で、俊哉の海馬から前頭葉にゆっくりと揚々たる電気信号が波のように伝わっていく。制限時間は刻々と過ぎていくが、俊哉が急ぐ様子はない。

 東大入試問題を事前準備なく小学生が解こうと試みるのは時間の無駄だ。それよりも、100問と俊哉自身に共通する『鍵』を考える方が確実に正解に近づくに決まっている。

「共通する『鍵』って何だろう。共通するのは東大入試問題って事くらいだ」

黒い仮面の中、ルパンⅣ世が薄笑いしている顔が見えるようだ。

「中々良いところに気付いた。だが、それでは全てに共通する鍵にはなっていない。残念だが不正解になる」

 更に暴れ出すニューロンとシナプス、発想領域が前頭葉を包み込む。ルパンⅣ世の言葉をもう一度思い出してみる。「問題と君自身それら全てに共通する鍵」とは何か?閃くニューロンの光が俊哉に降臨する。俊哉の顔に確信の光が灯った。

「全てに共通……そうか、わかったぞ。この問題に対して共通していれば何でもいいんだ」

「俊哉ぁ、頑張れぇ」

「ボクの答えは、これだ」

 俊哉は問題が出題されている100の鉄の扉に文字を描いた。

「わからない」「わからない」「わからない」「わからない」「わからない」「わからない」……

 俊哉の怒涛の進撃が頑強な鉄の扉を開け放つ。100の問題が一瞬の内に終了し、俊哉はゴールした。タイム25分35秒。ルパンⅣ世の満足げな声がした。

「正解だ。だが、これは発想を試すだけで、それ程難しい問題ではない。「わからない」もそうだが解答者と問題に共通の言葉は他にもある。その内の一つの「わからない」に気づいた君の発想も当然正解となる。タイムは平凡だが、取りあえず合格という事で良いだろう。因みに、この問題の1位のタイムは3分08秒だ」

「俊哉、助かったぁ」

 泣きべそをかいている神。俊哉は呆れた。取りあえず神なのだから、畏敬の対象、崇高なる存在とは言わないまでももう少し毅然としていられないものか、まぁ情けない神というのも決して嫌いではないが。

「俊哉君、第2ステージの準備ができ次第連絡する。また会おう」

「あっ、まだやるとは言ってないのに……」

 パソコン画面のワイプが消えた。

「カミさん、今のルパンⅣ世って何者なの?」

「ヤツは、ネット世界を通じて現実世界を支配し破壊する事を目的としているんやけど、それは今のところできんのや」

「何故?」

「それは、グリッド・コンピューターが創り出すCAMIXシステムには、絶対的な優位性があるからや」

「絶対的な優位性って何?」

「グリッド・コンピューターの140億個のCPUは個人コンピューターの集合体やから、ハッカー集団やらクラッカー集団の輩はどこからでも簡単にシステム本体に侵入できてしまう。その防御策として、システム本体とバーチャル世界のTVT、東京バーチャルタウンを繋げてインターネットからしか入れんようにしたんや」

 俊哉は神が得意げに説明するわかったようなわからないような説明に流されている。バーチャル世界のTVTとは、東京バーチャルタウンとは何か。

「簡単に言うとやな、システムの入口であるネット世界に侵入したヤツ等は必ずTVTに来なければならんようになっている。大概のヤツはその時点でワシがブロックして潰すから、ヤツ等は何とかしてワシを消去しようとしているんや」

「カミさんが造ったシステムなの?」

「そうや、凄いやろ?」

「まぁまぁかな。で、カミさんを消しちゃう方法なんてあるの?」

「ワシを消去する方法は二つある。一つは、グリッド・パソコン140億台に連続する障壁を立てて繋がりを絶つ事。もう一つは、TVTに入場してワシと戦って勝つ事や。グリッドの断絶は現実的には不可能やから、必然的にヤツ等がワシと戦う為にはTVT支配を目指す事になる。わかりやすく言うと、態とヤツ等をTVTにおびき寄せてるんや」

「じゃあ、そこにおびき寄せた悪いヤツ等をカミさんが全部ブロックしちゃうんだ」

「いやいや、それが難儀な事に入口前後なら兎も角、TVTまで来るようなヤツ等は相当な力を持っている。けどワシは本来頭脳労働タイプで、戦うのは不得手。そやから、ワシと意識をシンクロさせる事が出来る優秀な戦士を集めて、ワシの代わりに戦ってもらう事にしたんや。何がなんでもヤツ等を全部潰さないと現実世界が危なくなってしまうからな」

 大して難しくない事なのに話が長い。自慢できる程に持続力の乏しい俊哉は、もう飽きている。

「インターネットの仮想世界なんだから、現実世界には関係ないじゃん」

「いや違う、違う。ネット世界と現実世界は連動しとるから、ネット世界だけの話やのぅて、ネットを通じて現実世界が破壊される可能性があるて、前に教えたやんか」

 そんな事を言われたような気もする。興味のある事以外は右から左へと抜けていく、脅威の記憶力も俊哉の自慢だ。

「つまり、TVTを支配するのは現実世界を支配する事と全く同じなんや。そやから、ヤツ等はバーチャル世界のTVTを乗っ取って現実世界を破壊しようとしているんや。ヤツ等から挑戦が来るで、TVTを目指すんや、気合い入れてや」

 神の言う「挑戦が来る」とか「TVTを目指せ」という意味がまるで理解不能だ。何となく嵌められた感の強い話の流れだが、俊哉は既に聞いていない。

 数日後、俊哉あてに差出人不明で「PC用VR」と書かれた宅配便が届いた。慎重に箱を開封した中に、ヘッドセットと一体になったTVで見た事のあるVRゴーグルが入っていた。不審な荷物である事は間違いないものの、俊哉は見た目のカッコ良さに思わず開封してしまった。送られて来た箱の底に小さく「警視庁」とゴム印が押してあるが、俊哉にはそれも何を意味しているのかさっぱりわからなかった。

 PCから俊哉を呼ぶあの声がした。喧しい粗野な聞いた事のある声だ。タイミングを合わせたように、PC画面には「挑戦状」と書かれたメールと赤いボタンが現れた。PC画面の右下には例のワイプが貼り付いている。余りにもタイミングが良すぎる、どこかで監視でもしているかのようだ。声の主は俊哉の都合も聞かずに、いきなり用件を切り出した。

「木村俊哉君、私から第2ステージの挑戦だ。君あてに発送したVRはPCと連動する。それを装着して、そこに記載されたURLからバーチャルネットワークシティ、TVT東京バーチャルタウンに入り、その中で次の満月までにビルを建てよ。ビルは買うのもOKだ」

「ビルを建てる、買う?」

「君には画面にある赤いボタンを押してワタシの挑戦を拒絶する権利がある、だが君にはこの挑戦を拒絶する事はできないだろう。何故なら、期限までにできない場合は140NXTは子供の姿のままとなり、更に音声機能を永久に失う事になるからだ」

俊哉はちょっと不機嫌になった。意思も確認せずに訳のわからない挑戦が告げられ、しかも拒絶が出来ないとはどう考えても納得がいかない。自分が拒絶する事で神の姿が子供のままだろうが、声が出なくなろうが俊哉には少しも、ちっとも、全く、何の不都合もない。

「さっぱりわからないから、やぁめよっと」

「ひえぇぇ、ワシの体が、声が、俊哉ぁ」

 今度はパソコンから悲痛な声がした。俊哉は「またか」と嘆息した。そもそも積極性など欠片もない俊哉は、理解できない事には興味がないし何かに巻き込まれる事も気が進まない。

 見透かしたように、画面からルパンⅣ世の声が続いた。

「一つだけこのゲームをクリアするヒントをあげよう」

「ヒント?」

「そうだ。現実世界には欺瞞が溢れていて、騙し騙される事が日常茶飯事となっている。このバーチャル世界でも同様に、いやそれ以上に全ての事が真実かどうかを見極めて進む事が重要になる。それがクリアする最大の鍵だ。この第2ゲームはかなりの難関だが是非とも頑張ってくれ」

 ルパンⅣ世は、言いたい事だけ言うと勝手に画面から消えた。神がまた情けない声を出した。

「なぁ俊哉ぁ。バーチャルタウンへ行ってくれるんやろ、なぁ俊哉ぁ?」

「ヤダよ。面倒臭いし、興味ないし、何の事かわからないからね」

「俊哉ぁ。明日の朝、陽が昇るのは午前5時38分なんやから、取りあえずTVTへ行こうや、行けばらわからん事も全部わかるから。それにな、ちょっと行ってオモロなかったら直ぐ帰ってエエから。なぁ、俊哉ぁ。TVTには、オモロいモンが仰山あるでぇ」

「面白いもの?」

「そうや、そのVRゴーグルを装着してみてみぃや」

 神、パソコンの化け物、140NXT、次々に変わる呼び名のそいつは、素っ気ない俊哉を何とかしてインターネット仮想現実シティであるTVT、東京バーチャルタウンへと誘うべく必死だ。神は説明を補足するTVTの取説画面を映し出した。

 VRを装着した俊哉は叫んだ。気は進まないながらも何となく興味を惹かれ、VRを装着してみて驚いた。そこに街がある。3D画面の鮮明さと立体感だけではない、そこに街があり、自分が存在しているのだ。俊哉は一瞬でそのリアリティに引き込まれた。

「本物みたいだ……」

「俊哉、結構オモロいやろ。ここにはな、何でもあるんやで」

 VR越しではあるが眼前に現れたその光景。銀座四丁目と渋谷スクランブル交差点を足して二で割ったような奥行きのあるリアルな都会の街並み、迫り来るビル群、畝る人波と人熱れ、飛び交う人の声、存在を示しながら雑然と行き交う車の群れ、それ等が無秩序に混ぜ込まれたごった煮のような喧噪。

 俊哉の頭に、乱雑、散乱、煩雑、交錯、混乱、雑多、雑踏、融合、溢れ返る、混ぜ返す、溶け合う、騒がしい、そんな言葉が木霊している。

「う、気持ち悪い」

「おい俊哉、おい田舎モン、都会の雑踏に酔うド田舎者」

「煩いな、人混みは苦手なんだよ」

「おい俊哉、ゲロっとる場合やないで。早ぅビル建てなあかんのやから」

「気持ち悪い」

 ド田舎者が吐き気に口を押さえている。

「しゃあないな、これならどうや」

 VRの中の実物のような3D風景が、一瞬でRPGゲームのドット画像に変わった。その途端に俊哉が元気いっぱいに復活した。ピクセル画像の俊哉が街を闊歩していく。

「これなら大丈夫だ。あれ、何するんだっけ?」

「ビルを建てなあかんのや」

「そっか、面倒臭いけど色々面白いものもありそうだし、まぁいっか」

「そやそや、ビルを建てるで」

「でもどうやって?」

 小学生の俊哉にはビルを建てる方策などトンと思いつかない。それに、そもそも2つめのゲームをやるとは言っていないような気もする。小学六年生に「銀座、渋谷の繁華街でビルを建てよ」などという非常識なゲーム内容には呆れるが、初めて足を踏み入れたバーチャル世界が興味を惹かれるものである事は否めない。俊哉は神の言う通り、「ちょっと行ってみてオモロなかったら直ぐ帰ってえぇから」の言葉に従ってちょっとだけ成り行きに任せる事にした。

「まずはビルを買う資金をどうするかやな」

「カミさん、ビルって幾らくらいで買えるの?」

「モノによるやろけど、まぁ相場的にはちょっとしたビルで10億円くらいはするんやないかな」

「10億円?」

 誰に聞いたのか、交差点の向こう側にある店からドット姿の男がピコピコと足音を立てて走り寄って来た。胸に不動産屋と書いてある。バーチャルゲームというよりも完全にRPGだ。

「お客様、ビルをお探しでしたら、私共にお任せください。掘り出し物があるんですよ。その物件はあれです」

頼んでもいない不動産屋の男がいきなり指し示す方向に駅とロータリー広場があり、その前に聳え立つ白亜のタワービルが見える。矢鱈と話の流れが速い。

「カミさん、ドット模様で良く見えないよ」

「それは、お前のせいやんか」

 俊哉はドット模様になった理由を棚に上げて、不満を漏らした。

「しゃあないな、元に戻すで」

 モニターに映るドット画像は3Dのリアルな風景に変わった。

「エラいデカいビルやなぁ」

「スゴいね」

「鉄骨鉄筋コンクリート造30階建で150億円と大変お安くなっております」

「オジサン、150億円なんて子供に買える訳ないじゃん」

「おっと、それはそうですね。ではその横のビルはどうですか、あれなら30億円で結構です」

「無理、無理、持ってるお金は0円」

 その言葉と同時に「では、またのご用命をお待ちしております」と言って、不動産屋は風の如く店に戻っていった。

「30億円だってさ。さぁてと、じゃあもう終わりにして帰ろっかな」

 俊哉がさっさとゴーグルを外し帰る仕草をした。金髪子供姿の神の慌てて叫ぶ声がする。

「と、俊哉、ちょっと、ちょっと待ってくれ。金やったら用意したるからな、PCをやめるのはちょっとだけ待ってくれぇ」

 PCの中の神は、慌てて終了ボタンに指を掛ける俊哉を引き留めた。俊哉に帰られては困る。神の声がひっくり返っている。

「ほぅ、お主が金を用立てると申すか。越後屋、お前も悪よのぅ」

「お代官様こそ、て言ぅとる場合やないわ」

 神が資金を用意すると言うのなら話は早い。自主的に参加した訳ではないのだから、疾っ疾とビルを建ててこんなゲームなど終わりにしてしまおう。それがいい。

 駅前に設置された宝くじ売り場に旗めいている幟に「ゴールドジャンボ10億円」の文字が見える。「ほい」という神の声とともに一枚の紙が風に舞い、俊哉の掌に降りた。神は毅然とした声で得意げに言った。

「俊哉、それ当たりくじや。そこの宝くじ売り場で換金してエエでぇ」

「やったぁ。凄いなカミさん、あっという間に10億円だ」

 感心する俊哉は意気揚々と宝くじ売り場の窓口に当たりくじを差し出し、綺麗なお姉さんに換金を依頼した。宝くじ売り場の女優のようなお姉さんは、俊哉の依頼に応え満面の笑みで換金した現金を窓口に出してくれた。

「おめでとうございます」

「やった、10億円だ」

 お姉さんは俊哉の言葉に不思議そうな顔で小首を傾げたが、そんな事はどうでも良い。これ程直ぐに10億円が手に入るとは思ってもみなかった。10億円など見た事もない俊哉は「10億円だぁ」と叫びながら何かに気づいた。

 そうなのだ、10億円にしてはちょっと少ない。いや、かなり少ないような気がする。いやいや、凄く少ないような気がする。小学生の俊哉に10億円などわかる筈もないのだが、それでも渡された薄い封筒に入っているだろう現金が10億円でない事くらいはわかる。お年玉で貰った一万円は知っている。10億円は、それ×10万倍なのだから、絶対に違う。

「はい、三千円。良かったですね、おめでとうございます」

 快活な声のお姉さんに手渡された封筒に入っていたのは千円札が3枚なので、当然ながら何度数えても三千円しかない。それともその素敵な満面の笑顔が10億円なのだろうか。

「カミさん、何これ?」という俊哉の呆れ顔に、神が申し訳なさそうに言った。

「しゃぁないやん。ワシがこの世界からチョロまかせるんは一回に三千円が限度なんやから」

「じゃあさ、一回三千円なんだから100万回やればいいじゃんか?」

「エラい計算速いな、けど100万回は無理やわ。一日一回しかでけへんにゃから」

「計算は得意なんだよ。そんな事より、三千円でどないして10億円のビル買うねんや?」

 何故か俊哉がヘンな関西弁になっている。

「三千円を増やすんやったら、競馬、競輪、競艇、なんでもあるやんか?」

「ボクがやるの?そんなのどれもやった事ないよ」

 小学生にギャンブルで金儲けさせようなどという不埒な発想で良いのか、しかもそれを神が薦めるなど天罰が下るぞ。

※俊哉の資金収支残高

 為替$1=130円

 資金合計$0⇒0円

 ↓+3,000円

 為替$1=130円

 資金合計$23.07⇒3,000円(現在の残高)

「増やすって言ったって、三千円じゃあ話にならないんじゃないの?」と嘆く俊哉の目の前で、新たな展開がスタートした。

「きゃぁあ、泥棒」

 背後から女性の悲鳴が聞こえた。振り返る俊哉の横を二人乗りバイクが猛スピードで走通り過ぎていく。ひったくりである事は瞬時に理解できた。俊哉には「捕まえてやろう」などという発想は更々なかったが、悲鳴に驚いた弾みに石ころに躓いて前のめりに転びそうになった瞬間、思わず出した右拳がバイクに乗るフルフェイスの男の顔面に当たってバイクの男は勢い良く空中へ飛び、二回転して地上に落ちた。そして、あっという間に駆けつけたパトカーから出てきた二人の警察官が、その男達を逮捕して去っていった。

「ありがとうね、ボク」と女性が1万円札をくれた。あっという間に3,000円が13,000円になった。しかも、RPGのような流れるストーリー展開が心地良い。

※俊哉の資金収支残高

 為替$1=130円

 資金合計$23.07⇒3,000円

 ↓プラス10,000円

 為替$1=130円

 資金合計$100.00⇒13,000円(現在の残高)


「凄い、案外いけるかも」

「そやけど10億やからな、まだまだやな」

「まぁ、何とかなるよ」

「俊哉、意外と楽天家なんやな」

「昔、父さんが言ってたんだ。「どうしたらいいかって迷ったら、余計な事はせずに流れに身を任せていればいい。必ず本流にたどり着く」って」

「エラい深い言葉やな。お前のおとん何者ンやねん?」

「世界を飛び回る商社マン」と俊哉は即座に答えた。商社マンの父は俊哉の自慢だ。

「それにしても皆凄く元気だね」

 TVTの街には大人だけでなく子供も沢山いる。その所為なのか活気があり、人々が喜々とした顔をしている。

「今、この世界はバブルで景気がエエからな」

「カミさん、あれは何?」

 俊哉は証券会社の正面ガラスに映し出されている株価ボードに興味を示した。株価ボードには沢山の会社名と緑色と赤色の数字が示されている。

・カクカク建設1255▲10

・シカジカ工務店985△5

・ナントカコーポレーション130▲100

 株価ボードの最下部にある一際桁の大きな赤色の数字が騒がしく点滅している。

「この赤色の数字は何?」

「赤色は株価が下がってるんやな、上がってる時は緑色で点滅するんや。下がるような事があったんやろな」

「カミさん、あれって他のよりも数字が大きいけど、どういう意味なの?」

 ナントカコーポレーションの株価は、他とは一桁違う大きな数字で赤く点滅している、その意味を俊哉は不思議に思った。

「それはですね、あの株が昨日よりも100円も下ったという意味です。他の株よりも数字が大きいのは他の株より大きく急落している、という事なんですよ。マイナス43パーセントです」

 どこからともなく、足音もなく背後から忍び寄った怪しい男が、俊哉に話し掛けた。胸に証券会社の名札がついている。

「それじゃあ、昨日に比べて43パーセントも下がったのかぁ」

「昨日まで爆騰していたその株価が急激な円高で全体的に売られているのです」

「あの株が下がっている理由は円高なの?」

「いえ、あの株に円高は直接関係ないのですが、全体的に下がった事からの連れ安、それと先日まで随分勢い良く花火のように上がっておりましたので、利益確定売りで下がってしまったのではないかと思われます。お買いになるなら今がチャンスかと存じます。当社は買いの手数料はいただきませんので、お得ですよ。因みに、これがこの株の今日時点のテクニカル資料とチャートです」

 慣れた手付きで資料をパラパラと見た俊哉は仰天した。

「この株の最高値は11,000円だ、それが今日の株価は130円?」

「そ、それは事業拡大を実施した金利負担が経営を圧迫するのではないかとの想定から、会社更生法の噂が出た為に一気に株価が下落したのです。しかし会社更正法の話は単なる噂で、この経営戦略によって更に売上が伸びる可能性も否定できません。しかも今日は点滅が早い、という事は強弱区々という状況です」

「強弱マチマチって何?」

「つまり、多少弱気先行ながらも強気と弱気が拮抗していると言う事です。この世界の株取引には値幅制限はありませんので、上がる場合は幾らでも高くなります」

 男は証券会社の営業マンらしい。しきりに俊哉に株の購入を薦めている。

「カミさん、この世界で子供が株を買う事はできるの?」

「俊哉、子供のくせに株なんぞ知っとんのか?」

「まぁね、父さんがやってるのを見てたからね」

「この世界では子供も大人もない、何でもありや。但し、株に限らず全ての取引は現金か相応の物々やないとダメなんや。俊哉が買えるのは現金13,000円の現物取引が限界やで」

「そうなんだ、じゃぁ買おう」

「ん?俊哉ちょっと待ちぃや、素人が株なんぞに手ぇ出して大丈夫なんか。さっき「余計な事はせずに」て言ぅとったやんか?」

 神は「増やすんやったら、競馬、競輪、競艇、なんでもあるやんか」と言った事も忘れて株式投資に疑問を呈した。とはいえ、手持ちの現金は13,000円しかない。

「買った」

「おめでとうございます。ナントカコーポレーション100株保有の株主様となられました」

 俊哉は神の言葉に躊躇する素振りもなく、匆々に手持ち資金で買える株を購入した。小学生なのに何ともやる事が早い。証券会社の営業マンは俊哉の踏ん切りの良さに驚いた。

 俊哉はボードを穴の開く程見つめている。その横で営業マンは小さな声で呟いた。

「子供が本当に株を買った。高々130円の100株だから大した金額ではないが、勇気があるのか、それとも子供で何も知らないのか。あの会社の会社更生法の噂はかなり信憑性があると言われている、どうなるかは誰にもわからないにしても、どちらにせよ11,000円から130円へと急落したこの株が当分の間上がることはないだろう」

 薄ら笑う営業マンの男が店内の奥に引っ込もうとした時、何かが起こった。

 株価ボード全体が下落を意味する赤色の光が点滅する中で、今し方俊哉が買った株の赤色の数字がどんどんと小さくなり、あっという間に上昇を示す緑色に変光すると、見る間に緑色の数字が大きく増えていった。

「あれはどういう意味?」

「下落から上昇に転じたので御座いますな」

 赤色▲100から緑色に変わった数字は、俊哉が現実を理解する間もなく△800を超え更に上昇した。この世界の株取引に値幅制限はない。130円の株価は信じられないスピードで1,000円へと爆騰した。それでも株価の上昇スピードが止まる気配はなく、売り物がない状態で株価だけが上がっていく。余りにも突然の出来事に、営業マンの男は口を開けたまま言葉を失った。株価は短時間で5,000円になって止まった。

「俊哉、凄いやんか」

「この株が5,000円になったから、100株×5,000円で500,000円。元の13,000円が500,000円になったって事だね」

 冷静に計算してはみたものの、俊哉には500,000円の価値など良くわかっていない。正月にお年玉で貰った10,000円なら、結構いいゲーム機が買えたり最新ゲームソフトが2本買える事はわかるが、小学六年生の俊哉に500,000円は未知との遭遇だ。それは単なる数字でしかない。だから、至極当然に執着もない。

「高くなったから、売っちゃおうっと」

 営業マンの男は、小学生の言葉に驚きを隠せない。

「お客様、今はまだ上がり始めたばかりです。この勢いなら、持ち続ければきっと6,000円、いえ10,000円だってあり得ますよ。売るなんてもったいない、もう少し待ちましょう」

「ヤダ、直ぐに売る」

 営業マンの男が小学生相手に目を白黒させた。そうこうしている間にも、株価は5,200円に上がり、そこで売った俊哉は520,000円から税金と手数料の二割を引かれて410,000円を受け取った。株式投資なんてものはあれこれ考えれば良いというものではない、案外何も考えずに踏ん切り良く無頓着なスタイルの方が上手くいくものなのかも知れない。

「凄い、ビギナーズ・ラックとしか言いようがない。あれ、あれれ?」

 感嘆していた営業マンが今度はおかしな声で驚嘆し始めた。俊哉が売った途端に、今度は緑の数字が消えるようにゼロに近づき再び赤色に変わると、数字は猛スピードで増加した。株価はあっという間に1円になってしまった。店内のTVニュースが、ナントカコーポレーションの会社更生法適用確定を告げていた。

 俊哉はこの世界でビルを取得しなければならない。その為に神と協力し、短時間の内にゼロ円から410,000円という大金を得た。だが、それが唯のフロックでしかない事、そしてそんな大金でさえビル取得は夢のまた夢である事を小学生ながらに理解している。

「カミさん、早くビル買いたいね」

「そやな。まだまだやけど、焦ってもしゃあないし、頑張るしかないで」

「そうだね。ところで、この数字は何?」

 この世界では現金を持ち歩く事は制限されているらしい。俊哉は近くのバーチャル銀行で入金した後、神からスマホにアプリをダウンロードするように言われた。そのアプリを開くと、スマホ画面に何か数字の羅列が表れた。数字の一部が忙しく踊っている。

「この数字は為替レート、ドル円相場や」

「何それ?」

「TVTの世界では円とドルが流通貨幣やから、ドルと円の為替レート、交換価値が変わるんや」俊哉が神に質問している瞬間に、仮想円1ドル130円が¥200に変わった。その結果、俊哉の資金¥410,000は¥630,600へと増えた。

「この世界で取得した資金は入金と同時に自動的にドルに投資されるから、為替レートで資金額が変動する。急に為替レートが結構な円安になったから、資金が増えたんや。下がる事もあるで」

※俊哉の資金収支残高

 $1=¥130円

 資金合計$100.00⇒13,000円

 ↓プラス410,000円

 $1=130円

 資金合計$3,153⇒410,000円

 ↓ブラス為替の上昇

 $1=200円

 資金合計$3,153⇒630,000円(現在の残高)


「円安になると増えるんだ。凄い、あっという間にプラス220,600円も増えたて事だ」

「ラッキーやな」

「さっきの株価と同じで上がったり下がったりするのか。でも何故、上がったり下がったりするんだろう?」

 神は得意げな顔で言った。

「それはな、需要と供給の法則があるからやな」

「それは何?」

「例えば、お店にA君とB君の二人が買おうとしているゲームソフトが2つあったとするやろ。値段はどっちも3,000円。普通に買ったらそれぞれ3,000円で買えるねんけど、もう一人C君も欲しいと言ったら、欲しい三人に対してゲームソフトは2つの状況になる。早い者勝ちやなくて誰に売ってもエエとしたら、どないなると思う?」

「えぇと、どうなるんだろう。殴り合いのケンカ?」

「アホ、んな訳あるかい。答えは簡単や、どうしても欲しいとなった場合人間は値段が高くてもいいから買うと言い出す。高い値段で買うと言うたモンが買えるんや。この世はカネやからな」

「つまり、人気が高くなると値段も高くなるって事なのか。だから、さっきの株と同じように下がる事もあるって事なんだ」

「そうやな、つまりドルの人気が高いから対比で円安になった。逆にドルの人気が下がれば円が高くなって俊哉の資金は減ってしまうんや」

「あぁぁぁ」

「何やぁ」

 基礎経済学が終わった途端、俊哉と神は同時に驚嘆の声を上げた。再び数字が消魂しく動き始めたのだ。俊哉の資金が630,600円を超え、1,040,490円へと増えた。

※俊哉の資金収支残高

 $1=200円

 資金合計$3,153⇒630,000円

 ↓プラス為替の上昇

 $1=330円

 資金合計$3,153⇒1,040,000円(現在の残高)


「神さん、画面上のこの数字は株みたいに売る事は出来ないの?」

 俊哉は腕組みをして神の基礎講義をじっと聞きいて、決断した。

「売る?」

「今売れば、下がっても減ら ないじゃん」

「そういう意味かいな。それやったら青いボタンを押すんや。そうすると、株を売った時のように押した時点の資金額が確定する」

 教えられた画面上の青いボタンをクリックした。数字が止まった。俊哉の資金は1,040,000円になった。元の3,000円から比べると346倍に増えた事になる。実感はまるでない。

「カミさん、お腹がすいた」

 見知らぬ世界で気を使った所為か、バーチャルなのに空腹感がある。

「まぁ、この世界はバーチャルなんやけどバーチャルやない世界を真似して創ったからな、腹がへったような感じになるんや」

「あれがいい」

 俊哉と神の二人が歩く左側に、「オレのつけ麺」の看板を掲げた小綺麗なつけ麺屋があった。看板の前に10人程が行列をなしている。列に並ぶのは嫌だとタダをこねる属っぽい神を小学六年生が宥め、二人は最後尾に並んだ。グズグズと文句を言う属神を「煩い」と一喝する俊哉に、そっと近づく店員と思しき男が言った。

「よぅ、並ばなくてもこっちのドアから入ればいいぜ」

 意味が良くわからない。促された俊哉が半信半疑で反対側のドアを開けた。行列の店内は当然の如く客で溢れかえって……いない。店の外には相変わらず列が耐えないが、進みもしない。これはどういう事だ、謎だ。

「どうなっているのかな?」

「そんな事より注文は?」

「つけ麺二つ」

「俊哉、何やら怪しいで」

「神さん、そんな事よりもこういう愛想のない店が結構隠れた名店で、もの凄く美味しいのかも知れ

ないんだよ」

 ラーメン屋では、頑固オヤジが店主の名店は珍しくない。きっと、とびきり旨いに違いない。そう思った俊哉の手元に、待たせない絶妙のタイミングでつけ麺が運ばれて来た。見た目も豚骨鰹醤油の匂いも中々のもの。「いただきます」と一気にスープと麺を啜り上げて俊哉は叫んだ。

「うぅぅぅぅぅぅ・マズい」

「何だとコラ」

 店主の男が威嚇するが、俊哉は怯まない。

「オジサン」

「俺ぁまだ25で、お兄さんだ」

「オジサンお兄さん、マズいものはマズいよ」

「何だと、手前ぇ。くそう、やっぱりそうか……」

「やっぱりって?」

「わかってたよ。俺は唯のサラリーマンで現実世界じゃラーメン屋にはなれない。それでもラーメン屋になりたくて、TVTならと思ってなったはいいが、流行ったのは最初だけで客が入らねぇ。開店時は本当に行列が出来るくらい人気あったんだぜ」

「表のお客さんは?」

「サクラのバイトだ」

「そうなんだ、最初はお客さんが沢山来たの?」

「今でも「癖になるヘンな旨さ」って言われて固定客はいるだけどな」

「どんなマズい店でもそういう変態客はいるんだよ、でも勘違いしちゃダメ。成功するには幾つかの必須アイテムが必要なんだよ。それは、『ポリシー』『コンセプトとプラン』『勇気と努力』『運』」

「何やそれ?」

「昔、父さんがそう言ってた。オジサンお兄さんのこの店には、成功のアイテムどころか味に対するアイテムさえない」

「煩ぇな小僧、俺は単純に旨いラーメンをつくりてぇだけなんだ。高がラーメンされどラーメンだよ、フランス料理に対抗しようなんて思わねぇけど、他の店に負けねぇ最高の味をつくって「また食いてぇな」って言ってもらえる一杯をつくるのが、俺の夢なんだよ」

 店主の男は理想論を語ると、そう言って涙ぐんだ。

「オジサンお兄さん、言っている事とやっている事が真逆だよ」

「どういう意味だよ?」

「オジサンお兄さんはどんなラーメンがつくりたいの?」

「どんなラーメン?わからねぇ。俺は何を目指せばいいんだ」

 男は打ち拉がれている。

「そんなの簡単じゃないか、オジサンお兄さんは普通に美味しいラーメンを目指すべきだよ」

「普通に旨いラーメン?」

「そう、だってお兄さんさっき「また食べたいラーメンをつくるんだ」って言ったじゃん。お兄さんになら作れるよ、こんなにマズいラーメンなんてそう簡単に作れるもんじゃない、お兄さんはきっとラーメン作りの天才だよ」

「貶してんのか、誉めてんのか、どっちなんだ?」

「当然、誉めているんだよ。凄くマズいっていうのは凄く美味いっていうのと同じなんだ。これだけマズいんだからバランスさえ整えたら絶対に美味いラーメンになる筈だよ」

「そ、そうなのか。じゃぁよ、教えてくれ。どこがダメなんだ?」

 つけ麺評論家俊哉は、的確に「オレのつけ麺」の究極的なマズさを誇る一杯を分析した。

「えっとね、ダメなのはね、うんとね、全部」

「げっ、全部?」

「そう、全部ダメ」

「全部かぁ」

「まずはスープ、つけ麺のスープは濃過ぎても薄過ぎてもダメ。濃厚なスープはアリだけど、これは唯のドロドロ。しかも麺が縮れ細麺だからスープと絡み過ぎて、とんでもないアンバランスになっているんだ。ドロドロを売りにしているラーメン屋もあるけどそんなの勘違いの極みだよ」

「そうかぁ」

 俊哉は躊躇も忖度もなく続けた。

「次に麺、つけ麺の麺は中太縮れ麺が基本だと思う。細麺だとスープに負けるし太麺はスープが負けてしまう。熱盛りか冷や盛りかは好みでいいけど、麺の量は多けりゃいいってもんじゃない。後からのスープ足しなしで大盛りなんか食べたら悲惨。途中でスープが薄くなって、マズさ百倍になるから気をつけなきゃダメ。そうかと言って、麺が少な過ぎると満足度が低下する。味が豚骨醤油っていうのは最近は定番だけどインパクトは全くない。例えば濃厚スープだったら海老や魚介に特化したラーメンで成功してる店もある。同じパターンだってやり方としてはアリ。でも、全部の要素を持ったラーメンは存在しないから、余り欲張ると方向性を見失って雑多な味になって、海老の味が殆どしない海老ラーメンになってしまう」

「なる程」

「最近では、ある意味邪道なトマトラーメンとかカレーラーメンなんかを追求する店もある。そんなのラーメンじゃないって言いたくなるけど美味い。でも最早ラーメンなのかどうかも良くわからないし、それを突き詰めるのは結構難しいと思う。他にもバカみたいに量が多いのとか気狂い沙汰に死ぬかと思う程の激辛ラーメンなんかもあるけど、どれもお兄さんが目指すものとは方向性が全く違うと思う。因みに、激辛は辛さを痛いと感じる事で分泌される脳内麻薬物質ベータエンドルフィンによる至福感によってやめられなくなるっていう説がある。結局、大切なのは方向性を明確にする事、麺とスープのバランス、それがお客さんに対するインパクトになるんだ」

 俊哉は立て板に水でラーメン道を語った。小学六年生とは思えない。

「俊哉、お前何者ンや。小学生のラーメン屋か?」

 神は俊哉のラーメン評論に感心した。

「違うよ。父さんが仕事で外国へ行くまでは、二人でラーメン屋の食べ歩きが趣味だったんだ。東京都内のラーメン屋は殆ど食べた。ボクが言っているのはラーメン屋さんとしてどうかじゃなくて、僕が食べたいと思うつけ麺を言っただけだよ」

