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 一応の習わしとしては、蜂蜜酒を飲むそうなのですが、未成年者もいるしアルコールが飲めない人もいるだろうとのことで、蜂蜜を混ぜたレモネードが振る舞われました。シュワイヤさんの手作りだそうです。クーラーボックスはそのためにあったというわけです。


 体力と精神力を使い切り、コクゴさんは疲れきった顔をしていましたが、それ以上に晴れやかな表情でした。


「えっと、エルフの言葉でいろいろ前口上をいわないといけないんですが、感染症対策もありますし、ここはわたしからシンプルに、こちらの世界風にひとことで済ませていただきます。献杯」


 わたしたちはマスクのなかで小さく献杯といって、プラカップからレモネードを呷りました。酸っぱいけれど甘くて美味しいです。こんな夏の日にぴったりです。


 コクゴさんが改めて挨拶をします。そして来てくれていた人々に個別に軽く挨拶をしていきます。


 数名のおじいさんおばあさんは大おばさんと旧知の仲だったそうで、コクゴさんとも付き合いが長いそうです。地域カフェや近くにある公園の花がどうとか、そういう話をしていたり、片手を宙に浮かせて何かを掴んだまま捻る動作をしてへっへっへと笑ったりしています。コクゴさんも同じように片手を捻る動作をして「最近もう負けっぱ」とへっへっへと笑っていました。


 ヒジャブの女性は、こちらに住み始めたばかりのころに、大おばさんに親切にしていただいたそうで、住んでいる棟も近いから、レシピの教え合いなどをしていたそうです。ヒジャブの女性は目に涙を溜めていましたが、「めそめそする、カザミさん喜ばないよ」といって、それをぬぐいます。わたしはそれを聞いて、むしろほろりときました。


 クールビズの若い男性は役所の人らしく、先代が大おばさんと親しかったとのこと。先代の人は違う世界からやってきたコクゴさんがこの団地にいられるように尽力してくれたそうです。これからもがんばってほしいと思います。


 農夫のような服装の男性ですが、かれはどこか西洋風でも、東洋風でもある顔立ちでした。薄いブルーのサージカルマスクを二枚重ねしています。


 コクゴさんがその人を紹介します。


「えっとですね……ご紹介します。カザミ氏のご子息です」


 わたしと両親は「えっ!」と大きな声を出して驚きました。男性は恥ずかしそうに微笑みつつ一礼します。


「あっ」とお母さんがいいました。「そっかあのときの村の……!」とも小さくいっています。かつて大おばさんと一緒に冒険を繰り広げたお母さんは、もう見当がついているようでした。


 大冒険のあとしばらくしてから、大おばさんは“新しくできた友達”と長期の旅行に行くといって家を空けることが多かったそうです。


 お母さんの目に涙が浮かびます。大おばさんと付き合いが長く、彼女の半生を知っているお母さんは誰よりも驚き、そして嬉しく思っているようでした。ぽろぽろと涙がこぼれ、マスクを濡らします。


 わたしは、初めて会う親戚に向かって自己紹介をします。


「はじめまして。木津弦羽キヅ ツルハです」


 かれはすこし片言の日本語で、


「こちらこそ、はじめまして。ガリド・ハヤテ・ホラナカ・ユーンクです」


 と微笑み、そしてわたしたちは握手……


「あのコクゴさん」


「はいなんでしょ?」


「あちら側の世界に新型コロナ持ち込んじゃったらかなりやばいですよね……」


「あっ、うん、うんそう! たしかにそう!」


「じゃああの、感染者数少なくなってきてますけど、念のため肘タッチで」


 わたしとガリドおじさん(もしくはハヤテおじさん)は、握手の代わりに肘タッチをしました。どこかおかしくて、ふたりしてえへへと笑ってしまいます。


 これからも、よろしくお願いします。




 わたしたちの家族三人と、ガリドおじさん、そしてコクゴさんとで記念撮影をしました。


 撮影してくれたシュワイヤさんに、わたしは数時間前に送信した件を話します。昨晩のコクゴさんの症状についてです。


 あらかた片付けを終えて、わたしたちは集会所のなかの共有部分に行きました。もちろん、コクゴさんは抜きで、わたしと両親、それにシュワイヤさんとオーリちゃんの五人です。コクゴさんは参列してくれた方と外で会話をしています。


 腕を組んだシュワイヤさんが口を開きます。


「あー、まあ、記憶の妖精の説明からいくか。こいつらはエルフにとって、別になくてもいいけどなくてはならない連中で、立ち位置的にはこれ、この携帯電話みたいなもんだ。ほとんど第二の脳というか」


「第二の脳……」


「わかるようにいうと、万能メモ帳とか、クラウドストレージとかに近いし、常にバックアップされてるようなもんだな」


「エルフは寿命が長いじゃろ。老化が遅いとはいえ、次第に忘れることもある。そういうのが心配だから、妖精に代わりに覚えてもらうんじゃ」


「ここの世界はおれたちの世界ほど、妖精の活動の元になる、まあわかりやすくいえばマナが充分じゃあない。充分じゃないし、足りてる場所でも性質が違う。環境破壊とか、〈特別危機〉のせいでいろいろバランスが崩れたっていうのもあるしな。だから妖精がちょっと変な挙動をする」


