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 大おばさんの部屋に戻ったらお母さんがパンを食べながらテレビを見ていました。


「あ、ふぉふぁえり」


「ただいま」


「おじゃまします。アミ氏、ツルハ氏お借りしました」


「いいえ~」


 わたしはテーブルの上に置かれたままの書き置きのメモに気がつき、ぺたぺたと畳んでゴミ箱に捨てました。ふたりは、お金いくらだった? まあまあ、このくらい大丈夫ですよというよくありがちなやり取りをしています。


「アミ氏コーヒー余ってます?」


「一回出したドリップのならあるよ」


「も~らい! と、そのまえに」


 手洗いとうがい~、と歌いながらコクゴさんは洗面所に向かいます。


 わたしも手を洗ってうがいをします。手の甲のラジオ体操に参加した証はまだ残ったままです。ついでに歯磨きもします。大おばさんが使っていた歯磨き粉はアクアフレッシュでした。あの赤と白と青のストライプのやつがニュッと出てくるやつです。我が家のものとは違います。


 わたしは新鮮な気持ちで歯ブラシの上にアクアフレッシュのカラフルな歯磨き粉を乗せました。いつもと違うミントの風味と刺激が口の中に広がります。大おばさんは毎日これで磨いていたんだなあと思いを馳せます。




「コフィ、コフィー」と上機嫌にいいながらコクゴさんは適当なマグカップに使用済みのドリップパックを乗せてお湯を注ぎました。


「お母さんもコクゴさんも、まあまあ暑いのにホットコーヒーなんて飲んでます」


 わたしはお水を飲みながらいいます。


「冷たいの飲みすぎちゃうとお腹痛くなっちゃうから」お母さんはいいました。「そういうのがね、ちょっとずつわかるの。歳とると」


「そうそう。そういうものなの」


 コクゴさんはスティックシュガーを三袋も入れてます。


 わたしにはコーヒーを欲しがる気持ちも、暑い日にあえて熱いものを飲むに至る過程も、まだ知りませんしわかりません。




 お母さんは今日のお昼すぎに出かけ、お友達と会うとのことでした。ですので、その前にプチ遺品整理をしています。しているはずでしたが、アルバムを広げていました。


 色褪せた表紙を開いて、茶色くなった台紙に留められたセピア色の写真を見ていきます。


「これ、おばあちゃんかな」


「うん」


 それはどこかの田舎での写真でした。河川敷に座った若い男性や女性が、みんな朗らかな笑顔をカメラに向けています。当時はカメラが珍しかったというのもあるのでしょう。みなさん、本当に楽しそうに笑いかけています。


「こっちの眼鏡かけてるのは大おじさんかな」


「あー」


「ふふ、この子かわいい~」


 2歳ぐらいの女の子が、母親らしき人に手を引かれて、川に足をひたしています。冷たさにびっくりしたのか呆然とした表情でした。


 わたしの知らない、わたしのご先祖たちの姿がそこにありました。


 おばあちゃんは最初からおばあちゃんではなく、20歳だったときもあったのだし、大おばさんも黒くて艶のある髪をボブにしてミニスカートを履いて、どこかの喫茶店で誰かに笑いかけながらタバコを吸っていたのだということをわたしは知ります。


 わたしはその事実に、胸を打たれます。じん、としたものが胸に広がります。


 ある写真が目にとまります。いまわたしたちがいる低層棟のまえに、若い頃の大おばさんと大おじさんがふたり並んで立っています。


 大おじさんは40歳にもならず、30代で亡くなってしまったそうです。この写真のなかで白い歯を輝かせる大おじさんは、遺影や部屋に飾ってる写真よりもちょっと若々しいです。顔が四角い昭和のハンサムさんです。


 写真のなかのふたりは満ち足りた笑顔で、将来には良いことしかないという、そういう確信を抱いた表情でした。


「むかしはね、」お母さんがいいます。「団地って、すごい倍率が高くて、全然入れなかったんだよ」


「うん」


「大おばさんたちは、運良く入れて、それで、さいごまでここにいたんだよね」


「うん」


「ねえねえ、これこれ見てくださいよ~」


 コクゴさんがそういいながらしんみりしてるわたしたちにアルバムを差し出しました。


 大きな垂れ幕が吊るされた、やたらと豪華な広間で撮られた集合写真です。華美な衣装に身を包んだ立派なおひげの王さまらしい人や王女さまらしい人に、大きな杖を持った肌の青白い陰気そうなイケメンのおじさん、王さまよりも立派なおひげをたくわえたころころとした背の低い斧のおじさん、おひげの斧のおじさんその2(ちょっとイケメン)、おひげの斧のおじさんその3(赤毛で三つ編み)、それに巨大な木の盾に手を置いてどっしりと立つ甲冑の騎士。皆さん立派な勲章をつけたり首からぶら下げたりして、どこか緊張した面持ちです。


 ……コスプレ大会?


「違いますよ~っ、ほら!」


 コクゴさんが指さしたのは中央に立つ女の子でした。


 その女の子はいまのわたしとそう変わらない年齢です。年齢だけじゃなくて、顔もわたしにそっくりです。顔を紅潮させて、ほかの人々よりも明らかに緊張していました。背筋をピンとさせています。


 その子は青いジャージの上から凹んだ胸当てに肘当てと膝当てを着け、真っ赤なマントを羽織っています。なんか尖った肩当ても着けています。ショートヘアの前髪からは、大きな宝玉のはまった額当てがのぞいています。手には剣と小ぶりな盾を持っています。


 見るからに勇者といった風情でした。というか、


「これ、アミ氏」


 そうです。若い頃のお母さんです。

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