17

 教えられた団地の集会所へ行きます。集会所は一階建ての白い平屋でした。入り口には「洞中風見ホラナカ カザミ お別れの儀」と書かれた看板が立っていました。


 入口横の長机に女の子が座っていました。紺色のポロシャツの夏服を着ています。紺色の立体マスクを着けています。昨日オーリちゃんの荷物を運んだ、きりんちゃんと呼ばれていた子です。


「こんにちは」わたしは挨拶をします。お父さんとお母さんもします。


「あ、こんにちは」きりんちゃんは会釈しました。「消毒と検温一応しますね」


 消毒と検温が完了しました。


「…………」


「…………」


「あ、特に記帳とかないみたいなんで。お香典? とかも必要がないので、このまま入っていただいて大丈夫ですよ」


 わたしたちはそのまま中に入ります。直進した先にある集会室の前にシュワイヤさんが立っていました。一礼して、どうぞこちらへと案内してくれます。


 集会所のなかは学校の教室よりすこし広いです。パイプ椅子が並べられていて、8人ほど既に座っていました。おそらく親交があったと思しきおじいさんにおばあさん、それにお蕎麦屋さんの店長さんに、ヒジャブを被ったふくよかな女性もいました。映画に出てくるむかしの農夫のようなざっくりした服を着た男性がいました。席には座っていませんが、中央列の壁際にはクールビズ姿の若い男性がいて、三脚のついたビデオカメラを演壇に向けています。記録係という感じです。わたしたちは一応、前列に固まって座ります。


 皆、黒い服を着たり、着ていなかったりしています。コクゴさんは「そもそもエルフはお葬式のときに黒い服を着ないですし、今回あくまでも簡略化されたものなので、自由にします」といっていました。


 ちなみにお母さんは黒系の服を持ってきていなかったので、持ってきていた服で一番色の濃かった濃いグリーンのワンピースを着ています。お父さんはいつもどおり、無印で買った黒いポロシャツに黒いチノパンツを着ています。わたしはもちろん、夏服の制服を着ています。


 壇上には、樹木を模した飾りや背景看板がいくつか置いてありました。すみっこには小さな香炉のようなものが置いてあり、嗅いだことがあるようなないような、でも決していやなにおいではない異国の香りが、ゆったりした煙に乗ってほのかに漂っています。


 演壇の横の椅子に座ったオーリちゃんがそわそわしています。わたしが小さく手を振ると、オーリちゃんはちょっとぎくしゃく笑って小さく振り返してくれました。


 ひとり、ふたりと入ってきて着席した気配がしました。きりんちゃんがわたしのふたつ隣に座ります。トートバッグからジンバルを取り出し、携帯電話を装着して演壇に向けました。ぺこんと画面をタッチして録画をまわします。視線に気がついたのか、きりんちゃんはわたしを一瞥して「記録係なの、わたしも」と小声で教えてくれました。


 オーリちゃんが立ち上がると、「エ、エー、ではもうじき始まりますので、お待ちください」としどろもどろにいって、小走りではけました。


 ややあって、衣擦れの音と、ぺたりぺたりという足音が入り口の方から複数聞こえてきます。


 壇上に三人の女性があがりました。三人とも、両目の部分に穴が空いただけのシンプルな木のお面をつけています。そして、片手に槍を持っています。体格のいい女性だけが木製のオールを持っていました。


 ミスマッチで奇妙な光景でしたが、だからこそ集会室内の空気が、すぅっ、と厳粛なものとなります。


 コクゴさんはさきほども着ていたシンプルで美しい白いドレスを着ていました。髪が結われており、非常に美しいです。


 シュワイヤさんも白い服を着ていますが、コクゴさんのものにはあまり似ておらず、どこかアオザイに似ています。金色の刺繍で模様が入っています。彼女だけが、槍ではなく年季の入った大きなオールを片手に持っています。


 オーリちゃんの服は黒を基調とし、何枚もの色とりどりの布をかさねた、重たそうなものでした。エルフとは違う文化圏のもののように見えます。こちらも刺繍がほどこされています。オーリちゃんは槍とは別に、もう片手にラジカセを持っていました。


 オーリちゃんがラジカセをさっき座っていた椅子の上に置き、再生ボタンを押します。


 さーーっというカセットテープのホワイトノイズが流れ、やがてハープのような楽器による、流麗なメロディーが流れ出しました。


 三人の女性は体をゆっくり動かし、舞います。


 布が揺れ、空気をはらんで袖がふくらみ、一斉にぴたりと止まったかと思うと、槍の石づきを演壇にドンと打ち付けます。思ったより大きな音だったのでその場にいた全員がびくりとしました。


