この世は薔薇、咲けども咲けども棘のまま(パイロット版)

水長テトラ

終わりの終わりの始まり

 




※2023/05/04 一部文章削除


※2023/06/01追記 このパイロット版はほぼほぼアイディアの書き出しのようなものでしかなく、一部共通する設定はあるものの本編の内容と繋がりはありません。






 千の神と万の天使が、少女が死ぬのを待っている。

 空高く繋がり巨大な輪っかとなっている神々は絶えず全身の触手の分解と結合、絡み合いを繰り返し、その自己分解時に生じるエネルギーを刻一刻と蓄積し、完全なる炉と化していた。

 その周辺の警護を行う眼球と翼の天使たちは、少女の身体が倒れたりして“領海”に侵入した暁には、レーザー光線で即時に焼き払おうと瞬きもせず巨大な瞳をぎらつかせていた。裁きのために作られた天使は顔も手足も胴もない。翼の生えた眼球が、全方向に向かって絶えずぎょろついている。


 光を遮るものなどない灼熱の床、それは僅かな足元だけで、後は果てしない花の海が広がっている。万葉満開の巨大な花が水平線を粉々に埋め尽くし、花びらと花粉で息も詰まるほどだった。一つ一つの花の中央が何十人、何百人も吸い込めそうなほどの禍々しい大きさで、互いの花粉でより色鮮やかに汚し合っていた。


 少女は白銀の髪が熱風に靡いて視界が遮られるのもそのままに、自分の足元の小さな影だけを見つめていた。

 空には神、海には花。人が生きる場所はどこにもない。




 〇 〇 〇 




 少女が立っている小さな床は、元は超高層ビルのヘリポートだった。その真下の屋上へ向かう階段で青年が一人、息を潜めている。膝まで海水に浸かっているが、まだ完全には水没しきっていない。少女が立つ場所と階段以外花に埋め尽くされているが、少女が来てから不思議と花の浸食は止まった。

 恐怖と緊張と混乱で落ち着かない心臓を胸に、青年の脳は必死に現状の把握を努める。


──何があってもここから出ないように。


 そう命令した少女の眼を思い出す。刃物のように鋭い目つき、薔薇のような、血のような、そんな表現では足りない、とにかく血濡れの薔薇のように、真っ赤な瞳だった。何も言えないまま従ってしまう。




 少女が現れたのは、青年が花に飲み込まれる寸前だった。


 へし折られて沈みゆくビルから隣のまだ折れきっていない真っすぐなビルに飛び移ろうとして、足を滑らせて花の上に落ちた。蟻地獄のようにどんどん吸い込まれていってもう駄目だと諦めて目を閉じそうになったとき、頭上で閃光が巻き起こった。それから、鋭い刃物がガラスの上を走るような、耳が痛くなる轟音。

 顔を上げると一番高い花が目についた。雲を突き抜けるほど、ではないが見上げる角度の関係でまるで雲や恒星ぐらいの高さにあるような錯覚に陥る。

 光はその花の中から出ていた。四方八方溢れ出て遥か上の雲の切れ間さえ眩しくなる。ひょろりと伸びきった茎はまるで天から伸びたロープだった。

 その赤い花は無数の薔薇が群れ集まった形をしていた。重なり合った花びらの上にさらに幾多の花びらが積み重なり、遠くから見るとただのぶつぶつの気味悪い塊でしかなかった。


 その奇形の薔薇の中央が割れようとしている。光は徐々に落ち着いてきたが、異変はまだ終わらない。

 次に中から出てきたのは血、のような赤い液体だった。大量の液体が迸り、それとは正反対に巨大花は色艶を失い、急速に萎れていった。端の方から花びらが千切れて散っていく。枯れていく茎が花の重みに耐えきれず、ぐにゃりと首を垂れた。液体が海に流れ落ちる滝の音が響く。


 とうとう花が真っ二つに割れた。

 波を立てて落ちた花の跡、花柄かへいには小さな女の子が立っていた。きちんとしたボレロとワンピースを着こんで、王侯貴族のお茶会の帰りと言っても通じそうな身なりだった。ただ、頭からまともに被った真っ赤な液体が全部ぶち壊している。片手に握っている白いティアラだけが無事だった。


 高い高い花の上から、千切れる寸前の葉に飛び降りてとんとんと降りていく。一番下の葉に降りた瞬間、青年は少女と目が合ってしまった。

 合ってしまった、というのは血のような液体に染まっても尚も平然としている少女を見て肝が冷えたからだった。脚がへし折られそうになっている青年を見た少女はゴミを見るような目つきで冷たく眉をひそめたかと思うと、空いている方の手で青年を引っ張り上げた。


 あれは到底、人助けをしようという使命感に駆られた顔ではなかった。



 そして今に至る。

 少女は長い間、虚ろな目で俯いている。足元だけが神にも花にも邪魔されない絶対領域だった。どれだけ生存に不向きな空間でも、視界に邪魔者がいなければ少女の心は永遠に澄みきっていた。だが、永遠など有り得ない。

 一羽の神の影が足元の波に映った。待ちきれずに輪からはみ出したのだった。

 少女は神の影を見つめて、ゆっくりと瞬きする。再び目を開いたとき、そこに虚ろは微塵もなかった。瞳の赤は濃い。静寂を乱した神を空を見上げて睨みつけると、握りっぱなしだったティアラを意を決したように両手で掲げて頭に被る。


 そこから先は速すぎて、青年はフィルムをコマ送りで見るようにところどころ捉えるのが精一杯だった。


 少女は海に向かってジャンプした。助走する場所なんてない。すぐに花が襲いかかり少女を飲み込もうとする。ひまわり型の花が落とし穴のように黒々と染まった内に、少女の足首を巻き込む。

