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 コクゴさんのお家はまるで極まった古本屋さんのようでした。玄関からおトイレ、襖が開きっぱなしの和室もお布団のまわりに本ばかり積んであります。団地のおばさんの部屋とほとんど似たような間取りのはずなのに、こうも違うのかとわたしは驚き桃の木です。


 平積みになって放っておいた本特有のあのにおいが、じゃっかんマスクを貫通してわたしの鼻をむずむずとさせます。


 レギンスパンツに包まれたコクゴさんの平べったいお尻についていきます。むわっと熱気のこもった短い廊下を抜けて居間につきました。さいわい、この部屋は涼しいです。エアコンはついていませんが、なぜかひんやりとしていました。本だらけの家なのに、ダイニングテーブルの上には不思議と本は置いてありません。コントで使うような大きすぎるワイングラスだけが置いてあります。


「さっき飲んだばかりですけどなんか飲む~?」


 コクゴさんが冷蔵庫を開けていいました。冷蔵庫のなかは電気がついていません。つまり、通電してないということだと思います。お部屋の電気もそういえばさっきからいっさいついていません。


 わたしは、お母さんは騙されていて、この人は本当は本当にやばい人なのではないでしょうか、と急に思いました。


 自分をエルフと思い込んでるだけなのではないでしょうか。


 電気が止まっているからといって変な人とは限りません(やむにやまれぬ事情があるのかもしれないですし、これはどこか差別的な発想で良くない気がします)。ですが、わたしの背筋はぞくぞくと震えます。


「えと、えと」とわたしが口をぱくぱくさせていると、コクゴさんはコカ・コーラのペットボトルをわたしに手渡しました。ちょっと冷えてるけれどでもぬるいです。


「いい?」コクゴさんはいうと、自分のコーラを「ゆねっさーん」といいながら巨大ワイングラスにちんと軽くあてました。「はい、やってみ」


 わたしはあうあう混乱しつつ「ゆぅ、ゆねっさーん」といいながら巨大ワイングラスに軽くコーラを当てました。


 するとなんということでしょうか。ペットボトルが一気に冷たくなりました。蓋をひねって半信半疑のまま呷ると、きんきんに冷えたコーラがわたしの口のなかにしゅわしゅわと広がります。


 まるで魔法です。エルフだからやっぱり魔法が使えるのでしょうか。わたしがたずねると、コクゴさんは「妖精」とだけいいました。


「電気止まってもなんとかなるんですよ」




「そういえばツルハ氏はなんで制服なの?」


 目の前で書き物をしているコクゴさんがたずねてきます。緑色で薄くて細長い手帳に、見たことのない文字や記号で何か書いてます。


「一応、喪服のほうがいいかなって」


 わたしは大おばさんのお葬式で、学生服が喪服がわりになると初めて知りました。なので今日もこうして着てきてるというわけです。お母さんからはべつに普段着でいいよといわれたのですが、なんだかその方が“格好がつく”と、そう思ったのです。


「へえ、ちゃんとしてるなあ」


 コクゴさんは感心したようにいいました。そんなコクゴさんは首元がだるだるになった色褪せた黒Tシャツを着ています。ぜんぜんエルフという感じはしませんが、美人さんなので不思議と様になっています。くっきりとしたきれいな鎖骨がときおり顔をのぞかせます。


「コクゴさんは……」わたしは訊きたいことがたくさんあります。それなのに「何歳、なんですか」と訊いていました。


 失礼な質問をしてしまったことに気がついて瞬時に「ちなみにわたしは13歳ですっ」とつけくわえました。


 コクゴさんは若いねえ~というと、指を折って4をつくります。


「400歳!?」


 首をもったいぶって振って片方の手で5をつくります。


「540歳!?」


 う~んと残念そうに首を振るとそれを合体させて9をつくりました。


「きゅきゅきゅっ、900歳!?」


 コクゴさんは瞬時に2をつくって「92ちゃい!」とかわいくいいました。


「きゅっ……」わたしから見たら長生きだけれどエルフからしたらどうなんでしょうか?「見えませんとてもその、あー、若々しいです……」


「おっ、気を遣われた」


「やはり年齢のことは失礼かと……」


「やあもう、慣れたもんですよ。こっちきたときは40歳ぐらいでしたからね。そっちのほうが今より人に驚かれましたし」


「そのときって、団地のお、カザミおばさんっていくつぐらいだったんですか?」


「20代後半かなあ……」


「ずっと友達だったんですか?」


「うん。ずっと」


 ずっと、という響きは確信に満ちたものでした。50年近くつづく友情って、いったいどんなものだったのでしょうか?


 と、ここでわたしはようやく思い至ります。この先、コクゴさんの隣にカザミおばさんはいません。


 コクゴさんは92歳だそうです。数々の物語のように、エルフが何百年も生きるのであれば、50年の友情なんてそこまで大したことなんかなくて、この先カザミおばさんのこともだんだんと忘れていってしまう可能性もありますが、そうじゃない可能性だってあります。この先も、ずっとその思い出を抱えて生きていかなければいけないのでしょうか。


 わたしにとっては何度か会ったことのあるおばさんが死んじゃったな、かなしいな、というきわめてフラットな感じで済んでいますが、コクゴさんはそうとは限らないです。


 軽率な話題をふるべきではなかったかもしれません。わたしはコーラを呷ります。責め立てるように炭酸が弾け、舌にべっとりはりついた甘味料がわたしの気持ちをすこし重くします。

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