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 近場の大型スーパー銭湯にお母さんの運転する我が家のミニバンで行って、ついでにそこで夕ご飯も食べました。朝昼と麺類つづきだったので、夏季限定の冷や汁御膳というものにしました。お父さんはお寿司の盛り合わせ、お母さんは天ぷら御膳です。


 スーパー銭湯のなかは、ちょっと人がまばらでした。マスクをつけた家族連れやカップルもいますが、そんなに人が入っていないなという感じです。夏休みとはいえ一応平日なので当然といえば当然なのでしょうか。


 わたしが生まれた直後に起きた〈特別危機〉で東京都心に住んでいた人たちは脱出し、関東圏にあるベッドタウンに移住(避難といったほうが適切かもしれません)したり、思いきって他県へ移住したそうです。わたしの両親もそうです。


 この東京の左側の丘陵地帯にあるニュータウンと呼ばれている場所も、避難民・移住民によって人口は増加したとのことですが、数年前からの全世界的な新型ウイルス禍の影響で減ったり増えたりだそうです。


 ふと、斜めまえに座っている女の子に目が行きました。おでこの生え際から二本の角がにょきっと伸びていました。恋をしたら角が生える病気も、気がついたらいつのまにか流行っていました。


 わたしが生まれるまえにあった大震災に、直後に起きた信じられない〈特別危機〉、異常気象に世界的な疫病に今度は恋をすると角が生える奇病、おまけに大おばさんのお隣さんはエルフのお姉さんです。もうなんでもありです。


 ちなみに、わたしはまだ角は生えていませんし、そもそも恋をしていませんし、べつに恋をしたところで生えてほしくはありませんが、しかしああして誰かを想う気持ちが具体的な形としてわかるというのは、ちょっと羨ましいかもしれないなとも思います。もちろん、実際に生えたらだいぶかなりイヤだろうとは思いますが、真向かいに座った男の子に微笑みかけている女の子を見ると、悪くなさそうかもしれないなと思います。




 大おばさんの家に戻り、お母さんがお土産として買ってきたどこかの有名な洋菓子店のシュークリームを食べます。たくさんあるし悪くなっちゃうからと、シュワイヤさんがくれた桃も切って食べます。とても甘くて美味しいです。ジャムでも作ろうかしらとお母さんはいっています。


 お母さんはシュワイヤさんとオーリちゃんとも顔見知りでした。ふたりは今晩、どこかのビジネスホテルに泊まっているらしいです。


 コクゴさんにもシュークリームを買ってきてあるので呼びに行きましたが、扉をノックしても出てきませんでした。ちなみにチャイムは壊れています。


 ドアノブをひねると簡単に開きました。鍵をかけていないようです。そっと中に入ると玄関も廊下も真っ暗で、わたしは携帯のライトで照らしながらおそるおそる、積み重なった本のあいだをすり抜けました。


 足をとめ小さな声で、コクゴさぁ~ん、と呼びかけます。


 がた、と物音がしました。しかしそのあとは特にこれといって音はせず、わたしは暗闇のなかでだんだんと心細くなっていきました。妖精さんががんがんにやる気を出しているのか、室温は半袖だと肌寒いです。積み上がった本たちに囲まれていると、鬱蒼とした魔女の森に迷い込んでしまったかのように感じられます。ここにいるのは間違っている気がして、次第に歩みが遅くなります。口のなかが乾いていきます。


 コクゴさぁ~ん、とわたしはもう一度小さく呼びかけますが、コクゴさんは現れません。


 わたしは諦めて、玄関へ向かいます。玄関にはすぐ着きました。


 ドアノブに手をかけます。


 がたり、とまた音がしました。わたしはちいさく飛び上がります。


 背後に、誰かが立っているのがわかりました。離れているのにその人が発するわずかな体温が背中全体で感じられて、とても気持ち悪いです。


「…………」


「…………」


 わたしはすぐさまドアノブをひねって勢いよく外に出ました。


 すぐ目と鼻の先に大おばさんの家の扉があります。ホップ、ステップ、わたしは手を伸ばしてドアノブに取り付きました。


「カ、カザミ?」


 か細い声が背後から聞こえてきました。


「それともツネヒロさん?」


 後ろを振り返ります。半開きの、閉まりかかったドアの真っ黒な隙間から白い腕が伸びていました。その腕はどこか生気なくだらりとしていて、自分の意志とは関係なく持ち上がっているようでした。


「また、また本、増えてる」


 ドアの向こうから困惑した声でその人はいいました。


「わたしこんな部屋知らない……」


 わたしは生唾を飲み込みました。ゆっくりとその腕に近づきます。サンダルの底が、コンクリートの床とこすれて、じり、じり、と音を立てます。


「だ、誰っ、カザミ?」


 怯えた声でその人は問いました。


「わたしは……ツルハです。大お、カザミの親戚です」


 ドアの向こうの人は一切反応しませんでした。


 こんなの聞いてない、なんなんだとわたしは思います。


「ツルハ」ドアの向こうの人はいいました。「ツルハ」もう一度いいます。


 白い腕がゆっくり引っ込んで、ぎぃ、とゆっくり扉が開いていきます。


 真っ暗な闇のなかに、金髪で細身の、耳の尖った美人さんが立っていました。


 自分の体を抱きしめるようにして、震えています。美しい眼とぶっとい眉毛はいまにも泣きそうです。鼻水が一滴、コンクリートの廊下に垂れて黒い円を描きました。


 わたしは手を差し出しました。彼女はわたしの手をゆっくりと、おそるおそる取りました。


 ひんやりしていて冷やしわらび餅みたい。シリアスな状況に反してわたしは呑気に思います。

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