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お昼近くになり、お母さんはお友達と会うために出かけていきました。
窓から外を見ます。ギラついた太陽が団地の白い外壁をいっそう輝かせていました。お外には出たくありません。だれも出歩いていません。
携帯電話を取り出し天気予報アプリを見ても夕方も明日もずっと晴れです。今日の最高気温は32度です。うんざりします。
うんざりしつつわたしは夏服に着替えました。夏服にはお線香のにおいがほんのりついていましたが、けっして悪い気はしません。むしろ、いいにおいです。
「ちゃんとしてんなあ」と着替えたわたしを見てコクゴさんがいいました。あずきバーを食べています。「さっきのTシャツのままで良くないですか?」
「いいのです。これ着るとしゃっきりしますから」
さて、お昼ごはんはどうしましょうか。
こんな暑い日にウーバーイーツさんや出前館さんなどを頼りにするのは避けたい気持ちがあります。
結局、そうめんを茹でることにしました。
「お、そうだ」
コクゴさんは自室に戻り、ばかでかいワイングラスと缶詰をふたつ持ってきました。大きすぎるワイングラスは、昨日コーラを冷やしてくれたふしぎワイングラスです。缶詰はスーパーに並んでいるものとは雰囲気がぜんぜんちがっていて、コクゴさんがメモ帳に書いていたのと同じような見知らぬ文字がプリントされています。リアルな鹿の絵が描いてありました。
わたしは大おばさんの冷蔵庫のなかを見ます。めかぶのパックがひとつに、納豆がふたつあります。野菜室の野菜は昨日あらかたお母さんが始末してしまいました。ちょっとしぼんだミニトマトをいくつか取って洗って切ります。
馴染みのない冷蔵庫を覗いたり、そのまま馴染みのない台所でお野菜を切るのは、人の生活に勝手に上がり込んでるみたいでちょっと変な気分だなあと思います。
古ぼけたキッチンタイマーが鳴ってわたしは鍋を持ち上げようとします。
「大丈夫です? 危なくない? お姉さんがやろうか?」
コクゴさんが突然子供扱いしてきたので一瞬、む、となりましたが、ここは素直に甘えておこうと思って彼女に鍋を任せました。
ざるにそうめんがどばっとあげられ湯気がもうもうと立ちます。熱でシンクが、ぼん、といいました。じゃーっと蛇口から出る水で冷やしつつ、コクゴさんはワイングラスを手に持ってなにか囁くと、ざるを指さしました。
「そのワイングラスのなかに妖精さんがいるんですか? 冷やす系の?」
わたしは納豆をかきまぜながら訊きます。
「ええ、冷やす系の。その缶詰も開けちゃってくださいね~」
大きなお皿にそうめんをわけて、その上から納豆、めかぶ、ミニトマト、コクゴさんが持ってきた鹿肉の塩漬けを乗せていき、めんつゆをかけます。
「やっぱレタスないとさびしいですね」といいながらコクゴさんは目をつむり、両手のてのひらを差し出すように上に向けました。小さい声で二言三言なにやらつぶやきます。そして目を開けると「いただきま~す!」と合掌しました。
「ハイブリッドなんですね」
わたしはおそるおそる鹿肉の塩漬けにかじりつきながらいいます。くせが強いのかと思っていましたがそんなことはありませんでした。ですが、塩気がなかなかきついです。おまけにそれなりに硬いです。
「ええ、こっちの生活も長いしふたつやらないと気がすまなくて。やらないときもありますけどね」
そういえば今朝はやっていませんでした。なんでも、お肉を食べるまえは自然と“出る”とのことでした。一応狩猟民族なので、身にしみついているのかなあ、とのことです。
「そういえば塩漬け肉、しょっぱかったりします?」
「はあ、まあ正直いうと」
コクゴさんがマヨネーズを差し出します。彼女のお皿を見ると、塩漬け肉にマヨネーズがかかっていました。
「こっちの食事に慣れちゃうととしょっぱくてしょうがないんですよね。まあ、そういうところも好きなんですけど……」
わたしはマヨネーズを受け取ってむりゅりゅとかけます。
「コクゴさんの元いたところって、鹿のお肉以外に何か特産品とかってあるんですか?」
「うーん……蛙」
「おお、ヨーロッパっぽいです」
「こっち来てからもそこらへんで捕まえて食べたりとかもしてたんですけど、もうずっと食べてないなあ」
そうめんはしっかり冷えていました。
妖精さんの姿はわたしには見えませんが、器のなかで適当にくつろいでいるらしいです。