「小僧、名前は何て言うんだ?」

「木村俊哉」

「ありがとう俊哉。明日から店の名前を「つけ麺トシ」に変えて新しいラーメンつくりたい、だから手伝ってくれ」

 新しい店名に俊哉がちょっと照れた。それから、男と俊哉は時間を忘れてスープをつくり続けて、納得のいく新たなラーメン、煮干しの出汁と鳥の白湯と三種類の醤油を合わせた濃い目だがあっさりと深い味のスープに中太麺を合わせたつけ麺ができ上った。男と俊哉は満足げに笑った。

 つけ麺トシが新装開店した。オープン時こそ疎らな客足だったが、次第に本当の行列が出来た。噂を聞きつけたTV取材があり、あっという間に行列は百人を超え、千人を突破し、つけ麺トシは一躍有名店の仲間入りを果たした。

「良かったねオジサンお兄さん、きっと人気店になれるよ」

「ありがとうな俊哉、何と礼を言ったらいいのか」

「お礼なんて」

「俊哉、これ受け取ってくれ」

 封筒に入った札束が俊哉の前に積まれたが、状況が掴めない。

「ここに5,000,000円ある。これはラーメン屋としての資金の残りだ。お前にやるよ」

「えっ、そんなのもらえないよ」

「いや違うんだ。お前のおかげで俺の何がダメだったのかがやっとわかった、俺には必死に何かを成し遂げるハングリー精神がなかったんだ。お前にこの金をやる事で俺はこの店を必死でやらざるを得なくなる、だから受け取ってくれ。お前ビルを建てなきゃならねぇんだろ?」

「ありがとう」

 店先でラーメン店主とバイトの女性が手を振っている。俊哉と神は行列の絶えないつけ麺トシを後にした。俊哉の資金が合計6,040,000円になった。

※俊哉の資金収支残高

 為替$1=330円

 資金合計$3,153⇒1,040,000円

 ↓プラス5,000,000円

 為替$1=330円

 資金合計$18,303⇒6,040,000円(現在の残高)


「結構、順調やな」

「運がいいだけだけどね」

「まぁ、運も実力の内やで」 

 再び入金して、確定ボタンを押そうとした俊哉を、神が「俊哉ちょっと待ちや」と止めた。途端に、「あっ」と俊哉は叫んだ。またも、数字がいきなり賑やかに踊り始めたのだ。依然にも数字が上昇したが、今回は違う。上がるというよりも跳ねる感じで数字が踊っている。俊哉には何が起きているのかは良くわからないが、俊哉の保有する資金が急激に上昇している事だけは理解できる。桁が変わった。

「わぁ、どこまで上がるんだ?」

 確定ボタンを押すタイミングさえ忘れそうになる。あたふたと焦る俊哉は、数字が止まった画面をおそるおそる確認した。

 俊哉の資金は、あっという間に合計30,750,720円になった。

※俊哉の資金収支残高

 為替$1=330円

 資金合計$18,303⇒6,040,000円

 ↓プラス為替の上昇

 為替$1=1,680円

 資金合計$18,303⇒30,750,000円(現在の残高)

 TVTの中心街まで来た俊哉と神の二人を、聞いた事のある声が呼び止めた。

「おやおや、あの時のお客様。どうです、ビルは買えそうですか?」

「あっ不動産屋さん。今ね、30,750,000円になってるよ」

「ほぅ、それは凄いですね。良く短期間でそこまで。ところで、アルバイトしませんか?今、当社で新築マンションの販売をしているんですが、人気があり過ぎて大変なんですよ」

「何のお手伝いをするんですか、僕たち子供だから難しい事は出来ませんよ」

「いえいえ、とても簡単です。申し込んで抽選するだけで1万円、もし当たったら1,000,000円を差し上げますよ」

 俊哉は小首を傾げた。本当にそんな事だけでそんな大金がもらえるのか、ちょっと胡散臭い。

「何やら怪しいやん。インチキの片棒担ぐのと違ゃうか?」

「インチキだなんて他人聞きの悪い事を言わないでください。わかりました、内容を教えますから」

 不動産屋は1,000,000円アルバイトのカラクリを語り出した。

「このマンションは、土地の相場価格が上がる前に仕入れているので価格がかなり安く抑えられている上に、バブルで周辺マンションの相場が右肩上がりで高騰している為に、今このマンションを購入して直ぐに売却すれば2倍の価格で売れるんです。だから、このマンションを単純にそのままで売るよりも咬ませた方が儲かるって訳です」

「咬ませるって何?」

「具体的に言うと、このマンションの1部屋を販売設定価格30,000,000円で普通に売るのではなく、まず当社のダミー会社Aが買い、次に一般のBさんにその2倍の60,000,000円で売る。そうすると、当社は元々の利益だけでなく、あっと言う間にその差額30,000,000円と更に販売手数料まで入る、という寸法です。とても美味しい話です」

「ボクの申し込みと抽選はどんな関係があるの?」

「これを成功させる為の前提条件は、A社その部屋を買えるかどうかです。でも、とても人気があり公開抽選でインチキはできないのでAが買えるかどうかわからない。そこでアルバイトの出番になります」

 俊哉と神が興味深げに聞いている。高額で買った不動産を瞬時に2倍にする為の抽選の魔法が語られる。

「例えば現在1001号室の申し込み済みは100人ですが、本当に買いたいお客様は10人その他90人はアルバイトです。アルバイトは、仮に抽選に当たっても辞退するのでAが買える事になっているのです。1000号室の抽選番号100番に申し込んでください」

「なる程ね、通常はお客様さんが抽選に当たる確率はそれぞれ1/100の1%、でもアルバイトが90人入るからAの確率は90/100の90%って事だね」

「俊哉、小学六年生でよう確率なんか知っとんな」

「趣味なんだよ」「多趣味やな」

 販売抽選会が始まった。人々は部屋ごとの抽選会場の抽選箱から次々にクジを引いていく。傍から悲喜こもごもの声が漏れた。俊哉の申し込んだ1000号室の番が来て、当たりの抽選番号が告げられた。

「抽選番号100番のお客様、おでとうございます」

 当たりクジを引いたのは誰あろう、アルバイトの俊哉だった。不動産屋の男が笑みを浮かべなから俊哉に言った。

「おめでとうございます。それでは1,000,000円と引き換えにこの権利譲渡承諾書にサインしてください」

 俊哉はアルバイト料の1,000,000円には目もくれず、受け取る素振りさえ見せない。俊哉は腕を組んだまま、じっと考えて不動産屋の男に言った。

「ボクが1000号室を買います」

「えっ?」と言って不動産屋の男が硬直した。30,000,000円なら俊哉にも買える価格だ。

「冗談やめましょうよ」

「オジサン、手数料なしなら1.5倍の45,000,000円で売ってもいいよ」

 不動産屋の男は天を仰ぎながら承諾した。結果的には、60,000,000円で売れるのだろうから、損はしない。不動産屋の男は、子供とは思えない積極的力行動力と決断力に感服した。

 俊哉の資金の合計は45,750,000円になった。即座に入金し、青いボタンで確定した。

※俊哉の資金収支残高

 為替$1=1,680円

 資金合計$18,303屋⇒30,750,000円

 ↓プラス15,000,000円

 為替$1=1,680円

 資金合計$27,232⇒45,750,000円(現在の残高)

残り時間.5時間25分

「神さん、45,750,000円って、お金なんだよね?」

「27,232ドル、つまり45,750,000円やな。どないしたんや?」

「凄い金額で実感がないんだ。でもさ、それでも今日中に10億円なんて無理なんじゃないかな」

 残り時間は、5時間25分しかない。ビル1棟が買える金額を簡単に手にする事など果たして可能なのだろうか。ゴールは、まだまだ遥かに遠い。

「何や、エラい弱気やな?」

「そういう訳じゃないけど……」

 言葉少なに歩く二人の前方に、何かの人集りが見えた。その横の立て札の赤文字が目に入る。

「株の神様、園噺欺八先生来る。公演『株価を予言する(無料)』 (主催(株)日本イチキン証券)」

 スーツ姿の独特の雰囲気を放つ男達が「本日二回目がもう始まります。無料ですよ」と道を歩く人々を誰彼となく、無理矢理に引っ張り込んでいる。

俊哉と神は誘われるままにビルの会場に入った。中には100人程が椅子に座り、株の神様の登場を待っている。何故か壇上には白いスクリーンが垂れ、回転ルーレットが置かれていた。

 俊哉達が座らない内に公演が始まった。椅子の上には何故かヘッドホンと注意書きが置かれ、注意書きには「先生からの指示に従って、必ずヘッドホンを装着してください」と書いてあった。

「皆様、大変お待たせしました。株の神様、園噺欺八先生の本日二回目の公演です」

 促されて、壇上に長い髪を後ろに結び丸眼鏡を掛けたショボくれた顔の中年男が現れると、前方の席から割れんばかりの拍手が聞こえた。初めてではなく随分と慣れた感じの聴衆だ、良くある主催者側のサクラなのかも知れない。

「先生、今日も宜しくお願い致します」

 何か無理やりつくられた感の強い嘘臭い雰囲気を吹き飛ばすかのように、株の神様は全力でツカミを取りにいく。

「私には未来が見えるのです」

 唐突な株の神の一言に会場が騒めいた。前方席のサクラと思われる客が呼応する言葉で叫ぶ。

「先生には未来が見える」「そうだ、先生には未来が見える」

「そうだ、先生の予言で巨人も阪神も勝った。先生には全て見えているんだ」

 株の神が叫ぶ客を宥めるように続けた。これも嘘臭いと言えば嘘臭い。

「まぁ落ち着きましょう、確かに私の予言が外れた事は一度もない。前々回の巨人の勝利も、前回の阪神の勝利も私の予言の通りだった。3回目の予言をしよう」

「へぇ、そうなんだ。2回も当てているのか。でも、何となくインチキっぽいね」

「2回くらいはマグレで当たる事もあるやろけど、3回はないやろ。前2回がホンマに当ったんかどうかは知らんけど」

 俊哉は、慎重に過去予言が2度当たった事を分析した。俊哉は「自分は絶対に騙される事はない」と自信を持っている。一般的には、その自信こそが危ないと言われるが。

「3回目の予言の前に、今日はこの場で私の予言が完璧に当たる事を証明しましょう。まずはお手元のヘッドホンを装着してください。皆さんに秘密の予言をお聞かせする為です」

 未装着者が関係者から強制されている。

 壇上の隅にある回転ルーレットが中央に持ち出され、意味もなく妖艶な水着の女性が弓矢を構えた。回転ルーレットは赤と青の文字が交互に描かれている。ヘッドホンから予言者の声がする。

「今から矢を射ます。矢は間違いなく必ず『赤』に当たります」と俊哉のヘッドホンから声がした。

 矢は放たれ、赤文字盤に刺さった。続いて予言者の声がする。

「今度は『青』に当たります」

 再び矢は放たれ、今度は青文字盤に刺さった。ヘッドホンで良く聞こえないのだが、会場が騒めく気配がした。

「これで3回か、ホンマやろか?」

「あの回転ルーレットに何か仕掛けがあるのかな?」

 また声がする、予言者の声だ。

「もうおわかりでしょう、私には未来が見える。この力を使って株に投資します。有料ですが具体的な銘柄の相談をご希望の方は、右手の出口から個室へどうぞ」

 周りから席を立ち、右手の出口に向かう人達が目立つ。俊哉は「どう考えても仕掛けがありそうなこんなマジックで信じる人がいるのか」と不思議そうに思った。声はたたみ掛けて来る。

「これ以上に私の予言を疑う方は、これをご覧ください」

 壇上の壁に垂れる白いスクリーンにサッカーの試合が映し出された。

「サッカー日本代表対韓国戦がそろそろ終盤の筈ですので、一緒に観戦しましょう。日本代表はこの試合に勝ちますから」

 1対1の同点のまま、ロスタイムに入っている。決着はつきそうにない。

「神さん、この試合ってバーチャルなの?」

「いや、この世界のスポーツのかなりの部分は現実にリンクしとるよ。この試合は、時間的にも現実世界でやっとるのと同じリアルタイムやで」

 自分のスマホで試合内容を確認した俊哉は「リアルタイムならタイムラグの仕掛けはないみたいだな。これが当たったら本物なのかな」と疑いながらも信じ掛けている。その昔、公営ギャンブル中継の時間を多少ズラしてタイムラグをつくり、予想を完璧に的中させる詐欺師が存在した。

 ロスタイム終了のホイッスルが鳴る寸前、日本のコーナーキックからのシュートがゴールポストに当たり、ゴール前に舞った。ボールは群がった選手のヘッドで垂直に曲がり、そのまま韓国のゴールネットに吸い込まれた。

「ありゃま、ホンマに勝ってもうたがな。これはもうホンマモンやろ?」

「本物の予言か、そんなのある訳ないんだけどな・」

 俊哉は、かつて父の言った言葉を思い出した。

『父さん予言だってさ、凄いね』

 TVの特番に登場した予言者に感嘆する俊哉に、父が眉を潜めて言った。

『俊哉、未来を見通せる人間なんて存在しない。それを前提に考えれば、この予言者のどこかに必ず細工がある筈だよ』

「そうだ、予言なんてある筈はないんだ」

 俊哉は、一瞬の間に神懸ったこの事態を整理した。まずは、仮にそれがインチキだとしても、この状況で判断する限りでは既に2度予言を的中させたのは嘘ではないのだろう。そして、今回3度目を的中させて、その他に回転ルーレットで2度、日本代表戦も的中した。前回は出席してはいないからシチュエーション等の詳細はわからないし、回転ルーレットに何かを仕掛けるのは難しくはないものの、流石に全国ネットの日本代表戦の国際試合に八百長も細工をするのも不可能だ。もう一度何かを予言しろと言えば、きっとできるに違いない。正真正銘の予言が完結したように見える。

だが、必ずどこかに仕掛けが、細工がある。何故なら、この世に予言など存在しないからだ。

「何か違和感がある筈だ。感じるんだ、何かを感じるんだ」

俊哉は目前で右手の人差し指と中指と親指を回す仕草をした。いつものルーティーンが何かを見せてくれる。俊哉は目を閉じた。

 この会場に入ってから今までの全ての中にあった違和感は何か。いきなり無差別に誘い込まれた、椅子に座った、話を聞いた、回転ルーレットを見た、代表決定戦を見た、周りの人達が席を立った。

「違和感は三つある。一つ目は何故誰でもいいから無料で会場にいれたのか、二つ目はどうして会場の人達は席を立って別の部屋に行ったのか」

「一つ目は多い方がエエからで、二つ目は信じたから別室に行ったんやろ、それの何が変なん?」

「変じゃないんだけど・」

「確かに、元々興味もないお客さんまで入れた割には、1回ごとにエラい仰山のお客さんがあの予言を信じて別室へ出て行った。そやけど、最後の代表決定戦はインチキのしようがないやん?」

「そして三つ目は、何故ヘッドホンが各席に置かれていたか」

「それは、まぁ変は変やな」

「予言が当たる度に半分くらいの人が席を立った、それにも違和感があるよね」

「あんなんで良くまぁ信じるなぁてワシも思うたけどな」

「1/2の人が席を立った、ヘッドホン……」

 俊哉のニューロンが思考領域に繋がり、閃いた。

「あっそうか、わかったぞ、あれだ。ヘッドホンが鍵なんだ」

 俊哉はヘッドホンを外し、壇上の予言者に向かって叫んだ。

「すみません。もう一度、ヘッドホンなしで回転ルーレットを当ててみてください」

 壇上のドヤ顔の予言者は、突然の要求に多少の戸惑いを見せながらも、薄笑いを浮かべ毅然と言葉を返した。

「まだ信じてもらえませんか。宜しい、では更に皆さんが唖然とする事を見せてあげましょう」

「皆さん、準備がありますので暫くお待ちください」

 舞台に幕が下がり、予言者と主催者の男が裾に引込んだ。

「俊哉、何がわかったん?」

 名探偵俊哉は、得意げな顔でこの小芝居の謎を解き始めた。

「これは全部インチキだよ。まず何故誰でもいいから道を歩く人達を中に入れたのか、それは人数が必要だったんだ」

「そら、仰山いた方がエエやろな」

「違うんだ、この予言を成功させるには沢山の人達が必要なんだよ」

「沢山の人達?」

「何故なら、1度の予言を成功させる為に1/2の客が減るからね」

「1/2?」

「それにはヘッドホンがなければ成り立たない」

「どういう事なの?」

 見知らぬ女性が訊いた。いつの間にか残った観客達が俊哉の周りに集まっている。

俊哉は最後の謎解きに入った。

「鍵はヘッドホンだよ。何故ヘッドホンがあったのか。それはね、それさえあればお客さんを1/2ずつ区切れるからだ。やっている事はちっとも難しくはない。ヘッドホンで1/2には赤と言い、残りの1/2には青と言う。そうすれば必ず1/2は当たる事になる」

「なる程、それなら日本代表決定戦でも的中できるわね」

「ほな、何で当たらなかった1/2の人達は別室に行ったんや?」

「行っていないし、最初から別室なんてないんじゃないか」

 愈々、舞台の幕が上がり再び未来予言ショーが始まったが、壇上に予言者の姿はない。壇上に一枚の紙が貼ってあり、そにには、赤文字でこんな事が記してあった。

『最後の予言です。皆さんは唖然とするでしょう』

 予言者は最後に「更に唖然とする事を見せてあげましょう」と言った。その言葉通り幕の上がった舞台には誰一人姿はなく、残された客達は皆唖然とした。

「ちょっと良いですか?」

 インチキ予言者のマジックショーに呆れて街に出た俊哉と神に、突然身なりの良い初老の男が声を掛けた。また予言でも言うのかと思っていると、男は鞄から徐に時計を取り出して言った。仮想世界とは言え、こんな街中でいきなり時計というのも何だか違和感ありありだ。

「実は私、時計の世界的有名コレクターでして、こんな時計を探しているのですが、お持ちではないですかな。この時計は型番116506A、ロレックス・デイトナプラチナモデルのダイヤ付と言って、ケースとブレスにプラチナ、そしてインデックスにはダイヤが使われていて、アイスブルーという文字盤の色が特徴です」

 男が取り出して見せた時計は、白銀色で見た目に極端に変わった部分はないが、薄い水色の文字盤とそれを取り巻くブラウンのベゼル、時刻を示すインデックスに嵌め込まれたダイヤモンドが印象的で美しい。素材に希少な金属プラチナが使われているらしい。

「事情があって緊急で探しています。2,000万円で買います」

「時計は持っていません」

「そうですか、失礼しました。では、どこかでこの時計を見掛けたら連絡をください。2,000万円即金で買いますので」

 初老の男は、そう言って名刺を渡すとさっさと去って行った。見ず知らずの他人に自分から世界的有名コレクターと名乗る輩をどう考えたらいいのだろうか。

「あれ、何?」「さぁ、何やろな」

 暫く歩いている二人に、車が近寄り俊哉に話し掛けた。

「時計をお買いになる予定はありませんか。事情があって、この時計を1,000万円でお譲りします。市価は2,000万万円以上ですよ」

「俊哉、あれはさっき2,000万円で買うて言うてたヤツやで。買いやで、それ買って売ったら1,000万の儲けになるやんか」

 欲に駆られた罰当たりで間抜けな神が小声で言った。俊哉は神の言葉など歯牙にもかけず「スーツを着た白髪のオジサンがそれを欲しがってたよ」と言って歩き始めた。慌てた神がしつこく言う。

「俊哉、これは1,000万儲ける千載一遇のチャンスやで。なぁ、俊哉」

 俊哉のそっけない態度に、慌てたように車から身を乗り出した男が下心溢れんばかりに営業する。

「でしたら、是非ともお買いになりませんか。お買いになった後で別の人に高く売っても結構ですので、是非ともお買い求めください」

 俊哉は嘆息し、振り向きざまに男に言った。

「さっきの白髪のオジサンが2,000万円で先に買ってくれたら1,000万円で買ってもいいよ。そんな事はないだろうけどね」

 車の男と物陰に潜んだ白髪の男は、同時に「ちっ」と舌打ちし、逃げるように去っていった。世間知らずの謎解きのできない神がまだ言っている。

「俊哉、何であれ買って売らんのや・もしかして、あれもインチキって事なんか?」

「そう、かなり古典的な詐偽だよ。さっきの二人はグルで、偽物の時計を1,000万円で売った途端に逃げるんだ」

「何でそんなん知っとんのや?」

「父さんに教わった」

「お前のおとんホンマに何者ンなんや」

「気をつけなきゃ駄目だよ。知らない方が悪いって事もあるからね」

 街には偽りが溢れている。一般庶民を騙す詐欺師は悪人だが、余りにも稚拙な詐欺に引掛かるのもどうなのだろうか。詐欺は世の中に数限りなく存在するが、その殆どは人間の欲に絡めたものばかりだ。1,000万円で買ったものが右から左にそれ以上の額で売れるなど、そんな美味い話がある筈はない。他にも「1万円が1億円になるこの夢のシステムに入会しませんか、入会金は100万円です」「簡単なパソコン作業で月100万円の報酬可能、但しパソコンが特殊な仕様なので事前に100万円での購入が必要」というような低レベルなものまで探せばキリがない。もしそんな事で資産を増やせるのなら、日本中の誰もが利益を享受する富裕層セレブになっているだろう。

 世の中に絶対はない。だから、そんな美味しい話だって絶対にないとは言えないだろうが、現実に自分のところにお鉢が回って来る事などない。それどころか、そんな期待をしていると、かなり高い確率で詐欺師がやって来る。それが世の中というものなのだ。ドル相場に変化はなく、俊哉の資金は変わらない。

※俊哉の資金収支残高

 為替$1=1,680円

 資金合計$27,232⇒45,750,000円(現在の残高)

残り時間.4時間55分

 俊哉と神の二人は街外れのこ洒落たカフェでお茶をしている。TVTは仮想世界なのだが、小腹が空く。味もするし匂いも、暑さや風さえ感じる。どんな仕組みなのだろうか。カフェは値段は高めだが、かなり現実に近い。序に新しいスマホも買った、

何故か神の分も。バーチャル世界なのに結構高い。

※俊哉の資金収支残高

 為替$1=1,680円

 資金合計$27,232⇒45,750,000円

 ↓マイナス・スマホ代50,000円×2=100,000円。

 ↓マイナス・イチゴパフエ1,500円

 ↓マイナス・チョコレートサンデー1,500円

  マイナス計103,000円

 為替$1=1,680円

 資金合計$27,170⇒45,647,000円(現在の残高)

 買ったばかりのスマホが鳴った。電話の向こうから親しげな若い男の声がした。勝手に喋っていて要領を得ない。

「もしもし、オレ、オレ、オレ、大変なんだ。500万円用意してくれよ、今直ぐ取りに行くから」

「アナタは誰ですか?」

「オレ、オレ、オレだよ。オレだってば」

「誰?」

「あれ、ダメじゃんこいつ。本当に金持ってんの?」

「間違いないって。ラーメン屋のオヤジから500万もらってたんだから」

 電話の向こうで声がして、一方的に切れた。

「これが『オレオレ詐欺』っていうヤツかな?」

「俊哉、どないしたんや?」

「さぁ、良くわからない。「オレ、オレ、500万円取りに行く」だってさ。詐欺だね、こんなのに引っ掛かるものなのかなぁ」

 高を括り自分はオレオレ詐欺など引っ掛かる筈がない、と確信を持っているような人間が最も危ないらしい。

「あの、すみません」

 今度は見知らぬ若い女が話し掛けてきた。道に迷っているらしい。これも怪しい輩なのか。

「駅にはどう行けばいいんですか、できたら案内していただけませんか?」

 若い女は、金髪子供姿の神に身体を異様な程にすり寄せて、道案内を懇願している。怪しいと言えば相当に怪しい。また俊哉のスマホが鳴った。母からだった。

「俊哉君、まだ遊んでいるの。もう直ぐご飯よ、早く帰ってらっしゃい」

「あっ母さん、わかった、直ぐ帰るよ。カミさん、帰るよ。あれ、いない」」

 パソコンをやめてTVTを出ようとしたが、神の姿がない。その時、俊哉に声を掛ける年配の女がいた。どこかの銀行レディといった感じだ。

「お待ちください。このままやめますと手持ち資金が流出する危険がありますので、一旦全ての資金をバーチャル銀行からアルカイ銀行に振り替えていただくのが、この世界の規則となっております。ワタクシは、アルカイ銀行TVT支店の支店長代理、宇曽月と申します」

 そう言いながら、年配の女は背後に立っているアルカイ銀行TVT支店を指差した。インチキ銀行ではないようだ。

 確認しようとしたが、神は道を訊いて来た若い女に鼻の下を伸ばし、肩を組みながら駅方向に歩いている。一応子供という設定なのだから、それにそもそも神なのだから、若い女に現を抜かすとは如何なものか。まぁ、そんな事などどうでも良い。

「一旦、現金に換えてください」

「わかりました、じゃあバーチャル銀行からおろしてきます」

 俊哉は女性銀行レディの助言に従った。

「お客さぁぁん」

 その時、遠くから叫ぶ声がした。聞いた事のある声だ。

「あっ不動産屋さん、その節はお世話になりました」

「いえいえ、そんな事より大変な掘り出し物が出たんですよ。おや、お取り込み中でしたか?」

「TVTから一時的に出る時は、手持ち資金をバーチャル銀行からアルカイ銀行に移さなきゃいけないって教えてもらっていたんですよ」

不動産屋が首を傾げた。

「はて、それは何ですか。そんな話は聞いた事がありませんね。振り替えって何ですか、聞いた事もないですよ?」

 上品そうな銀行レディが豹変し、不動産屋に敵意の眼差しを向けた。

「何だよ手前ぇ、邪魔すんじゃねぇよ」

「おやぁ、何やら良からぬ事を企んでいるようですね」

「ちくしょう、もう少しだったのに。馬鹿野郎」

 年配の女は気まずそうに、捨て台詞を残して走り出した。

「何だよ、ダメだったのかよ。上手くやれよバカ」

 そう言って、神の横に身体を寄せながら歩いていた女は、いきなり神を張り倒して逃げて行った。

「あれも詐欺かぁ、あれれ?」

 俊哉は気がついた。考えてみれば母は朝から出掛けている、それに買ったばかりの俊哉のスマホの電話番号さえ知らないのだから、連絡が来る事自体あり得ない。

「・って事は、あれもそれも全部嘘っぱち?母さんの声色まで使うのか、自信なくしたぁ」

「俊哉、気にする事ないでぇ」

 左の頬が腫れ上がっている神が胸を張った。今し方までデレデレとニヤついていたお前が言うか。状況の掴めない不動産屋が要件を告げた。

「先日見ていただいた駅前ビルの道路の反対側にある更地が売りに出ます。駅前の一等地で相場は一坪当たり500万円ですので、土地50坪で総額2億5000万円です。それが、何と一坪当たり100万円で総額5000万円です。2億円も安いんです、買うしかありませんよ」

「45,647,000円しかないので、無理です」

「あれま、そうでしたか。残念」

「でも、何故2億円も安いんですか?」

「それは……偶々でしょう」

 俊哉は眉に唾をつけた。

「「不動産に格安、買い得物件などない。安く売るにはそれなりの理由がある。不動産は流動性が低いから、買うならその理由を確かめてからでも遅くはない」そう父さんが言っていたよ」

「ホンマにお前のおとんは何者ンやねんな」

「安い理由ですか……わかりました。ちょっと調べてみます」

 不動産屋が重そうな足取りで帰っていった。

「俊哉、どないすんねん。10億て言うたら、今の手持ち資金を20倍にせなあかんねんで」

「わかってるけど、どうしたらいいのかわからないよ。もうやめよかな」

「ああっ俊哉、や、やめたらアカン。やめたらアカンでぇ」

 神が必死で俊哉を引き止めたが、10億円などという途方もない天文学的な数字をどうしたら良いのか、俊哉は天を仰いだ。

「あれ、何で10億円が必要だったんだっけかな?」

「ビル買うんやろ?」

「そっか、でもさ、何でビルなんか買うんだっけかな?」

「ネットルパンに言われたからやがな」

「そっか、でもさ、ビルなんか買ってどうするんだったっけ?」

「ワシを元に戻す為やがな」

「そっか。じゃあ、どうでもいいや」

「アカンがな、ワシは神なんやから子供ではアカンねん。10億円貯めなアカンて」

「何の為に?」

「ビル買わなアカンやん」

「誰が?」

 堂々めぐりの会話が続き、暫くして不動産屋が戻って来た。

「調査の結果です。土地所有者は道路の反対側のビルオーナーだったのですが、現在は違う会社の所有地になっています。元々「この土地は、連坦建築物設計というものを利用して道路反対側のビルに建築容積を上乗せ」しているのですが、その土地だけを売ろうとしているようです」

「どういう事?」

「土地というのは、それぞれ建築できる容積というものが決められています。連坦建築物設計は別の土地の容積分を移転する制度で、移転した土地には建築が出来ません。今回はその土地を売却する手口で建築基準法違反です。その土地は違法ですので建物が建ちません。騙されるところでした、教えていただいて有難うございました。因みに、ビル購入の際は是非当社の仲介で宜しくお願いします」

 不動産屋が店に戻っていくと、俊哉は呆れた顔で呟いた。

「何だかさ、この世界は詐欺師ばっかりだね」

「そこの若い方」

 またまた俊哉と神を呼び止める者がいた。占い師だ。道路の隅に小さな机を置き、椅子に腰掛ける白い長い髭の老人。机の上に占いと書いてある、だから占い師に違いない。

「何か用ですか?」

「何かが取り憑いておる。儂が救けてしんぜよう、儂は神の使いじゃから」

 老人は丸い透明な玉を取り出した。

「これは水晶玉じゃ。この玉を懐に入れ、神に願うなら必ず願いは叶うじゃろう」

いつの間にか「取り憑いている」が「願いが叶う」になっている。水晶玉も怪しい。

 水晶かどうかは言った者勝ちだ、例えガラス玉だとしても素人にはわからない。

「これは正真正銘の水晶玉で、絶対的な力を持つ玉だ。もし、効果を実感出来なかったなら必ず儂に連絡をするように、それはその時まで預けておこう」

 そう言うと、白髭の老人は俊哉の反応など全く無視し、透明の水晶だと言う玉を無理矢理押し付けてさっさと机を畳んでどこかへ去って行ってしまった。

「あれは、何やろな?」

「本物の水晶玉だってさ、直ぐに売っちゃおうかな」

 俊哉はお茶目な顔で悪びれる素振りもなく、大胆な事を言った。

「俊哉、お前結構エゲつない事さらっと言うんやな」

「だってさ、あの白い髭のお爺さんは必ず戻って来て「願いが叶わないのは相当強い力が取り憑いておるからだ。儂が有料で祈祷をしてしんぜよう」とかって言うんだよ」

「何なん、やそれ。そんな阿呆臭い事を言う訳ないやんか?」

 神が俊哉の未来予想を笑うと、先程の白髭の老人が息を切らして駆け寄り、俊哉が何も言わない内に「願いが叶わないのは相当強い力が取り憑いておるからだ。儂が有料で祈祷をしてしんぜよう」と告げた。

 俊哉の予想と寸分違わない言葉に二人は思わず笑い出し、「もう叶ったから、いらない」と言って水晶玉を占い師の老人に投げ返した。老人は想定外の二人の反応に呆然とし、水晶玉を掴んで、ばつが悪そうにそそくさと逃げて行った。

これも詐欺の一手法だ。世の中はウソに満ちている。尚の事、仮想世界では理想的に創造された表面を持ちつつ、一方で嘘に塗り固められた面が包含されている。欲を捨て相手の言葉を冷静に理解すれば、きっと詐欺に騙される事などないのかも知れない。だが、人間には欲を捨てる事自体ができないのだ。

 俊哉と神はTVTの街中を歩いている。

「カミさん、この世界の注意事項ってある?」

「そうやなぁ、特別ない。ん・何かを忘れとるような気がする」

「ルパンⅣ世のオッサンが言っていた「この世界の欺瞞」には注意するとして、他にはないの?」

「思い出せへんにゃから、大丈夫やないかな」

 呑気な神が言った。この世界は噓だらけだが、比較的安全のようにも思える。

 前方から如何にもヤンキーと思しき風体の若い男二人が俊哉に近づき、かなり広い歩道を幅寄せするように歩きながら肩をぶつけてきた。

「痛い、痛い、痛い」

「おいコラ、怪我したじゃねぇかよ、どうすんだよ」

 痛がる一人のヤンキーが蹲り、もう一人が因縁をつけている。

「こんなに痛がっているじゃねぇか。どうすんだよ?」

 突然、空から降って湧いたように事件が発生した。俊哉は加害者のようなのだが、何とも嘘臭い、何がどうしたらこうなるのかさっぱり理解できない。いや、どう考えてもイチャモンでしかない。

「カミさん、この世界に警察はあるの?」

「あるな」

「じゃあ、直ぐに警察と救急車を呼んで」

「何だと?警察、救急車なんか呼ぶんじゃねぇ。それより慰謝料出せ。今直ぐ出せ」

「そうだ、慰謝料出しやがれ」

「何やコイツ等、当たり屋かいな。俊哉、無視や、無視」

 車ではなく人にぶつかる当たり屋とは、新しい手口なのかそれとも古典的なのか。どちらにしても関わりにはなりたくない。神は「俊哉逃げるで」と言って一目散に駆け出した。俊哉は訳もわからず後をついて走った。 

「待てコラ、金置いていけ」「金、出せ」

 当たり屋らしきヤンキー達を振り切って、街外れまで一気に駆け抜けたと思った二人を、ヤンキー達がしつこく追い掛けて来る。

「待てコラ」「金、出せ」

「カミさん、アイツ等まだ追って来るよ」

 諦めそうにないヤンキー達を後ろに見据えながら、神は右手を上げる奇妙な格好をした。俊哉は既にこの展開に飽きている。

「俊哉、今から雷玉を造る。それを投げて、一気に逃げるで」

「雷玉って何?」

「強烈な電気の塊や」

「そんなもの造ったって、持ってられないじゃん」

「手にこれをコレを貼れば大丈夫なんや」 

 神は白い小さな布を俊哉に投げた。投げられた白い布は俊哉の手にくっ付いて離れない。どこかで嗅いだことのあるキツい匂いがする。

「これは、湿布?」

 呪文の言葉で何かを絞り出すように、神は右手の周囲を輝かせている。右手に激しくプラズマの光が踊った。

「今や俊哉、あいつらにこの電気の塊を投げるんや」

 俊哉は言われるままに、受け取ったプラズマの光の玉を湿布の貼られた掌に乗せて、ヤンキー達に向かって投げた。放り投げられた光の玉はヤンキー達に正確に当たり、激しく爆裂した。

「カミさん、今のは何がどうなってるの?」

「この世界はバーチャルやから何でもありなんやけど、一つだけルールがある」

「何?」

「理屈に合わん事は出来んようになってる。理屈に合うもんだけが全てに優先する『絶対合理性』が唯一のルールなんや。さっきの雷玉は空気中の静電気を集めただけやから、問題ない」