 舞はつづいていきます。何かを感謝し讃えるようでもあるし、何かを降ろすようでもあるし、そして、送り出すようでも、祈り、鎮め、感謝するようでもあります。


 知らない世界の知らない民族の知らないくにの知らない文化の知らない踊りでしたが、わたしたちはちょっとぎこちないけれど美しいその舞に目が釘付けとなります。


 槍とオールをくるりと回転させ、三人で交差させると同時に「ホーゥ!」と吐息とも雄叫びともとれる声をあげました。人の声ではないようでした。お面を着けて顔が見えないこともあり、いっさい知らない人たちのように思えました。エルフの生活に密接に結びついているという妖精たちを表現しているのかもしれません。


 舞はつづいていきます。冷房は入っていますが換気のために窓を開けてありますし、なによりもあの立派な服を着てあれだけ動けば相当暑いはずです。


 オーリちゃんの動きにやや疲れが出ています。木の面の穴から垣間見える瞳もちょっと苦しそうです。あのなかで一番重そうな衣装を着ているのですから、無理もないでしょう。それでも彼女は槍を持つ手をゆるめず、しっかりと動きつづけます。


 シュワイヤさんは軽々とオールを振り回し、一番きびきびと動いていました。疲れの色は見えませんが、アオザイのような衣装が汗でじっとり湿っています。


 コクゴさんは……コクゴさんはまるで森の精そのもののようでした。きびきびと動いているのはシュワイヤさんですが、コクゴさんはその流れに乗っているというより万物の流れそのもののようでした。結った髪が揺れ、首筋をつたって汗がつうっと流れていきます。


 回転し、交差させます。また回転し、交差させます。石づきを演壇に打ち付けます。


 曲が終わり、オーリちゃんが停止ボタンをガヂリと押しました。


 横に並んだ三人とも肩で息をしていました。面の下から、ふう、ふう、という荒い呼吸がかすかに聞こえてきます。ぺこりとわたしたちに一礼します。


 蕎麦屋の店長さんが拍手をしました。わたしたちも拍手をします。まばらな拍手が人の少ない集会所内にうわうわと反響しました。


 三人は演壇から降り、はけていきます。


 列の真ん中でカメラをまわしていた男性が演壇の近くに出てきて、次は外でやるということを伝えます。わたしたちは立ち上がり、ぞろぞろと集会所の外に出ました。


 集会所から弓矢を片手に持ったコクゴさんが出てきました。ドレスを着、素足のままですが、もうお面はありません。真剣な表情をしています。汗で濡れ、きらきらと光る前髪が額にべっとり張り付いています。


 その後ろからは、スポーツウェア姿の涼しげなシュワイヤさんと、ハーフパンツに開襟シャツのオーリちゃんが出てきます。ふたりとも暑さに耐えかねてさっさと着替えてしまったようです。タオルで体を拭きペットボトルで水を飲んでいます。シュワイヤさんは大きなクーラーバッグを持っていました。


 コクゴさんは「ふう、ふう」と一定のリズムで息をします。試合前のアスリートのようで、非常に緊張しているのがわかります。


 間を埋めるために、シュワイヤさんが解説をします。クールビズ姿の男性ときりんちゃんが慌てて録画を始めます。


「さきほどの舞は、妖精に感謝をし、そして霊魂を永久とわに導いてくれるよう、霊魂にわれわれを守ってくださるよう祈りを捧げる――まあだいたいそういった舞だ。舞の細かい意味や面については、おれの地方とコクゴの地方、それとオーリの父方の地方のミックスなので、詳細な解説は省く。さっきのはいっちゃ悪いが前座みたいなもので、いまからコクゴがやるのが、故人に対して一番想いを込める儀式だ」


 故人に対して手紙を書き、それを矢に結びつけて、風の妖精の力を一世一代というほどまで借りきってどこまでも遠くへ飛ばすそうです。


 コクゴさんの種族である西中央エルフにとって、矢文は伝統的かつポピュラーな伝達手段だそうです。ちなみに、あとで聞いたのですが、今回のお別れの儀のお知らせも矢文だったそうです。


「いけるか?」


 シュワイヤさんの問いに、コクゴさんは口をきゅっと結んだまま頷きます。いっさい言葉を発しないのは、故人への想いをすべてその一矢に乗せるためでしょうか。


 わたしたちが見守るなか、コクゴさんは斜め上を見据えます。見据えた先には、夏の青い空があります。


 大おばさんの魂がそこにあるのかも、そのはるか向こうの“くに”にあるのかも、わたしは知りません。


 でも、コクゴさんはそこに何かを見いだしています。何かを確信しています。


 彼女はゆっくりと構え、弓を引き、そして、


「シッ――」


 歯の隙間から息を鋭く吐き、矢を解き放ちました。


 びゅう! ……と、コクゴさんを中心に風が吹き荒れました。わたしたちは思わずよろめきます。近くにあった木々の葉がざわめきます。


 皆、空を見上げます。放たれた瞬間から超高速で宙空を裂き進んだ矢は、もう見えません。


 どこまでも飛んでいってほしい。わたしは心の底からそう思います。


 天国や地獄があるかなんて知らないし、あの世なんてないかもしれないけれど、でもやっぱりそれだとさびしいから、だから、大おばさんに届くようにどこまでも飛んでいってほしいと、そう、思いました。

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