「どんな感じなんですか?」
「クラゲみたいな……」
わたしはそうめんを持ち上げます。すると、半透明な物体がずるりとそうめんの束から落ちました。カプセルフィギュアぐらい手頃な大きさの、半透明なくらげ状の存在がそこにいました。
「見えましたなんか透明なやつっ!」
「お、素質ありますね。アミ氏からの遺伝かなあ」
クラゲさんは触腕を使って麺を持ち上げてすするジェスチャーをします。
「そうめんを二本か三本あげてみてください」
コクゴさんにいわれてわたしはそうします。クラゲさんはちゅるりとそうめんを吸い込みました。触腕を使ってなにやらジェスチャーをして一礼すると、ふわふわ浮いてワイングラスに帰っていきました。
「半透明でしたけど、妖精さんって、幽霊みたいな感じなんですか?」
「うーん……」
コクゴさんは黙ります。
マヨネーズまみれの鹿肉をひとくちで食べ、ぶっとい眉毛をくしゃりとさせながら「んん」と唸っています。
やがて、
「えっと、マナで構成されてるので、魔力生命体って感じで幽霊とは微――」
とだけ呟くと、また黙ってしまい、
「まあ、幽……う~ん、まあ幽霊みたいな感じですね」
と妥協しきったとおぼしき回答をしました。なるほど。わたしは頷きました。
「えっと、じゃあ、」
“みたいな”じゃない、ほんとうの幽霊っているんですか?
そう、わたしは訊きかけますが、やめました。
なんだか、それはやめておこうと思いました。
かわりに、どんな妖精がいるのかたずねてみます。
ジブリの『千と千尋の神隠し』にたくさんの神さまが出てくるみたいに、コクゴさんが元いた世界にもわたしの世界にも、たくさんの妖精さんがいるそうです。目に見えやすいものからエルフなどの種族でも知覚するのに訓練が必要なもの、絶対に知覚してはいけないもの、友好的なものからいたずら好きなもの、契約をしてはいけないものまで、それはそれはたくさんいるそうです。
コクゴさんの種族(西中央エルフというそうです)の生活と密接に結びつき、そして重要なのは、風の妖精と記憶の妖精だそうです。
風の妖精はただ風をびゅんびゅん吹かしたりするだけじゃなく、よいもの、たとえば獲物のにおいだとか雨が降るまえのにおいだとかを運んでくれるそうです。
記憶の妖精は長命種族であるエルフが忘れてしまいそうなことを代わりにおぼえてくれるそうです。時たま、先のことも教えてくれるそうです。
「それって、未来がわかるってことですか」
わたしは食器をシンクに持ち運びつつ訊きました。
「わかるというか、こっちの言葉でいう“虫の知らせ”の凄い版みたいなやつですね。わたしも片手で数えるほどしかないですけど」
コクゴさんは最後のひとくちを食べると、麦茶を飲み干しました。窓の外をぼんやり眺めています。
その表情から何かを過剰に読み取ろうとしているのに気がついて、わたしは慌てて視線を外します。邪念をはらうようにスポンジをたくさん揉んで泡立たせます。
外からは誰かがはしゃぐような声が聞こえてきます。
「桃~、桃桃桃~……もーもはいらんかね~……」とうっすらと聞こえます。
コクゴさんは「えもう来たの!?」というと慌てて外へ飛び出していきました。
「え、え、なになになに」
わたしは窓を開けてベランダに出て見下ろします。
軽トラが一台停まっていました。荷台に乗った段ボール箱や木箱には桃がたくさん詰まっています。おじいさんおばあさんや子供連れのひとたちがじょじょに集まってきています
軽トラの横では「桃~!」と声を張り上げる女性がいました。
とても大柄で、赤レンガ色の肌が太陽の光をうけて輝いています。着ている白シャツとオーバーオールをはちきらんばかりの筋肉ムキムキっぷりです。女孫悟空といった感じです。アクアマンを演じてたなんとかモモアさんといった感じです(もっとも、お髭は生えてませんが)。
彼女はわたしに気が付き、こちらを見上げます。ぎょろっとした力強い目を細めて笑います。アスリートが着けてるようなごついマスクの下では口が大きくつり上がってることでしょう。マスクのかかってる耳はコクゴさんと同じく尖っていました。
「おう! 桃買ってけ嬢ちゃん!」
桃売りのお姉さんは南方エルフのシュワイヤさんといいます。
彼女はある儀式のためにこの団地まで来ました。
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