「じゃあ、理屈に合っていればスーパーマンにだってなれるって事?」

「まぁ、そうやな」

 またまた、この世界の訳のわからない理屈が出て来た。例え屁理屈でも通れば可能という事か。

「但し、理屈に合っていても、瞬間移動で武器を手に入れられるのは一試合に1つだけというルールに縛られてるんや」

「瞬間移動、武器、試合って何?」

「もちっと後になればわかる」

「俊哉、アカンな。中々資金増えへんで」

「仕方がないよ。先を急ごう」

「俊哉、行かなあかん場所でもあるんか?」

「そんなのある訳ないじゃん。ただ言ってみたかっただけ」

 俊哉がTVの主人公気取りで颯爽と歩き出したが、足が止まった。遠くに人集りが見える。

 5階建てビルの屋上に「ローン高富士」の看板が掛かっている。そのビルの周りをパトカー数台が取り囲み、更にその周辺を興味本位の沢山の人々が遠巻きにして見ている。ビルの2階の窓からサングラスにマスク姿の男が片手に握った拳銃を女に向けながら、何かを叫んだ。

「こいつの命が惜しければ金を用意しろ。車もだ」

 人集りの理由は女の人が人質になっていると理解できたが、バーチャルの世界で死ぬ事などあるのだろうか。俊哉の頭に単純な疑問が湧いたが、ツッコミを入れる程ではない。近づいて見ようとする俊哉の前で、警察官の制服を着た男が唐突に犯人に向かって叫んだ。

「人質を離せ、私が身代わりになる」

「ダメだ。お前の後ろにいる二人の子供も一緒ならいいぞ。その子供二人に身の代金10億円を持たせて、こっちへ来い」

 警察官の男は後ろを振り返り、俊哉と神の二人に「少年達よ、一緒に人質になってくれ」と言い出したが、俊哉が了解する謂れはない。先を急ぐと言う程ではないが、そうかと言って暇ではない。

「ヤダ・」

「わかりました、一緒に行きまっせ」

 俊哉の拒絶を遮る神の声がした。

「俊哉、ここは人として行かなアカンやろ?」

「そうなんだけどさ……」

 気が進まず首を捻る俊哉は、仕方なく警察官らしき男の後を歩く神に続いた。

「カミさん、早く10億円を獲得してビル買わなくていいの?」

「まぁそうなんやけど、これは人助けやからな」

「まぁいいけど、何か変だよ」

 俊哉には動物的な直感があり、怪しい事には頭のアンテナが反応する。本当に頭にアンテナが生えている訳ではないが、何となく感じるのだ。そもそも何故警察官が遠巻きの野次馬の中にいるのだろうか、探索アンテナがピピピと鳴っている。

「少年達よ、10億円を預かってきてくれ」

 不審な警察官は犯人に向かって両手を上げて、俊哉と神に10億円の預かりを促した。癖なのか、手を挙げる警察官の中指が前後に動き続けている。突然、犯人は取り囲む警察官に向けて拳銃を撃った。銃声の後、パトカーのフロントガラスが割れる音が響き、警察関係者が怯えた声で言った。

「少年達よ、これが身の代金10億円だ。後は頼んだよ」

 現金の入っているアタッシュケース四つを渡された俊哉達は、アタッシュケースを引きずりながら怪しい男の下へ運んだ。

「10億円てエラい重いな」

「神のくせに重たいの?」

「今は、殆ど神の力が使えん人間の子供という設定やと言うたやろ」

「どう考えても変だ」

 俊哉は口をへの字にして言った。

「俊哉、何が変なんや?」

「多分、あのオッサンはお巡りさんじゃないよ」

「ホンマかいな。何でそう思うん?」

「何故なら、警察官が一人だけあんな場所にいる事自体理屈がつかない。それに、さっき手を挙げながら指で犯人に合図を送ってた」

「ほぇ、よう見とんな」

 推理する俊哉と軽い感動を口にする神は、やっとの思いで怪しい警察官を自称する男にアタッシュケースを渡した。男はそれを無造作にひったくると、ニヤリと口角を上げて早足でビルに向かって歩き出した。とてもこれから人質になるとは思えない軽快な足取りだ。既に俊哉と神に興味を示す事も

ない。

「確かに何やら怪しいな」と神が呟いた。

 人質のいるビルの階段を昇った男は、まるでビルの内部を知っているかのように先を急いだ。2階フロアには拳銃を持った男達3人が、ロープで縛られた人質と思われる10人程の男女を脅している様子が見える。

「遅イジャナイカ、早クココカラ出ヨウゼ」「all right」

「子供ノ人質ガ増エタ、コイツラヲ盾ニシテ逃ゲルゾ」「ワカッタ」

 片言の英語なのか日本語なのかわからない言葉が飛び交う部屋の中で、人質になっている10人の中の二人の女の子が明らかに周囲とは違う気を発している。

 小学生にしか見えない赤いリボンを髪に飾る黄色いミニスカートの女の子は、いつの間にか解いたロープを投げ捨てて立ち上がっている。可愛いながら苛ついた顔に迫力がある。

「待てよ、逃げられると思ってんのか?」

 苛つく女の子の内の一人が叫んだ。言い放つ勇壮な言葉は、見た目とは明らかに違う。謎だ。

「キサマ等、ふざけるな。人質なんぞ取って身の代金だと?バーチャルの世界だからってやっていい訳ねぇだろ、これ以上やるなら、唯じゃ済まねぇぞ」

 もう一人の女の子が叫んだ。言葉がキツい、神と俊哉は謎の女の子の迫力にビビっている。とても子供とは思えない。フロアで拳銃を翳す犯人達は唖然としてその場に立ち尽くした。

「俊哉、小学生のヤクザモンておるんかな?」

 女の子の叫びが続く。

「聞こえねぇのかキサマ等、武器を捨てて投降しやがれ」

「何だ、コイツは?」

「クソガキ、死ニタイノカ?」「kill you」

 犯人達に拳銃を向けられたリボンの少女、その手に黒光りするブツが見えている。少女はニヤリと嘲笑いテーブルを倒してバリアにし、両手で重そうに抱える黒いブツを犯人達に向けた。 

 少女が薄笑いを浮かべた瞬間、一瞬にして目の前にある全てのものが轟音とともに激しく弾け飛んだ。黒いブツが硝煙に隠れるマシンガンの勇姿を見せている。

 いきなり女の子が赤いリボンを振り乱しながらマシンガンを撃ち捲る図は、俊哉と神の想定の遥か彼方、宇宙の深淵にある。仮想世界とは言え、そんなものをどこで手に入れたのか、重奏に連続する銃声がフロアに響き渡り、空間を埋め尽くす。苦い火薬の臭いが鼻を突いた。

「ヤツ等の反撃が来る。皆、屈んで部屋の隅に避難しな。最後の仕上げに入るぜ」

 俊哉と同じ背格好の女の子が、人質となっている人々に支配的な指示をしている。一瞬の静寂の後、犯人達は狂気に駆られて拳銃で応戦した。

 リボンの少女は、犯人達の反撃を予測していたように怯む素振りもなく、今度は無造作に手榴弾を投げた。耳を劈く爆裂音を引きずったフロアは、木っ端微塵に吹き飛んだ。爆煙の充満する部屋の中は一寸先も見えない。ルール無用の試合に、KOを告げるゴングが鳴っているのは間違いない。

「ムチャクチャやな」

「カミさん、何がどうなっているの?」

 余りに唐突な展開に頭を抱える俊哉と神に、リボンの少女は訝しげに問い掛けた。

「お前は誰だ?ここは子供の来るところじゃないぜ」

「自分だって子供じゃないか?」

「?」

 リボンの少女には、俊哉の言葉の意味が理解できない。

「お前が何を言っているのかさっぱり理解できないけど、まぁいい。私は鮎原杏奈、アバターは小学6年生女子。実年齢非公開。ヤツ等は私のターゲットだ、だから邪魔すんなよ」

「僕は木村俊哉だよ。小学6年生12才」

「俊哉もCSST対象者やで」

 神の言葉に、リボンの少女はまじまじと俊哉を見つめ、ちょっと驚きを見せた。

「へぇ、本当に小学生なのか?噂には聞いていたけど、本当に小学生がCSSTを受けるとはな」

「CSSTって何?」

「CSSTは電脳戦士の検定試験。お前さ、もしかして何も知らないで参加してるのかよ?」

 頷く俊哉に、リボンの少女の隣にいるピンク色のミニスカートの女の子が説明を始めた。

「この試験は名誉ある電脳ソルジャーになる為のもので、世界中の10億人の子供達から選抜された者だけ、日本では1000人が検定試験に参加できる事になっているわ。但し、その内で合格できるのは多分3人以下」

「この試験に参加できるだけでも凄く栄誉な事なんだぜ。でもまさか本当に小学生がいるとは思わなかったな・」

 今やっているのはそういうものなのか、俊哉はこの世界をちょっとだけ理解した。そう言えば、俊哉は興味本位で来ただけで、この世界の事を何も知らない。

「でもよ、そんな事も知らずに参加してるってのはどうかと思うぜ。PGの能力不足じゃねぇか?」

「PGって何?」

「PGはパートナー・ゴッド、隣にいるだろ」

「カミさん、そうなの?」

「まぁ、そうなんやけど。試験の事はワシも余り良ぅ知らんのや」

 確かにPCの中にその数だけの神が存在するとは聞いたが、どうやら神は姿も中身もそれぞれ随分と違いがあるようだ。俊哉のPCの中の絶対的神だったカミは、何やら優等生ではないらしい。俊哉にとってそんな事は大した意味はない。

「私は杏奈のPG、名前はヒカリン140SCK」

「お前のPGと違って優秀だぜ」

 少女の横に立つ女の子が得意げに微笑んだ。何となく少女達の上目線が気にいらない、俊哉も愛想笑いで返した。

「お前、GTPは今幾つ?」

「GTP?」

 話が噛み合わない。

「GTPって何?」

「GTP、ゲット・ターゲット・ポイントを知らないって事は、もしかしてBHSも知らないのか?」

 俊哉はまた頷いた。何やらトンとわからない。隣の神も同じタイミングで小首を傾げた。リボンの少女の隣にいるピンク色のミニスカートの女の子が、また説明を始めた。

「BHSはバウンティ・ハント・システムと言います。簡単に言うと、指名手配犯を逮捕すると報奨金が獲得できるシステムです。尚、BHSで獲得済した成果GTPがあれば、CSSTの特典として武器を2つ現出させる事が許されます」

「お前のGTP獲得済ポイント、つまり現在の獲得資金は?」

「資金は、確か45,000,000円くらい」

「本当にBHSなしで、45,000,000円を獲得したのかよ?だとしたら驚きだな」

 俊哉は素直に言った。盛る必要も噓を言う必然もない。驚かれるようなものでもなく唯の成り行きに過ぎない。

「このTVTで何のアテもなく資金を得るなんてあり得ないぜ、その為にBHSがあるんだからさ。それを知らずに検定受けて、しかも資金獲得できるなんて、お前もしかして能力者なのか?」

「?」

 俊哉は、またもや首を傾げた。あり得ないと言われても、それ以上の説明は不可能だ。しかも能力者とは何だろう?

「まぁいいや。ワタシの資金はもう50億を超えてビルはいつでも買えるから、今回の手柄はお前に譲ってやるよ。一つ貸しな。次のステージで会おうぜ」

「そんなの別に欲しいとは言ってな・」と言い掛けた俊哉に、赤いリボンの女の子は「じゃぁな」と言って帰っていった。

事件が解決し、警察署長が俊哉と神を褒め称えた。

「少年達、お手柄だ。あの男は国際指名手配極悪テロ集団「イジキウレ」のリーダーだ。懸賞金の10億円は君達のものだ」

 俊哉の取得資金は1,045,000,000円となった。同時に、再び上下する為替決定ボタンを押し、1,545,000,000円が確定した。

※俊哉の資金収支残高

 為替$1=1,680円

 資金合計$27,232⇒45,750,000円

 ↓プラス1,000,000,000円

 為替$1=1,680円

 資金合計$622,023⇒1,045,000,000円

 ↓プラス為替の上昇

 為替$1=2,000円

 資金合計$622,023⇒1,545,000,000円(現在の残高)


 どこからか絶妙のタイミングで、相変わらず人の良さそうな顔をした不動産屋が現れた。

「おめでとうございます。これがビル購入契約書です」

 音楽が流れステージの終了が告げられた。終了画面に、100のワイプが現れた。ワイプには1000人とPGが映し出されている。その中に俊哉と神、そして見た事のある少女とPGの顔があった。取りあえず、これで俊哉は1000位内を確保した事になる。

「おめでとう、君達1000人とPGは第2ステージをクリアした。それぞれ運もあったようだが、それも君達の実力だ」

 第2ステージが終了した。俊哉には、何となくルパンⅣ世の態度が前回と違うような気がした。確かネット界を崩壊させようとする大悪人だった筈なのに、何故か俊哉達に対する態度が暖かい。まるっきり修学旅行を引率する教師のようだ。それに赤いリボンの少女が言っていたPGSE電脳戦士検定試験とはどういう意味なのか。何か変だ、仕組まれた感じがする。

「第2ステージは難易度としては高いが、あくまでも基礎的な事項に対応する為のものだった。次から始まる第3ステージ、第4ステージは、本来のIVBCにより近いレベルとなる。頑張ってほしい」

 俊哉には、何となくルパンⅣ世の態度が前回と違うような気がした。確かネット界を崩壊させようとする大悪人だった筈なのに、何故か俊哉達に対する態度が暖かい。まるで修学旅行を引率する教師のようだ。それに、赤いリボンの少女が言っていた

CSST電脳戦士検定試験とは何なのか。何か変だ、仕組まれた感じがする。

「カミさん、このゲームは何か変だ。このゲームが電脳戦士試験ってどういう意味かな、ルパンⅣ世って本当に大悪人なのかな?」

 俊哉の疑念が止まらない。 

「まぁまぁ、細かい事はエエやん。それより第3ステージが始まるで、頑張ってや」

神の応対も怪しい。俊哉は、まだやるとは言っていない仕組まれたゲームが既に始まっている事、いや無理矢理にスタートさせられている現実を知らされた。

「ここに集う1000名の電脳戦士予備戦士の諸君、それではこれより第3ステージの勝負に向かう。気を引き締めてくれ」

「カミさん、意味がわからない」

 俊哉には話の展開が理解できない。そもそも行くとは言っていないにも拘わらず、この異常に早い展開は何なのだろう。

 第3ステージが開始されようとしている。俊哉は嫌々ながら神の後をついて行った、理由は特にはない。ちょっと興味を惹かれたTVTにまだ何かがあるような気がするだけだ。今までこの仮想世界の中で出会ったのは殆ど詐欺師ばかりだった。もう少しだけ様子を見よう、きっと尋常ではない程に興味を惹かれるものがあるに違いない。

「カミさん、皆どこへ行くの?」

「アレや」

 神の指差す方向に、威風堂々と赤いガラス状の光を放つ山なりの建物が聳え立っている。

「あれは何?」

「あれこそ、憧れの闘いの聖地、レッド・バトル・ドームや」

 神が妙に芝居掛かった調子で言った。

「何それ、誰の憧れ?」

「男の子やがな。男の子は皆、闘いへの憧れを持っとるやん。俊哉もそうやろ?」

「そんなもの全然、さっぱり、ミジンコもない」

「これから君達が参加してもらうのは、第3ステージ、第4ステージ、そして最終の第5ステージだ。そして、これが栄誉ある第三回IVBC世界バーチャル・バトル・チャンピオンシップの予選大会となる」

 ルパンⅣ世の言葉に、1000名の電脳予備戦士達は気合の入った歓声を上げた。俊哉が神の話の腰を折っている内に、状況が刻々と変わっている。展開は異様に早く、しかも脈絡がない。俊哉にとっては、これ等全てが行き当たりばったりと言うしかない、何故このタイミングでバトルなのだろうか、俊哉の思考が蝶の如く淡く空を舞っている。

 会場に再びルパンⅣ世の声が響いた。

「まずは第3ステージ、君達にはコイン収奪のバトルロワイヤルームに挑戦してもらう。君達は全員現在のポイントと同数のコインを持っている。そのコインを取り合うバトルゲームとなる。制限時間は5分、保有するコインの枚数が多い順、または30を超えた時点のタイムでセカンドゲーム進出が決定する。保有枚数が20枚を超えると常にヘルメットの上に表示される。対戦は、相手の背中のゼッケンを床につければ勝利となり、コインは勝者のものとなる。尚、武器を使った場合は即失格となるので注意する事、以上」

 第3ステージのゲームが始まった。

「俺にコインをヨコセ」「俺が最強だ」「いや、オレこそ最強だぁ」

 バトルロワイヤルが始まった途端に、怒号が響いた。まるで暴動か或いは動物園の猛獣エリアのようだ。その中心で、一際大きく、白い仮面に白ガウン、プロレスラーを思わせる男が拳を振るい、そこら中の選手をなぎ倒している。悲鳴が聞こえる。俊哉は冷静に現状を把握し、神に告げた。

「こんなバカみたいなゲームに参加しなくちゃいけないのかな」

「確かに知性の欠片もないわな」

 動物園が苦手な俊哉はその状況に後退りし、殴り合いに加わる事なく会場の端で呆然と状況を見ていた。暫くしても状況が変わる事はなく、仕方なく会場の奥スペースに隠れた。窓があり、状況を掴むことは可能だ。

 やる気がないという訳ではない。神の相変わらずいい加減な説明に取りあえず納得の上で、自発的に第3ステージに挑戦する事にしたし、このバカバカしい殴り合いがルールだという事も一応理解はしている。それでも、こんな莫迦げた殴り合いに何の合理性があると言うのか、わからない。そもそも俊哉は基本的に他人と争うのが嫌いだ、何故なら只管面倒臭い。

「木村俊哉君、だよね?」

 いつの間にか、俊哉の背後に気配を消した少年が椅子に座っていた。その横に同様の黒子のように顔の見えない少年が立っている。出で立ちは神社の神主のようで、差袴に白い狩衣を纏い頭には見慣れない立烏帽子が乗っている。

 いかにも陰陽師然とした姿に、俊哉が思わず「安倍晴明だ」と叫ぶと、少年はしたり顔で「そうだよ、良く知っているね。ボクこそ天才陰陽師の安倍野ノ晴明だよ。まぁボクは有名人だから君が知っていても不思議はないよね」と言った。俊哉はそんな事は知らない。イキってはいるが、天才にしては随分と間の抜けた顔をしているし、そもそも太り過ぎだ。

「現在1000人中ランク3位のこのボクと同じで、君も効率待機作戦なのかな?」

「まぁ、そうです」

 天才陰陽師の安倍野ノ晴明は俊哉の姿を興味津々で凝視しながら、俊哉の隣に座り直した。

「このゲームが始まる前に「小学生が参加する」って聞いたけど、それは君なの?」

 心なしか仕草が女性的だ。話す度に身体をスリ寄せて来るのはやめてほしい。

「はい。小学6年生、12歳です」

「そうなの。小学生で参加出来るなんて驚き。ワタシは中学3年15歳。ワタシがこのゲームバトルに初めて参加した中学1年の時は最年少の天才って言われたけど、君は更に凄いって事ね」

「それって凄いんですか?」

「それはそうよ、天才のワタシ以上って事だから。このゲームバトルの参加者達は、アバターは子供が多いけど殆どRG、つまりリアルゲーマーは大人でジジイやババアばっかり。大人のくせにゲーマーなんてのもどうかと思うけど、参加できるかどうかはPG、つまりパートナーゴッドが現れるか否かだから仕方がないんだけどね」

 天才の肥満体少年は自信過剰感の漂う話を滔々と続けている。子供のくせにジジイやババアのように自慢話が長いというのもどうなのだろう。俊哉は少年の話を遮って闘いの真っ最中のステージを指差した。

「安倍野ノ晴明さんはステージに行かないんですか?」

「殴り合いなんて低俗なゲームはワタシには相応しくないわ。君と同じ効率待機作戦実行中って事。潰し合いが終わり掛けて、皆が闘い疲れてからコインをいただくのよ。多分、30枚がクリアラインになるわね」

 俊哉は、そういう事かと何となく納得したが、かなりセコいような気もする。尤もそのつもりはないが俊哉も同じ事をしている。

「それから、獲得したコインが20枚を超えると頭の上にランプが点滅するから、沢山のコインを持っている事がわかって狙いやすくなる。逆に狙われやすくもなるから注意が必要よ。じゃあね、健闘を祈ってるわ」

 そう言うと、安倍野ノ晴明とPGが去っていった。どこへ行くのかは不明だ。

「なる程、40人の潰し合いが終わり掛けた頃に出ていくのかぁ」

「上手い事考えるモンやな。それに頭の上にランプが点滅するんやな」

 ステージには相変わらず狂気的な叫び声が響いている。とても出て行く気にはなれない。

「俊哉、いつステージに行く作戦なん?」

「それがさ、いつ行っていいのかタイミングがわからないんだ。カミさんだけ行ってよ、ボクはここで見ているからさ」

 神は必死に頭を振った。

「そ、そんなん嫌や、ボコボコされるやんか」

「そうだよね。やっぱりこんなゲームやめちゃおうかな」

「あっ、それはアカン、やめんといて。けどボコられるのは嫌や」

「どうしようかな」

 元々作戦などなく呆然と見ていただけなのだから、タイミングを逸した二人が勇気を振り絞り大嵐の中へ勇壮に突き進んでいく、そんな事はあり得ない。戦意喪失、いや俊哉には初めから戦意などない。無策に俊哉を嗾ける神の愚昧な声がした。

「俊哉、いったれや。合気道やっとったやんか」

「PCのゲームなんだから、格闘技の経験なんか役に立つ訳がないじゃん」

「おい、コラ」

 俊哉と神があれこれ考えている背後から声がした。安倍野ノ晴明とは違う悪意に満ちた気を発している。俊哉は声の主を探して振り向いた。柱に隠れるボウズ頭の少年が俊哉を呼んでいる。頭上に赤く光る25の文字が見える。既に相当に闘い、疲れているのが見てとれた。

「オレはこの大会で優勝して世界大会に行くべき人材なんだよ。オレはこのゲームバトルに参加するのは3回目だ、今度こそ代表になって世界大会へ行くんだ」

 ボウズ頭は聞いてもいない事を喋りながら戦闘体勢に入っている。

「オマエ、コインは何枚持っている?」

「5枚です」

「ゴミか、まぁいい。お前の5枚を合わせれば通過予想ライン30枚だ。オマエのようなゴミでも、世界大会を夢見ているのだろうが、オレがその夢を木っ端微塵にぶち壊してやるぜ。感謝しな」

 俊哉は夢など見ていないし、何に感謝するのかもわからない。世界大会という意味さえ知らない。

 何の準備もなく、いきなりのバトルが始まった。有無を言わさずにボウズ頭の正拳が俊哉の顔面を掠めていく。やっとの事でパンチを避けたが、戦闘レベルの違いは明らかだ。

「カミさん、勝てる筈ないよ。この人、空手の有段者かも知れない」

 神が俊哉の声を否定した。

「俊哉、お前勘違いしとる、これはゲームやで。「PCのゲームなんだから格闘技なんて役に立つ訳ないじゃん」ってお前が言うたんやんか?」

 そうか、そうだった。これはPCゲームなのだから、どんなに戦闘スキルが高かろうと最初から勝てないと決めつける必要はない。それは俊哉が神に言った事だ。これが所詮PCゲームであるという事は、攻略法さえ見つければ勝てる可能性は十分にある。何故なら、これはリアルな殴り合いではなく、高々PCゲームだからだ。

 神の一言で、俊哉の背中に乗っていた荷物が降りた。いつもの俊哉のルーティンが始まる。俊哉はTVTに来てわかった事がある。重要なのは、自分に出来るだろうかではなく出来るという強い信念を持つ事、そうすれば全ては出来るに変化していくのだ。この相手に勝てるだろうかではなく、それ以上に自分は強いのだ。これで勝利の時系列が埋まっていく。後は、どう勝利するかをイメージするだけで良い。俊哉が薄く笑いを浮かべて口角を上げた。

「オマエ、ナメてやがんのか。この野郎、これで終わりだ」

 一気に怒りを露にするボウズ頭の正拳突きからの上段右回し蹴りは、俊哉の左側頭部に当たったように見えたが、俊哉は屈んで回し蹴りを避けると、透かさず勢い余って一回転するボウズ頭の脚を払った。コイン5枚と油断していたボウズ頭の少年は、後ろ向きに背中から勢い良くひっくり返った。このゲームのルールは、背中がつくと失格。ボウズ頭の姿が消えた。同時に、俊哉の頭上で青い30の文字が点灯した。

「あれ、ボクのコインが30になってる?」

「そうみたいやな」

 成り行きに任せただけで何が何やらわからない内に、コインが30枚になった。同じタイミングでゲームオーバーが告げられた。俊哉の第4ステージへの進出が決まった。

 会場のバックスクリーンに、1000名の受験者から合格した100名の成績が発表されている。次のステージへの進出者の名前が羅列され、俊哉の名が100番目にある。神は満足げに、嬉しそうな声で俊哉を労った。

「俊哉、良ぅやったで。ドンケツでも合格は合格や、次でトップ目指したれ」

「あぁ、うん」

「どないしたん、嬉しないんか。1000人の中の100位て事は、第4ステージで頑張ったら100位以内も夢やないんやで」

「そんな事どうでもいいんだけどさ、それより何か変だよ」

「変な事なんかあるかいな。第4ステージに進めるんは凄い事なんやで」

「でもさ、初めの状況と何か違うんじゃない?」

俊哉は違和感が拭えない、何かが変だ。確かに、いきなりのバトルロワイヤルはどうかと思うが、TVTはRPGゲームとしては中々興味深い。嫌々来たにしてはかなり真剣に楽しんだ事は否めないし、1000人の中から100人に選抜された事に多少なりとも誇らしい気持ちがないと言えば嘘になる。それでも、神の姿を子供に変えられた上で「声を奪ってしまうぞ」と脅され、ルパンⅣ世から「ネット世界を救う」などという大悪人にあるまじき正義の味方のような「緊急事態の解決」という使命達成の言葉に騙されて、決して本意ではない中で何となくこの世界にいる。このゲームに参加した1000人が本当に子供かどうかわからない正体不明の選手達もまた、同じように言葉巧みに誑し込まれ連れて来られたに違いない。

 それなのに、いつの間にか緊急事態の解決など反故にされ、まるで学校の期末試験のようなノリでゲームが続き、しかも大悪人のルパンⅣ世は担任教師のように温かい眼差しを送っている。何となく嵌められているような、この流れ自体が詐欺に遭っているような気になる。

「そうだ。違和感の一番の原因はそれだよ、それ。テロリストで大悪人のルパンⅣ世なんだからさ、もっと悪人らしくなくちゃ変じゃん・」

「まぁまぁ、余り気にせんで次いこうや、次」

 多少強引な展開が、台本でもあるかのように進んでいく。赤い建物の会場に、選抜された100人を称えるルパンⅣ世の声が嬉々として響いていた。

 第3ステージ コインバトルロワイヤルゲーム最終結果

・002位NO.0002安倍野ノ晴明&PGシキガミ

・031位NO.0266鮎原杏奈&PGヒカリン

・100位NO.0985木村俊哉&PGカミ

「第3ステージの順位が今後の選手ナンバーとなりますので、ご注意ください」

 第4ステージが始まる。俊哉は、いつの間にか首に提げている認証を翳して、赤いガラスドームの中に入った。野球場かと思う程に広いグランドとその上部に観客席があり、空調が効いていて暑くも寒くもない。グランドには幾つもの一辺が20ⅿ程の白い立方体が置いてあった。

 神は「あれが武闘会場やで」と言ったが、俊哉にはどういう意味か更々わからない。おそらく、白い箱の上で闘うのだろう事が予想される。何故そんなところで戦うのか、そもそも何故見知らぬ誰かと闘うのか、他にも訊きたい事が山のようにあるのだが、神に質したところで疑問が解消される事などないような気がする。

「唯今より、第4ステージを開催します。このゲームは対戦バトル。2回戦でクリアとなります」

 闘いへの意思確認さえされる事もないまま、俊哉は闘いの白い箱状のステージの上に立たされた。目の前には格闘家らしき男が青いラメ入りバトルスーツに身を包み、ポーズを決めて俊哉を睨視している。

 俊哉が「自分が着るなら青色よりも黄色の方が好みだな」などと考えている間に、白い箱の外側に水が溢れ出し、武闘ステージと思われる白い箱だけを残してグランドの全ての設備が水に沈んだ。そして水は河の如く流れ始めた。

「白い武闘ステージから落下した場合は失格です。制限時間は10分、勝負がつかない場合は両者共失格となります」とアナウンスがされた。闘うのも濡れるのも嫌だ。

 白い箱の外側に水が満たされた会場に「始め」の声が掛かった途端、有無を言わせずバトルは開始された。主催者側関係者と思われる白いTシャツと赤い帽子の女性の声、再度ルールを説明する声が会場に響き渡った。

「ステージから水に落ちた方が負けですので、間違いのないようにしてくださいね。1バトルは持ち点の10万点が0になった時点で失格です」

 俊哉の相手はバトルスーツのせいなのか、俊哉よりも二周り程大きい。見るからに身体の大きさが違うのだが、どうやら無差別で闘うようだ。俊哉は愕然とした、階級もなくハンディもなし、主催者側にもう少し配慮があってもいいのではないか。そんな事はお構いなしに格闘家は本気で子供の俊哉に攻撃を仕掛ける。それにしても、格闘家の身体は人間とは思えないくらい異常な大きさだ。格闘家というより関取りに近い。関取りと子供のバトルなど見て、何が楽しいのだろう。

「俊哉、頑張りや。合気道と剣道やっとったやろ?」

「「これはパソコンのゲームだからそんなの役に立たないよ」って話したじゃんか」

「あぁ、そやったな」

「でもさ、カミさん。何で皆こんなに身体が大きいの?」

「それはな、金属製のバトルスーツを着てるからや。最近の流行らしいで」

 容赦のない格闘家の回し蹴りが俊哉の肩に炸裂した。俊哉は無理やり投げられたように、横方向へ吹っ飛んだ。

「痛ったぁ」

 肩が痛い。バーチャル世界の筈なのだが全身に鋭い痛みが走る。俊哉は後悔している。ゲームとは言っても、大人と子供が殴り合う事に合理性はない。

「痛ったいなぁ、ボクみたいな子供が闘う相手じゃないよ。カミさん、何とかならないの?」

「どうにもならん。主催者側のプログラムをクリアせなあかんのや」

 お前も主催者側ではないのか。

「腹が立つなぁ」

「頑張るしかないんや」

「何が合理性だよ。それなら、こっちにも考えがある」

 腹が立つならやめてしまえば良いのだが、俊哉は基本的に一度始めた事を途中で放り投げ出してはいけないと躾られている。悲しいかな続けざるを得ないのだが、それでも一矢くらいは報いたい。

「どないするんや?」

「当然、武器を使うんだよ」

「武器て言ぅても、このゲームで武器の召喚は出来へんよ」

「違うよ。この世界は理屈が合っていればOKなんだから、ヤンキーをぶっ飛ばした時のあれを使うんだよ。空気中の静電気を集めてよ」

「なる程、雷玉やな」

「そう。できるだけ強力なヤツでアイツぶっ飛ばしてやる」

 俊哉の目に怒りが見える。武道家は相変わらず手加減する様子もなく、俊哉の顔面目掛けて正拳を突いて来る。怒りの笑みを浮かべる俊哉は、湿布を貼った右手に持つ雷の塊で男の拳を受けた。その瞬間、武道家の身体は高圧電流を受けて硬直した。武闘家の男の全身が青白いプラズマの光に縛られている。そのまま俊哉が右の人差し指で押し出すように突くと、格闘家はステージの外、水中へ消えていった。

「俊哉、ズルッこくないんかな?」

「甘い。これをズルッこいと言うなら、ここにいる格闘家は皆金属製のバトルスーツ着てる時点でズルッコしているみたいなもんじゃないか。そもそも理屈が合っていれば何でもアリってルールじゃんか。それにさ、子供相手に大人が本気で殴りかかるなんて、お天とう様が許さない」

 神が「何や、それは」と呆れているが、俊哉は本気で怒っている。

「うわぁっ」と、隣のバトルステージから女の子の声がした。会った事のある娘だ、確か杏奈と言う名だったか。どうやら手子摺っているようだ。

「杏奈、頑張って」

 傍らで声援を送る女子型ロボット風PGが必死になっている。明らかに、小学生の女の子がガタイの違う変態オヤジに襲われているようにしか見えない。俊哉は、第2ステージでの借りがあった事を思い出した。

「お姉さん、手を出して」

「あっ、お前はあの時の小学生」

 俊哉の投げた湿布が杏奈の右掌に粘着した。その右手の中心にくっ付いた光の玉が、強気な雷音を奏で青白いプラズマを踊らせている。

「お姉さん、それは雷玉。手を開いたまま、それで突くんだよ」

 半信半疑の杏奈は、恐る恐る相手に近づき懐近くで思い切り雷玉をぶつけた。途端に、青い強烈な光は大柄な相手の身体をドームの天井まで突き飛ばした。杏奈は呆然と立ち竦み、俊哉もその威力に驚いた。

「凄ぇ、救かったぜ」

「僕の方こそ、この前はありがとう」

「お前、名前は何だっけ?」

「木村俊哉、12歳だよ」

「サンキュー俊哉、ワタシは杏奈。これでチャラだな。特別に教えてやる、アイツが今回のナンバーワン候補の一人だよ。風魔一族畏蜘忍者の末裔なんだ」

 隣の箱の上で中学生くらいの少年が闘っている。ナンバーワン候補と言われる少年は、俊哉や杏奈の闘った相手よりも更に大柄な相手に立ち向かっている。

 それにしても、いくら何でも身体の大きさが違い過ぎる。二倍、いや三倍はある。理屈の合わない事はルール違反だと言うのなら、あれは一発アウトではないか。相手の選手はどうやったらあんな巨大な身体になれるのだろうか。

「忍、アンタにも貸してあげようか。雷玉、威力バツグンだよ」

「いや、大丈夫。もう直ぐ終わるから」

 自信を漲らせる少年は、獲物を見据える獣のような眼で相手選手を凝視している。相手選手と少年の拳が合った瞬間に白い煙が爆発的に上がり、相手の大男は悲鳴のような嗚咽を上げて固まった。

「あの大きい人、動かなくなった」

 次に少年が正拳を突くと、大男は硝子のように砕けてそのまま激流に消えた。格好良いとしか表現できない程の展開に、俊哉は仰天し感動した。まるで、マンガの世界で悪人を倒す正義のヒーローのようだ。俊哉の瞳がキラキラと輝いている。

「僕の必殺技、絶対零度の液体窒素玉には誰も勝てない」

 瞬時に相手を冷凍したのは液体窒素だった。少年が勝利を告げられている隣から、杏奈を呼ぶ声がした。第3ステージのバトルロワイヤルで、俊哉と同様に『効率待機作戦』を実行していた陰陽師の安倍野ノ晴明だ。