 まき散らされる花粉に怯むことなく少女はひまわりを踏んづける。

 すると、急にひまわりが枯れ始めた。眩しい黄色は生気のない灰色に一気にくすみ、水気もないしわくちゃになり、風に吹かれるまでもなく細切れにちぎれた。

 花を踏み台に少女はほんの少し上に飛び上がった。上から神と天使、下から狂い咲いた巨大な花々が襲いかかる。空高くからレーザー光線が降り注ぐ。

 少女は折り重なる花の群れを階段のように踏みしだき、怯むことなく神々の方へ突き進んだ。光線が連なって直撃する。


 遠くでも目が眩んで青年は思わず手で顔を覆った。光の轟音と、肉が焦げるような鈍い嫌な音が重厚に鳴り響く。しゃがみこんで耳をきつく塞いでも突き抜けて聞こえてくる。音はやまない。ずっと轟々濁々と鳴り続けている。

 ……流石に長すぎる。恐怖を焦燥が上回った頃、一際巨大な音が鳴ったので青年は慌てて飛び起きて窓に張り付いた。


 あのときと同じ音だ。天上花が裂けたときの、他の全ての音を殺す唯一の音。静寂へ繋がる刃。


 まだレーザー光線は幾重にも降り注いでいるが、さっきほど眩しくはない。少女は焼け焦げていなかった。無惨に焼け焦げ黒く豹変したのは花々と一羽の天使だった。  

 天使の眼球は切り裂かれて液状にぐにゃぐにゃになっている。もはや黒いシミだった。


 少女のやや赤みがさした頬から煙がうっすら伸びている。

 ようやく青年は、少女の姿をしたそれが人間でないことに気付く。

 少女は焼け焦げなかったのではない。

 焼け焦げると同時に再生し続けていたのだった。


 レーザーをまともに浴びながら天使の群れに飛び込んで、一羽を手刀で貫く。膝で押さえつけて天使の背後に乗り込むと、輪の方に天使の眼球を向けた。神々は分子分解超音波を発するが少女の肌は一切受け付けない。

 自転車に乗るかのように眼球にまたがると、翼の一部を引きちぎり、さらに深く天使の奥へ腕を突っ込んだ。たちまちレーザーが散乱して、方向を変えて逃げようとする神々を乱れ撃つ。中央部の炉には命中しないが、かすり傷はできた。

 神の被造物たる天使の光線が神を傷つけること能わず、かすり傷はすぐに修復され消え失せる。だが傷跡さえあれば少女には十分だった。


 天使に乗ってある程度近づくと、腕を突っ込んだまま少女は眼球から脚を降ろした。降りた先は空中で、落ちていくだけだった。重い眼球に引っ張られて頭から落ちていった少女は、どこにそんな力があるのか空中で一回転すると、上に向かって眼球をぶん投げた。いつの間にか少女の腕と手にはあちこちに棘が生えている。

 当然、神々はレーザーで天使だったものを汚らわしいと言わんばかりに焼き払う。火がついた瞬間に眼球は爆散した。

 すると熟しすぎてぐちゃぐちゃに腐った果実のように、中から液体が溢れんばかりに飛び散った。それは少女がこっそり注入していた毒液だった。ぐつぐつと音を立てて神々の一部が溶けて輪が乱れる。その拍子に毒液が炉にまでかかる。傷跡に毒液がしみる。電流が走り、徐々に大きさを増す。


 急速にショートしまくった炉はただの爆弾と化し、神の制止も聞かずに爆発した。神と天使は粉々になった。

 ついでに沢山の花も爆発に巻き込まれたし、すでに少女に踏み荒らされたときの毒で瀕死だった。爆風で建物もびりびりと震え、青年は再び耳を塞ぐ。気づけばあんなにぎゅうぎゅうにひしめいていた花々が後退している。奥の方から枯れてきているのかもしれない。

 神々と天使の最期を、少女は真下から見届ける。液体や花粉のついた顔を棘を引っ込めた腕で拭い、白い肌が露わになる。

 頭上のティアラが眩しく光る。恒星だけがずっと静かに、一部始終照らしていた。



「もう出て来ていい」

 戻って来た少女にそう言われても、青年の足はなかなか動かなかった。何もかも現実味がない。花に殺された後に見た夢かもとすら思う。けれど恐る恐る這い出した青空の下は、四つん這いの青年を祝福するように涼しい潮風が吹きわたる。めいっぱい深呼吸をしてこれは現実なんだ、さっきの戦いは本物なんだ、とずっしり実感した。

 目の前の少女はまた虚ろな無表情に戻っている。こうして近くで見ると更に幼い。背丈からして十歳前後だろうか。


「あ、あなたは一体……?」

 青年はそう聞くのがやっとだった。




 少女の背後で、枯れた花が下から崩れ落ちていく。それは一際高く伸びた茎だった。風が吹いて、一刻前の瑞々しさはとうになく、それでも醜悪な大きさ通りの重さは失われず、落ちた拍子に海面を騒がした。

「……我が名はレトリア・フラウシュトラス。この狂った世界を、全て滅ぼしに来た」

 膝の高さほどの津波が起き、青年は起き上がろうとしたが間に合わず、幾らか海水を飲んでしまった。


 背中が濡れても、少女の脚と真っ赤な瞳は揺らがない。

「跡形もなく」







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この世は薔薇、咲けども咲けども棘のまま(パイロット版) 水長テトラ @tentrancee

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