16
夢を見ていました。
わたしは無人の水族館にいて、お魚さんたちを見て回っています。
わたしはなぜか、小型犬用のカートを押していました。
あちこち水槽内をゆびさして、カートに向かって、きれいだね、たくさんいるねとささやきます。水中トンネルできゃーすごいなんていったりもします。
でも、カートのなかには緑の首輪が落ちているだけで、犬なんていません。
首輪を手に取ると、かなしくてかなしくて堪らない気持ちになってしまいます。
パチパチ、とかすかに聞こえるキータッチの音でわたしは目が覚めました。
夢の内容はもうおぼえていません。ただただ、かなしい気持ちだけがありました。
布団からのそりと身を起こします。お父さんが食卓の上に置いたノートパソコンで作業をしているのが見えました。台所だけ電気がついています。持ち帰りの仕事というやつでしょうか。
お父さんはわたしに気がつくと、「起こしちゃったかい?」といって眼鏡を押し上げました。
「あの、わたし」わたしは半分寝ぼけながらいいます。「ここに住みたいです」
「うん」
「ここに住んで、住まないと、コクゴさん、ひとっ、ひとりになっちゃうから……」
わたしの目からはぽろぽろと涙が落ちていました。そば殻の枕を濡らします。
「うん」
「お父さん……」
「つーちゃん」お父さんは椅子から立ち上がって、わたしのそばに来て、近くに座ってくれます。「それは、そう……できるといいんだけど」
「お母さんはどごでずか?」
急に話題を変えたのでお父さんはちょっと戸惑ったようでした。
「お母さんは、なんかテンション上がってアイス買いに行っちゃった」
「冷凍庫、あずきバー……」
「ほら、ママあずきバーはそんなに好きじゃないだろ? 奮発してハーゲンダッツ買ってくるっていってた。駅前のスーパー、深夜1時までやってるんだって」
「ハーゲンダッツ……食べたい……」
わたしはかなしさでわけがわからなくなって、ぐじゅぐじゅに泣いてしまいます。
「ハーゲンダッツ~……うえぇ~ん……」
「ママにLINEしておくよ。大丈夫だよ」
パパは苦笑いしつつ背中をさすってくれます。わたしは差し出されたティッシュで鼻をかみます。
パパはゆっくりとわたしを仰向けにします。パパも横に寝転がります。まだかなしいですけれど、さっきほどではありません。
「つーちゃん、アイスは大丈夫だし、コクゴさんも大丈夫だよ。……きっとね」
「うん……」
「だからね、ちょっと目を閉じてみて」
わたしは目を閉じます。意識が遠のいていきます。
翌日、わたしとお父さんとお母さんは、母方の実家に持っていくために、段ボール箱や圧縮袋にいろいろと詰め込んでいました。
「そういえばあのお仏壇ってどうなるんですか?」
「お仏壇は処分かなあ。ご位牌は持っていって、おばあちゃん家の仏壇に置くよ」
わたしはそれを聞いて、なんだかほっとしました。
ちょっと休憩して、麦茶を飲みながら携帯を確認していると、シュワイヤさんとオーリちゃんからメッセージが来ていました。
《コクゴ起きてる?》
シュワイヤさんのアイコンはばっきばきの背筋と肩の筋肉がメインで、その上にちょこんと乗った顔がこちらを振り向きつつはにかんでいるという、かっこよさとセクシーさとチャーミングさがあわさったものでした。自分に自信がある人って見ていて気持ちがいいなと思います。
《起こしていただけると幸いです。》
オーリちゃんは喋っているときとは打って変わって、丁寧な文章でした。アイコンはかわいいお髭のイラストでした。
《ちょっと起こしに行きますね》とわたしは打って、
《あ》
《聞きにくいんですけど、エルフの人って、認知症に似た症状になったりするんでしょうか?》
これはデリケートな話題なので口頭でいうべきだったなと思いつつ、わたしは気がついたらそう打ち込んでいました。なんでわたしっていつもこうなんだろうと思います。
既読のまま時間が過ぎ、2分後に、
《種族的には、ある》
とシュワイヤさん。
《これは文章にするとちょっと長くなるので》
《あとで話すよ》
《わかりました》とわたしはこたえます。
《初めて見たらびっくりするでしょうけど、そこまで深刻ではないです。》
オーリちゃんが付け加えました。
当のエルフ且つコクゴさんと付き合いの長いこのふたりがいうのなら、ひとまず安心ということで良いのでしょうか。
わたしはコクゴさんの部屋の扉をノックし、おじゃましますと押し開けます。
「は~い! ツルハ氏ちょっと居間まで来てくれます~?」
昨晩とはちがう、それまでどおりのコクゴさんの声音にわたしは胸をなでおろします。
本のジャングルを通り抜けます。もう明るいですし、流石に昨晩ほど怖くはないです。
居間にたどりつくと、薄い布を何重にも重ねた綺麗な白いドレスを着た美人さんが立っていました。
「わっ!!!!!!!」
わたしは巨大な声を放出しました。
「びっ……」コクゴさんはびくっとなります。「くりした~……。えー、どうしたのどうしたの」
「綺麗!!!!!!!!」
わたしは何度もまばたきします。正直いって整理されているとはいえない居間に、そんな服を着た人が立っているのは違和感がありまくりでしかたがありませんでした。その威光でむしろ部屋そのものを破壊できてしまいそうです。破壊しろ!!!!!!