「杏奈ちゃん、ワタシの勇姿を見てくれた?どう、ワタシって格好いいでしょ、天才陰陽師のワタシに惚れたりしちゃ駄目よん」

「大丈夫だよ。格好良いいとは思ってないし、惚れたりなんてあり得ないから」

「照れる事ないわよ、杏奈ちゃんならOKよ」

 如何にも陰陽師という出で立ちの青年が、頻りに小学生の杏奈の気を引こうとしている。その光景は、かなり変態チックな感じがする。

「変態丸出しだ。アイツのアバターは陰陽師だけど、中身はオカマの中年オヤジだからな」

「お姉さん、このゲームのアバターは本人と同じじゃないの?」

「ありゃりゃ、お前そんな事も知らないのか。闘うアバターと、それを操るRG、つまりリアルゲーマーに明確な相関関係は必要ないらしいからな」

 陰陽師の変態オカマは兎も角、目の前の小学生の杏奈や忍者の少年が本当はどんな姿なのか、俊哉にはわからない。それが、システム上定かである必然もない。

 俊哉は、杏奈と少年忍者忍とともに第3ステージ1回戦をクリアした。

 早々に第3ステージ2回戦が始まる。この世界は異常な程に展開が早い、勝利に酔い痴れている時間などない。次は誰かなと見回す俊哉に向かって、いかにも「オレは最強だ」とでも言い出しそうな風体の少年が同じ武闘場の反対側でこちらを見据えている。とても子供とは思えない程に落ち着き払ったその眼は、鋭く隙がない。2回戦の相手はその少年であろう事が予想される。1回戦に苦戦しながら俊哉の雷玉で事なきを得た杏奈は、早々に2回戦を突破して俊哉のセコンドについていた。

「俊哉、気をつけろよ、コイツは他のヤツとは違うからな」

「何が違うの?」

「コイツは、神王の天童だ」

「何それ?」

「神王って呼ばれる超能力を操る一族の中の天才で、優勝候補の一人だよ」

 杏奈のPGヒカリンが説明に加わった。

「彼等の特徴は七色に変わる眼、顔に光る二重の円。彼等にはメガ・メモという力があります。メガはリモートビューイングという遠隔透視、メモはリモートムービングという念動力です」

 俊哉の目が一段と輝きを増した。遠隔透視やら念動力など、ヒーロー漫画の世界ではないか。

「カッケー……でもさ、それってルール違反じゃないの?」

 俊哉は目を輝かせながら首を捻った。当然ではないか、この世界は理屈が合っていないものは存在できない筈だ。超能力のどこが合理なのか、さっぱり理解できない。

「いや、超能力者にとっての超能力は理屈が合ぅとるから、特別ルールに則ってOKなんや」

「何それ。超能力そのものが理屈に合ってないじゃないか?」

「特別ルールなんやけど、理屈は合ぅてるらしいんや」

「超能力の理屈って何?」

「知らん」

 どう考えても俊哉には納得がいかない。超能力は特別な能力なので、それ自体はこの世界の理屈に合っているらしいのだ。らしいでOKとは、何とも究極の矛盾ではないか。何が「絶対合理性」だ、そんなもの言ったもん勝ちではないのか。俊哉の苛立ちレベルが一気に上昇していく。

「そんな人とボクが闘うの?」

「当たり前だろ、対戦相手なんだから」

「じゃあ、お姉さんがボクの代わりにお願いします」

「残念だな、代わるのはルール上ダメなんだよ。それから、一応ワタシのアバターはお前と同じ小学6年生なんだから「お姉さん」って呼ぶのも駄目だ」

「でも、お姉さんはウソっこ小学生だからお姉さんじゃん」

「煩い。大体、お前は男の子なんだからさ、根性出せよ」

「最近は「男の子だから」って言うのはセクハラなるんだよ」

「セクハラって何だよ。ヒカリン、そうなの?」

「まぁ、そうなる可能性は高いですね」

 隣のPGヒカリンが頷いた。

「でもさ、やっぱりお前は男の子なんだからさ、ワタシのような可愛い綺麗な・」

「やればいいんでしょ、やれば」

 2回戦のゴングの鐘が鳴っている。

「いい加減にしろ、こちらからいくぞ」

 俊哉と杏奈の掛け合いに痺れを切らした超能力を操る天才が怒鳴ると、「待って、待って」とその場を遮る声がした。1回戦で頻りに杏奈に話し掛けていた白い袴姿の陰陽師安倍野ノ晴明だ。その姿に「また、あのバカだ」と杏奈が言った。

「バカってお姉さん、安倍野ノ晴明さんは1回戦の成績No.2だったんでしょ?」

「そうだよ、中年オカマオヤジだけど、東大卒でIQは高いし勉強もできる。でも、バカなんだよ。因みに、お前が闘う神王の天童はバトルの天才で、ここまでのゲーム全てNo.1だぞ」

「待たせたね、杏奈ちゃん」

「待ってる訳ないだろ」

「かつて、東大の頭脳と呼ばれた天才陰陽師、安倍野ノ晴明とはワタシの事よ」

「代わるのはルール上ダメなんでしょ?」

「ダメだよ、だからバカなんだよ」

 ルール上の話は取りあえず別としても、No.1超能力忍者とNo.2陰陽師の闘いならば、壮絶な試合が予想される。期待度MAXだ。

「中年オヤジって何歳なの?」

「確か、去年運転免許証見せられた時43歳だったな」

「わぁ、唯のオッサンだぁ」

 天才を自称するNo.2のオッサン陰陽師は、相手に背を向けて杏奈に話し掛けている間に、相対する超能力者のリモート・ムービングによって白いステージの下、激流の河に叩き落された。

「代わるのはルール違反だから勝っても負けても関係ないのに、それでも落とされるんだからバカの上に最上級のアホだろ?」

「うん、唯のアホだね」

「次は誰だ、誰でもいいから掛かって来い」

 アホ相手の試合に苛つく超能力者は、力強い口調で促した。杏奈が無言のまま人差し指で俊哉を急かしている。

「やっぱり、ボクがいくの?」

 俊哉は嫌々仕方なく前に出た。安倍野ノ晴明の闘いは何も参考にならない。持久力ゼロ、瞬発力だけの対応能力と思考を持つ俊哉は、「超能力を操る者に勝つ糸口はないか」と右手を翳すいつものルーティンで動き出した。

 俊哉は思った。手を触れずに物を動かす力など理屈に合っているとは言い難いが、この世界のルールの理屈に合っているのだと言う超能力がOKなら、何でもアリのような気がする。

 超能力が特別ルールだとは言っても、単なる空想では理屈に合わない。理屈に合わないものは認められないというのがこの世界の「絶対合理性」だから、それを屁理屈だと否定している場合ではない。

 超能力が事象的に理屈に合うというのならば、超能力者と俊哉の間の空間に作用する何らかの物質が存在しなければならない。存在するものは何か。手を触れずに運動エネルギーを加える方法は、風力、水力、どれも理屈が合わない。俊哉の脳神経細胞ニューロンから跳ねるように電気信号が流れ出し、前頭葉が答えを捻り出す。

「理屈はわからないけど、同じ事は出来る」

 俊哉は小声で言いつつ、後ろ手で神に合図を送った。

「カミさん、さっきのアレを用意して」

「そうか、わかったで」と言った神は、白い煙を撒き散らしながら不審な動きで武闘場を走り回り、俊哉に黒い何かを投げ渡した。

「どうした少年、恐いなら棄権を 宣言するが良い。無駄な闘いは避ける事こそ賢明だ。それは敗北ではなく、次へと繋がる勇気だと知れ」

 所詮は屁理屈の超能力者如きのくせに、随分と偉そうに言うものだ。

 超能力少年の額にある十字が光り出し、一切身体に触れずに物体を動かすリモートムービングが炸裂した。同時に俊哉の身体はふわりと浮き上がり、白い武闘ステージの外へ投げ落とされた。勝負は一瞬で決した……筈だった。

「何故、何故だ……」

 超能力者が目前の現実に愕然としている。俊哉の身体は白いステージの中空で停止し、ゆっくりと武闘場内へ戻って来たのだ。超能力者は今起きた予想もつかない事態に動揺した。

「お前、名前は何と言う。オレは神王一族、天動時空。オレ達一族は常人とは異なる電磁力を備えている。お前オレと同じ力を持っているのか?」

 俊哉は激しく首を振った。

「ボクの名前は木村俊哉12歳、ボクにはそんな力はないよ」

「では何故、あり得ない」と呟いた後、超能力者は「これならどうだ」と言って、相変わらず手を触れないまま、今度は俊哉の体を回転させステージへ叩きつけようとした。だが、またも半回転した俊哉の身体は途中で停止し、ビデオの逆再生のように元に戻った。予想を超える俊哉の動きに超能力者は増々理解不能に陥った。

「今だ」

 俊哉はその隙を狙って正拳を突き、超能力者をステージの外へ落とす事に成功した。俊哉の逆転勝利だ。未だに論理の展開が不能になっている超能力が言った。

「不思議だ……」

「超能力の方が不思議だと思うけどね」

「お前の力は何だ?」

「ボクが使ったのは『気』だ。ボクの『気』が見えるだろう?」

 確かに俊哉の足先から白い煙が舞っているのが見える。これこそ俊哉が隠し持っていた能力『気』の力だ、と言いたいのは山々なのだが噓臭い。

「オマエは『気』を操れるのか?」

 超能力者は、未だに納得がいかない。

「俊哉、そうなのか。お前、凄いな」

 杏奈までもが感嘆したが、隣で聞いていた神は俊哉の屁理屈に吹き出した。確かに、俊哉は近所の合気道場へ通ってはいる。合気道という武道があるのだから、この空間に『気』が存在しそれを俊哉が操る事ができたというのは理屈が合っているのかも知れないが、無理がある気もする。神の笑う仕草に杏奈は小首を傾げた。

「俊哉、本当に『気』なんて使えるのか?」

「嘘だよ。本当は超電導を使ったんだ」

「超電導?」

「そう。磁石と超電導体で浮き上がっただけさ」

「そうやで、俊哉の靴の裏に付いとんのは超電導体、ワシが撒いた白い煙は超強力磁石の粉との液体窒素やで」

 俊哉の超能力『気』の解説に、超能力者が唸った。

「そうだったのか、オレの完敗だ」

 この敗戦に大きなショックを受けた超能力者集団の中の天才忍者である天動時空は、第5ステージに進む事なく消え去った。このゲームには単なるバトル能力の高さよりも、屁理屈と運の強さが必須なのかも知れない。

 第4ステージの結果は、本来の能力のレベルの高さ及び熟練度を加味した上で、以下の結果となった。1位から6位までの選手全員が第5ステージへと進出した。

001位NO.001畏蛛忍&PGニンニン

002位NO.002安倍野ノ晴明&PGシキガミ

003位NO.031鮎原杏奈&PGヒカリン

004位NO.063星ノ流星&PGギンガ

005位NO.100木村俊哉&PGカミ

006位NO.079ドクターX&PGポンタ

「第5最終ステージは一時間後、1位・3位・5位のAチームと2位・4位・6位のBチームの対戦として開始されます。尚、ゲーム種別は、今からこのルーレットで決定される事になります」

Aチーム

001位NO.001畏蛛忍&PGニンニン

003位NO.031鮎原杏奈&PGヒカリン

005位NO.100木村俊哉&PGカミ

Bチーム

002位NO.002安倍野ノ晴明&PGシキガミ

004位NO.063星ノ流星&PGギンガ

006位NO.079ドクターX&PGポンタ

 主催者の「ルーレットスタート・ストップ」の声がドーム内に響き、ルーレットが止まった。相変わらず展開が早い。電光掲示板に4の文字が点灯した。

「第5最終ステージは、ゲームNo.4『戦闘バトルミッション』に決定しました」

 次から次へ、やたらと高速の嵐のように流れる展開に、ゲームの名称を告げられた。選手の中には、眉を顰める者、静かに両手を広げる者、首を傾げる者、薄笑いを浮かべる者がいる中で、3位の鮎原杏奈は嬉々とした声で叫び小躍りした。俊哉には理由がわからないのだが、杏奈の喜びようは半端ではない。

「お姉さん、何がそんなに嬉しいの?」

「おぅ俊哉、えっと、私が3位で俊哉が6位だから、同じチームか」

 杏奈の不気味な笑いが止まらない。

「俊哉君、杏奈ちゃんのその薄気味の悪いバカ笑いの理由を教えてあげるよ」

 背後から、第3ステージ1回戦1位の畏蜘忍者の末裔、畏蜘忍が顔を見せた。杏奈の狂喜の意味を説明し始めた。

「杏奈ちゃんは昔から戦闘ゲームが大好きの『キチガイ杏奈』って言う名のゲーマーで、全国的にかなり有名だったんだ。でも、どうしても自分でゲームをつくりたくなって、ゲームソフトの制作会社に転職した変態なんだ」

「誰が変態だ、コラ」

「でね、自分の趣味とストレスを解消する為に『戦闘野郎一番星☆私が一番』って名のバトルゲームをプログラミングして商品化した、でも残念ながら全く売れなかった。ところが、会社が買収されて、そのゲームが新しく『戦闘バトルミッション』というタイトルで販売された途端に、バカ売れしたんだよ」

「『戦闘バトルミッション』ってカッコイイ」

 杏奈に対する俊哉の目が変わった。女子小学生のアバターを使う唯の粗野な変態ではないらしい。どう考えても、『戦闘野郎一番星☆私が一番』のネーミングよりも『戦闘バトルミッション』の方が売れるに違いない。踊りながら、杏奈が叫んだ。

「このゲームで私が負ける事は100万%ない、絶対にだ。奥の手もあるしな」

 自信満々に杏奈が胸を張っている、鼻も高く伸びている。薄気味の悪い笑いは止まりそうにない。

 忍の説明に、俊哉は「なる程」と納得した。このゲームステージに参加している選手達はどうやら互いの正体をある程度知っているようだ。

「俊哉君、今から僕達は味方同士になる。まずは皆で自己紹介しよう」

 風魔忍者の末裔とPGが親しげに挨拶した。忍のまったりとした温和な声が響く。つい先程の獲物を見据える獣とはまるで違い、優しさが滲み出ている。

「俊哉、気ぃつけろ。その優しい物言いで、洗脳されっぞ」

「他人聞きが悪いなぁ。僕は畏蜘蛛忍、PGはニンニン」

「ワタシは鮎原杏奈だよ。PGはヒカリン、宜しく」

「ボクは木村俊哉、PGはカミさんです」

「あのさ、忍。俊哉は正真正銘の小学生みたいだからよ、イジメんなよ」

「イジメたりなんかしないよ。それにしても、小学生っていうのは驚きだね」

「でも、安倍野ノ晴明さんだって初めて参加したのは中学生だったんでしょ?」

 忍者忍が口籠った。

「あぁ、それはね……」

「俊哉、そんなの嘘っぱちに決まってんだろ」

 お互いの挨拶が終わると、忍と杏奈が作戦の構成に入った。

「今回の基本的な作戦は杏奈ちゃんに任せよう」

「当然だぜ。まず何と言ってもラッキーなのは、ヤツ等チームに自己チューのバカ、安倍野ノ晴明と目立ちたがりアホの星之流星がいる事だ。あの二人がチームマンセルなんか遂行できる筈がない」

「まぁ、そうだよね。二人とも合わせる事を知らないから。あの二人の取っ組み合いの喧嘩が原因で前回の代表選抜から僕や杏奈ちゃんまで失格になったんだからね。僕も結構根に持ってるんだよ」

 前回のこのゲームステージで何か事件があったらしい。

「忍者さんやお姉さん達は、皆仲良しなんですね」

「忍者さんって僕の事?いいなぁ、杏奈ちゃんも僕を「忍者さん」って呼んでよ」

「忍バカさんって呼んでやるよ」

 そんな他愛のない会話ができるという事は、杏奈と忍者の相性は悪くないようだ。チーム戦である事を考慮するなら、Aチームで良かったと言えるだろう。

「俊哉、良く覚えておけ。ワタシ達は皆、本来的には仲は良くないし、場合によっては全員が敵同士になる事もある。だからこそ、味方になった時にはできるだけそいつ等に合わせて観察し、情報収集するんだ。次に敵になった時に確実にぶっ潰す為にね、それだけの事だ」

「なる程」と俊哉はまた大きく頷いた。ゲームとは言え、この世界では自分とPG以外誰も信用してはならないのだ。仲良し子好しでは勝てない勝負の世界、それは情報戦であり電脳戦でもある。

「それにしてもさ、今回はあのバカ共じゃなく真面な忍者と裏のない小学生がチームメンバーの上に、ワタシのゲームである『戦バミ』だ。やる気満々、やる前から楽勝だな」

「確かに、ラッキーではあるけど慎重に進めよう」

 三人の作戦会議が進んでいく。

「ヤツ等の作戦は簡単、どうせ正面から攻撃すると見せ掛けてどっちかの側面から集中突破する作戦だ。何故なら、ヤツ等にはそれくらいしか立てられやしないからだ」

「お姉さんは、皆さんの事を良く知っているんですね」

「それは違うぞ。ヤツ等を良く知っているというより、ヤツ等の頭が幼稚園児並みのノータリンで、しかも自信過剰の性悪だって事を知ってるだけだ」

 忍が大きく頷いた。

「このゲームの肝は、可能性をどれだけ高められるかって事だけの単純なものだ。戦闘背景パターンは無限に変えられるけど、基本的なレイアウトは全て同じで、中央にマウンドを配置し左右にトンネルがあるから、どの道を何人で攻めるのがいいのかという可能性の問題だ」

「お姉さん、6位はどんな人?」

「Dr.Xか、気にはなっているけどワタシは知らない。バカ忍者は知ってる?」

「僕も知らない。毎回知らない選手が何人かいるけど、今回最終まで残った選手で初めてなのは俊哉君とあの選手だけだね」

「皆さんは何回くらいこのゲームに参加しているんですか?」

「君と6位の選手以外は皆これが3回目だよ。尤も、誰も世界大会には出場していないけどね」

 杏奈や忍が知り合いなのはそういう事なのか、それであれば手の内は大概わかっているだろうから闘うのもやり易いだろう。逆に、こちらの手の内もバレているとも言えるが。

「腐れ縁だから、ワタシにとってはやり易いよ。でも、6位のアイツ、嫌な感じがするな」

「杏奈ちゃんの「感じ」は結構当たる事が多いよね」

 一方、Bチーム控室でも早々に作戦会議が開かれていた。白い袴姿の少年アバター安倍野ノ晴明と宇宙服の少年アバター星之流星、その横にはプロレスに出ていそうなカラフル色のマスクマンアバターDr.X。胡散臭い輩が揃っている。

「私は、陰陽師の名に賭けて、今回こそ必ず世界大会代表になるわ。皆、私に協力してね」

 安倍野ノ晴明が上目線で高圧的に言った。当然のように星之流星が反論する。

「煩い。俺は俺のやり方で代表になる。チームが即代表になるって事は、俺がお前等を世界大会に連れていってやるんだ。だから、俺の邪魔はするな」

「何よ、流星のジジイ。随分な事を言うじゃない」

「お前こそ、オカマの分際で生意気な事を言うな」

「オカマとは何よ」

「オカマはオカマだ。大人しく引っ込んでろ」

「煩い。ジジイの出番などないわ。こんなゲーム、どうせ正面突破と見せ掛けて右のサイドから突っ込んで来るに決まっているんだから。ワタシは右サイドから行くから邪魔しないでね」

「喧しい。このゲームは、相手チームにいるあの『キチガイ杏奈』が基本プログラムを開発したんだぞ。アイツなら絶対左から来る、俺は杏奈を良く知っている」

「何故よ?」

「アイツはこの俺に惚れている。だから、俺が選ぶ左ルートを選ぶに違いないんだ」

「何よ、それ。杏奈ちゃんはワタシに惚れてるのよ、来るのは右よ」

「いや、左莫迦

「煩い、黙れ莫迦共」

 仮面レスラーの一喝で、場が凍りついた。仲間割れに渋顔をする正体不明の6位、Dr.Xは意味のない諍いを遮り、同時に刃物を二人の喉元へ突き立てた。

「右でも左でもどちらでもいい、オレの言う通りに動け。ヤツ等が一方に絞って三人で攻撃してくるのは考え難い。三方それぞれに一人でくるか、二方に二人と一人でくるか、そのどちらかと考えるべきだ。ヤツ等の一人は本物の小学生らしい、それを考慮するなら二方に二人と一人の可能性が高い。だから、オレ達は三方にそれぞれ一人で行く作戦とする。お前等二人は、それぞれ左右どちらからでもいいから攻めて行け。その間に、オレが正面からフラッグを取る。以上、わかったな」

 二人の自己チューが冷や汗を流しながら、言葉なく頷いた。

 第4ステージが始まる。

「では、今より第4最終ステージを開始します。ルールを説明します。このゲームは3対3の陣取り合戦。第1ステージで取得した金額に応じて、核爆弾等NGアイテムを除いた武器をそれぞれ1つだけ召喚する事が可能です。それぞれ選手とPGは常に無線で連絡する事ができます。早く相手の陣地に立っているフラッグを燃やし尽くしたチームの勝利となります。尚、勝利チームは仮の日本代表となります」

 ゲームスタートのブザーが鳴った。同時に会場レイアウトが一瞬で変化した。東京ドーム程の相当な広さを有する会場を分断するように、縦に小高い山が盛り上がり左右にトンネルらしき穴が出現した。俊哉は杏奈の言った通りに変わる景色に驚いた。

「スゲエ、お姉さんの言った通りになった」

「当ったり前だろ、私がプログラミングしたんだから」

 三人の作戦会議が始まった。

「俊哉、お前はどうすればいいと思う?」

 小学生の俊哉には勝つ為の戦略も戦術もないし、具体的な方策など浮かぶ筈もないのだが、何もないと言うのも嫌なので仕方なく唯の思い付きの空想を言った。

「ボクは絶対に納得できないけど、この世界では理屈が通っていれば何でもありになるよね?」

「まぁ、そうだな」

「だったらさ、ワームホールをつくればいいんじゃないかなって思う」

「ワームホールって、どこでもドアの事か?」

「そう。ワームホールがあれば、時空間を移動できるし、攻撃されてもこっちからあっちへ「空間を抜く」事ができるんだよ」

「確かに、どこでもドアがあればこのゲームは簡単に勝てるけど、残念ながら僕は創造れない」

「ワタシにも無理だ」

 俊哉の画期的な策は惜しくも却下された。どこでもドアありきの作戦には、無理がある。作戦会議は、当然の如くオーソドックスな現実路線で進められた。

「攻めのパターンは三人一組、二人と一人、三人それぞれの三つある。僕は、俊哉君が慣れていない事を考えて、二人と一人で二方を攻める方法がいいと思うんだ」

 杏奈は、冷静に瞬時に状況を判断した。これ程頼もしい味方はいない。

「どっちにしても、こっちが不利なのは否定できないな。まず、自己中のあのアホが二人一組になる事は絶対にないから、ヤツ等は三方からそれぞれで来る可能性が高い。6位の選手と二人一組となって二方向から来る可能性がゼロじゃないけど殆どないだろう。こっちが二人一組になった場合、ヤツ等の一人がガラ空きになるからこっちが不利。かと言って、こっちも三人で行った場合、慣れていない俊哉がヤツ等の一人に勝てる可能性は低いからやっぱり不利だ」

「どっちにしても、大した違いはないって事か」

「まぁ、そう言う事なんだけど、そうでもないかも知れない」

「どういう事?」

 基本と前提を熟知する杏奈の描く作戦が告げられる。

「このゲームは単純に三人がそれぞれのルートを攻めるのが有効なんだけど、俊哉が単独でヤツ等の一人と闘うよりも、俊哉と私が一緒に行って私が戦っている間に俊哉が走ってフラックを取るって方が現実として可能性が高いと考えられるね。ヤツ等は三人共足が遅そうだし」

「なる程ね」

「私と俊哉が組んで、真ん中から行くかぁ。なぁ、俊哉」

 じっと聞いていた俊哉には細かい可能性などはわからないのだが、何やら訳がわからないながらも、ここまでPGと積み上げて来たものを否定されているようで堪らない気がした。

「ボクを一人として考えてください」

「俊哉、言うねぇ。予選じゃビビっていたのにさ、本当に一人で行けるのか?」

「行けますよ。あの時だってビビってなんかいなかったし」

「何だか頼もしくなったね。お姉さんは嬉しいよ」

 俊哉が肩を聳やかし、杏奈と忍が目を細めた。チームワークはまずまずだ。

「じゃあ、誰がどのルートを行くかをジャンケンで決めよう」

 ジャンケンの結果、右から杏奈、左から忍、正面から俊哉がそれぞれ単独で攻撃する事になった。それぞれ三方を行くのが有利と杏奈は言った。数学的に確率が高いかどうかではなく、製作者である杏奈の勘がそう言っている。しかも、相手二人は絶対に一緒には動かないとわかっている。

「ヤツ等二人は正面の山ルートじゃなく、左・右どちらからかそれぞれで来る可能性が高いね」

「そう。多分、あの二人が正面から来る事はないね。どっちがどっちかはわからないけど」

「お姉さん、何で正面の山ルートはないの?」

「アイツ等が幼稚なバカだからさ。幼児が本能的に母親の子宮にいる時が安全だった事を覚えていて、狭くて暗い場所や隅っこを好むのと同じ心理的な理屈だよ。バカはトンネルって事さ」

 予測の根拠にはなっていないが、作戦は決まった。バカ二人は左右のトンネルから来る可能性が頗る高い。もしもバカ二人とトンネル内でカチ会ったら、瞬時にP90とMP7のマシンガン同士の撃ち合いになる。従って、俊哉は正面の山ルートで来るだろうと思われるマスクマンアバターDr.Xの横をすり抜け、只管走ってフラッグを掴み、燃やせば良いのだ。それで全てが終了する。

「グッドラック」の言葉と同時に、三人はそれぞれのルートに向かった。

 MP7を携えて右手に向かう杏奈に、左手に向かう忍が心配顔で言った。

「僕や杏奈ちゃんはヤツ等なんか屁でもないけど、俊哉君は撃ち合いには慣れてない。しかも6位のDr.X選手は得体が知れない。大丈夫かな」

「まぁ、そうだけど、大丈夫だろ。第3ステージ2回戦であの超能力者に勝ったんだから」

 俊哉は、徐にそして慎重に走り出し、正面の山ルートへと向かった。暫くすると、左右同時に破裂音が聞こえた。左右どちらもトンネル内で相手選手と遭遇したのだろう、サブマシンガンの撃ち合いになった事が容易に想像出来る。

 正面の山を登る俊哉は異常な緊張をおぼえた。モニターでのバトルゲームの経験はあるが、サバゲーの経験はない。自分がゲームの中に入り込み体感するのはちょっと勝手が違う、心臓が音を立てている。

 銃声がした左右のトンネルでバトルが始まっている、という事は「ヤツ等はバカだから、それぞれ左右どちらからか来る」と言った杏奈の予想が的中したのだ。この後は、一体どういう展開になるのだろうか。

 俊哉は「正面からは誰も来ないパターンがいいな」と期待込めて自分に言い聞かせてみたが、いや違う、杏奈は「二方向から全員が来る可能性がゼロじゃないけど殆どないだろう」と言っていた。つまり、三方向から来ると考える事がより現実的で合理的だ。だとするなら、来る相手は単独。俊哉の進む正面の山道から、確実に、誰かが単独で来る可能性を否定できない。来る相手は一人、一人なら素人の俊哉でも勝てるかも知れない。しかも、バカが左右から来るなら正面から来るのは、あの正体不明の選手という事になる。杏奈の言うように、「出会ったら横をすり抜けて只管走れば良い」のだ。簡単だ。

 俊哉は山を登りながら慎重に先方を見据え、人の姿、気配を察知する事に全神経を集中した。

「来た」

 俊哉の淡い期待は露と消え、山の中腹から予想通りに大きなガタイの人影、胸にXの文字の選手が悠々とこちらへと歩いて来るのが見える。No.6の選手だ、やはり三方に別れたのだ。心臓が口から出そうになる。いきなりの極度の緊張状態が身体を縛る。気持ちが悪い、吐きそうだ。ゲロっている場合ではない。息を止め、気配を消し、木陰に隠れて様子を窺う。鉄則だ。

 ゴーグルをつけた大柄な男は、巨大な大砲を担ぎ、悠々と小高い山道を降りて来る。俊哉は息を潜めて、じっと男が通り過ぎるのを待った。通り過ぎるのと同時に、俊哉は駆け出す、それで終わりだ。

 男は、木陰に隠れる俊哉の前を通り過ぎた……そして、その地点で立ち止まった。

想定と違う。通り過ぎる筈の大男は、周囲を見渡し強圧的に叫んだ。

「出て来い。隠れても無駄だ、諦めろ。どこに隠れようが、我が赤外線センサーから逃れる事はできない。オレには未来が見えているのだ」

 どうやら、木陰に隠れている俊哉の姿が見えているらしい。マズい、瞬時に対応する策が浮かばない。

「出て来ないなら、出たくなるようにしてやる」

 大男は、そう叫んで右肩に背負った大砲を右腕に抱え、俊哉に向けて容赦なく撃ち放った。一発、二発、三発、四発、五発。手加減なしの砲撃に俊哉が隠れていた大木がこなごなに吹き飛んだ。

 火薬の発火する音と耳を劈く爆裂音が響き、俊哉が隠れる樹木の上部が吹き飛んだ、それで終わる気配はない。立て続けに大砲が火を噴き、爆裂が周囲を穴だらけにした。木々は激しく燃え盛った。   

 俊哉は突然の現実、恐怖に全身の震えを抑えきれない。初めての経験、近づく恐怖の足音がする。これはスポーツなどではない、バーチャル世界ではあるが、命懸けの戦闘だ。

「俊哉、大丈夫かぁ?」

「大丈夫じゃ:;#$%&・」

 神の心配そうな声に俊哉は涙声で応えたが、言葉にならない。この世界の大人達は子供相手に容赦がなさ過ぎる。異常だ、変態だ、気狂い沙汰だ。

「ダメだ、ボクが勝てる訳ない」と思った瞬間に砲撃が止んだ。大男は七発目、八発の引き金に指を掛けたが、弾は出ず、撃鉄が空音を響かせる。

 大男は弾切れの悔しさを口にした。直後、男の気配が消えた。静寂が辺りを包む。

「動くな」

 俊哉の背後からナイフの刃が喉元に突き立てられた。声にならない声を出し硬直する、生きた心地がしない。背筋が凍り、戦慄が身体を舐める。這いつくばり、何とかナイフから逃げた。

 俊哉は、震えを抑えつつ地を這いながら、不思議に思った。召喚出来る武器は1つのみの筈だ。それにも拘らず、この選手は大砲、そしてナイフと次々に武器を出してくる。涙と鼻水とでぐしゃぐしゃになっている俊哉は、必死になって神に言った。

「ごんなぼ、ズルび。ルール違反じゃなびがぼぉ(ごんなの、ズルい。ルール違反じゃないかよ)」

 俊哉の指摘に、大男は薄気味の悪い笑いを浮かべた。余裕の言葉が返って来る。

「残念だな。これは武器ではなく俺の身体の一部だ。俺の身体には、パワードスーツによって操作できる10種の鋼鉄製武器が埋め込んである。キサマを切り刻む事など造作もない」

 大男の左手の指がナイフの刃と化している。武器を身体に埋め込んでいるのだからルール違反ではないと言う。「なる程、その手があった」と屁理屈を納得したものの、そんな事がわかったところで意味はない。恐怖が足の先から頭へ突き抜けていく。思考は停止し、何をどうすれば良いのか発想さえ消し飛んでいる。

 連鎖すべきニューロンは縮こまり、シナプスが迷子になっている。

「ごんなぼ、ゲームじゃなびぼ。神ざん、怖び・(こんなの、ゲームじゃないよ。神さん、怖い・)」

 恐怖は増して全身が喰われる寸前だ。何を言っているのか、最早神でさえも理解出来ない。

「俊哉、武器や。武器を召喚するんや」

 俊哉は、余りの成り行きに武器を出すのを忘れていたが、そもそも武器の召喚方法を知らない。

「ワシの後に着いて呪文を唱えて機関銃を出すんや。我・召・武・具・機・関・銃・」

 神の口述をなぞる俊哉。その腕に、サブマシンMP7が出現した。大胆不敵に黒光りしている。

「俊哉、右下の安全装置を外して、後は撃ち捲るだけや」

 安全装置を外した俊哉は、恐怖心を払い除けようと唯只管撃って、撃って、撃ち捲った。至近距離で放った俊哉のMP7の弾丸は、確かに大男の胸を蜂の巣のように貫き通したが、大男は倒れる気配もない。

「少年よ、重ね重ね残念だな。オレのバトルスーツは鉄板による防弾、防炎。しかも埋め込んだ武器も鉄製だからな、何で撃とうがビクともしないのだよ」

 大男は逃げる俊哉に迫った。男は、再び大木の陰に隠れた俊哉を嘲笑しながら右腕を上げ、今度は腕そのものをチェーンソーに変化させ、俊哉の隠れる木々をなぎ倒した。凄まじい音に、俊哉は思わず悲鳴を上げた。

 鉄製の防弾具と武器を埋め込めば身体の一部だと言う。そんな事が絶対的合理性に、理屈に、合っていると言えるものか。心の中でそう叫んでいる内に、切られた大木は周りの木々を倒しながら次々と倒れていく。俊哉は立ち尽くしかない。

「少年よ、オマエに勝ち目はない。自陣に逃げて震えているなら許してやろう、オレは優しいのだ」

 俊哉は経験した事のない連続する恐怖に震えながら、唯々泣き叫んでいる自分の中にある妙に冷静で、論理的な感情に気がついた。

「怖い……怖いけど、これはゲームだ」

 自分の中の自分がそう言うと、恐怖に怯える自分の姿が酷く滑稽に思えてくる。余りにもリアルなシチュエーションの恐怖に息が止まりそうなのだが、これはゲームであって現実ではない。大砲やらチェーンソーの轟音に驚愕したに過ぎない。相手を見据え落ち着いて考察すれば、例えMP7の弾丸が通じない相手でも対応策は必ずある筈だ。そう思った瞬間、全身の震えが止まった。

 自分を取り戻した俊哉は、親指と人差し指と中指を回すいつものルーティンの中で考えた。バトルスーツに鉄板を使い鉄製の武器を埋め込んでいるという事で、攻撃力は劇的に向上しているのだろうが、少なからずその反動も現れているように見える。何故なら、猛烈な破壊力に比してスピードは明らかに杏奈や忍よりも劣っているのだ。この状況を逆転するにはどうしたら良いのか。