「それって、急におばあちゃんになったりとか?」


 お母さんがいいました。おばあちゃんになるってどういうことでしょう。若返ってしまうならわかりますが。


「私ね、一回そういうコクゴさんの相手したことあるの。てっきり冗談かと思ってたけど、しきりに懐かしい懐かしいっていってて……」


「記憶の妖精は、未来も引っ張ってくる」シュワイヤさんがいいます。「記憶の妖精にとって、過去も未来も現在も、ある意味等しいんだ。まあ本当に未来のことを知ってるのか、それとも単純に何千通りも計算してるだけなのかはよくわかんねえが……。とにかく、こいつらは全部の時間の全部の記憶を蓄えてる。おれらみたいな、時間をまっすぐ一方向にしか認識できない生き物には、ちゃんとあわせてくれる。たまに先のことを教えてくれる。でも、妖精の調子がおかしくなると……」


「意図しない誤送信が起きる……ってことですか?」


 先回りしたわたしの言葉に、オーリちゃんとシュワイヤさんは頷きました。


 ……ん? あれ? っていうかさらっといってたけれど“過去も未来も現在も等しい”って、どういうことでしょうか?


 などと思っているうちに、お父さんが「あれ、でもおふたりは?」とわたしも感じた疑問を口にします。「おふたりは大丈夫なんですか?」


 その疑問にオーリちゃんとシュワイヤさんが答えます。


「儂がいま世話になってる家の──つまりホームステイ先じゃな、その町にはふたつの世界結ぶ〈門〉がある。だから定期的に帰って調整してるんじゃ」


「おれは山奥に住んでるからな。そのせいか、だから予想以上に安定はしてるよ。ま、油断はできねえが」


「えっとじゃあ、コクゴさんも一旦戻ってしばらくあっちで過ごせば、安定するんですか? っていうかここらへんって緑が多くて結構いいんじゃないですか? 大きめの森林公園もありますし」


 わたしの言葉に、シュワイヤさんはかなしげに目を伏せました。


「それはそうなんだが……」


 もうどうしようもないのでしょうか。コクゴさんはまた昨晩のように、自分がどこにいるかもわからないまま怯えなきゃいけないんでしょうか。


「あいつ半分引きこもりだし結構うっかりしてるとこもあるだろ? それに先延ばしにしがちだし生活リズムもめちゃくちゃだし。おれたちがたまには戻れっていっても戻んねえんだよ」


「…………」


「…………」


 え?


「えっと、じゃあ戻ったら安定はするの?」


 お母さんが訊きます。


」シュワイヤさんが断言しました。「あれだな、あれに近いな。透析ってやつ。そろそろヤバそうだなって感じになったときに、コクゴを無理やりにでも引っ張っていってたのがカザミだったんだ」


 なるほど、そういうことか、とわたしは納得します。大おばさんが亡くなって、コクゴさんを引っ張っていく人がいなくなってしまった、だから昨晩あんな風になってしまったし、そこにわたしが偶然居合わせてしまった、ということだそうです。たぶんわたしが部屋に入らなかったら、コクゴさんは夢か何かと思ってそのまま大して混乱せずに寝ていたかもしれません。あくまでも、たぶんですが。


「だからまあ、月一か、いや二月ふたつきに一回ぐらいでおれがコクゴを連れてくし、そもそもそういうふうにならないように電気エイが自分の尻尾を噛むほどしつこくいうよ」


 オーリちゃんもうんうんと頷いています。電気エイ云々は口を酸っぱくして云々と同じような意味みたいです。


「えっとじゃあ、一安心?」


 お母さんがいいます。わたしはぺたんとその場に座りました。


「よ、よかった……」


「なんじゃあツルハちゃんよ、おまえさんそんなにコクゴのことが心配だったのか?」


「だ、だってわたしすごいびっくりしちゃって……もう、戻らないんじゃないかってなっちゃって……ずっとあのままの状態でひとりなんじゃないかって……」


 安堵感からわたしは泣きそうになります。わたしはここに来てから泣いてばかりな気がします。生真面目さが取り柄のわたしはいつもクールだというのに。


「それにほら」シュワイヤさんが集会所の外を顎でしゃくります。「コクゴにも知り合いはそれなりにいる。カザミは亡くなっちゃったけど、でもきっと大丈夫だよ。おまえはまだ13歳だし、できることもまだ限られてる。飛んでは行けないけど、おれもついてるし、オーリもついてる。おれらに任せろ」


「私もね」お母さんがいいました。


「そうともさ、旅の仲間は最後の最後まで助け合うんじゃ」


 オーリちゃんがマスクの上からお髭を撫でます。


 安心して、安心したのに、わたしは特に何もできないんだなということがわかって、無力で、お母さんとカザミおばさんとシュワイヤさんとオーリちゃんにちょっと嫉妬して、またちょっと泣きたくなりますけど、それをなんとか我慢します。


 わたしもいつか旅の仲間になれるのかな、なりたいなと、わたしは思います。

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