「美っっしすぎんでしょうが!!!!!!!!!」
わたしのあらん限りの声による本能的なストロングスタイルの褒めを受けて、コクゴさんは顔を赤らめ、濃い眉を困らせ、手のひらで顔をぱたぱた扇ぎました。
「あー、苦しゅうない。苦しゅうないぞぅ」
わたしは鼻息を荒くしながら謝罪します。
「すすす、すみませんっ! まごうことなき本心ですので!」
「いやいや、本心だから許されるってことでは……。いやまあ、まんざらではねえ、ないですけども……」
わたしが落ち着くと、コクゴさんはこの衣装について教えてくれます。教えてくれるといっても、「これは我が家に伝わるそれはそれは大切な衣で、冠婚葬祭のときにはこれを着よという、だいたいそういう民族衣装です」という予想どおりの解説でしたが。
「そういえばなんですけど、今回のお葬式みたいな儀式? っていつからなんですか?」
「だいたい三時ぐらいからやるつもりですよ。トータルで30分か40分もかからないと思います」
なるほど。夕方の五時には家を出るとのことだから、参加することはできます。
「そういえばうちの両親に今回のやつのお話ってされてます?」
「え?」
「いや、なんかよくわかんないですけど、それなりに人集めてやるなら一応そういうのいっておいた方がいいのかなと思いまして……」
コクゴさんは天を仰ぎました。
「あー、それは、そうですね。無神経ととられるかも……」
というわけでコクゴさんは雅なドレス姿のままクロックスのサンダルを履いて出て、数歩あるいて真正面にある大おばさんの家に行きます。
お母さんは「お、それ久しぶりに見たー!」ときゃっきゃいっていて、お父さんは「へ、へへ、ご無沙汰です」とちょっと恥ずかしそうにニチャリと笑いました。お父さんもお母さんと同じくこの団地で育ったといいます。この反応から察するに、子供のころのお父さんはコクゴさんが好きだったのかもしれません。
コクゴさんはかくかくしかじかと説明をしました。
かいつまむと、(エルフにとっての)宗教的な要素はあり、霊魂を送り出す儀式というよりかは鎮魂するような舞はありとのこと。大おばさんの霊魂は(そもそも霊魂という存在がたしかにあるとするならですが)、既に向こうに送り出されているし、あとは納骨を待つのみとなっています。
主目的は、コクゴさんがやりたいからやるとのこと。副目的は、お葬式に参加できなかった近隣の知人友人のためにあらためてそういう場をもうけたいから、とのことでした。
お葬式を何度もやると霊が迷う、というような話もあるそうですが、お葬式とは微妙に違うみたいだし、つまりお別れ会とか告別式みたいなものだし、まあそれくらい大丈夫なんじゃない? とお母さんがいいます。強いこだわりがある両親じゃなくてよかったなあと、わたしは内心ほっとします。
「カザミおばさんも、きっと喜ぶと思うし」とお母さん。
「まあ、お葬式自体はコロナのあれで長野の親戚同士でやっちゃったからねえ……」とお父さんはいいます。
お父さんもお母さんも、コクゴさんをお葬式に呼べなかったことを悔いているようでした。
携帯がぶるっと震えます。シュワイヤさんからでした。
《もうすぐでつく》
10分後にシュワイヤさんとオーリちゃんがやってきて、コクゴさんたち三人はリハーサルへと出かけていきました。
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