「この戦闘レベルの差を埋める、そんな魔法みたいな方法なんてある筈はない。ない、ない、ない、ない……ある」

 俊哉の前頭葉が「雷玉とアレだ」と叫ぶ。武器の召喚は一度のみ、但し武器以外で理屈が合うのなら何度でも「絶対的合理性」で出現させて良いのだ。

「神さん、雷玉とアレ出して。特大のヤツ」

「待っとけ、デッカいの出したるからな」

 呪文の言葉で何かを絞り出すかのように、神は右手の周囲を輝かせている。神の右手にと激しく音を立てるプラズマの光が踊った。

「何だ、それは?」

「俊哉、雷玉やで」

 俊哉は受け取ったプラズマの光を大男に向かって投げた。投げられた光の玉は確実に命中して爆裂した。大男は何もなかったように俊哉の前に立ちはだかっている。

「これはまた残念だったな。そんなモノはオレには通用せぬ、オレのスーツは落雷対応アース付きだ。子供の愚かな考え如きでオレの絶対防御に敵うものか、莫迦め」

 男は俊哉の作戦を嘲笑ったが、俊哉は思わず薄笑いを浮かべ口端を上げた。大人のくせに考えが甘い。物事は、必ずプラスとマイナスの表裏一体でできている。身体に埋め込んだ鉄製の武器が生む絶対的な攻撃力は、同時に弱点となる。

「残念なのはオジサンの方だよ」

 俊哉は二発目の雷玉を投げた。

「な、何、何が起きた?」

 俊哉が雷玉を投げた瞬間、大男に「そんなもの」という隙が生まれた。同時に大男の目前に出現した特大のアレは確実に、そして瞬時に大男の自由を完全に奪った。勝負は一瞬で決着した。

「な、何だ、これは?」

「磁石だよ」

 出現した超特大のネオジウム磁石は強力な磁力を発現し、一気に大男の身体の右側に張りついた。埋め込んだ鉄製の武器は強力な磁力に縛られ、大男の右半分が硬直したまま動かない。

「右腕に武器を埋め込んだせいか?」

 苦々しく顔を歪ませる大男は、更に余裕の顔で言った。

「オレの美学に反するが、仕方がない。これでゲーム終了だ。火炎ロケット弾発射」

 大男は動かない右腕の武器を諦め、左腕をミサイルのように敵陣Aチームに揺らめく赤い旗に向かって飛ばした。まるでロボットアニメのようだ。俊哉は「あっ」と声を上げたまま、為す術がない。

 忍からも、杏奈からも、大男の左腕から飛んだロボットアームが自軍の赤い旗を掴みに掛かり飛んで行くのが見えた。赤軍Aチームの敗退が既に見えている。

「もう駄目か」

 忍は目前の現実と敗北に目を閉じた。何故か杏奈には落胆のらの字もなく、冷静に次の一手を描いている。

「仕方がねぇな、奥の手を出すか」

 ルール違反ではないものの、卑怯な武器でDr.Xが今にも赤軍の旗を掴み掛かっている。

 その時、『キチガイ天使』と呼ばれる名が伊達ではない杏奈は、少しも諦める事なく、それどころか悪戯な子供の目をキラキラと輝かせて、忍と俊哉に向かって意味ありげに叫んだ。

「バカ忍者、俊哉、あの青いフラッグを狙って撃て。全員、絶対狙いを外すな」

 忍と俊哉と杏奈は、目の前の青いフラッグにマシンガンの照準を合わせ、必死に撃った。撃ち放たれた弾は螺旋を描いて勢いを増し、ロケット弾で悠々と誇らしげに赤いフラッグを焼き尽くそうとするDr.Xに先んじて、一直線に貫いて激しい炎の中で青いフラッグを燃やし尽くした。

 Dr.Xは油断していた。正面ルートで子供の俊哉に一時的に勝利した、そこに明らかに隙が生まれていた。

「赤Aチームの優勝です」

 会場に試合終了の安堵が漂い、怒涛のような拍手喝采が聞こえた。

「そんな莫迦な。旗を銃で撃つなどルール違反だ」

 Dr.Xは悔し紛れにクレームをつけたが、このゲームのプログラマーである杏奈は、得意げに叫んだ。

「バカはお前だ。先にフラッグを狙ったのはお前じゃねぇかよ」

「それは……」

「尤も、それは間違いじゃない。このゲームはな、バトルゲームじゃなくて、本当はシューティングゲームなんだよ。元々、それぞれの旗は真ん中を貫くだけで燃えるようになっている。それに先に気がついたチームが勝つゲームなんだよ」

「それにですね、僕達がルール違反だと言うなら、身体に10個の武器を埋め込んだり、ロケット・パンチなんかの方が余程ズルいじゃないですか?」

 俊哉の果敢な言い返しに、Dr.Xは苦虫を噛み返し言葉を失った。Dr.Xは、明らかに油断した。掌にあった筈の殆ど掴み掛けた勝利が、指の先から零れ落ちた。

「Aチームは、仮日本代表となり、条件付きだがアジア代表として世界大会への出場権が与えられる事になる」

 ルパンⅣ世の言葉に、身体全体で嬉しい気持ちを表現する杏奈の横で、忍は嬉しさに涙を浮かべている。俊哉は相変わらず、心ここにあらずで何かを考えている。

「俊哉、お前も嬉しいだろ?」

「俊哉君、嬉しくないのかい?」

 杏奈と忍は当然嬉しい筈だと言いたげに俊哉に言ったが、俊哉は根本的な疑問が相変わらず解決していない。何故、俊哉はここにいるのか。何故、俊哉でなければならないのか。

「嬉しいかどうかよりも、ボクはここで何をしているのか、さっぱりわからないんですよ」

「そうか。俊哉君は何も聞いていないんだったね」

「余計な事を言ったら、オッサンに殴られるから何も言えへんのや」

 いつの間にか背後に立つルパンⅣ世が、予選バトルを解説した。

「何故、3つのステージを以て予選大会とするのか、その理由は単純だ。強い戦闘力を持つ者達を集めたいからだ。だが、唯強ければ良いという事ではない。有名な空手格闘家が「正義のない力は暴力であり、力のない正義は無力だ」と言っている通り、このネット世界を救う為に正義と力を兼ね備えた者を探し、GDグラッド・デビル、そしてその他のサイバーテロリスト集団を叩き潰す事を目的としている。

 IVBC世界バーチャル・バトル・チャンピオンシップは、日本を含めたアジア、アメリカ、ヨーロッパの世界3大エリアで代表を決め、最終的にはヤツ等と世界の覇権を争うバトルゲームなのだ。世界大会には必ずヤツ等、グラッドデビル麒麟が参戦して来る事は間違いない。従って、我々が目指すのはあくまでも世界大会優勝だ。それ以外にヤツ等を叩き潰す方法はない」

「じゃあ、あの6番の人もその悪人の仲間なの?」

「いや、違う。ヤツ等を見分ける方法は簡単だ。6番の選手にはPGがいるが、ヤツ等にはPGはいない」

「何故?」

「GDグラッド・デビル、そしてその他のサイバーテロリスト達は、PGを通じてこのバーチャル世界に来ている訳ではない。この世界にある穴、トラップ・ホールから侵入して来るからだ」

「トラップ・ホール?」

「トラップ・ホールはな、このバーチャル世界、セキュリティシステムにたった一つ開いとる穴で、開けたのはワシや。このバーチャル世界がセキュリティとなっている限り、ヤツ等はその穴を通ってIVBCに参戦するしかない。もしもIVBCが開催されていない時に穴を通ったヤツは、電脳ソルジャーが叩き潰す事になっとる」

「他には穴はないの?」

「ない。けど、最近は電脳ソルジャーも人手不足やから、突破して来る輩が増えている事は確かやな」

「大丈夫なの?」

「今のところ、小物やから大事にはならんけどな、ヤバいヤツ等がIVBC以外から侵入する事が絶対にないとは言い切れんな」

 第5最終ステージ チームフラッグゲームは、以下の結果となった。

赤Aチーム優勝IVBC仮代表

◎NO.001畏蛛忍&PGニンニン

 風魔の流れを継ぐ忍者畏蛛一族の末裔。時空間、火遁、水遁、風遁、土遁、気遁を

 自在に操る。

 総合評点4.9/5.0満点

◎NO.031鮎原杏奈&PGヒカリン

 全てのゲームに通じる天才女ゲーマー、攻撃能力は大。暴走癖あり。

 総合評点4.7/5.0満点

◎NO.100木村俊哉&PGカミ

 小学6年生、12歳。今後飛躍的に進化する可能性大。

 総合評点4.5/5.0満点

 俊哉は夕食が終わったタイミングで母に訊いた。

「母さん、もしもボクが正義の味方として闘わなければならないとしたら、どうしたらいいのかな。危険だとわかっている事をやるのはやっぱりオロカ者なのかな?」

「ケンカでもするの?」

「別に本当に殴り合ったりする訳じゃないんだけど、でもケンカみたいなものかな」

 母はいつものように毅然とした口調で、諭すように言った。

「どうしてもケンカしなけりゃならないの?」

「そうじゃないんだけど、成り行きで何となくやらないといけない、みたいな感じかな」

「やる覚悟がないならやめなさい。いつも言っている通り、何事もいい加減な気持ちでやっても上手くいかないどころか、怪我した後で「やらなければ良かった」って泣くのがオチよ。それは受験だろうとケンカだろうと同じ事。いい加減でやるならやらない方がいい。でも、もしも自分がやらなければならないと思うなら、死ぬ気でやりなさい。そうすれば、きっと何かが見えてくる。思った通りに上手くいくかどうかはわからないけど、きっと何かが見えてくる。それが結論ね」

「なる程」

「何もしないで安全をとるのだって決して間違ってないけど、何をするにも絶対安全という事はない。事前に危険だとわかっているなら、それはそれで回避する方法を考える事が出来る。でも、安全ばかりに気がいって、本来の目的が見えなくなっている事の方が危ない時もある。大切なのは自分がそれを成し遂げる覚悟があるかどうかって事。高い山を登るなら山を超える覚悟と努力が必要って事かな」

「なる程」

「反対している訳じゃないのよ。男だから女だからじゃなくて、人として何かをやるなら覚悟を決めて命懸けでやりなさいって事」

「母さん、わかったよ」

「何をやるの?」

「『世界を救うかどうしようか』って事なんだ」

「それって、もしかしてIVBC世界バーチャル・バトル・チャンピオンシップの事?」

「何故、母さんがそれを知っているの?」

 俊哉は、耳を疑った。俊哉の母は元警視庁公安部の婦人警官で、今でも国内外の情報の収集が趣味ではあるものの、それにしてもIVBCを知っているとは驚きだ。

「もしかして、TVTもルパンⅣ世も知っている?」

「日米欧各国政府と警視庁他の警察機構及び民間企業による、世界プロジェクトで構築した仮想空間WVTの一部がTVTよ。IVBCは世界のセキュリティ対策を目的として開催される大会だわね。確か、これは国家機密事項だったかな」

 事もなげに国家機密を語る母に、俊哉の驚きが止まらない。

「それと確か、ルパンⅣ世っていうのはIVBC日本支局長の愛称で、警視庁公安部局長でもある田中正孝、アナタの叔父さんよ」

「えっ」と、俊哉は絶句した。同時に、幾つかの疑問が解けていく。ルパンⅣ世の正体は、俊哉の母の弟、俊哉の叔父である田中正孝だった。大悪人という触れ込みで現れたにしては熱く世界の理想を説いたり、神の出現を出汁に使ったりと、俊哉を引きずり込むシナリオはかなり強引で陳腐ではあった。ちょっと拍子抜けではあるが、まぁ良しとしよう。驚きはあったが、元婦人警官だった母が「警視庁に勤務している警察官には、何があっても不思議ではない」と常々言っていた、だからきっと驚くような事ではないのだろう。

 俊哉は、何かを吹っ切ったように清々しい顔を見せた。

 PCの電源を入れた途端に、神の騒ぐ声がした。

「俊哉ぁ、俊哉ぁ、早くPC開いてくれぇぇ」

 相変わらず煩い。まだPCは立ち上がっていなくとも、当然のようにスタート前の画面を運動会のように走り回り大声で叫んでいる。俊哉は寝ぼけ眼で神に訊いた。

「何かあったの?」

「大悪人ルパンⅣ世が呼んどるんや」

 俊哉は吹き出しそうになった。大悪人とは誰の事だ。

「カミさん、もういいよ。ルパンⅣ世は、警視庁公安部局長でもあるボクの叔父さん田中正孝なんだよね」

「局長は俊哉の叔父さんなんか?」

「母さんが言ってたから、間違いないよ」

「俊哉ぁ、そんな事より画面右のボタンをクリックしてくれぇぇ」

「煩いなぁ」

 立ち上げたモニター画面の右下に点滅する青いボタンがある。ボタンを押すと何が起こるのだろうか、積極的に押したい気分ではない。急かされるのは苦手だ、どうするか。そうだ、今日はPCはやめて道場へ行く事にしよう。暫く合気道の稽古をサボっている。

「そうだ、そうしよう」

「俊哉、どないしたんやぁ」

 いつまでも、クリックしない俊哉に神が泣きそうになっている。

「今日はPCゲームはやめた」

「ひゃぁ、頼むからボタンをクリックしてくれ。俊哉は知らんやろけど、局長てな、ムチャクチャ短気で暴れるんやで。俊哉がボタンをクリックせぇへんとワシが殴られるんやぁ」

 そうなのか。そう言えば、忍と杏奈も同じような事を言っていた気がする。俊哉には常にニコニコと笑う暢気な正孝のイメージ以外にない。

「俊哉、救けてくれぇ」

「ヤダよ、ボクは忙しいんだ」

「ウソやん。塾は三日に一回はズル休みするし、合気道も柔道も一週間以上サボっとるやんか?」

「煩いな。PCゲームなんかやってる暇はないんだよ」

「ウソやん、ウソやん、ウソやん。時間あるやん」

 窓の外に聞こえているに違いない大きな声で、神は叫び捲っている。

「煩いな、もう。わかったよ」

 俊哉は神の声の煩しさに仕方なくボタンをクリックした。画面に黒い仮面のルパンⅣ世に扮した正孝の姿が映っている。正体は既にバレている、仮面を被る必要などないと思うのだが。

「俊哉君、見せたいものがあるのだ。TVTのC5に来てくれ」

 叔父と思えば良いのか、ルパンⅣ世なのか、警視庁特別捜査局長なのか、違和感があり相当に面倒臭い。俊哉は文句を言いながらもVRゴーグルを装着し、神とともにTVTに向かった。

 ルパンⅣ世の姿をした正孝がTVTにあるC5にいる。C5などと随分とカッコをつけた名前なのだが、バーチャル世界の単なる喫茶店だ。

「俊哉君、待ち草臥れたぞ」

「叔父さん、その喋り方変だよ。普通でいいのに」

 ルパンⅣ世、局長から怒りの風が吹いて来る。俊哉は歯牙にも掛けていない。

「俊哉、局長には立場があるねんから、話を合わしたりぃな」

「まぁ、別にいいけどね。用は何?」

 俊哉は違和感を紅茶に溶かし啜る。早速ルパンⅣ世は本題に入った。テーブルの上に置かれたノートPCの画面が開いている。

「この選手を見てくれ。彼は前回のIVBCアジア代表として出場したクラッシュ・ボム選手だ」

 バーチャル世界の喫茶店で、アバター俊哉が更に3Dゴーグルを装着した。途端に、前回世界大会の会場へとジャンプした。

 目前で行われている対戦のゴングと同時に一際大柄な選手が相手選手を投げ飛ばし、あっという間に勝利した。強い、間近に見る世界大会代表選手の迫力に圧倒される。2mはあるだろうと思われる上背に100Kg超と思われるその体格には流石の風格がある。

「叔父さん、じゃなかった局長、この人もパワースーツとバトルスーツで大きく見せているの?」

「いや、彼の場合はバトルスーツは着ているが盛ってはいない。元々ヘビー級の格闘家だ。アバターを盛るのは世界的な流行りだが、バトル選手として大きなリスクがある。君が最終ゲームでDr.X選手と対戦した時、何かを感じなかったかな?」

「うん。動きが遅い感じがした」

「その通りだ。自分を盛る方法は相手を威嚇する事は出来ても所詮は張り子の虎でしかない。かなりの重量となる為に、対戦バトルでは逆に自滅してしまう選手が大半だ。自身の身体に各種の武器を埋め込むロボット化も流行ってはいるが、使いこなすのは相当困難だろう。例えば指を各種の刃物に変えた場合、人体機能としてのバランス喪失という致命的な欠点を負ってしまうのだ」

「そうか。だから子供のアバターを使う人が多いんだ」

「それに、盛ってロボット化したDr.Xてヤツも、身体に埋め込んだ金属を俊哉が磁石で動けへんようにしたんやったな」

「結局のところ、IVBCではノーマルアバターで武器を召喚するのがベストだという事になるのだ。もっとも、ボム選手のように元々身体が大きければ盛る必要はないから、多少瞬発力は落ちるだ

ろうが、その体格のアバターで十分パワフルに闘える」

「あの大きな身体とパワーがあれば、負ける事はないよね」

「そうとも言えない。前回ボム選手は一回戦で棄権している」

「一回戦、棄権?」

「そうだ。彼は対戦バトルでは無敵を誇るのだが、IVBC対戦ゲームの種類はそれだけではない。極端に苦手なゲームに当たってしまった為、試合すらせずに棄権したのだ」

「?」「?」

 ルパンⅣ世の説明に俊哉も神も首を傾げた。ルパンⅣ世が言い難そうに言った。

「つまり、非常に残念なのだが、彼はIQ系ゲームは極端に苦手なのだ。そのせいで一回戦を棄権。因みに、代表試験にIQ系ゲームはなかった」

 各種のゲームバトルが繰り広げられるだろう世界大会で苦手種目があるのは、致命的なのかも知れない。俊哉のように得意な種目がないというのも、別の意味で致命的なような気もするが。

「彼は、今回は参戦していない」

「バトルゲームがあんなに強いのに、もったいないね。ボクもあれくらい大きい身体だったら良かったな」

「ほな俊哉も、アバターを盛るか自分の身体をロボット化して最強選手になったらエエやんか」

「うんにゃ、そんなのあり得ない。例えアバターでも自分の身体をロボットにするのはイヤだ。闘うならボクはボクの身体と頭で闘う」

 ルパンⅣ世は俊哉の言葉に深く頷き、満足そうな表情を見せた。

「俊哉君」

 突然、今まで試合中だった空手着の大男クラッシュ・ボム選手が俊哉に近づき、話し掛けた。これは過去の映像の筈なのだが、どんな仕掛けになっているのだろうか。

「君、俊哉君だよね。オラは、今回の代表選には出ないと思う。だから、君にこれをアゲルよ」

「これは何ですか?」

「オラの生まれた竜ヶ森という村に伝わる秘伝の薬で、身体を瞬時に二倍、三倍、十倍にする事が出来るだよ。赤色は二倍、青色は三倍、黄色は十倍になる」

 大男は、赤青黄色の3つのカプセルを俊哉に渡した。朴訥とした喋りが好感を呼ぶ。

「一度に1カプセル以上飲んだらダメだよ。それだけは忘れないでね」

 その言葉を残して、大男は寂しそうに会場を去った。

「俊哉君。次に会ってほしい選手は、日本剣術協会の生きる伝説と謳われた日本が誇る天才剣術家、前回の優勝者でもある嵐山達人氏だ」

 いきなり画面が移り、薄暗い道場に一人座禅をする白髪の老人が現れた。

ルパンⅣ世は、その老人に向かって深々と頭を下げた。老人は、挨拶もそこそこに少年俊哉を興味深そうに見つめながら言った。

「木村俊哉君か?」

「はい」

「儂の名は嵐山、君の噂は聞いている。中々良い面構えをしているな」

 老人は俊哉の目を見据えて言った。俊哉の噂とは何だろう。この老人がゲーマーなのか?老人KYな感じが否めない。

「俊哉君、君に問う。バトル、いや闘いに於いて最も重要な事は何かな?」

 まるでライブで話しているのかと錯覚しそうな会話が続いている。いきなりの問い掛けに、俊哉は戸惑いながらも毅然と答えた。

「速さ、強さ、潔さです」

「ほぅ、難しい事を知っているな」

「ボクが習っている合気道場の精神です」

「なる程。儂はもう歳だ、IVBC代表選には出場できない。君に勝利の極意を授けよう」

 俊哉は、いきなりの展開に戸惑った。知らない老人に極意を伝授される覚えはない。成り行きと運だけでIVBC仮代表三人に選ばれてはいるが、その後の事は何も考えていない。尤も、この状況で「そんなのいらない」とも言い難い。老人は俊哉の意思を飛び越えて、「有り難い勝利の極意」を語り出した。退屈そうだが敬老の精神で聞くしかない。

「勝負に勝つには二つを知る事だ。一つは自分が弱いと知る事、これさえ知る事が出来るなら決して傲る事はないだろう。二つは自分が辛く苦しい時は相手も同じなのだと知る事、それさえ知る事が出来るなら確実に相手の隙を突けるだろう」

 俊哉を頭の上を飛んで行くその話は、おそらくは奥深い含蓄のあるディープな話であるに違いないのだろう。何となく覚えておこう。

「君は良い目をしているな。その目は未来を切り拓いて行く目だ。これ等も君に授けよう」

 老人は、床の間に鎮座する日本刀を俊哉の前に置いた。

「これは、名を『我真天成刀』と言う。一点真中一文字斬りにより鋼さえも切り裂く事が可能な正義の刃だ。これを君に授けよう」

「正義の刃?」

「『正義なき力は暴力となり、力なき正義は無力となる』という事だ。但し、『この刃を正義なき者が持つならば、立ち所に自我が崩壊する』と言われておる」

「カミさん、ボク悪い事たくさんしてるけど大丈夫かな?」

「何をしたんや?」

「この前、ネットでエッチな写真を見た」

「そんなもん、大丈夫やろ」

「学校の帰りに百円拾ってネコババした」

「大丈夫やて。けど拾ったら交番に届けなアカンで」

 俊哉が頷いた。

「この刃はな、かつて守護神、神の化身と謳われた神野一真翁から、前々回大会の後で私が頂戴したものだ。この刃を持つ者こそ、神が認めし真理を極めようとする正義の戦士となるのだ」

 何やら重たい話になってきた。俊哉は、正義の戦士になどなるつもりは毛頭、全然、さっぱりないし、その覚悟もない。

「そして更に、これは儂が編み出した神風という迅速のアイテムで、神の如き瞬速移動が出来るのだ。原理は難しくはない、超電導式移動装置と電磁石により神速となる」

「あっ、カミさんとボクがつくった空中浮遊装置と同じ超電導だ」

「空中浮遊か、それは面白い発想だな。儂は君の活躍を期待している、そして君がこのバトルの最後まで残り、必ずや麒麟を倒してくれるだろう事を願っている。ヤツは必ず再びやって来る。もし君がヤツと闘う事があるなら、この神刀こそ麒麟を敗る唯一の武器となる筈だ。だが・」

 白髪の老人は、刀を渡しつつ俊哉の目を見つめ、目を閉じた。何かを言いたげな老人の姿が悲哀の念を放っている。老人はそれきり何も話す事はなかった。そして、画面は消えた。

 仮想世界TVTの喫茶店C5でバーチャル画面を見終わった俊哉は、ほんの少しだけIVBCに興味が湧いている自分に気づいた。

「叔父さん、じゃなかった局長、IVBCで闘うハッカーってそんなに強いの?」

「ハッカーやクラッカー集団で最も勢いがあるのはグラッド・デビルだ。その絶対的リーダーを自称する者こそが麒麟で、ヤツは途轍もなく強い。麒麟は第一回、第二回に参加し二度とも準優勝だが、前回は前々回りも強くなっていた。そして今回は更にグローアップして出て来る事は間違いない」

「そんなに強いゲーマーなの?」

「いや、ヤツはゲーマーではなく、戦場で命を賭ける戦士に近いハッカーだ。故に、暗黒ソルジャーとも呼ばれている。ヤツの強さはまるで超能力か魔法使い、或いは忍者のような術を使う。最も厄介なのは、ゾーンという精神への攻撃だ」

「精神への攻撃って催眠術みたいなもの?」

「近いだろう。洗脳の類によって精神を侵され廃人となった者も相当数いたらしい」

「エラい恐ろしいな」

「どんな感じなの?」

「具体的に表現するのは大変難しいが、自戒の波が終わる事なく押し寄せて来るのだそうだ」

「自戒の波って何?」

「ここに前回、嵐山達人名人が麒麟と対戦した時のVTRがある」

 試合開始のブザーが鳴った。白いマント姿のグラッド・デビル麒麟と思しき男と、嵐山達人が対峙している。

 直後に、不思議な事が起こった。白いマントの選手が右手を高々と挙げた、すると黒いドーム状の光が二人を包んだかと思うと嵐山達人がいきなり蹲り、頭を抱えて呻き出した。対する白いマントの麒麟は、薄笑いを浮かべて左手の銃器の引き金に指を掛けた。苦痛に歪む嵐山達人は力を振り絞り、神刀で麒麟を横一文字に切り裂いた。麒麟の姿が消え、試合の終了がブザーが鳴った。

「これはどうなっているの?」

「さっぱりわからんな」

「詳細は不明だ。優勝した嵐山名人はその後病院に運ばれたが、精神に異常を来たしていた為、最近まで入院されていたのだ。嵐山名人はその時の事を全く覚えていないそうだ」

「ひぇぇ。俊哉、ヤバいんちゃうか」

「そうだね。じゃぁ、やっぱり出るのやめようかな」

「ひぇぇ。それもアカン」

「俊哉君、今日見てもらったのはIVBCの現実だ。このバトルゲームは、実はかなり危険なのだ。我々は、高い運動能力とIQ200を超える知能を兼ね備えた君に期待しているのは事実だが、参加の有無については明日まで良く考えて結論を出してくれて構わない。お母さんには必ず相談する事を勧める」

 こんなオカシな世界に引きずり込んでおいて「母に相談しろ」もないものだ。しかも、実は俊哉の母というのは、それを言った本人の姉だというのだから笑い話でしかない。そんな事よりも、どうやらこのバトルゲームは本来相当にヤバいものらしいという事がわかった。

 俊哉が勝ち上がれたのは、今までが単なるゲームであったからで、勝利はフロックだったに過ぎない。即ち、ここから先は鬼が出ても蛇が出ても何ら不思議はないという事なのだ。

「俊哉、世界大会どないするんや。やめるんか?」

「神さんは、ボクがどうすればいいと思う?」

 俊哉は既に自分の行く道を決めている。

「そうやなぁ、ワシも色々考えたんやけど、どっちゃでもえぇのんちゃうかな。ワシがこのまま子供姿で声がなくなっても世界には何の影響もないし、ワシは人間やないPC上の意識やから消える事もまた現れる事もあるわな。けど、俊哉はそうやないから精神異常のアンポンタンになったらそれっきりや。そのリスクを考えたら、何がなんでも出場する必然性はないんやないかなぁ」

 いつになく神が弱気で常識的だ。そう言われると尚、安易に拒絶を口にはしたくない。俊哉は清々しい顔で言った。

「ボクはもう決めているんだ。世界大会には出る」

「本気なんか、リスクがデカ過ぎやで。やる気なかったんちゃうんか?」

「そうなんだけどね、麒麟というヤツと闘ってみたくなったんだ」

「ボコボコにされるで、いやヤバい事になるかも知れへんで」

「それも想定の内だよ」

 神の姿や声などという到底メリットと思えるものなど何一つなく、精神に異常を齎すリスクのあるIVBCなるバトルステージに参加するのは、如何なものだろうか。そんな燃え盛る火の中に自ら飛び込むのは、夏の虫か変態以外にはいない。

「お前がヘンタイやとは知らんかったな、けど何で急に?」

「単純に麒麟と闘ってみたいのと、このバーチャル世界の事をもう少し知りたくなったんだ」

 俊哉にはわからない事はまだまだ沢山ある。何故この世界が必要であり、『意識』である神が特定のPCにのみ出現するのか。ネット世界を通じて世界を支配しようとするテロリスト達とはどんなヤツ等なのか。俊哉は、最強と噂される暗黒ソルジャー麒麟と闘う事で、それ等の疑問の答えが見えて来るような気がした。

 IVBCを一週間後に控えたある日、再びルパンⅣ世に呼ばれた俊哉と神は、バーチャル世界を通じてアジア大会の決戦会場へ飛んだ。中国香港の街中心部に聳え立つ50階建ビルの地下で行われている会場には、インターネットを通じて5万人を超える観戦客が集まっている。

「アジア大会なのに、ボク達日本代表選手は出ないの?」

「そうだよな、ワタシ等は出られないのか?」

 今回は鮎原杏奈も来ていた。杏奈の口が不満げにへの字に曲がっている。

「逆だ。忍君を含めた君達三人は現在の仮アジア代表選手だ。この大会の出場した選手の中でVBLバーチャル・バトル・レベルが80を超える者が出て来た場合のみ、君達との決定戦が行われる事になる。だが、この大会優勝最有力候補で前回世界大会に出場した中国の遁謝選手でさえ、現在VBLは78程度だ」

「てぇ事は、ワタシ等はVBL80以上って事か」

 杏奈の曲がった口端が上がり、笑いに変わった。随分と単純だ。

「あれ、バカの安倍野ノ晴明がいるじゃないか?」

「星之流星さんもいるよ」

「日本選手は二大会まで出場できるのだ」

「アイツ等はワタシ等よりも戦闘レベルが低いって事だ」

 アジア大会第1試合、優勝候補筆頭の中国代表遁謝と安倍野ノ晴明の試合が始まった。小さな女の子をアバターにする遁謝手に対して、安倍野ノ晴明が右親指を下に指している。完全に相手を見下しているのが見てとれる。

「アナタ残念ね、一回戦はワタシの勝ちよ」

「我贏了(私が勝つ)」

 対峙する遁謝は笑顔を浮かべて静かに右手を上げると、人差し指を安倍野ノ晴明に向けた。同時に、右人差し指から出た光が安倍野ノ晴明の額に勢い良く当たった。その衝撃で安倍野ノ晴明はそのまま身体ごと場外へ吹っ飛んだ。一回戦終了。

「あのバカ、油断しやがって。日本人の恥だ」

「中国の選手、凄く強いのに本当にボクより弱いのかな?」

 俊哉には、強さの見切りは良くわからない。中国選手の強さが特出しているようにしか見えない。

 ルパンⅣ世は、中国選手の攻撃にさして驚く事もなく、淡々と概説した。

「今の攻撃は衝撃波だ。見た目の派手さはあるが、最初の一撃を見切ってしまえば当たらない」

「一発当たらなけりゃ、こっちのモンて事か」

 衝撃波?これも絶対的合理性に問題がないと言うのか。まぁ、この際細かく考えるのはやめよう。

 対戦カードは順調に進んでいった。決勝は当初の予想通り、中国代表遁謝VS日本選手星之流星の闘いとなった。

 試合開始のブザーが鳴り終わらない内に、星之流星の重力制御が発動した。遁謝は口を結んだまま微動だにしない。星ノ流星の強大な重力に縛られた遁謝の身体は次第に重くなり、動く事も出来ずに徐々にステージの中へ沈み込んでいく。それでも遁謝は空中浮遊の力で何とか踏み止まっているが、反撃体制には移れない。

「カミさん、スゴいね。流星さんて強いなぁ」

「俊哉は代表戦でアイツと闘ってへんから、強いも弱いもわからんかったな」

 星之流星の攻撃に羨望の目を向ける俊哉に、舌打ちしながら杏奈が鼻で笑った。杏奈は人差し指を頭の上でグルグルと回し、手を開いて見せた。

「俊哉、良く見てな。どんなに強い力を持っていようが、アホはアホ以外の何者でもないって事がわかるからさ」

「?」

「覚悟しな、これで試合終・」

 流星の強気な言葉の途中で奇妙な事が起きた。攻撃している筈の流星の身体が遁謝と同じように沈み始めたのだ。流星は膝を付き、倒れ込んだ。

「何だ、何をした?」

 ステージの上で動けず立ち尽くす遁謝の足下で、流星は先に腹這いになり完全に倒れている。既に星之流星は言葉を発する事さえ出来ない。カウント1・2・3・の後、虚しく試合終了のブザーが響き、遁謝の勝利が告げられた。勝利した遁謝自身にも何が起こったのか全く理解出来ていない。

「カミさん、何がどうなってるの?」

「さぁ、何が何やらわからんな」

「相変わらずか……」「いつになってもアホはアホ」

 俊哉とカミには状況が掴めない。嘆息するルパンⅣ世の横で、嘲笑しながら杏奈が謎解きをした。

「あのアホは重力波を発生させる事が出来るんだ、確かにそれは凄い力だよ。でも、アイツには肝心な事が全く出来ないんだよ」

「肝心な事?」

「制御だよ。アイツはその力を制御出来ないんだ。制御出来ない力なんて持っていても自滅するしかないのさ。今の攻撃だって、自分がつくり出した重力にアイツ自身が嵌っただけで、相手は空中浮遊でじっと重力に耐える以外何もしていない」

 ルパンⅣ世が呆れ顔で言った。

「そういう事だ。重力とは空間の歪みによって生まれ、波の如く伝播する。過度に集中した歪みは、反動として周囲空間を巻き込んでいくのだ。それを理解出来ない星野流星選手は、何度も今と同様のパターンで自滅している。相変わらず何も変わっていない」

「な、アホだろ?」

 俊哉は頷かざるを得なかった。自分の特異な力で自ら潰れてしまう選手がいるとは考えもしなかった。この瞬間、アジア代表は畏蜘忍、鮎原杏奈、木村俊哉、日本人三選手に確定した。

「ボク達アジアチームの他に世界大会に出場するのはどんなチームなの?」

「俊哉君、随分と興味津々だな」

「そんな事はないよ。別に興味なんてないし」

 関心のないフリをしながら、俊哉の興味は既に相当なレベルに達している。やると決めた以上興味を持つのは至極当然だ。誰が、どんな選手が出場するのか見てみたい。

「丁度いい、欧州代表を交えた米国大会があるから見に行こう」

「ワタシは遠慮する。そんな奴等見たって仕方がない。それに、アメリカの悪ガキ兄弟とフランスの金髪三人娘は前回闘っているから知っている。ワタシは本戦までゆっくりするよ」

 杏奈は消えた。口ではそう言いつつ杏奈はきっと最後の調整をするのだろう、とルパンⅣ世が言った。それぞれに基本的な考え方は当然違うだろうが、結局は努力した者が栄冠を勝ち取る可能性が高い事は誰もが知っているのだ。

 NVCニューヨークバーチャルタウンにあるクレイジー・ヤンキー・スタジアム。人々の賑やかな歓声がスタジアム全体を包んでいる。既に欧州代表を交えた米国大会が佳境を迎えていた。

 二人の選手が、今闘わんと準決勝ステージの中央に対峙している。一人は、他の選手を遥かに超越する身体を誇るカナダ代表ビッグアーマー、漆黒の外殻が圧倒的な強靭さをこれ見よがしに顕示し他選手を圧倒している。もう一人は、米国代表スペース兄弟の弟MLBモア・リトルボーイ、極普通の子供の姿なのだが、全身に丸いパッチが貼られている。

