12

 シュワイヤさんとオーリちゃんはせっかくこっちまで来たんだしと、コストコへ買い出しに行くそうです。コクゴさんは儀式のための最終確認と、お昼寝をするために自分の部屋に戻りました。コクゴさんの表情にはやや疲れが出ていました。朝早くから活動していたので、当然といえば当然でしょう。


 シュワイヤさんがいうところによると、コクゴさんは長らく半引きこもりのフリーター生活をしているため、好きなときに寝て起きる生活リズムに慣れきっているそうです。


「思ったんですけど……」


「おう」


「エルフってその、みんな暇な大学生とかフリーターみたいな感じなんですか?」


 わたしの(失礼な)疑問にシュワイヤさんはガハハと笑います。


「そうなったのは〈火吹き狼〉の世代からだな。成人したあとはこうしろああしろ、どこどこの学校で研究しろ、ミドルやドワーフたちとあまり関わるな、北方の奴らと一緒にいるな、いやいや南方の連中は野蛮で同じ種族とは思えない、常に自然と妖精とともに生きよって感じだったけど、それがちょっとずつなくなったんだ。でもそうなると、逆にどうしたらいいのかわからないやつも出てくる。ずっっと、妖精たちが代わりに考えててくれたからな。コクゴもそうだし、おれもそう」


「時の流れ方も違うからのう」


 オーリちゃんがしみじみいいます。マスクの上からお髭をなでています。

 わたしは今までのコクゴさんの暮らしに思いを馳せます。




 シュワイヤさんたちのコストコ行ったりしようぜというお誘いを丁重に断ったのは、夕方ごろにお父さんが到着するからでした。お父さんが合鍵を持っていないはずはないのですが、夏休みの宿題も依然としてありますし(わたしは生真面目さが取り柄なので宿題をこまめに進めます)。


 宿題をやっているうちに、突然コーヒーを飲みたくなりました。甘くてミルクの入ったもの以外は飲めないのに、ブラックを飲もうと、急に思いました。わたしも俗にいう背伸びをしたい年頃とやらに突入したのでしょうか。それまでは、無理してブラックを飲むほうがダサいと思っていたのですが……。


 スマホで適当にアイスコーヒーの淹れ方を調べます。マグカップに氷をたくさん入れ、やかんからお湯をフィルターに注ぎます。お湯につかったコーヒー粉から香りがたちのぼってきます。


 いいにおい、かも。そう思います。


 溶けた氷同士がぶつかりあって、からり、と鳴ります。


 おそるおそるひと口飲んでみると、思ったより薄いです。そしてぬるいです。いろんなものの調整を間違えたかもしれません。コクゴさんだったらこんなときに、あのクラゲの妖精さんに頼んできんきんに冷やせるのでしょうか。


 でも、これぐらいがわたしにはちょうどいいかもしれないと思いました。


 少しあとにおしっこをしたくてたまらなくなり、おしっこをしました。カフェインの利尿作用とは本当なんだなあとわたしは思います。映画を見に行くまえには飲まないようにしたいです。


 おしっこはコーヒーっぽい変なにおいでした。みんなこんな変なにおいのおしっこしてるのか、こんな変なにおいのおしっこが出ることをわかっていながらコーヒーを飲むのか。そう、わたしは思い、なぜか急に気持ちが冷めてしまいました。映画を見るまえどころではなく、コーヒーはしばらく飲まなくていいかなと思いました。




 夕方四時ごろにお父さんがやってきました。午後休というのをもらったそうです。


「うーん、おじゃまします? ただいま?」


 玄関でぶつぶつといっていました。


「どっちでもいいじゃないですか」


「うーん……」と唸りつつ靴を脱いであがります。そして手洗いうがい。


 お父さんはわたしの使ったコーヒーフィルターを見つけるなり「これ一回目?」と訊きます。


「そうですけど」


「じゃあまだいけるね」


 グラスに氷をどばどば入れます。やかんでお湯を沸かします。コーヒーを淹れます。


 ひと口飲むと、


「うん、いい薄さ」


 と、満ちたりた表情でいいました。


 お父さんは携帯電話をいじりながらちびちびと薄いアイスコーヒーを飲んでいます。


「お父さん」


「うん」


 お父さんは携帯から顔を上げました。


「この部屋って、このあとどうなるんですか?」


 お父さんはべっ甲柄のぶ厚いフレームの眼鏡を指で調整すると、ふむ、とひと息ついて、


「引き払っちゃうよ」


 といいました。


 わたしは、そうなんだ、と思います。そりゃそうか、とも思います。


「たぶんこれから週一か二週に一回ぐらいのペースで来て、整理して、そういう遺品整理の業者さんにも頼んだりして、って感じでお片付けする」


「そう、ですか……」


 わたしのこころにえもいわれぬ寂しさがわきあがってくると同時に、お父さんとお母さんは大変だなと思います。東京に住んでいる親戚もいたはずですが、お母さんがやると申し出たからやることになったそうです。


「お母さん、一回決めたら引かないからね」


 お父さんが苦笑しました。その仕方がないなあという苦笑いを見るのはこれが初めてではありませんでしたが、わたしは、そうか、といきなり悟りました。お父さんはお母さんのことをよくわかっていて、知っていて、そしてそういうところもふくめてずっと好きなんだなということを、わたしの両親はこういう人たちなんだということを、突然、けっして100%ではないですが理解します。


「お父さんって、お母さんが勇者だったこと、知ってました?」


「うん、知ってたよ」


 お父さんは朗らかにいいました。


「わたし、今日知りました」


 わたしはわざとらしく拗ねてみせます。


 お父さんは驚いたでしょうというようにはははと笑って、グラスからアイスコーヒーをじゅるっと啜りました。

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