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さきほどの公園から歩いてすぐにある中層棟、その一階部分にお店がいくつか入っていました。
団地商店街というやつです。
こういったお店は団地やニュータウンの高齢化と過疎化によりばたばた閉店しているものという偏見がありましたが、そんなことはないそうです。
「一時期はちょっとまずかったですけど、〈特別危機〉以降は都心から避難してきた人らが結構定着しましたからね。気がついたらなんかいい感じなんですよ。若い人がどんどんお店開いたりもしてますし。わたしも隣の隣にある地域カフェたまに手伝ってます」
給水器の前に立ったコクゴさんはいいます。給水器から飛び出た水が、彼女が持ったプラスチックのコップのなかで白く泡立ち入り乱れます。滝、とわたしは思います。
わたしはやたらぴかぴかとした食券機に目を戻しました。朝そば(天玉)、朝そば(きつねたぬき月見)、朝定食A、朝定食B、朝定食C。
古い引き戸を引いてお店から一旦首だけ出して、立てかけられたホワイトボードを見ます。朝定食Aは、そばと小盛りごはんと納豆と玉子。朝定食Bは、そばと小盛りカレーライス。朝定食Cは、そばと小コロッケ丼。
「小コロッケ丼……」
わたしはマスクのなかで呟きます。カツ丼ならわかります。コロッケ丼というものは初めて聞きました。
コクゴさんは小さいジップロックから小さく折りたたんだ千円札を取り出し食券機に入れると、迷いなく朝定食Aを選択しました。わたしはあれこれ迷いましたが好奇心がおさえられず朝定食Cを選びます。
食券を手に持ち店内を改めて見回します。店内は狭すぎず広すぎず、そして古めかしい引き戸と対象的に、食券機同様ちょっとぴかぴかとしていました。首からタオルをかけたタンクトップ姿のおじさんがカウンターでおそばをすすり、テーブル席ではワニのマークのポロシャツを着たおじさんがスポーツ新聞を読みつつおそばをすすっていました。
「かけで」
食券を受け渡し口に差し出しコクゴさんは慣れたように告げます。
「つ、冷たいやつで」
わたしはおずおずと食券を差し出します。
「あいよざるね」と店長さんらしいおじいさんが愛想よくいいます。
ざる。わたしはマスクのなかで小さく復唱しました。そうです、冷たいおそばはざるそばです。なんでざるそばという言葉が出てこなかったんでしょうか。
「はいお待ち」と受け渡し口に置かれたおぼんを受け取りテーブル席へ行きます。
コクゴさんはヘアゴムを取り出して綺麗な髪をぱぱっと束ねていました。濃い色のおつゆに浸ったおそばにむけて七味唐辛子をじゃんじゃんかけはじめます。
次に小分けパックの納豆を開封すると、お箸を突っ込みがしがしと混ぜ、次にたれとからし、そしてAセットについてきた玉子を全卵入れます。そこに更に七味唐辛子をふりかけ、カップ容器から飛び出てしまうんじゃないかと心配になる勢いでかき混ぜると、小さいどんぶりで湯気を立てている白いごはんに一気にかけました。
たまご納豆ご飯を吸い込むように食べ、そしておそばをすすり上げます。つゆをひとくち飲みます。たまご納豆ご飯を吸い込むように食べ、そしておそばをすすり上げます。つゆをひとくち飲みます。
ひたむきに朝定食Aを吸い上げるその姿はしかし決して粗野でも下品でもなく、なぜか見ていて爽やかな気持ちになります。食いっぷりがいい、という言葉はこのためにあるのでしょう。
「ん、食べないんですか?」
コクゴさんにいわれてはっとなり、わたしはおぼんに視線を下ろします。
ざるそば。至って普通のざるそばです。
小コロッケ丼。小さいどんぶりに盛られたごはんの上にぺなぺなと平たいコロッケが乗り、温泉卵が添えられています。カツ丼のように玉子でとじたものか、あるいはソースカツ丼のようにキャベツが乗り、ソースがかけられたものと予想していましたが、どれでもなかったというわけです。
これならコクゴさんと同じくA定食か、それかB定食の小カレーライスの方が良かったかもしれません。
そう思いつつソースを垂らしてコロッケをひとくち齧りますとこれがびっくり、ぺなぺなとしているのは外見だけで、思いのほかぎっしりと詰まったコロッケではありませんか。おまけに中にひき肉も適度に入っています。これはあたりのコロッケではないでしょうか。
「ほほっへ、おいひへす」
「でしょう」コクゴさんは微笑みます。
なんでもこのコロッケ、この団地商店街にかつてあった精肉店のコロッケを可能な限り再現したものだそうです。別にコスト等を考えれば業務用でいいはずですが、厨房に立っている人の良さそうなおじいさん店長さんのこだわりだそうです。
「ここらへんもむかしはそういう店があったんだよっていう、そういうことをまあ、残、伝えていこうかなって。まあ単純に私が好きなだけですけど。ガハハ」
と、アド街の取材が来たときにいっていたそうです。ちなみにですが、コロッケのみの持ち帰りもやっており、なかなか売上がいいそうです。
「コクゴさん、その子、あまり見ない子だね」
店長さんがいいました。
「この子ね、ツルハ氏。カザミ氏の姪っ子の娘っ子」
わたしは会釈しました。店長さんも会釈します。
「カザミさんもよく食べてたんだよ。そのコロッケ。月見にコロッケっていうのが、多かったかなあ」
店長さんはしみじみといいます。
そうなんだ。わたしはコロッケを齧り、大おばさんもこれを、と思います。
「知らないことだらけです」わたしはいいます。
朝、こんなにおじいさんやおばあさんが散歩しているのも、団地の屋上でエルフのお姉さんが弓矢の練習をしてるのも、夜になるといろんな団地のたくさんの窓が明るくて宇宙船や水族館みたいできれいなのも、ぜんぜん知りませんでした。
こんな世界があって、時間があって、そうやっていろんな人たちがいろんなことをしているなんて、想像すらしていなかったのです。
コクゴさんは「早起きは三文の徳だね」と微笑みました。
わたしは「お得です」と頷きました。
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