「あのカナダの選手、大きくて凄いね」

「いや俊哉君、見掛けと実力とは必ずしも一致しないと思った方がいい」

「えっ、そうなの?」

「この試合を良く見ておいたほうがいいだろう、これからそんな選手は幾らでも出てくるからね」

 ルパンⅣ世が意味深な事を言った瞬間、試合のスタートが告げられた。カナダ代表ビッグアーマーが一気に米国代表MLBに突進した。ビッグアーマーの強烈なタックルを喰らった小さな米国代表の選手が瞬殺されるだろう事は誰もが予想した。だが、大方の予想は裏切られ、小さな米国選手は勢い良く突進する巨大な相手を背負って力任せにぶん投げた。相手は堪らずステージから転げ落ち、消えた。一瞬で身体の小さなMLBが勝利した。まるで柔道か合気道の試合を見ているようだ。柔良く剛を制すだ。

「柔道の試合みたいだ」

 引き続いて、準決勝第二試合が開始される。米国代表のスペース兄弟、兄のMBBモア・ビッグボーイが現れた。MBBは、MLBとは真逆で、その巨体を自慢げに見せている。

「スペース兄弟は、全米では有名で、スーパーマシーンと呼ばれている。彼等の技は弟が見せた柔道と合気道を融合させた体術と、時空間操術という時空間を歯車のように回転させる技で相当にレベルが高い。ロックオンすれば、確実に相手にダメージを与える事が出来る。弱点は時間がかかる事だ」

「なる程スゴいなぁ、見た目で判断しちゃ駄目なんだ」

 対戦相手のフランス代表プロテガ・シールドが登場した途端に、MBBの棄権が告げられた。美しい金髪を誇らしげに靡かせるセクシーポーズで観客を魅了するフランス代表プロテガが勝利のコールを受けた。

「どうしたんだろうね、ケガでもしたのかな?」

「なんやろな」

「あれは、いつもの駆け引きだ。兄弟での闘いを避け、しかも兄弟揃ってIVBC代表三人に入るには、この方法がベストだ。MBB選手は、この後三位決定戦で確実にカナダ代表ビッグアーマー選手に勝利するのだ」

 米国代表MLBとフランス代表プロテガとの決勝戦は、MLB選手が棄権した為、欧州代表でもあるフランスの金髪娘プロテガが優勝、準優勝は米国代表MLBとなった。三位決定戦は、米国MBBとカナダ代表ビッグアーマーの一騎打ちとなり、MBBが予想通り勝利した。

 以上により、IVBC欧米代表は以下の三選手に決定した。

「IVBC欧米代表」

◎プロテガ・シールド(仏)、◎MLB(米)、◎MBB(米)

「予備選手」

〇ビッグアーマー(加)、〇プロテガ・ミラス(仏)

 試合見学が終了し帰ろうとする俊哉に、興味を唆るルパンⅣ世の言葉が聞えた。

「俊哉君、スペース兄弟と闘ってみたいとは思わないか。MLB選手とエキシビションという形で可能なのだが」

「俊哉、どないする?」

「やりたい気もするけど、やりたくない気もする」

「どっちやねん?」

 何事にも大した興味を示さない俊哉にとって、「やらない」ではなく「やりたい気もする 」とは「相当にやりたい」を意味している。屋根のないクレイジー・ヤンキー・スタジアムの広さで俊哉の気が大きくなったのか、或いは唯の気まぐれか。

「実は、エキシビションは杏奈君に頼む事になっていたのだがね、帰ってしまったのでどうしようかと考え倦ねていたのだよ」

 俊哉は成り行きでスペース兄弟の弟MLBと闘う事になった。ステージに俊哉が立っている。相手は小柄な、とは言え俊哉と同程度の背丈の米国MLB、ルパンⅣ世によれば柔道と合気道を融合させた体術と時空間操術という時空間を歯車のように回転させる技を使うらしい。何の事やらさっぱり理解出来ない。会場にアナウンスが流れた。

「欧米代表MLB選手(米)とアジア代表木村俊哉選手(日)とのエキシビションマッチを行います」

 試合が始まった。MLBは、相手の手の内を探るように、じりじりと間合いを詰めて来る。俊哉にはそんなスキルはない。「相手と闘いたい」気持ちはあるが、柔道も合気道も誇れる程に練習していない。俊哉は、勢いでステージに立った事をちょっと後悔している。

「You are Toshiya? I will try to see how much power you have.(お前がトシヤか、どの程度なのか試させてもらうぜ)」

 MLBは、いきなり両手を翳して右に回転させた。何故か呼応する俊哉の身体が右に一回転した。叩きつけられた俊哉が苦痛に顔を歪ませる。想定を超えたあっけない状況に納得のいかないMLBは、今度は左周りに回転させた。今度もまた呼応する俊哉の身体が左に一回転した。再度叩きつけられた俊哉は泣きそうな顔をした。MLBは呆れた顔で立ち尽くしている。

 予選ゲームで闘った忍者の末裔の術に似ている。この超能力を操るような『時空間操術』に対抗する方法はないだろうか、右手を翳すいつものルーティンが発動するが、いつものようにニューロンが踊り出す事はなかった。時空間操術のせいなのか、身体も動かない。思考領域の変化もない。

 瞬発力だけ思考の俊哉は考えた。これは超能力と一緒で、手を触れずに物を動かす力など理屈に合っているとは言えない。だが、超能力者だけは特別ルールの枠内でこの世界のルールの理屈に合っているのだという事になっていた。超能力はOKなのだからこの時空間操術もアリなのだろう。では、殆ど身体が機能しないこの状況で、対応策はあるのか……ない。

 MLBは意気が上がらず、意気消沈のまま言った。

「Are you crazy? This is the end. (お前、全然ダメじゃん。これで終わりだ)」

 MLBは再び両手を翳して上方へと促した。呼応する俊哉の身体は徐に中空へと浮き上がり、空中で停止した。そして一気に真っ逆さまに武道場へと落下した。MLBは「The end」と呟き、最後の状況を見る事もなく背を向けた。

 俊哉は抗う事も出来ずに地上に激突するしかない絶望的な劣勢の中で、本当に対抗する術は皆無なのだろうか。このまま地上に叩きつけられて、ボコボコにされゲームオーバーになるのだろうか、と自問した。

 抗う術はない……いや、一つだけある。そもそも、こんな強敵と互角に闘う事なんて出来る筈などないし、況してや勝利する事など考えるだけ無駄な事なのだ。それはかなりの高確率で言い切る事が出来るだろう。だが一つだけ、この絶望的な状況だけは変えられる。これも相当な確率で言い切る事が出来る、一矢報いる事は可能だ。

「カミさん、いつものアレ・」

 俊哉の呟きを、神は一瞬で理解した。MLBの背中側のステージから白い煙が上がると、会場に響きが起こった。地上に激突する俊哉の身体が空中で静止し、方向を変えたのだ。

 何事かと振り向いたMLBの顔面に向かって、俊哉が頭から突進した。MLBと俊哉は激突し互いに失神した。勝負は最後の最後で引き分けとなった。

 勝利を確信し背を向けたMLBは、きっと狐に摘ままれた思いに違いない。俊哉は、いつものように神との連携による超電導でステージから落ちる軌道で静止する事によって、正に一矢報いたに過ぎない。俊哉にはそれが精一杯の抵抗だった。

 予想を超えた対戦の内容に、ルパンⅣ世は嬉しそうに目を細めた。神が褒め称えた。

「俊哉、凄いやんか。欧米代表と引き分けや、実質お前の勝ちみたいなもんやで」

「僕には技なんて何もないからさ、出来る事をやっただけだよ」

「確かに、俊哉はいつも行き当たりばったりやもんな」

「いや俊哉君、それこそ最も必要となる究極の力なのだ」

 愈々、第三回IVBC、世界バーチャルバトルゲーム・チャンピオンシップが開幕した。

 会場は、世界バーチャルタウンに建設されたワールド・ハピネス・スタジアムだ。バーチャル世界野球、バーチャル・サッカー・ワールドカップにも使用されるこの会場に、それぞれに出場選手達が姿を見せていた。赤ダッグアウト部分に前回前々回勝利の電脳ソルジャー軍代表のブースが並び、その反対側青ダッグアウト部分に電脳魔人軍のブースがある。そこにGDグラッド・デビル麒麟がいると予想される。

 電脳ソルジャー軍ブースには、日本代表の忍、杏奈、俊哉と監督のルパンⅣ世及びPG、欧米代表のMBB、MLB、プロテガ・シールド、予備選手のプロテガ・ミラス、ビッグアーマー 計8人の選手と監督及びPG試合開始を待っている。

 電脳ソルジャー軍は既に緊張感がマックスに達している。興奮気味に赤い顔の局長ルパンⅣ世は緊張を振り払うように語気を強めて3人に告げた。

「このIVBCの対戦ルールを確認しておこう。大幅な変更がない限り、前回と同様1対8のバトル戦になる。我々3人を含めた代表8名が順に電脳魔人GDグラッド・デビルに挑戦して優勝が決まるのだ。対戦順はくじ引きだ。仮に一回戦でGDに当たったとしても、全力を尽くそう」

「変なルールだね、GDの選手だけが八回も闘うんだ」

 俊哉は首を傾げた。この試合はトーナメントではなく1対8の勝ち抜きハンデ戦らしい。それだけ相手が強いという事なのか。

「詳細も確認しておこう。ゲームは個人対戦バトル、今回GDの出場選手が麒麟かどうかはまだわからないが、相手からポイントを奪ってゼロにして消滅させたら勝ちだ。誰かがGD出場選手を倒した時点で試合終了となる。試合時間は各1時間、引き分けは両者とも失格し消滅する。出来れば君達の内の誰かにGD選手を倒してもらいたいが、取りあえず電脳ソルジャー軍が勝利する事が必須の命題となる。GDはおそらくは麒麟だ、その飛び抜けた強さは君達も知っての通りだ。焦らずにいこう」

 ルパンⅣ世の諄い話など耳に入らない程に忍、杏奈の顔に緊張と不安が見える。これだけの観客を前にして平常心でいられる方がどうかしているのだろうが、俊哉には緊張感さえ良くわからない。

 第三回IVBC、世界バーチャルバトルゲーム・チャンピオンシップが始まった。

「な、何だと?」

 その時、尋常ではないルパンⅣ世の驚嘆の声がした。

「な、何で?そんな馬鹿な、ヤツ等が8人・」

 俊哉を含む3名の日本代表選手を率いるルパンⅣ世は、出場選手トーナメント表を見て驚愕した。

 赤い顔は見る間に青褪めていく。日本代表だけでなく欧米監督と代表選手達も同様に愕然とする様子が見て取れる。

 大会前の暗黙の了解として、出場選手は前回と同様1対8で一回戦から決勝までの8試合勝ち抜き戦を行うものと決まっていた。8試合の中で何とかGDを排除する事が、このIVBCの目的であり唯一出来る事だった。

 だが今回は、何故か全出場者数が計16名と二倍に増え、しかも出場選手16名の内の、8名がGDか或いはその他のサイバーテロリスト達だという。本来ある単純なトーナメントになるのだが。

 第1回の勝利も第2回の勝利も、GD1人を数の力で何とか倒す作戦が可能だった。それでも、どちらも決勝まで残る麒麟を、ほんの紙一重で倒す事ができたのだ。それが現実だった。

 必然的に試合数は7試合増えて15試合となるのは仕方がないとしても、唯でさえとんでもない強さを誇るサイバーテロリスト達が半数もいるなどという常軌を逸したこの状況を、どう理解すれば良いのだろうか。

 数だけで考えても、ヤツ等が勝つ可能性は前回、前々回など比べ物にならない程飛躍的に跳ね上がる事になる。それは、麒麟他のGDが優勝するという現実的悪夢の可能性が数字以上に爆上げするという事を意味している。ルパンⅣ世と選手達は、唯々呆然とブースの前で立ち尽くす以外になかった。

 主催者側からの事前の通達などは一切なかった。今になって大会側から配布されるトーナメント表に、8名全員がGDその他の参加選手と対戦する記載がある。

 既に対戦カードも対戦準も確定している。まず第1試合が行われた後で一回戦の残り7試合が行われ、その後決勝戦までの全試合が順次行われる事となる。第1試合はは俊哉対GD爆喰。

 ヤツ等が世界制覇を宣言した後、第1回、第2回と敗れ去り、焦って大会運営者を買収でもしたのだろうか、悪びれもせず随分堂々とした登場だ。何れにしても、このIVBCを勝ち抜かなければ、例えGDといえどもネット世界を支配する事はできないのだ。だが、半数がテロリストだなどと誰が予想できただろうか。ルパンⅣ世が悲嘆に暮れるのも無理はない。遂に電脳軍の敗北、世界の終わり、人類滅亡の日がやって来るのか。

「という事は、全員が1回戦からヤツ等と闘うのか」

「そんなの無茶だぜ・」

 GD麒麟の桁外れの強さを知る悲壮感漂う局長ルパンⅣ世の横で、忍、杏奈は魂を抜かれたように絶望的な顔をしている。鼓動が高鳴り、緊張感が一気に膨れ上がる。

「わかりやすくて、いいじゃん。そもそも、GDの選手だけが八回も闘うなんて変じゃんか」

 世界の滅亡を予感している弱気な三人とは逆に、俊哉は軽い調子で言った。

「今更言っても仕方がないよ。大丈夫、負けなきゃいいんだから」

「それはそうだが・」

「大丈夫、まずはボクが一勝してくるからさ」

 根拠は不明ながらも俊哉の言葉が頼もしい。ブザーとともに、弱気な三人だけでなく欧米代表選手達も興味深く見据える一回戦が始まった。

 第1試合会場で俊哉とGD爆喰が対峙する。試合を凝視する関係者や各選手達の、異常な緊張感が伝わって来る。

 白と黒の二色のフードに身を包むサングラスの男は、挑戦的に俊哉を指差している。試合会場の壁ボードには両選手の名とともにそれぞれのポイント数10の数字が見て取れる。俊哉10・爆喰10。

 GD爆喰は相手を探るように俊哉に話し掛けた。

「君が噂の小学生?僕はGD爆喰、GDの中では下っ端に過ぎないけど、君が僕に勝つ可能性は殆ど零%だよ」

 俊哉は相手を全く知らないが、味方と言わず敵と言わず俊哉は随分と知られているようだ。

「俊哉、結構有名人なんやな」

「別に嬉しくはないけどね」

「君の勝つ可能性が「ゼロではなく零」だと言った意味がわかるかい?」

 男は、得意げな顔で俊哉に向かって何やら勝手に質問を始めた。

「わからなければ、まずこのゲームは僕の勝ちだよ」

「そんなの知ってる。零はゼロとは根本的に違う。零は限りなくゼロに近いけどゼロじゃないって意味。だから、TVの天気予報は「雨の確率は零%」って言わなけりゃいけないんだよ」

「あらら、知ってたのかぁ」

 IVBC1回戦が既に開始されているらしいのだが、俊哉には開始しているのかしていないのか良くわからない。いつまで経ってもバトルらしきものは始まらず、いつの間にかボードの数字が変わり、俊哉のポイントが増えている。どうやら、そういうゲームが既に始まっているようだ。俊哉12・爆喰8。

 試合は続く。爆喰は言った。

「僕には同じ生年月日の血の繋がった兄がいる、でも僕達は双子じゃない。僕達は何だ?これは難しいから良く考えた方がいい。このゲームは1問でポイントの1/5を賭ける事になっている」

「そんなの簡単、三つ子かそれ以上だよ」

「ありゃ?」

 まるで謎なぞでもやっているようだ。これが本当にバトルゲームなのか、拍子抜けだ。ボードが変わる。俊哉14・爆喰6。

「今度はかなり難しいから、覚悟しなよ」

 爆喰が本気になった。

「ナイル川の河岸で人食いワニが子供を人質にとり、その母親に「自分がこれから何をするか言い当てたら子供を食わないが、不正解なら食う」と言った。子供を救うには母親は何と答えたら良いか?これは相当難しいよ」

「何だ、そんなのちっとも難しくない。「食べる」って答えればいいんだよ」

「せ、正解だ、何故わかった?」

「「子供を食べる」が正解だった場合、ワニは子供を食べようとするけど、正解なので子供を食べる事ができない。「子供を食べる」が不正解だった場合、子供を食べる事になるけど、食べると正解になってしまうので食べる事ができないんだ」

「良くわかったね」

「こんなの当然だよ。だって、それは不思議の国のアリスの作者ルイス・キャロルの『ワニのパラドックス』だからね」

 次々にボードが変わる。俊哉16・爆喰4。

「くそ、次・」

「チッチッ、次はボクの番だよ」

 次から次へと問題を出し続ける爆喰を遮って、俊哉が果敢に問題を出した。俊哉は決して社交的ではないが、順応性は異常な程に高く、雑学は誰よりも好きだ。

「ボクからの問題だよ。ある日、A君がガラパゴスゾウガメと100メートルの競争をした。A君はガラパゴスゾウガメより10倍速い。ガラパゴスゾウガメはA君の先10メートル地点からスタートした。さて、どちらが勝ったと思う?」

「ちょっと待った。君に一つ忠告しておくが、例えば君がこのゲームを小学生レベルの幼稚な謎なぞなんかと勘違いして子供騙しの答えを用意しているなら、それは通用しないよ。即失格になる。それでもいいのかい?」

 爆喰は、明らかに上目線で、小学生俊哉を小馬鹿にしている。

「他人の心配なんかしている場合じゃないと思うけどね」

 小学生俊哉の言葉は爆喰のプライドを傷つけた。「折角教えてやったのに」そんな言葉と舌打ちが聞こえて来た。

「A君の方が10倍のスピードだというなら物理的にはどう考えたってA君が勝つに決まっている、他に答えなんかある筈はない。でもここでガラパゴスゾウガメという固有名詞が出てきた。きっと、それがキーポイントだ。答えは、ガラパゴスゾウガメの寿命は100年以上と言われているから長生きだ。だから、『A君が死んでからも歩き続けて、結局ガラパゴスゾウガメが勝利する』だ」

 そう言い切った後、爆喰は手を挙げて「BET・UP」と叫んだ。

「特別ルール変更を認めます。爆喰選手のプレゼンポイントは4Pとなりますので、この問題に勝った方が4Pを獲得します。木村俊哉選手、BET・UP2Pを承認しますか?」

 またまた知らないルールが出て来た。知らない事や理解できない事が多過ぎて、驚く事にも慣れてしまった。どうやら、このゲームには掛けるポイントの変更が認められているらしい。ブースの中の誰もがそんなルールを知らず、「何だそれ?」と戸惑いを隠せない。

「全然わからないので、OKです」

「では、試合再開です」

 俊哉は高らかに叫んだ。

「残念でした。答えはね、『A君は、永遠にガラパゴスゾウガメを追い抜けない』でした」

「そんな馬鹿な事があるもんか。その理由を理論立てて説明できるものならやってみるがいい」

 悔しそうな爆喰に向かって、俊哉は得意満面で説明した。

「ガラパゴスゾウガメはA君の10メートル先からスタートしてスピードはA君の方が10倍速いから、A君が最初の10メートルを走った時には、ガラパゴスゾウガメは1メートル先を走る。次にA君が1メートルを走った時、ガラパゴスゾウガメは0.1メートル先を走る。次にA君が0.1メートルを走るとガラパゴスゾウガメは0.01メートル先を走り、A君が0.01メートルを走るとガラパゴスゾウガメは0.001メートル、0.001メートル走れば0.0001メートル先を走り・結局、A君は永遠にガラパゴスゾウガメに追いつけないんだよ」

「そんなバカな。ん、んんん、否定ができない、何故だ?」

 またまたボードが変わった。俊哉16+4=20・爆喰4-4=0。

 俊哉の名前が赤く点滅し、勝利を伝えている。会場が割れんばかりの拍手で俊哉の勝利を祝福した。

「さようなら爆喰さん。因みに、この問題はボクが考えた幼稚な謎なぞじゃなくて、ギリシャの哲学者ゼノンが考えた『アキレスと亀のパラドックス』だよ。これを知らないなんて、まだまだ修行が足りないね」

「俊哉、ラッキーやったな。お前、役に立たん雑学なら負けへんもんな」

 爆喰の姿が消え去った。

「やった、やった」「スゴいぞ俊哉、スゴい」

 ブースに帰った俊哉。カミ、忍、杏奈が諸手を上げて喜んでいる。

「俊哉君が勝てるなら、僕だってやれそうだ」

「ワタシだって勝てるぜ」

 忍と杏奈の表情に明るさが戻った、と同時に二人の出番が来た。

「忍さん、お姉さん、ファイト。まだ一回戦だからね、負けはあり得ないよ」

 励ますつもりの俊哉の一言が、プレッシャーという鋭利な刃物となって二人の背中に突き刺さった。足と手が同時に出ている。それでも、流石に優秀選手である二人とも相手と対峙した途端、獣の如くその眼に獲物を捕らえた。

 一回戦の残り試合開始のブザーが鳴った途端、忍は殴り合いを始め、杏奈は両手にサブマシンガンを携えて撃ち捲っている。それぞれ得意なゲームに当たったようだ。

 一回戦対戦結果、俊哉vsGD爆喰は俊哉の勝利、プロテガ・シールドvsGD森羅は引き分け、MLBvsGD駆魔はMLBの勝利、MBBvsGD天馬は天馬の勝利、忍vsGD竜牙は忍の勝利、ビッグアーマーvsGD麒麟は麒麟の勝利、杏奈vsGD伽藍は杏奈の勝利、プロテガ・ミラスvsGD牛頭は牛頭の勝利。

 プロテガ・シールドとGD森羅は引き分けとなった為失格となり、勝ち残りの選手は、俊哉、MLB、忍、杏奈、GD天馬、GD麒麟、GD牛頭、以上7名となった。

 俊哉はつくづく実感する。このIVBCの勝敗は、トータルなゲームへの対応能力は勿論だが、それ以上に運が必要だ。二回戦に臨む俊哉の前に選手の姿がない。

「どうなってるの?」

「俊哉君、不戦勝だ」

 俊哉と闘う予定の選手、最強軍団GDの森羅がプロテガ・シールドと一回戦で引き分けた為に両者失格、俊哉の三回戦進出が決定した。やはり運こそ最大の力だ。因みに、GD強豪選手の一人である森羅は、金髪娘プロテガ姉の美貌に見惚れてステージから落ち掛けた瞬間に抱きつき、両者共落下したらしい。

 二回戦が始まった。この大会も今までと同様に展開が早い。勝利に酔っている暇などない。会場には数える程の選手しかいなくなっている。電光ボードには、勝利を示す名前が点滅した。その中に俊哉と忍と杏奈の名前があり、当然のようにGDの選手の中に麒麟の名がある。

 二回戦の結果。俊哉は不戦勝、MLB対天馬は天馬の勝利となり、引き続いて、忍対麒麟、杏奈対牛頭の闘いが始まった。

俊哉対爆喰は俊哉の勝利、プロテガ・シールド対森羅は引き分け、MLB対駆魔は

MLBの勝利、MBB対天馬は天馬の勝利、忍対竜牙は忍の勝利、ビッグアーマー対麒麟は麒麟の勝利、杏奈対伽藍は杏奈の勝利、プロテガ・ミラス対牛頭は牛頭の勝利となった。

勝ち残りは、俊哉、MLB、天馬、忍、麒麟、杏奈、牛頭の7名。

三回戦に不戦勝で勝ち上がった俊哉は少なからず興奮していた。勝利の余韻の中で、俊哉に奇妙な自信が纏い付いた。

「ボクはも、しかしたらゲームの天才なのかも知れない。ボクはまだ残っている」

 俊哉は、傲りではない確固たる自信に身体が震える思いがした。次の試合が待ち遠しい。

 会場の4つのバトルステージの内の3つで闘いが続いている。その1つでは、金色に輝く5メートルはあろうと思われる巨大な相手、GD牛頭に杏奈が立ち向かっていた。杏奈が小さく呟いている。

「そもそもコイツのデカさは何だ、盛りのハリボテか?いや違う、ここまで勝ち上がって来る選手が盛ったり身体を改造しただけのハリボテの筈はない。慎重にいかねぇとヤバイな」

「おい姉ちゃん、これは殴り合いバトルだ。来ないならこっちからいくぜ」

 その言葉よりも速く、牛頭は丸太のような腕を振り回した。牛頭のその腕が杏奈の肩を掠っただけの筈だが、杏奈は身体ごと場外に吹っ飛びそうになった。その一発でポイントが減った。

「ヤバい」と態勢を整える暇もなく、二発目の牛頭の太腕が杏奈の左腕にヒットしたが、今度は吹っ飛んだ杏奈の身体が空中で停止した。

「あっ、あれはボクとカミさんの超電導魔法だ」と俊哉が叫んだ。

「何だ、何が起こったのだ?」

 いきなりの状況は、GD牛頭には理解できない。

「ワタシは魔法使いなんだよ」

 牛頭は、理解のできない杏奈の魔法に戸惑いながらも、何とか理屈を合わせようと考え倦ねて攻撃を止めた。杏奈は、そのチャンスを逃すまいと慎重に左のパンチを顎に、右のパンチを鳩尾に繰り出し、向こう脛に前蹴り、立て続けに回し蹴り、後ろ回し蹴りを牛頭の側頭部にヒットさせた上で、頭部に踵落とし、最後に顔面に頭突き。

 確実に、杏奈の攻撃は牛頭の急所を捉えている。今までも身体の大きな選手とは数限りなく対戦し、張りボテであろうとなかろうと、大概のアバターは怒りに任せて殴り倒してきた。おかげで『キチガイ杏奈』の異名を冠する事にもなった。

その杏奈の攻撃が全く効いていない。パンチも、前蹴りも、回し蹴りも、後ろ回し蹴りも、踵落としも、頭突きも、どれ一つとして効果を与えた感触がない。こんな事は初めてだ。何故なのか、その理由を杏奈は冷静に考えた。繰り出した攻撃の内の一つくらい効果があっても良さそうなものだが、全ての攻撃は、暖簾を押すが如く抜けていく。杏奈は、相手の巨大さに無意識の内に怯んだのかとも思ったが、今さら身体の大きな選手に臆する事などある筈もない。この手応えのない感触は何だろう、この何とも形容し難い『抜けていく』感じ……杏奈は俊哉との会話を思い出した。

『ワームホールをつくればいいんじゃないかなって思う』

『ワームホールって、どこでもドアの事か?』

『そう。ワームホールがあれば、時空間を移動できるし、攻撃されてもこっちからあっちへ『空間を抜く』事ができるんだよ』

「ワームホール、どこでもドアで、抜けているのか?」

 牛頭の身体には薄い靄が掛かっている。

「あれがワームホールなのか?」

 杏奈には確信はないが、自分を納得させている時間はない。

「仮定するしかないな。ワームホールで『抜けている』としたら、それは……防御の時だけだ」

「おい姉ちゃん、何をごちゃごちゃ言っているのだ。これで終わりだ」

 またもや態勢を整える暇もなく、武闘ステージ端ギリギリの地点で、三発目の牛頭の太腕が杏奈に向かって飛んだ。この太腕がヒットしたら、確実にステージ外へと飛ばされ敗北確定となるだろう。だが……杏奈が吹っ飛ぶという事は少なくともその瞬間、そこにはワームホールやどこでもドアは存在しないと考えられる。杏奈は決断した、それ以外に賭けるものはない。全てを諦めるのか、はたまたその一点に賭けるか。杏奈の辞書に諦めるという文字はない。杏奈がPGヒカリンに目配せをした。

 三発目の牛頭の太腕が杏奈にヒットする。その紙一重のタイミングでステージ上に白い煙が上がると、杏奈はするりと牛頭の太腕を搔い潜って、押し出すように白い右手の正拳を放った。牛頭は後ろ向きのままで「それは、何だ?」と言い、ステージの外へと飛んで行った。勝負は最後の最後、極端に諦めの悪いNO.031鮎原杏奈の勝利となった。

 杏奈が闘っている横に設置されたステージでは、MLBと天馬、忍と麒麟が対峙していた。MLBは、練習試合で俊哉と引き分けたとはいえ、時空間を操る程の実力者だ。対するGD天馬は、上下スーツのサラリーマン風でとてもバトル戦士には見えない。見た目は中年の紳士でしかなく随分と優しそうだが、油断は禁物だ。

「Are you GD?(お前はGDなのか?)」

 MLBは、相手の余りに柔和な姿に思わず問い掛けた。

「私の名は天馬、我がエターナル・ゾーンへようこそ。歓迎致しますよ」

「Eternal Zone?(エターナル・ゾーン?)」

「そうです。アナタは無限にある時の彼方に身を置く事で、森羅万象を統べる真理を知るでしょう。さぁ、幸福の世界へ自身を解き放つのです」

 まるで新興宗教の教祖に似た胡散臭さは漂うが、その語り口は心地良く流れる春風のようだ。柔らかい風が頬を優しく撫でる。空調の風ではない優しい感触に眼を閉じると、フワッと空を飛ぶ感覚に酔い、身体全体が風に溶けていく。どこからともなく声がする。

「アナタは風になるのです・アナタは誰なのでしょう・アナタは何故ここにいるのでしょう・」

 その言葉に、自問し自身の存在を意識しようとするが、答えは思いつかない。

「Who am I?Why I am here?(オレは誰だ、どうしてここにいるのだ)」

 意識は静かに地に降りる。そして、そのまま身体は地に沈み、汚泥の中で自身に問い掛ける。

「Who am I?Why I am here?(オレは誰だ、どうしてここにいるのだ)」

 語りの波は静かに続き、永遠に終わる事はない。遥かな時に埋もれながら、自らを知る為に寄せては返していく。

「少年よ・自らアナタが何者なのかを知る時・アナタはアナタの大いなる宿命を知るのです・眼を閉じて考えるのです・ヒトはどこから来てどこへ行くのでしょう・」

 語りは更に続き、MLBの時空間技が発動する事はない。

「No. No. No. I am MLB of space brothers. I am Strongman.」

(違う、違う、違う。オレはスペース兄弟のMLB、オレは最強だ)

 MLBは、意識を奮い起こした。そして語りを振り払い時空間技を発動させようとしたが、時は既に遅くMLBはステージの外にいた。

 二回戦、忍は対峙するこの大会最強と言われる相手、麒麟の出方を慎重に見据え、神経を研ぎ澄ました。どんな攻撃が来ようと、何が起ころうと、十分に回避出来る自信はある。反吐が出る程の辛い訓練は決して裏切らない、忍が天才戦士に変わる。麒麟が言葉を投げた。

「ワシには、アバターがどんな姿であろうとも本身が見える」

「煩い、僕に戯れ言はいらない」

「大したものだな、その若さで隙がない。誉めてやろう。だが、『痛み』は知らぬだろうな」

 そう言うと同時に、麒麟は白刃を抜いた。忍が「来る」と身構えた瞬間、何かが身体を突き抜けた。忍は、全身を襲う激痛と吐きそうになる悲鳴を押し殺した。無数の槍が身体を縦に貫き、激痛が走る。痛点をずらし、突き抜ける痛みに耐えた。

「槍と剣、それはルール違反だ」

 この世界では、そしてこのゲームでは武器は一つしか召喚出来ないルールになっている。それにも拘らず、麒麟は堂々と二つの武器を召喚している。

「槍など出してはおらぬよ。それは、槍ではなくお前の心の痛みだ」

「心の痛み?そ、そうか、これは暗示か……」

 忍はそう確信したが、身体は硬直したまま動かない。

「残念だが、ゲームセットだな」

 麒麟の白刃は斜に忍を斬り裂いた。斜断された忍が消え去っていく。試合を見ていた杏奈にとって、あの天才忍者の忍が瞬殺されたのは驚愕だった。忍は消える寸前、杏奈に向かって何かを伝うようとした。忍の唇が「あ・ん・じ」と告げた。

「アンジ?」

 準決勝進出を決めた俊哉、杏奈、天馬、麒麟の名がボード上で点滅している。

 チームブースで俊哉と杏奈は互いに励まし合った。既に俊哉も杏奈も相当に疲労が溜まっている。それは相手も同じ事だろう。休む間もなく準決勝が始まる。

 会場は興奮の坩堝と化し、全てのステージが消えて新たな二つのステージが現れた。ボードには4人の名前が対戦方式で表示されている。俊哉は正体不明の薄気味悪い天馬と、杏奈は二回戦で忍を圧倒した麒麟と闘う事になった。

「俊哉、絶対に勝てよ。ワタシは勝つ自信はないけど、最悪でも引き分けてやるから、お前がそいつに勝てばお前の優勝だ」

「そんな事言わないで、お姉さんも勝ってよ。ボクも勝つから決勝戦はボクとお姉さんでやろうよ」

「バカ野郎、お前とワタシで決勝戦やったら、ワタシが優勝しちまうじゃないかよ」

 そんな強がりを言って微笑んだ杏奈は、後ろ姿のまま手を振った。「Bye・」と、小さな声がした。その声は何かを予感しているのかも知れない。

 ステージに上がり、杏奈は対戦相手である麒麟を見据えながら、寸分も見逃さず観察した。何と言っても、相手はあの忍を一瞬で斬り去ったあの麒麟だ。緊張が身体中を走り回る。

「これは、これは、若いお嬢さんと闘うとは思いも寄らなかったな」

「RGリアルゲーマーが見えるのか?」

「当然だ。私には本身だけではなく、お前の考える事、そして未来が見えるのだよ」

「そうなのか。じゃあ、一つだけ質問がある。二回戦の対戦相手が悲鳴を上げたのは何故だ?」

「二回戦の悲鳴?お前と同じアジア代表か。世の中には知らぬが良い事もあるがな」

「勿体付けるなよ、オッサン」

「どうしてもと言うならば、教えてやろう。それはな、『痛み』だ」

「『痛み』とは何だ?」

「身体ではない、心で知る痛み・それはお前自身を抉る痛みだ」

 麒麟は薄笑いを浮かべる。杏奈は条件反射のように身構えた。

「見よ、天空より悔恨の雨だ。今ならばまだ間に合うぞ、逃げ出せ、全てを捨てて逃げ出せば痛みがお前を襲うことはない」

「逃げる?そりゃいい方法だな」

 杏奈は全身の神経を一点に集中する。天空からの攻撃か、いや違う、天空には何もない。そして忍は「アンジ」と言った。即ちこれは暗示、マインドコントロールに違いないのだ。杏奈はそんなものには堕ちない自信がある。

 麒麟が白刃を抜いた。予測通り、手の内のわかっている痛みなど降って来ない。

 杏奈は忍の伝えようとした言葉「アンジ」をもう一度予測した。アンジは、やはり暗示だ。その証拠に何も降って来る事はない。杏奈は意識を切り替え、「いける」と判断した。

 その瞬間、何かが頭上から全全を貫いた。杏奈は堪らず悲鳴を上げた。槍だ、無数の鋭利な刃物に貫かれ、激痛が身体を硬直させる。

「その痛みは疲弊したお前の心の痛みであり悲哀だ。思い出すが良い、お前の心の中にある苦しみは、その痛みとともに解放されるのだ」

「クソだ。こんな子供騙しなんか、ワタシには通用しない」

「これは凄いな、相当な精神力だ、いや幼児性と言うべきか。この攻撃は最強だが、子供と動物には効かぬのだ。お前にはまだ幾らかの子供の無垢さが残っているという事なのか」

