5

 コクゴ先生の教え方はとても上手で丁寧です。


 が、わたしはうまく的を射抜けません。ぺーう、とでも形容できそうな間抜けな飛び方をするわたしの矢は的のふちをかすり、向こう側の棟の屋上に散らばっていきます。


「わたしも最初はこんなもんだったんですよ」そうコクゴさんはわたしを励まします。


 弓を構えることなんて初めてです。慣れない動作にわたしの筋肉はじんわりと重さをおぼえます。意外とお腹と背中の筋肉が疲れています。空も少しずつ白くなっていきます。コクゴさんは「次ラストにして朝ごはん食べに行きましょうか」といいました。


 わたしはじんじんと痛む指先を見ながらうなずき、そして構えます。それをコクゴさんが軽く触れて微調整します。細長い指がわたしの手や腕、姿勢を正しい方へ導きます。


 ゆっくりと深呼吸します。わたしはエルフ。超すごい。そういい聞かせます。


 矢を放ちます。


 風を切って突き進む矢は、的の中央に命中しました。


「おっ」コクゴさんは感嘆の声を漏らします。「いいですねえ~」


 わたしは照れ笑いをコクゴさんに向けました。


「妖精さんに手伝ってもらってラスイチは命中させよっかななんて思ってましたけど、その必要はなかったですね」


「えー、そういうこといいます?」


「あはは。でもどっちにせよ命中したんだしすごいことですよ。向いてるかもですね」


「えー、お世辞ですか?」


「エルフ、ウソつきません」


 コクゴさんはおどけてみせます。わたしは褒められまんまと気を良くしました。




 朝はいろんな人が歩いています。窓から見えたように、ご高齢の方が散歩をしていたり、犬を連れていたり、ジョギングをしています。高校生ぐらいの男の子が、小さな公園の一角で縄跳びをびゅんびゅんいわせながら頑張り、恰幅のいいおばさまが太極拳らしい優雅な動きをしていました。


 一旦家に戻って一応持ってきてあるTシャツなどに着替え、わたしは朝の散歩をコクゴさんとともに楽しんでいます。


 昼間は気温とあいまって殺人的な湿度も、この時間帯だといい感じにひんやりとしていて悪くないなと思います。


 団地、というかニュータウンって緑道と橋が多いなと思います。歩車分離というやつです。


 通りかかった公園でラジオ体操がおこなわれようとしていました。わたしはちびっ子たちに混じってやるのはちょっと恥ずかしいのでと難色を示しましたが、「いいべ? なあ、たまにはいいべ? なあ」とうっとうしい強引さを発揮するコクゴさんに根負けして参加しました。


 夏休みのラジオ体操に参加するなんていつぶりでしょうか? わたしはちょっとばかりの生真面目さを取り柄にしていますが、とはいえこの手のイベントごとには「は? だる」という気持ちが強くあります。小1の頃に二回か三回参加した程度の経験しかありません。


 いざやってみると、なかなかよいものでした。コチコチに緊張していた背中や肩の筋肉がいい感じにほぐれたように思います。


 あいにくスタンプカードは持ち合わせていないので、わたしもコクゴさんも手の甲にスタンプを捺してもらいました。赤い丸で囲われた赤い「出」の字をしばし見つめます。


 コクゴさんはいつの間にかちびっ子たちに囲まれていました。コクゴちゃん宿題手伝って、読書感想文見て、読書感想文かわりに書いて、などといわれています。


「まあまあまあ、また今度ね、今度ですよ」となだめるコクゴさんに、小5ぐらいの女の子が「コクゴちゃんの“また今度”じゃ夏休み終わっちゃうー」といいました。


「なーにをいいますか。私も最近は“子ねずみの時間アルティメット”を会得したんですよ」


 よくわかんないけどコクゴさんは得意げです。その姿に子供たちは、わかっているのかわかっていないのか「すっげー」と素直に感心します。


 その輪に混ざらず、遠巻きにコクゴさんを見ている男の子にわたしは気がつきました。ちょっともじもじしています。きっとコクゴさんのことが気になるのでしょう。もしかしたら好きなのかもしれません。


 わたしは年長者ですが特にその子を輪に入れるような、話しかけるとかなんかそういう年長者っぽいことはしません。


 手の甲にある赤い「出」マークを見て、コクゴさんのきれいな手にもある「出」を見ます。


 まだじんわりと痺れが残る指先を片手で揉みます。


 わたしはマスクの下で思わずほくそ笑みます。漏れ出た優越感がマスクのなかを湿らせました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る