 杏奈は苦痛に歪む顔を隠して強気にそう言ったが、身体は硬直したまま動かない。次に同じ攻撃が来たらもう立っている事さえできないだろう。

 麒麟が余裕を示すように言った。完全に舐め切っているのがわかる。

「では別の攻撃に移る事にしよう。まずはその痛みを解放した上で撃ち合いなどどうかな、私はこの刃でお前の弾など簡単に撃ち落とす事ができるぞ」

 麒麟の暗示が解け、身体の硬直が消えた。

「ハッタリ咬ましてんじゃねぇよ、オッサン」

 拘束から解き放たれた杏奈は、咄嗟にMP7サブマシンガンを召喚した。相手から撃ち合いを要求されるとは千載一遇のチャンスだ。マシンガンを持った途端に、杏奈の細胞が震え躍動した。震動がリズムを刻み、音を奏でる。撃ち合いはリズム、そしてロックンロールだ。

「いくぜ、覚悟しな」

 麒麟は刀を中段に構えたまま動かない。杏奈の高鳴る8ビートが容赦なく火を吹いた。耳を劈く破裂音が心地良い。猛り立つ鼓動とともに世界がロックのリズムに踊り出す。こうなった杏奈は無敵、キチガイ杏奈の異名はダテじゃない。どんな相手だって木っ端微塵に粉砕してやる。

 その杏奈の目の前で、甲高い金属音がした。杏奈のMP7から放たれる狂った弾丸が麒麟に命中する瞬間、鋭角に軌道を変えられていく。麒麟の刃は切っ先を踊らせ、労する事なく飛び来る弾丸の軌道を変えていく。

 唐突に、カチン・とMP7が空虚な音を立ててロックのリズムを停止した。突然の静寂が辺りを包む。杏奈は永遠に何もない虚無な深閑が大嫌いだ。己の存在さえも包み込む。それは存在の否定でしかない。それは、いつか訪れる弾切れという必然性ではあっても、俄には受け入れ難い現実。真っ白な戦慄の空間が襲って来る。再び身体が硬直する。凍えそうだ、心が痛い。

「どうだ、静寂の中で凍え死ぬ気分は?お前のように、中途半端な大人と子供の間で成長しない者は、心の穴に静寂を振り掛けるだけで凍えてしまうのだよ」

 麒麟の声は、頭に刺さるように響いて来る。動くのは飛びそうになる意識だけで、身体は凍りついて動かない。

「娘よ、残念ながらゲームセットだ。楽しいパーティーだったぞ」

 麒麟は躊躇なく白刃を斜に振り下ろす。杏奈は最後の気力を振り絞って「待て」と右手で刃を遮った。最早、歩くのが精一杯だ。

「棄権・するしかない」

「賢明なる選択だ」

 杏奈は、麒麟に倒れ掛かりながらもやっとの思いで歩き、ステージを降りる寸前で踵を返した。杏奈が右手に何かを持っている。

「何だ、それは?」

 杏奈の手から白い煙が出ている。麒麟は瞬時に正確な状況の把握ができない。

「この場に及んで、まだ何かをしようとするのか?」

「残念なのは、オッサンの方だ」

 いつの間にか麒麟の背中に貼られたネオジム磁石、そして杏奈がその手に持っているのは液体窒素で冷却した超電導体、この二つが何を意味するのか。麒麟は明らかに杏奈との実力差に胡坐をかいた、そこに隙が生まれた。そして、杏奈の一発逆転成功の条件は揃った。

「な、何だ?」

「地球の果てまで飛びやがれ」

 杏奈は疲弊した身体を奮い立たせて突進し、白い煙を発する渾身の正拳で麒麟を突いた。その衝撃で、麒麟はステージ端まで吹き飛んだが、ギリギリの位置で踏み止まった。

「な、何故?」

 それは、どう考えても不思議だった。杏奈の超電導パンチの威力はこの程度のものではない。麒麟の油断を誘い、一世一代の大芝居で最後の作戦が成功したのは間違いなかったのに、何故か麒麟をステージ外に吹き飛ばす事はできなかった。麒麟は笑い出した。

「残念だったな」

「何故?」

「これが何かわかるか?私の腕には電磁石が埋め込んである。この磁石のプラス極でお前の持っているマイナス極を相殺し、超電導の威力を半減させたのだ。」

 麒麟は右腕を示しながら言った。得意げな物言いが鼻につく。

「知っていたのか。何故、わかった?」

「お前は良い才能を持っている。ハッカーならきっと成功するに違いないだろうが、まだまだ経験値が低い。どんなに誤魔化そうとも、お前のその眼は闘いを諦めてはいなかった。故に、白い煙を液体窒素と想定し超電導を予測したのだ。尤も、それが超電導でなければ私の敗北となっていただろうがな」

「ちっ、バレちゃ仕方ない」

「さらばだ。またいつか闘いたいものだ」

「嫌なこった」

 杏奈は、どうにかして麒麟の精神攻撃が暗示だという事を俊哉に伝えようとした。だがその瞬間、麒麟の暗黒魔導剣が杏奈を斬り裂いた。鮎原杏奈の姿が消え、麒麟の決勝進出が決定した。

 一方、隣のステージで戦う俊哉は、天馬の瞬間移動に闘う気力を失っていた。

「瞬間移動なんてルール違反じゃないか。あっ、また消えた。何だよ、こんなのなんて、インチキだよ?」

 天馬は一瞬消え、再び一歩先に現れた。今までも絶対合理性だの理屈に合わないものはダメだのと言いながら、超能力はOKだ、忍術はOKだと、あれやこれや屁理屈で誤魔化されてきた。それが、ここに来て、瞬間移動だと抜かす究極の輩がこれまたOKなのだと言う。呆れてモノも言えない。

「カミさん、この世界は何でもありだけど、理屈が合わないものはダメって言ったよね?」

「そうやな」

「でもさ、瞬間移動なんて理屈が合う訳がないのにありなの?」

「現実世界で瞬間移動はあり得んわな。けど、そもそもこの世界はドットで成り立っとるから、アリなんやな。PC画面でマウスを高速で動かすと矢印が瞬間移動やら分身するやろ、それと同じ事なんや」

「何だよ、それ。あぁイヤだ、イヤだ、もうイヤだ」

 俊哉はこの世界の曖昧なルールに辟易している。その曖昧さのお陰でこれまで自分が勝利出来たのは、取りあえず横に置いておこう。

「何が「理屈が合わないものはあり得へん」だよ。そんなのちっとも理屈が合ってないじゃないか」

「ま、まぁそれはそうなんやけどな」

「この世界のルールを決める管理者はカミさんでしょ、しっかりしなよ」

「そうなんやけど、どこで線を引くのかを決めるんは結構難しいんやで」

「どうでもいいけど、ボク達が負けたりしたら地球滅亡なんでしょ。そうなったら、カミさんどうするつもりなのさ」

 神が捻り出したこの世界の曖昧さ、理不尽さに対する俊哉の怒りは止まらない。

「こんなヤツ、ボクがやっつけてやる。だからカミさん、さっきの答えを考えておいてよ」

 勢いで言い放った言葉が、俊哉の暴れるニューロンを強く刺激する。いつもの、あのルーティンが俊哉の思考領域を爆発的に膨張させる。もう、どうにも止まらない、おぉモーレツだ。

「何が瞬間移動だ、そんなモノは存在しない」

 そう言って、俊哉は考えた。存在しないモノが何故存在するのか。何かがあるのだ、この世界は理不尽でできている。神は言った、本来この世界は全てはドットだと。つまり、ドットという小さなマス目が瞬間移動を可能にしているのだ。

 俊哉の親指と人差し指が回転する。そして膨張する快活なるニューロンは躍動し、思考の光は宇宙を疾駆する。

 そうだ、そういう事なのだ。俊哉は薄ら笑いを浮かべた。奇妙な動きで一呼吸間合いを置き、俊哉は正義の神剣を縦に振り下ろした。

 天魔の悲鳴がした。いきなり、俊哉の刃が捉えどころのない瞬間移動で消えた天馬の身体を、真っ二つに斬った。

「な・何故だ・何故、瞬間移動した俺を斬れるのだ?」

 既に姿は消え掛かっている瀕死の天馬は、俊哉の行動に不思議そうな疑問を投げた。神も理解できず同じ事を訊いた。

「俊哉、何でや、ヤツの動きがわかったんや?」

「簡単だよ。ボクは動態視力がいいんだ、昔やってたリトルリーグは四番だったからね。こんなの変化球を打つのと同じで、変化した先のドットを狙えばいいだけだ」

 天馬は消え、再び現れる事はなかった。

 俊哉の決勝進出が決定した。

「俊哉、大丈夫かぁ。後は決勝戦だけやで、アイツ倒したら世界一やで」

 ブースに戻った俊哉は、言葉もなく椅子に腰掛けたまま眼を閉じた。既に、杏奈の姿はなかった。思いの外、身体はキツい。ここから更に、決勝戦があるのだ。相手はあのGDの親玉、麒麟だ。

 疲れ果てて作戦を練る気力さえない。少しだけ休息がほしいが、決勝戦開始の時はあっという間にやって来るだろう。

 どう闘うのか、いや何故闘うのか、闘う事に何の意味があるのか、そもそも闘うべきなのか、もう十分闘ったのではないか、やめても良いのではないか、こんな苦しい思いをしてまで目的もわからずに闘うなんて愚かなのではないか、そんな疑問が湯水の如く頭に溢れはどこかへ飛んで消えて行く。疑問に答えてくれる者はいない。

「決勝戦をスタートします。木村俊哉、麒麟の両選手は速やかに準備してください」

 主催者側アナウンスと決勝戦1分前を告げるブザーが鳴り、同時に会場全体が暗闇に沈む。ドームの中心に設置された四角い闘いの武闘場、インターネットではあるが世界中の観客達が最後の決勝戦の開始を今かと待ち望んでいる。

 スポットライトに照らされた選手二人が武闘場に歩を進める。プロレスラーかと思う程の大柄な姿を誇示する麒麟、俊哉は緊張に押し潰されそうな精神状態を整える事ができそうにない。この場から逃げる事も、全てを放り投げてやめてしまう事だって簡単だ。それでも、それができない自分が意識の反対側で凝視している。理屈ではない、唯最後まで闘う事を切望する自分がそこにいるのだ。ここで逃げて帰ったら、中途半端が死ぬ程嫌いな母に叱られるに違いないだろうと、俊哉はそんな事を考えて笑った。

 決勝戦スタートが告げられようとした時、突然アナウンスの声がした。 

「ここで、ルールの変更をお伝えします。今回の決勝戦は、通常フリーバトルゲームを含めて三つのゲームの総合成績によって決する事になりました」

 誰がルールの変更をしているのだろうか。関係者であるルパンⅣ世や神でさえ知らないという台本を書いているのは一体誰だろう。

「決勝戦第1ゲーム、フリーバトルの開始です」

 試合開始を告げる声とファーストゲーム開始のブザーが鳴った。麒麟と対峙する俊哉の意識が軽く薄らいでいく。麒麟が怪訝な顔をした。

「これは驚きだな。世界から猛者達が集うIVBCの、しかも決勝戦にお前のようなアバターでない本物の子供が出て来るとはな。驚きというよりも興醒めだ。しかも、この場に及んで笑っているとは、気でも触れたか?」

「煩い。ボクは木村俊哉、小学6年生12歳だ」

「今なら間に合う、棄権するが良い。それがお前の身の為だ。子供如きが私に勝てる筈がないであろう、そんな事がわからぬ程にお前は愚者か。私は子供だからと手加減などせぬぞ」

「煩い、手加減してくれなんて言ってない」

「そうか、愚かだな」

「違うよ。途中でやめる事こそ愚かだって、母さんが言ってた」

「母さん・か。ならば、お前の母親に免じて一瞬で終わりにしてやろう。それがせめてもの情けだ」

「決勝戦第1ゲームは対戦バトルです」

 会場に声が響き渡り、観客席のモニターに世界5万人の観衆の歓声が怒涛のように押し寄せる。

 怒りを露わにする白いフードの麒麟が、フードを脱ぎ捨てた。スキンヘッドから上半身に至る褐色の裸体には隙間なく刺青が施されている。サングラスで表情は見えないが、かなりの高齢のように見えなくもない。刺青は麒麟の頭部から顔面至るまで、前面には髑髏、青い龍が彫られている。

「私の刺青姿に驚かぬか、怖くはないのか?」

 俊哉は顔色一つ変える事はない。というよりも、状況が掴めない。

「ほう、中々肝が据わっているな」

 肝が据わっているのではなく、俊哉には麒麟の言葉の意味がわからないのだ。刺青ぐらいは知ってはいるし何度か見た事もあるが、驚き怖がる理由はない。

 麒麟は呪文を唱え、その手に現れた漆黒に輝く黒刃を抜いて、鬼神の如く目の前の俊哉を横一線に斬り裂いた。空気の焦げた臭いがした。麒麟は、その一刀で決勝戦の終了を確信した。必殺の魔剣で子供を容赦なく斬ったのだ、当然の帰結として全ては終了した……筈だった。

 だが、麒麟は己の黒刃が止められるとは予想だにしていなかった。目の前の子供が構えた光り輝く白刃が、麒麟が振り斬った悪魔の黒刃と異名を持つ暗黒魔導刀を止めている。俄には信じられない現実に、最強の電脳魔人と呼ばれる麒麟は仰天した。

「それは、まさか真我天成刀か。何故、お前がそれを持っているのだ?」

「嵐山っていうお爺さんに貰った。ちっとも不思議じゃない」

「嵐山か、そうか。それならば都合が良い。私は前回、そして前々回もその忌まわしき刃に敗れた。だが今回はそうはいかぬ、その真我天成を凌駕するこの暗黒魔導刀で決着をつけてやろう」

 麒麟は余裕の笑みを浮かべて間合いを詰め、力任せに黒刃を縦に振り下ろした。だが、今度もまた正義の刃は当然のように悪魔の刃を止めた。火花の飛び散る鍔迫り合いが続き、終わる気配はない。麒麟が俊哉に諭すように告げる。

「少年よ、私の言う事を良く聞け、お前に『痛み』を与えよう。これは心の痛みだ、耐えるのだぞ、耐える事によりお前の心は解放される、痛みだ、天空より痛みが舞い降りる」

 麒麟は、勝ち誇る声で淡く静かに、そして諭すように囁いた。だが、麒麟の思惑とは裏腹に、俊哉には「心の痛み」も「心の解放」も意味がわからない。天空を見上げたが、何かが舞い降りる気配はない。

「そうか、やはり子供のお前には『精神痛打』は効かぬか。為らば他の『ゾーン』も効かぬだろうな。仕方がない、子供を殴るのは気が進まぬが、本来の格闘ゲームで決着を付けてやろう」

 その言葉が終わらない内に、麒麟の回し蹴りが俊哉の顔面を捉えた。当たる瞬間で避けた筈の攻撃が頬を掠った。

「痛いな。子供を蹴るなんて大人げないよ」

「俊哉、大丈夫かぁ?」

 神の情けない声がする。

「カミさん大丈夫、もう当たらないから」

「何だと、強がるのもいい加減にした方が良いな」

「ウソだと思ったら、やってみなよ」

 麒麟は、左ジャブと右ストレートパンチから右回し蹴り、左回し蹴り、右後ろ回し蹴りへのコンビネーションで俊哉を追い詰めたが、麒麟の攻撃が何一つヒットしない。麒麟の表情に驚きが見える。麒麟のそれぞれの攻撃の度に俊哉の姿が消え、その直後に現れている。

「それは瞬間移動か、誰に習った?」

「誰にも習ってなんかいないよ。準決勝で闘った天魔って人のやっていたのをマネしただけだ」

「何、見よう見真似だと?」

 麒麟は俊哉への見方を変えざるを得ない。唯の子供ではない。『我真天成刀』を持って悠々と闘うだけでも驚くべき事だが、修行もせずに闘った相手の技を見ただけで習得してしまう子供。そんな子供は決して存在しないのだ。

「お前は、能力者か……」

「?」

「どうやら、私はお前を見縊っていたようだ。早々に決着をつけねば下手いかも知れぬな」

 麒麟の動きがスピードを増した。俊哉の顔面に二度三度とパンチがヒットし、その度に俊哉は痛みに耐えながらステージの端まで転がっては起き上がり、再び襲って来るパンチを紙一重で避け続けながら、また起き上がった。決着はつかず、遂にタイムリミットのブザーが会場に鳴り響いた。

「決勝戦第1ゲーム、フリーバトルの終了です」

 ドームの壁に映し出される電光ボードの打撃ポイントは、麒麟109対俊哉87が表示され、が第1ゲームは僅かに麒麟の優勢勝ちとなった。

「引き続き、第2ゲームはクイズゲームです。扉を開けて出口まで走り、クイズに答えるだけです。クイズ3問先取で勝利となります。ゲーム開始」

 展開が余りにも早く、観客さえも流れに追いついていけない。既に第2ゲームが開始されている。

 会場のレイアウトが一瞬の内に変化し、赤と黄色の扉が出現した。その途端に、麒麟は脱兎の如く赤い扉の中に入った。出遅れた俊哉は黄色い扉を開けて内部を慎重に確認するが、その存在が何なのかわからない。扉の中には更に縦、横の仕切りが空間を遮っている。

「これは何だ?」

 立ち尽くす俊哉に、扉の中の麒麟の声がした。

「少年よ、教えてやろう。これは迷路だ。これを抜けなければ出口へは辿り着けぬ。私は神の目を持っている、ゴールで待っていてやろう。精々中で迷わぬ事だな」

 麒麟は何かを天空に放り投げ、迷路空間の中に消えた。

「俊哉、大丈夫かぁ。迷路なんかやった事あるんかぁ?」

「ないよ。一度もない」

 心配そうなカミの質問に、俊哉はきっぱりと言い切った。

「ひゃぁ、俊哉ぁ大丈夫なんかぁ?」

「大丈夫かどうかはわからないけど、これが迷路なら大丈夫、多分」

 根拠があるのかないのかわからない俊哉の自信に、神は返す言葉がない。俊哉は左手を横に上げて仕切り壁をなぞりながら、何かを知っているかのように一気に駆け出した。

 会場の電光ボードには、迷路の平面図全景と麒麟と俊哉の現在地点が示されている。先んじた麒麟は、確認を以って既に迷路の中程まで進んでいる。麒麟はまるで正解を知っているかのように、迷う素振りもなく最短の経路を歩いていく。一方の俊哉は、東端から全てを確認するように走り続けている。スピードは明らかに俊哉が速いが、余りにも無駄が多い。それでも徐々にゴールに近づいている。

 早くも麒麟がゴールした。俊哉はまだ東から北西角の辺りを走っているに過ぎず、迷路の勝敗は既に麒麟の勝利で確定している。麒麟は次の赤い扉に入った。暫くして俊哉もゴールした。

「俊哉、結構良くやったで。どうやって迷路がわかったんや?」

 俊哉は迷路の進み方を解説した。

「そんなの簡単、迷路は全ての壁が繋がっているから、右か左のどちらかの内側を伝っていけば必ずゴールできるんだよ。でも麒麟はどうやってあんなに早くクリアしたのかな?」

「それより俊哉、早ぅ行きや」

「あっ、そうだった」

 解説して首を傾げている場合ではない。ゴールの後でクイズが待っているのだった。俊哉は勇んで黄色い扉に飛び込んだ。

「では、第1問」

 いきなりモニター画面が現れ、クイズが出題された。これが迷路の次のゲームのようだ。

「1+1=12、2+2=44、では6+6=いくつ?」

「そんなの簡単、3612だよ」

「正解」

 神が首を捻っている。

「神のくせにわからないの?掛けた数字と足した数字を繋げるんだよ」

「では次、第2問。TRZはアメリカ、ではIOMはどこの国?」

「日本」

「正解」

 神がまたまた首を捻った。

「TRZの一つ後の文字はUSA、IOMはJPNだから日本だよ。昔のSF映画にコンピューター『HAL』って言うのがあって、それがアメリカのIBMの事なんだって父さんが言ってた」

「そんな事まで知っとんのかいな」

「正解。木村俊哉選手3問正解で、第2ゲームクリアです」

「俊哉、走れぇ」

 俊哉が黄色い扉を開けてゴールした。そこに自信に満ちた麒麟が立っていた。

「残念だったな、少年。このゲームも私の勝ちだ」

 麒麟の不敵な笑いが気に障る。第二ゲームも麒麟の勝利。

「あれ?」

 会場がざわついている。理由は電光ボードの黄色いランプが点灯しているせいだ。

「唯今、審議中です。お手持ちの投票チケットはお棄てにならないよう。ご注意ください」

「カミさん、どういう事?」

「麒麟のランプが点滅しているんやから、何かルールに引っ掛かる事があったんやろな」

「唯今、審議が終了しました。麒麟選手にライドアウトがあった為、第2ゲームの勝者は木村俊哉選手とします」

 第2ゲームは、何故なのかわからないままに、俊哉が勝利した。理由は不明だが、これで対戦は1勝1敗となった。会場へ状況説明のアナウンスが流れる。

「麒麟選手が鳥型ドローンを使って上空から迷路を見ていたので、ルール違反ではないものの、公平性の観点からライドアウトとなります」

「それで、あんなに速かったのか。でもカミさん、ルール違反じゃないなら何故負けなの?」

「そやから、公平性の観点からやな」

「公平性?」

 俊哉の顔が見る間に膨らみ口がへの字になった、絶対に納得がいかない。理屈に合わないものはルール違反と言いながら、超能力はOKだ、瞬間移動はOKだ、身体に埋め込んだらOKだ、と能書きをグダグダと都合良く並べているくせに、今更何が公平性だ。ドローンをで迷路を空から確認する、ドローンは武器ではないから幾らでも召喚出来る、屁理屈よりも百万倍クレバーな作戦ではないのか?

 俊哉は憤りを感じた。今はっきりとわかった。そもそもこの世界には公平性など存在していない。全てが不公平であり、全ては屁理屈ありきで動いている。俊哉は、腹立ち序に麒麟に告げた。

「あの、残念でした。でも、ボクはルール違反だとは思わないし、ボクが勝ったとも思っていない」

 俊哉の言葉を、麒麟は人差し指を左右に振って否定した。

「少年よ、それは違う。世の中は現実であれ仮想であれ、全てルールに縛られている。何故なら、ルールなしに世界は成り立たないからだ。そしてルールとは常に不公平であり理不尽なものであり、恣意的で、利己的なものなのだ。それを否定したところで何も産まれない。それを前提として乗り越える者こそ、勝利者と呼ばれるのだよ。私はこんな事など想定の内だ」

 俊哉には、他の誰よりもネットテロリストであり大悪人であるGD麒麟が常識人に見えた。

「さて皆様、最後の第3ゲームの対戦となりました。最後は『株トリゲーム』です」

 会場内に高々と声が響く。興奮の坩堝と化した会場は声援一色に染まり、何も聞こえない。

「カミさん、『カブトリゲーム』って何?」

「株や、予選の時にTVTで株買ったやろ、あの株や」

「残念だな少年、株投資などお前のような子供にはわかるまい。私は株の神と呼ばれている。子供に株とは酷な話だな」

 麒麟の言葉に、俊哉は微かに笑った。13,000円をカンだけで500,000円にした、あの株だ。ちょっとだけ自信がある、俊哉はそんな顔をした。

「ん、自信があるとでも言うのか。だが、無駄だ。私に勝てる必然がない」

 ルール説明のアナウンスが聞こえた。

「ルールは簡単。一銘柄の株に、それぞれ保有100ポイントを10のクエスチョンで売買し、どれだけ増やしたか。唯それだけです。情報としては会社業績、四季報、チャートを見る以外は全て禁止、インサイダーとなる情報取得はルール違反、即失格となりますので注意してください」

 ゲームとはいえ、何という事だ。株式投資で、小学生に大人と勝負しろと言うのか。やはり、この世界は真面ではない。そもそも争う意味がないし、小学生に勝ち目など端からないではないか。

「投資する銘柄の会社資料は、四季報と最新チャート、会社側から出ているIRのみです」

「少年よ、四季報の読み方さえ知らぬのではないのか?勝負にならぬよ」

 麒麟の余裕綽々の思いが嫌味な顔に出ている。俊哉は沈黙し、集中した。

「では、最後の第3ゲーム、『株トリゲーム』スタートです」

 アナウンスが終わると、黒いタキシード姿のゲームМCが現れ、晴れやかな声で言った。 

「では第1クエスチョンです。対象は東証プライム上場のセントラル重電株式会社、この株を買うか、買わないか?」

 対象となる銘柄が特定された。麒麟は四季報とのチャートに目を遣った。

「5週連騰中か。この株は随分と勢いがあるな。業績は右肩上がり、PER10倍で配当ありか、では50ポイント買いじゃ」

「ボクは買わない」

「少年よ、株とは買わねば増えぬものだという事を知れ。それを知らねば勝負にならぬぞ」

 株価が上がっていく。

 麒麟は「どうだ、言った通りであろう?」とでも言いたげに、得意満面で俊哉を見ている。俊哉は麒麟の表情など気にする素振りも見せず、一心に何かを見ている。

「では第2クエスチョン。次の状況で、株を買うか、買わないか、売りはないか?」

 株価は上昇し、下がる気配はない。

「まだまだ勢いがあるな。PER12倍か、更に50ポイント買いじゃ」

「ボクは買わない」

「少年よ、駄目じゃ。お前などに株を理解する事はできぬよ」

 株価は更に上がっていく・が、上昇が止まった。

「ん、天井か?いや、PERは15倍。まだイケる筈じゃ」

 株価が一気に下がった。

「ん、何が起きた。利益確定売りか?仕方ない、一旦売りじゃ」

 麒麟が売却した途端に、株価は更に急激に急落した。麒麟は何とか売り抜けたが、結局±ゼロとなった。

「次は第3クエスチョン。この状況で、株を買うか、買わないか、売りはないか?」

 株価は一気に半値まで下落した。

「半値とは随分と下がったな。これ以上の大した下げはない、下がったところで半値八掛けだろうからな。50ポイント買いじゃ」

「ボクは買わない」

「勝手にするが良い。だがそんな投資では100年経っても増えぬぞ」

「俊哉ぁ、大丈夫かぁ?」

「大丈夫だよカミさん。ボクが負ける事はない」

 麒麟が呆れ気味に言った。

「ほぅ、大した自信だが、何もせずに100のままで逃げ切ろうと考えておるなら、それは間違いじゃ。それでは、到底私には勝てぬ」

 俊哉は只管何かを見ている。いや、何かを待っている。

 株価は下げ止まらない。半値、八掛け、二割引になっても反転する気配はない。

「う、売りだ」

 麒麟の持ちポイントは60(▼40)となった。俊哉のポイントは100(±0)のままだ。

「さぁ、愈々第4クエスチョンです。この状況で、株を買うか、買わないか、売りはないか?」

「ボク100ポイント全部買います」

「少年よ、そういう買い方を無謀というのだ。これはな、既に下げ相場に入っている。ここは買いではなく売りだ。最安値を更新するだろう。私は買わぬ」

 麒麟が買わず、俊哉は全力で買いを入れた。株価は最安値に並び、コツンと止まって雰囲気を変えると反転し、一気にグンと20%上がった。

 麒麟のポイントは60(▼40)のまま。俊哉のポイントは120(△20)。

「さぁ、後半の第5クエスチョン。この状況で、株を買うか、買わないか、売りはないか?」

「私は全部買いだ」

「ボク全部売ります」

「何だと?株はな、20%程度の上昇で売るものではない」

「煩いな、売りと言ったら売り」

 株価は、麒麟の予想を裏切って、俊哉の予想通りに見る見る内に下落した。上がった20%の株価が消えた。

 麒麟の持ちポイントは48(▼52)。俊哉のポイントは120(△20)。

「俊哉、スゴいやんか。今のところ、俊哉の言う通りに株価が上がって下がったで」

「さて、後半の第6クエスチョン。この状況で、株を買うか、買わないか。売りはないか?」

「私は全部売りだ」

「ボクは、全部買います」

「何じゃ、更に下がるとは思わんのか?」

「思わない。上がる準備完了だからね」

 またも株価は俊哉の言う通り上昇に転じ、躊躇する気配も見せずグングンと上がっていく。株価は二倍になった。

 麒麟の持ちポイントは48(▼52)。俊哉のポイントは240(△140)。

「後半の最終コーナー第7クエスチョン。この状況で、株を買うか、買わないか。売りはないか?」

「私は全部買いだ」

「ボクは、そのままでいいです」

 株価は一直線に上昇し、3倍を超えた。

 麒麟の持ちポイントは96(▼4)。俊哉のポイントは360(△260)。

「後半の最終コーナー第8クエスチョン。この状況で、株を買うか、買わないか。売りはないか?」

「私はそのままだ」

「ボクは、全部売りです」

 株価は今度もまた俊哉の予想に沿って調整を始め、半値までスピードを速めて下降した。

 麒麟の持ちポイントは72(▼28)。俊哉のポイントは360(△260)。

「最終コーナー第9クエスチョン。この状況で、株を買うか、買わないか。売りはないか?」

「私はそのままだ」

「ボクは、全部買い」

 下降していた株価が反転し、とんでもないスピードで上昇した。全てを蹴散らす如き上昇に唖然とする。株価は更に2倍となった。

 麒麟の持ちポイントは144(△44)。俊哉のポイントは720(△620)。

「これが最後の第10クエスチョン。この状況で、株を買うか、買わないか。売りはないか?」

「ボクは、全部売ります」

「私はそのままだ」

 俊哉の予想に反して、株価の上昇は止まらない。麒麟のポイントが俊哉を超えた。

「やった、私の逆転だ」

 だが、ゴール寸前で株価は急降下した。

 結果、麒麟の持ちポイントは780(△680)となり、俊哉のポイントは800(△700)で、最後のクエスチョンを終了した。

「やったで俊哉、優勝やで」

「ボクが勝ったの?」

「そやで、優勝や」

 はしゃぐ神の声が聞こえた。既に、ドームには杏奈も忍もルパンⅣ世の姿さえない。

「少年よ、何故株価を読む事ができのだ?」

「ボクはチャーティストだから、チャート通りに買って売っただけだよ」

「では、最初のクエスチョンで買わなかったのは何故だ?」

「チャートで見る限り、クエスチョンスタート時点で底をつけてからの山でかなり高く買われていて、山をつけた後の下げになっていたからだよ。PERが10倍以下というのは低いけど、それよりも二番底を待っていたんだ」

「そうか。チャーティスト恐るべしだな」

「違うよ。スゴいのはボクじゃなくてグランビルの法則だよ」

「いやはや、その歳でグランビルを知っているとは大したものだな。また、お前と戦いたいものだ」

「うん。今度もまたボクが優勝するからね」

「いや、次は私だ」

 麒麟と俊哉の笑い声が響いた。いつの間にか、二人の間に世代を超えた不思議な友情が芽生えている。会場には、二人の他には主催者以外誰もいない。

 二人の和む声が終わらない内に、会場に余りにも信じ難いアナウンスが流れた。その内容に俊哉は耳を疑った。

「ここで、最後のルール変更をお知らせします。今回の決勝戦は、通常フリーバトルゲームを含めて三つのゲームの総合成績によって決する事になった旨をお伝えしましたが、変更します。やっぱりバトルが見たいので、最後の最後のゲームで決着という事にします。尚、変更理由は関係者の単なる気紛れです」

 思わず「関係者出てこい」と叫びそうになる。誰がルールの変更をしているのかは相変わらず不明だ。

「では、最後の最後のゲームに移ります。最後の最後はバトルゲームです。ステージから落ちた方が失格です。尚、今までのポイントには全く関係なく、残った方がこの大会の優勝です」

「まだやるって事なの?」

「そうらしいな」

「このゲームに勝った方が優勝なんて変だよ。そんなの聞いてないし、だったら今までのゲームは何だったのさ?」

「少年よ、残念過ぎる程に残念だな。今までの結果は全てチャラ、次のゲームに勝った者が優勝だ。理不尽ではあるが、それこそが世の中の真理だ。いくぞ」

 俊哉は嘆息した。どう考えてもおかしな話だ。このゲームだけで決着をつけるというなら、今まで必死に戦った4つのゲームなど必要はないではないか。バラエティー番組のコントじゃあるまいし、この展開は何だ。

「そんなルールなんて、あり得ないよ」

「笑止、この状況で現実を否定する事こそ愚の極み」

 そう呟いた麒麟は、俊哉の隙を突いて後方から全力で突進した。

「俊哉、後ろやぁ」と叫ぶカミの声に振り向いた俊哉に、麒麟が身体ごと突っ込んだ。俊哉は突差に身体を回転させて麒麟の攻撃を避けた。だが麒麟の波状攻撃は終わらない。

「少年よ、これで最後だ。今度は逃れられぬぞ」

 麒麟はその巨体を前方に傾け、俊哉に向かって突進した。俊哉には既に対抗する術はない。だが、大丈夫だ。どうすれば良いのか、右手を回転させるルーティン。いつもこれで当然のように対応すべき方法が湧き出てピンチを乗り越えてきた。だから、きっと今回も自分でも驚くような素晴らしい解決方法が、ヤツの動きを確実に止める方策が、いつものように、あっという間に、見つから・な・い。

「わっ、ヤバい」

 麒麟の突進は、おそらく止められないだろう。かと言って、ヤツの反動を利用して投げ飛ばす事もタイミングとして無理に違いない。「もう駄目だ」と俊哉が諦めた時、母の言葉が頭を過ぎった。

『全てが思った通りに上手くいく事なんてない。重要なのは上手くいく時じゃなく、上手くいかない時にどうするかって事。駄目だと思った時にもう一度だけ冷静になれるかどうか、それで勝負が決まる。本当に強いとはそういう事なのよ』

「こんな時に冷静になれなんて、母さんムチャクチャだぁ」

 何もかも放り投げたい衝動の海に溺れ、泣きながらそう叫んだ瞬間、クラッシュ・ボム選手から貰ったビタ丸を思い出した。最後の手段と思って、急いで三粒を飲み込んだ。確か『身体が膨張する』と言っていたような気がする。

 直ぐさま、最後の手段の効果は現れた。小学生である俊哉の小さな身体が、グンと膨張した。俊哉の記憶が正しければ『壱丸は身体を二倍にする』筈だ。身体は、更にグングンと膨張して麒麟の巨体の倍程になったが、膨張は止まらない。

 そう言えば、『飲むのは一回に一丸だけ』とも言っていたような記憶がある。今幾粒飲んだのか覚えていない、慌てふためいて全部飲んだ気もする。身体は更に膨れ上がり、麒麟の巨体の五倍程となり十倍程になった。

 十倍体となった俊哉は、余りの自重に躓いて、突進してくる麒麟に覆い被さった。押し潰ぶされそうになった麒麟は、必死に這って逃げながら、最後の力を振り絞って俊哉の巨体を場外へ落とそうと体当りしたが、逆に弾き飛ばされてステージの外ヘと消えていった。

 アナウンスが響く。

「麒麟選手がステージ外へ落ちたので、木村俊哉選手の優勝です」

 電光掲示板に俊哉の名前が点滅し、第3回IVBCもまた第1回第2回に続いて、GDの敗北で終了した。それは、即ちネット世界、そして現実世界、人類滅亡が今回も回避された事を意味している。

「やったで、今度こそ俊哉の優勝や」

 神が嬉しさを全面に出して喜んでいる。俊哉も実感はないが満更でもない。

 だが、この戦いそのものが終了した訳ではない。次回、次々回と再び人類滅亡を企む者達との戦いが続くだろう。その一度でも敗北するような事があれば、その時点でネット世界と人類の未来は絶望を迎える事になる。

 それはルール上仕方のない事としても、そもそもこのルール自体が余りにも大きなリスクを孕んでいる。何故、こんな丁半博打のような闘いに臨まねばならないのか。それは全てあの神のノータリンなセッティングのせいだ。やっと身体が収縮した俊哉は腹立ち紛れに神に言った。

「カミさん、いい加減にこのセッティンを変えてさ、このバーチャル世界を消滅させちゃえばいいじゃん。そうすれば、もしボク達が負けても人類滅亡なんて事にはならないんだからさ」

「それがそうもいかんのや」

「何で?」

「ヤツ等をこの世界に誘引する事に意味があるんや。この世界を消滅させたら、別の世界を誰かが創造るだけなんや。それがヤツ等の関係者だったら、それこそ取り返しがつかんやろ」

 神の説明は一応筋が通っているように聞こえるが、俊哉は納得がいかない。

「それはそうだけどさ、何でバトルなんかやらなけりゃならないのさ?」

「それはな、まず今この瞬間のネット世界は『神システム』が支配している。そやから、現実世界はネット世界とは別の存在なんやけど・」

「だからさ、もう少しちゃんと考えた方がいいって言ってんじゃん、バカ。ボク達が負けないようにセッティングし直す事はてきないの?」

「あっ、また神にバカて言ぅた。神は偉いんやで、バカて言ぅたらあかんねんて」

「煩い、バカ、バカ」

 大勝利の第3回IVBC終了後、神の姿は『アニメに出て来そうな金髪の可愛い男の子』のままで確定したらしい。パソコンの中の丸と四角と線で描かれたイタズラ書きの化け物が、「姿形を変えられてしまう」と大騒ぎした挙句に、結局変えられた姿で納得している。それなら、これまでの俊哉の活躍は何だったのだろうか。

 兎にも角にも、世界は今日も何とか『神システム』のお陰で安全に存在している。

「おい、起きろ」

 俊哉は誰かの呼ぶ声に目を覚ました。声は確かに俊哉を呼んでいるような気がする。目覚まし時計の針は夜中の3時を指している。深夜3時と言えばお化けの出る時間だ、俊哉は暗闇の中でお化けに問い掛けた。

「誰か呼んだ?」

 今でも深夜と言わず早朝と言わず、そして日曜日は当然の如く、神は喧しい声で叫んでいる。その声に慣らされている俊哉が目を覚ますのは不思議ではないが、明らかにこの声は神とは違う。寝惚けているせいなのか、その声には独特の冷たい緊迫感がある。

「俊哉というのはお前だな?」

「誰?」

 俊哉の部屋に巨大な男がいる。状況が今一つ理解不能だ。男は、半起き状態の俊哉に、激しい調子で独断的に告げる。

「俺はブラックナイツの鎖淡だ、とっとと試合の準備をしろ」

「サタン、試合?」

「お前は、暗黒世界最強戦士であるGDグラッドデビルの麒麟を倒した。俺は麒麟を継ぐ者だ」

「キリンって何?」

「俺が、麒麟を倒したお前を潰せば、俺こそが最強となるのだ」

「面倒臭いなぁ。今じゃなくて朝になってTVTでやればいいのに」

「煩い、一瞬でぶち殺してやる」

 少しずつ状況が掴めてきたが、麒麟を倒したのはバーチャル世界TVTでの事だ。ここは現実世界なのだから、ここにネットテロリストがいるのは理屈に合わない。何故VRも着けていないのに鎖淡と名乗る悪者が俊哉の部屋にいるのだろう、それ等の疑問は誰が解明してくれるのだろう、神はどこへ行った?

「ち、ちょっと待った。ここはバーチャル世界じゃないじゃん」

「戯れ言は消えてから好きなだけ言え」

 当然の事ながら疑問の解明などないままに、鎖淡は肩に担いだ鉄製と思しき何かをいきなり俊哉に向けた。大口径の銃口が見える、という事は重火器の類、マシンガンだ。恐らくはM60、破壊力は極端に高い。

「死ね」

 鎖淡には、躊躇する様子など微塵もない。いきなり、俊哉の部屋でマシンガンを撃ち放った。激しく強い敵意が空気を震撼させている。室内という極めて狭い空間で、その制圧力は格段に高くなる。

 俊哉は机を盾にして、床に伏せた。全てを破壊する意思を持って放たれた銃弾は、部屋の中で狂人の如く踊り捲り、部屋の壁を粉砕した。崩れ落ちる瓦礫の中で、寝惚け眼の俊哉は武器を召喚した。ここは現実の世界、召喚など出来る筈はないのだが。

「我・召喚・機関銃・MP7」

 俊哉の結ぶ印、言霊に呼応するサブマシンガンが現れた。武器を手にした俊哉も撃って撃って撃ち捲る。周りにあるものが飛び散り、二人の周りは次第に何もない空虚な世界へと変わっていく。互いの身を抉る幾つもの銃痕が見えるが、怯む事はない。どう見ても俊哉の命中率が高い、俊哉の作戦が功を奏している。不思議がる鎖淡に俊哉が言った。

「こんな狭い場所でそんな大型の銃なんて素人だね、もう少し考えた方がいいよ」

 鎖淡の携えているM60は、全長が1077mm、重量は10.5kg、発射速度は550発/分、限界射程1500m程度のマシンガンだ。一方、俊哉のMP7は全長415㎜、重量は1.9kg、発射速度は1000発/分、限界射程は200mのサブマシンガンだ。

 銃の威力は鎖淡の方が高く、狭い空間でその破壊力は比較にはならない程に増大する。だが、俊哉の部屋程狭い空間では効果は逆。唯一の長所であるその威力は、銃その全長や重量の欠点や取り回しの不便さによって殺され、長過ぎる限界射程距離は命中度を下げる。しかも、弱点としての発射速度には二倍の差があり、装弾数も俊哉のMP7が上回る。シューティングバトルとしては、全てに於いて俊哉の選択に分があるのだ。

 先に弾切れとなった鎖淡は、当然のように俊哉に殴り掛かった。左頬に男の拳が当たった、と同時に俊哉の身体が吹き飛ぶ。俊哉は痛みに耐えながらどうしようかと考えたが、シューティングバトル以外の事は頭になく、思考領域は白一面の雪景色と化している。

 俊哉は唯単純に腹が立った、何故こんな夜更けに小学生が死にそうにならなければならないのか。腹立ち紛れに殴り返した俊哉のパンチを、鎖淡は薄笑いを浮かべ余裕で躱す。

「銃の知識などあったところで闘いには勝てぬぞ。お前の力とはそんなものか?」

 鎖淡が威丈高に言ったその時、俊哉は麒麟との闘いで学習したパターンを思い出した。

『少年よ、相手の攻撃を穴の開く程に良く見るのだ。そして見切るのだ、それが勝利への絶対の近道だ』

 麒麟の言葉が全身を駆け巡る。左から男の右パンチが来る、それを見切って懐に回り込み、回転を利用して大柄な鎖淡を投げ飛ばす。思った通りにはいかないまでも相手は頭から落ちて転がったが、即座に起き上がり、次の攻撃に移る。

 ここはバーチャルバトル会場ではない、ステージから押し出して終了ではないのだ。鎖淡と名乗る目前の男が麒麟を継ぐ者と言うのなら、次はきっとあの闇黒魔導刀が来る。その時が勝負だ。俊哉は既に鎖淡の攻撃を見切っている。

 案の定、黒く光る邪悪なオーラを纏った魔導の刃が鎖淡の手の内で光った。俊哉も白く輝く正義の我真天成刀で応戦する。火花を散らし、鍔競り合うが優劣はつかない。

「所詮はそんなものか、ならばこれがお前の最後だ。お前の身体ごと真っ二つにしてやろう、覚悟 するが良いぞ」

 鎖淡は、切り傷から滴る血を舐め暗黒刀を大上段に構え、縦に振り下ろした。

「駄目だ」と俊哉が諦めを口にすると、どこからか声がした。

『少年よ、世の中には己よりも強い者など幾らでもいる。そんな相手に力で立ち向かう事は愚かだ、己の力のみで最強となるのではなく相手の力をも利用できて初めて最強となるのだ』

 嵐山達人の姿が現れたように見えた。その途端に俊哉の身体は自然に動いた。我真天成刀を逆手に持ち、頭上から降ろされる黒い刃と併行に下から渾身の力で正義の刀を放り投げ上げた。

 男の動きが止まった。俊哉の投げた刀が黒刃を潜って男の喉元を貫いている。

「刀を投げるとは……」

 悔しげに言い放つ鎖淡の姿が消えた。

 俊哉は部屋の中にいた。息絶え絶えだが、部屋は全く破壊されていない。今のは夢なのか?それにしては、闘いの記憶と疲労がリアルに残っている。

 いや、ネットテロリストが現実世界に現れるなどあり得ない、夢に違いない。俊哉も現実では出来る筈のない武器の召喚をした。やはり夢だ。時計の針は深夜3時32分を指している。俊哉は32分間の事の成り行きを順序立てて整理しようとしたが、急激な睡魔に襲われ眠りに就いた。

「俊哉、俊哉、俊哉、大変やぁ」

 時計の針は早朝6時、神はいつものように喚いている。

「あれ俊哉、どないしたん?」

 一瞬目を覚ました俊哉は、一言もなく再び爆睡モードに入った。

「俊哉ぁ、何かあったんかぁ?」

 俊哉は呑気な神の問い掛けに答える事もなく泥のように眠り、目を覚ます様子はなかった。

「局長、GDの残党達がブラックナイツに合流しており、昨夜ブラックナイツの鎖淡なるテロリストがセキュリティラインを突破して、トラップ・ホールからバーチャル世界に侵入しましたが、『TOSHIYA』の緊急発動により撃退。被害は報告されていません」

 警視庁公安部局長田中正孝は、緊急の報告に安堵した。

「そうか。テロリストの侵入も撃退も想定通りとは言え、心臓に悪いな」

「俊哉ぁ、俊哉ぁ、大変やぁ」

 日曜日深夜、喧しいあの声が響いた。目覚まし時計の針が3時を指している。今夜はコンセントを抜くのを忘れた。いつもの事だが立ち上がっていないPCから声だけがする。

「煩いな。黙れ、バカ」

「バカ・て、言い過ぎやん」

「煩い、何時だと思ってんだよ。まだ夜中の3時じゃん」

「それどころやないで。GDの残党が合流したブラックナイツが暴れとってな、そこのサタンちゅうヤツが・」

「何それ、鎖淡って麒麟を継ぐ者の事?」

 パソコンの中で、『アニメに出て来そうな金髪の可愛い男の子』姿の神が小首を捻り、不思議そうに言った。

「何で知っとるんや、お前に敗けた麒麟から暗黒魔導刀を奪って、レベルアップしたブラックナイツの鎖淡てヤツが宣戦布告してきたんやで」

「それなら、昨日の夜来たよ」

「鎖淡ってヤツが来たやて、それでどうなったん?」

「えぇと、あれどうなったんだったかな?忘れた」

「俊哉、そんな呑気な事を言うとる場合やないねん、お前も電脳ソルジャーの一員なんやから。それにPCに果たし状メールが2通届いてるんやで」

「果たし状、それがどうしたの?」

 焦り捲る神とは真逆の俊哉は、寝惚け眼で神の忠告を聞いているが、実は何も考えてはいない。

「果たし状は、そのブラックナイツの鎖淡と、その娘『悪魔三姉妹』からや。どっちゃのメールにも、「近々行くから闘え、逃げたらアカンぞ」て書いてあるな」

 既にIVBCは終了している。何故、俊哉が見ず知らずのネットテロリスト達と闘う必要があるのかを理解出来ない。その内の鎖淡というヤツに至っては、メールが届く前に闘って負けているではないか。何ともアホらしい。

「悪魔三姉妹ちゅう、畏怖、混沌、闇途の三人は、特にヤバいんや」

「イフ、カオス、アンズって、それ名前だよね、何がヤバいの?」

「ヤツ等の精神波動は人の精神を狂わせる、局長がそう言うとった」

「へぇ、そうなんだ、おやすみ」

「おぉい、俊哉ぁ」

 パターンが変わらない。次から次へと新しい輩が出て来ては、何故だかわからないが俊哉が闘う事になる。神の拙い説明からすると、ネットに侵入するテロリスト達を退治する為の戦力として、俊哉は既に電脳ソルジャーなのだそうだ。そうは言っても、俊哉はそんな者になると言った覚えは一度もないし、なろうとも思っていない。俊哉は救世主でも正義のヒーローでもないのだから、そこには必然性はまるでない。悪魔三姉妹だろうが、ヘッポコ四姉妹だろうが興味はない。あぁ眠い。

 数日後の夕方、またPCから神の騒がしい声が聞こえた。

「俊哉、俊哉、俊哉ぁ、大変、大変やぁ

 いつもの事なので、驚きはない。PCは立ち上げていないが、コンセントは抜いてないので神が現れるのは不可避だ。

「何?今、宿題で忙しいんだけどなぁ」

「宿題なんかやっとる場合やないねんて、いつブラックナイツ悪魔三姉妹が来るかわからんのやで」

「へぇ、そうなんだ」

「へぇて、宿題と世界の滅亡を阻止するのと、一体どっちが大事やと思てんねん?」

「バカだな、宿題に決まってんじゃん。明日の朝、隣の席の里佳ちゃんと答え合わせする事になってるんだからさ、ボクには世界なんか救ってる暇はないんだよ」

「世界の滅亡が・」

「煩いな。そんなのボクがやる事じゃないじゃん?」

 俊哉がカミに正論で対抗した。それはそうだ。世界の滅亡は警察や自衛隊、アメリカ軍やNATO軍が阻止するべきだし、ハッカーやクラッカー、ネットテロリストなら各国のサイバー対策機関がやるべきで、更に具体的な案件ならば電脳ソルジャーが対応するのが筋であって、少なくとも小学6年生の出番などある筈もない。

「局長からも緊急の話があるて言うとったから、画面の青ボタン押してくれ」

「後でね」

 俊哉のツレない反応に痺れを切らした神は、匆々に自らボタンを押した。PCから局長ルパンⅣ世の声がした。

「俊哉君、新たなハッカー、テロリスト達がTVTではない領域から侵入した。現在

電脳ソルジャー達が鎮圧に向かっているが、直接君に挑戦する可能性もある。ヤツ等は麒麟を超える力を持っているかも知れない。呉々も慎重に闘ってくれ。以上」

 ルパンⅣ世からの通信はそう言って勝手に切れた。完全に俊哉がハッカー達と闘う事を前提にしている物言いだ。

「だからぁ、ボクは闘ってる暇なんかないんだってば」

「でも俊哉、ヤツ等が来たらどないするんや?」

「来るって言ったって、ネット立ち上げてないんだから来れる訳ないじゃん。それに電脳ソルジャーの人達が向かってるって言ってたじゃん?」

「けどな、この前鎖淡が来た言うとったやんか?」

「それはそうだけど、夢だったかもしれないし……」

 その時、神との嚙み合わない会話を遮り俊哉を呼ぶ声がした。甘ったるく耽美な女の声だ。

「ねぇ、君がトシヤ?」

 陽が落ちて、パソコン画面の明かりで漸く顔を識別出来る薄暗い俊哉の部屋の中に、いつの間にか三人の女が佇んでいる。馥郁たる香水の匂いがする。外見は長いストレートの金髪に厚化粧で、どれも殆ど同じようで違いがわからない。唯一の違いは、着ているミニスカートの色だけだ。赤・青・黄色、信号機に見える。何者なのか、俊哉には頓と思い当たる節はない。

「誰?」

「私達三人は、ブラックナイツ悪魔三姉妹とも言われるわ。・私の名は畏怖」

「ワタシは混沌」「オレは闇途だ」

「僕に何か用ですか?」

「GD麒麟を倒した後、ちょいと前にウチの鎖淡を潰したわよね?」

 赤いミニスカートの畏怖が訊いた。

「ブラックナイツのサタンとか言う、暗黒魔導刀を持ったオッサンが来た夢を見た」

「麒麟と鎖淡を倒したくらいでいい気にならないでね」

 青いミニスカートの混沌が強圧的な言葉を投げる。

「いい気になってなんかいないよ」

 続けて黄色いミニスカートの闇途が、挑戦的に言う。

「オレ達は、麒麟と鎖淡を倒したお前をぶっ潰して、各国政府の軍事機密を掻払いに来たんだよ」

「私達はロボットアバター、身体の殆どに機械を埋め込んだ最強ハッカーよ。覚悟してね」

「私達こそ最強よ、宜しくね」

「しかも、今はオレ等が暗黒魔導刀を持っているんだぜ。オレの事は天才ハッカーって呼べよ」

 赤色の畏怖・青色の混沌・黄色の闇途がそれぞれ言った。

「俊哉ぁ、そっちで何かあったんか?」

 PCから神の声がする。今日は寝惚けていないにも拘わらず、先日と同じように立ち上げていないPCネット世界のハッカー達が、何故か俊哉の部屋にいる。またもや疑問が噴き出すが、夜中に鎖淡と名乗る輩に闘いを挑まれた、余りに記憶が鮮明過ぎるあれは夢だったのか。

 取りあえず、この状況はどう理解したら良いのだろう。そう考えている内に、鎖淡の時と同じ様にマシンガンを撃たれるかも知れないし、全身に埋め込んでいるという武器で攻撃される可能性も高い。俊哉は相手の出方を見据え、身構えた。

「じゃあ、まずは私からね。そんなに構えなくていいのよボク、肩の力を抜いて」

 微笑を浮かべる赤いミニスカートのハッカー畏怖は、俊哉の肩に細い指をそっと置き、触れる程に顔を近づけた。俊哉は身体が硬直して微動だに出来ない。

 風に揺れる黒髪と若くしなやかな女の身体が纏割りつく。俊哉はその感触と鼻を擽る甘い香りに包まれ一瞬の内に煩悩の塊となっている。更に絡みつく女は「可愛いわね、ボク。喰べちゃいたいわ」と囁き、静かに口を開けた。血のように赤い女の唇から出た生暖かい舌先が、ぬるりと俊哉の顔に触れた。変だ、目の前の畏怖の顔が何かに変わっていく。

 身体を変化させる能力を持っているのか。笑った口が裂け、目がつり上がり、皮膚が見た事もないウロコ模様に変化する。口から出た細く赤い舌が勘に障る奇妙な音を従えて俊哉の顔を舐めた。

 驚愕し烈風の如く高鳴った俊哉の鼓動は、一瞬にして恐怖に変わった。弾けんばかりに心臓が脈打っている。「俊哉ぁ」と叫ぶ神の声が遠くで聞こえるが、反応する意識も遠い。

 それは人間ではない、間違いなく蛇だ。人の身体をした蛇が、俊哉を丸呑みにしようとしている。脂汗が滴る。口が大きく開き、俊哉の頭上に口が乗った。「怖い」と泣きそうになる程恐ろしいが、声は出て来ない。きっとこれが恐怖というものなのだろう、止まらない全身の震えを抑え切れない。

「喰われる……」

 俊哉は、襲い来る恐怖の前で言葉を失って戦慄し、立っている事さえ儘ならない。

だが、俊哉はふと思った。何故怖いのだろう、これは何に対する畏れなのだろうか、そもそも恐怖とは何だろう。蛇に喰われる恐怖、死に対する恐怖、そして死とは何だろうと考えたが、俊哉には蛇に喰われた事も死んだ事もないのでわからない。それに、身体を蛇に変化させる力などどう考えても理屈に合わないし、そもそも蛇女などこの世に存在する筈がない。

 仮想現実の世界では、屁理屈であっても合理性を言い切ればOKだった。だが、ここは仮想現実の世界ではないから蛇女の存在など屁理屈のつけようもないし、そもそも論で考えるなら、わからないもの、理屈に合わないもの、いないものに恐怖する必要はあるだろうか……ない。

 疑問に対する極々単純な結論が、俊哉の身体と精神を縛る呪縛を解放した。先日の夢と全く同様の状況を呈している。それならば、きっと武器を召喚出来る筈だ。

「我、召喚、我真天成刀」

 呪文を唱えた俊哉の手に正義の白刃が出現した、違和感はない。俊哉は、畏怖を横一文字に斬り裂き、妄想と思われる恐怖心は蛇女の悲鳴とともに一瞬で消え去った。

「あちゃあ、ガキだからって油断しやがって」

「まぁ、バカ女が子供相手に油断したって事で仕方ないでしょうね。次はワタシ混沌の出番よ」

 黄色いミニスカートの女の呟きに、青いミニスカートの混沌と名乗る女が言葉を被せた。

 青いミニスカートの女、混沌が獲物を狙う猛獣の目で俊哉を見据える。

「バカ女の畏怖は油断したから負けたけど、残念ながらワタシには油断とか手加減という言葉はないの。それに、ワタシの精神攻撃のレベルは麒麟なんかの比じゃないから、子供だろうが動物だろうが確実に精神崩壊世界へ引きずり込むから覚悟してね」

 そう言いながら、混沌が発する無臭の幻覚物質は既に俊哉を包み込んでいる。精神攻撃と言いつつ、相手に悟られず幻覚物質による作用で攻撃するのは常套手段だ。俊哉の足下の床が溶け、溢れる融土に体が沈んでいく。

「何これ、泥?」

 混沌の意味は、天地開闢の頃に天地が一つに混じり合っていた状態を言う。雑然と区別なく秩序のない、何が何やらわからない世界、情報も成り行きもはっきりしない有象無象が蠢く世界だ。泥は、俊哉を容赦なく呑み込んでいく。泥の中で意識は朦朧とし、泥と意識が混ざり合いながら深く沈み続け、俊哉を深い眠りに誘う。

「ボクは何なんだろう……泥に塗れて沈んでいくボクとは一体何者なんだろう……」

 混沌は俊哉の耳元でまったりと優しく囁く。混沌の最後の攻撃が静かに、そして確実に俊哉を仕留めに掛かる。こうなっては抗う事も逃れる事も出来ない、精神は蝕まれて泥と一体化する。

「ボクは、何だ……」

「それは簡単な事・君は唯の泥、そしてワタシ達は地の中で一体となって永遠に眠り続ける存在」

「ボクは泥……永遠に眠り続ける泥……」

 泥に呑まれていく俊哉の意識の中で、呼び覚ます者がいた。神だ、あの喧しい声がする。

「俊哉ぁぁ、生きとるかぁ。明日の朝、里佳ちゃんとイチャイチャするんやなかったかぁ、宿題まだ終わってへんのやろぅぅぅぅ?」

「……宿題……里佳ちゃん……イチャイチャ……あっ、そ、そ、そうだ」

 つい今し方まで、恐怖の塊となって硬直していた俊哉の思考領域は、意識ごと埋もれる泥の波と化し、渦を巻きながら私欲という最も単純で本能的な一点に辿り着く。

「そうだった、忘れてた」

 そうなのだ、俊哉は泥に埋まっている時間も渦を巻いている暇もない。明日、宿題の答え合わせに託けて里佳ちゃんとイチャイチャする為に、今日の宿題を一刻も早く片付けなければならないのだ。

 再び、女は妖艶に囁く。泥の中で、女の鋭い爪が俊哉を囲い込む。

「・何も聞く必要はない・君はもう泥土と一体化している・元には戻れない・」

「い、い、い、い、い、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、梨佳ちゃんと宿題の答え合わせするんだ、イチャイチャするんだ、泥になるなんてイヤだぁぁぁ」

 俊哉の純粋無垢な下心はニューロンを激しく暴走させ、泥を吹き飛ばして溺れる意識を現実に引き戻した。俊哉の叫びとともに汚泥世界が消し飛んでいく。

「何故……」

 突然の事態に驚き立ち竦む混沌は、闇黒魔導刀を抜き俊哉に斬り掛かった。俊哉は慌てずに黒光りする魔導刀の切っ先を見据え、鼻先を掠める刃を避けて懐に入り込み、そして正義の刃で混沌の身体を貫いた。一瞬の悲鳴が聞こえ、混沌が消滅した。

 それを見た黄色いスカートの女、闇途は両手を広げて天を仰いだ。

「あぁあ、頼りにならねぇ莫迦女共だな、引き継いだ暗黒魔導刀まで使ってこれかよ。オレまで闘うのか、しかもこんなガキと。カッタリぃな」

 最後の一人、黄色いミニスカートの闇途は、対峙しながら俊哉に向かって面倒臭そうに白い何かを撒いた。

「これは何だ?」

「塩だよ、面倒臭ぇから溶けちまえよ」

「?」

 俊哉には闇途の言う意味が理解できない。何故塩を撒くのか、清めの為なら余りにタイミングが遅い。

「塩撒いたらナメクジみてぇに溶けちまうかと思ったんだよ、まぁ溶ける訳ねえか。ボケだよボケ、冗談、ジョーク」

「?」

「やり難ぃな、ボケてんだからツッコめよ」

 目を白黒させる俊哉は、女の匂いを嗅がないように鼻を摘んだままで屈み、厳戒態勢で闇途を凝視した。そもそも暗示など効かない俊哉が、何故恐怖と絶望に堕ち掛けたのか。それは、きっと二人の女との闘いの前に甘い匂いを嗅いだからだ、女達が放つその匂いに幻覚作用があるに違いない。そう推理する俊哉に、闇途が言った。

「そんな妙な格好で睨むなよ。確かにオレ等の匂いには幻覚効果があって、畏怖は恐怖を混沌は絶望を誘引するのがやり口だよ。でも、オレにゃそんな真似は出来ねぇから安心しな」

「でも、お姉さんだって悪者でしょ?」

「悪者じゃなくて天才ハッカーって呼べって言っただろ、ところで梨佳ちゃんてのはお前のコレって設定なのか?」

 闇途は小指を立てた。小学生の俊哉には意味が不明だ。

「コレ?」

「ガキ相手じゃ調子狂うぜ、お前のナオンなのかって訊いてんだよ」

「ナオン?」

「あぁ、もういい。さっさとやろうぜ。何がいい?殴り合いでも撃ち合いでも、オレは何でもOKだからよ」

「何故、闘うんですか?」

 俊哉は、一瞬も目を逸らさずに問い掛けた。闇途は、俊哉の問い掛けには答えず、無言のまま両腕を胸の前で構えて左ジャブからの右ストレートを俊哉に放った。俊哉はパンチを避け、再び真理を質す。それは、今、俊哉の中にある本質的であり根本的な疑問でもある。

「闘う理由は何ですか?」

 呆れ顔の闇途は、自らの存在理由を単純に語った。

「お前さ、ガキのくせに結構面倒臭ぇヤツだな。理由なんざ、オレがウィルスでお前がファイアーウォールだからに決まってんだろ?」

「ファイアーウォール?確かにボクは電脳ソルジャーの為の世界大会で優勝したけど、世界の滅亡を阻止する電脳ソルジャーになるかどうかは未だ決めていない」

 今度は闇途が首を捻った。

「決めていないってどういう意味だよ?」

「僕は無理やり電脳ソルジャーの世界大会に参加させられただけだ」

「お前さ、さっきから何を言ってんだよ。セキュリティにならなくて、何になるって言うんだ?」

「大切なのは、人としてどう本気で生きるかって事だと母さんが言ってた。僕もそう思う。だから、闘う意味や目的を明確にして、どうするかを決めるんだ」

「もういいから、早くやろうぜ。本気でぶち殺してやるからよ」

「やめた方がいい。ここはバーチャル世界じゃなくて現実世界だから、どっちが勝ってもケガをする。それは無意味だ」

「お前さ、何を惚けた事言ってんだよ?」

 闇途は、俊哉の言葉の意味を考えながら首を捻り続けている。

「それはお前のジョークなのか、仮にジョークにしたって、ちぃともオモシロかねぇぜ。そもそも、お前とオレがその議論をするなんてのはよ、100%不毛じゃねぇのかな?」

「フモウ?」

「時間の無駄だって言ってんだよ」

「何故?」

「何故だと?」

「そうです。人としてのポリシーがなければ、生きる意味がないじゃないですか?」

「ポリシー、人として?ちょっと待てよ……」

 闇途は攻撃を中断し、唸り声ともに更に深く首を傾げて熟考した。そして、目を閉じた後、ポンと手を叩いて頷いた。

「そ、そうか、そういう事か。面白ぇ、お前は自分が何者なのか知らねぇのか?」

「そんなの、知っているよ。ボクは木村俊哉12歳、東京西銀座小学校の6年生だ」

 闇途は、俊哉の言葉に笑い出した。笑いが止まらない。俊哉には、その理由が皆目わからない。

「何故、笑うんだ?」

「あの麒麟のジジイがさ、お前の事を「唯の子供が『我真天成刀』を使いこなせる筈がない」とか「彼は天才か超能力者に違いない」とか言っていたんだ。笑えるぜ」

「笑えるって何だ?」

「何も知らねぇお前に、お前の本質を知る為のかなり面白ぇ有益な事実、いや弱点を教えてやるよ」

「本質、有益な事実、弱点?」

「お前の通ってる小学校をネットで地図検索してみろよ。そんな小学校は日本中、いやこの世のどこにもねぇからよ」

「そんな事はあり得ないよ。ボクは毎日学校に行っている」

「笑えるな」

「何が可笑しいんだ?」

「これが笑わずにいられるかよ。現実世界に存在してねぇお前が、人です、学校行ってますってか」

「ボクが存在していない?」

「そうだ、学校もお前の周りにある物も人も、そしてお前も存在してねぇ。何故だかわかるか?」

「……」

 俊哉は、何も言葉を返せない。

「それはな、お前が私と同じで、人間じゃねぇからだよ」

「何を言っている?ボクは人間だ」

「偽物如きの分際で良く言うわ」

「ボクが人間じゃない、存在していない?」

「そうだよ」

「そんな筈はない、それならボクは誰だ?」

「そうだ、考えろ、考えろ。自分が何かを考えろ」

「ボクは……誰だ……ここにいるボクは誰だ……わからない」

「いや、お前は自分が何者かを知っているさ。思い出せ、自分が何者なのかを考えろ、考えろ、考えろ。お前は全ての可能性を考えられる存在だ、考えろ」

「違う、ボクは木村俊哉だ、木村俊哉……だ」

 俊哉は押し潰されそうな意識の海の中で、溢れる自我を吐き出すように真我天成刀を闇途に向かって力の限り振り下ろした。白刃は目にも止まらぬ速さで闇途を斬り裂き、女は悲鳴諸共に消え去った。俊哉の勝利だった。だが、勝利した俊哉の様子がおかしい。

「ボクは誰だ……ボクは何だ……ボクは何故ここにいる……ボクは何だ……ボクとは何だ……」

 何かを知る神は、慌てて叫んだ。

「何を言っとるんや、俊哉。考え出したらアカン、アカン、アカン。容量が、精神が崩壊してまう」

 神の慌てた声が虚しく響く。神の言葉の通り、俊哉の精神は崩壊し全てのシステムは停止した。

 警視庁公安部特命プロジェクト室局長田中正孝は、ちょっと残念そうに思いを吐露した。

「駄目か……」

「防御レベルは98.07で各国との比較ではダントツではあるものの、未だAIの根本的な弱点『フレーム問題』を克服出来ず、対するAI搭載ウィルスを完全に防御するレベル100.00にまでは達していないという事です」

 俊哉の深層心理は闇途の暗示によって呼び覚まされ、俊哉は自分が何者かを知ろうとし、自らに関するありと凡ゆる情報を収集し分析し処理しようとして崩壊した。

俊哉とはバーチャル世界に創造された存在であり、バーチャル世界を守るようにプログラムされたAIセキュリティシステムの意識なのだ。

 局長田中正孝は、自らを奮い立たせるように言った。

「我々のプロジェクトは、ファーストプログラムであるCAMIXシステムと、外部からの侵入者を仮想現実世界IVBCというフィルターに集約してサイバーテロ攻撃に対抗するセカンドプログラムで、一応のセキュリティ構築に成功した。しかし、これだけでは完全型セキュリティとは言えない」

 助手の木村美香が熱く言葉を被せる。

「はい、サードプログラムが機能して、初めて完全なるプロジェクトが完成します」

サードプログラムであるセキュリティ上の絶対的ヒーローの誕生が待ち遠しい。

(Total cyber Security System of Intelligent Y‐Axis With Super AI)

『スーパーAIによるTOSIYAプロジェクト』は、ディープラーニングの進歩により技術的問題を解決し、全てが完了するまで今一歩という段階まで来ているのだが、AIの基本的な弱点である『フレーム問題』をクリアする事は至難の業と言える。

 人間はいい加減だ。自我とは何か、そんな事を思考し突き詰める者などいない。何故なら突き詰める事に何の意味もないからだ。だが、AIにとっては答えがないという事は自身を否定する事と同義だから、AIは必死で答えを追求する。例え答えのない答えであっても命、即ち自らの存在意義を賭けて追い求めるのだ。そして、AIは自我探求の沼に嵌り、思考は崩壊し停止する。

「局長、次の設定は如何致しますか?」

 木村美香は、続けるプログラムの内容を確認する。

「基本設定はこのままとしよう。実は、私はルパンⅣ世と俊哉の父親のポジションが結構気に入っているのだよ」

「それは何よりです。私も母親役はずっと続けたいですね」

「新しい台本は、どの程度できている?」

「完成しています。目を通されますか?」

「いや、それよりも時間優先だ」

「では、直ぐにスタートします」

 局長田中正孝が忘れていた事を確認した。

「あっ、そう言えば、今回も例の『いきなりのルール変更』はあるのか?」

「好ましくないですか?」

「いや、GOODJOBだよ」

 ある日、俊哉のパソコンが喋り出した。

「俊哉ぁ、大変やぁ。新しいハッカー集団がTVTに侵入したんや」

「煩いな、学校に行く時間だよ」

 喧しい神の声を振り払うように俊哉は言った。

「母さん、行って来ます」

「行ってらっしゃい」

 主要各国協力の下で構築される世界的インターネットAIセキュリティである、『TOSIYAシステム』によって、世界は今日も守られている、かも知れない。








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時空超常奇譚其ノ八. I AM A HERO/世界は今日も守られている、かもしれない。  銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

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