第123話 お互いの距離感

「遅い!」


 俺がファミレスに着くと既に藤林が勉強道具を広げていた。

 横には緑色のシュワシュワした飲み物が置かれており、文句を言った後それをストローで飲み干した。


 今日から藤林の勉強を見ていくことになる。


 時刻は18時。そこから数時間一緒に勉強をする予定だ。

 ファミレスは、藤林の家から徒歩圏内にある場所のもの。俺の家のカフェでもよかったんだが、夜の遅い時間までするので帰りやすさを考慮してこうなった。


 昨日、藤林のお母さんと約束した件で藤林には、各補習の最後に行われる確認テストに合格してもらわなければならない。


 草介は国語と英語と数学が今回の期末テストで赤点だったため、この三つの補習を受けてテストに合格しなければならない。

 それに比べ、藤林は全教科の補習を受けなければならない。


 期末テストの順位を聞けば、ほぼ最下位に近いものだった。

 点数も一桁台がずらりと並ぶ。


 ……というか今更疑問だが、よくこの学校入れたよな?


「何突っ立ってんの? 早く座ってよ」

「ああ、悪い」


 藤林に促され、正面の席へと座る。

 そしてすぐにドリンクバーを注文し、コーラを入れてから席へと戻った。

 目に入ったのは、藤林が広げている数学の教科書。

 それも一年の範囲のものだ。


「感心だな。意外にもちゃんとやってんだ」

「当たり前でしょ? あのお母さんを打ち負かすんだから。家に軟禁されて勉強漬けなんて真っ平御免だし。それに……合格しないと新世にも迷惑かかるじゃん」


 一応、迷惑がかかるということは自覚しているらしい。

 藤林がテストに合格できなければ、それ以降の藤林が自由がなくなるのはもちろんのこと、俺にも責任が降りかかる。


 責任……あの言い方ってあれなんだよな。

 はっきりと明言はされなかったけど、つまりそういうことだろう。藤林はわかっていないようだけど。


「そういえば、今日は補習もちゃんと行って、家庭教師もあったんだろ? どうだったんだ?」

「補習は、行ったけどあまりわかんなかった」

「まぁ、それは仕方ないか」


 一年の基礎もできていないからな。今の授業内容がわからなくても仕方ない。もっとも補習では来ている生徒もそういった部分がわからない生徒が多いのも確かなので基礎中心ではあるみたいだが。


「家庭教師は?」

「そっちは……わかんない」

「へぇ……意外だな。てっきり藤林のことだから文句が出てくるもんだと思ったけど」

「別に変なやつじゃなかったし。あたしのことをそういう目で見てくることもなかった。教え方もわかりやすい方だったし」

「それっていい人なんじゃないのか? 何が分からないんだ?」


 藤林から聞いた限りでは、問題なさそうな人のようだ。しかし、藤林からは言ってる言葉とは裏腹にいい感情は伝わってこない。


「それが……わかんないって言ってんの」

「……」


 なるほど。なんとなくだが、分かってしまった。

 この感情は戸惑いだ。


 親のこともあるのだろうが、話を聞く限り今までの人付き合いで藤林は、誰も彼も信じることができていなかった。

 相手が男であればなおさら噂もあり、いい目で見られていなかった。


 同年代の俺たちを除いて、そこに初めてまともに接してくれる相手が出てきたのだ。しかも男で。

 これまでフラットに見られたことのなかった藤林にとってはそれをどう消化していいのか分からないのだろう。

 

 それこそ優李の時と同じようなものだ。


「まぁ、その家庭教師がこれから信頼できる相手かどうかは続けていけば分かるんじゃないか?」

「……うん。でもお母さんの雇った人だし……何か裏があるのかもって」

「そればかりは分からないな。でもあのお母さんと会話した感じでは、藤林に対する感情は悪いものばかりではなかった気がするけど」


 これはあくまで俺の第一印象だ。普段藤林との関係を見ていないので本人からすれば、間違った評価かもしれない。


 それはともかく。


「よしっ。じゃあ、ここからは俺ができるだけ教えるからわからないことがあれば言ってくれ」

「…………」

「なんだよ?」


 やる気を出して始めようとしたところ、藤林は不満そうな顔でこちら見た。


「名前。いい加減、下の名前で呼んでよ」

「……」


 それで不機嫌そうだったのかよ。名前ねぇ……。

 なんか藤林呼びが定着してしまったせいで今更感があるんだよな。


「なんで今更?」

「だってお母さんのことは下の名前で呼ぶじゃん!」

「いや、それはどっちも藤林だったらややこしいじゃん」

「それならあたしのことも別に下の名前で呼んでもいいよね? ほら、早く!」

「……はぁ。紗奈」

「あはっ」


 俺が下の名前を呼ぶと一転、は顔をニヤリとして勉強を始めたのだった。


 ◆


 今日は午後九時ごろまで勉強をした。

 基礎のできていない紗奈に勉強を教えるのは骨が折れると思ったが存外、勉強は捗った。

 最初は、教えても首を傾げていた紗奈であったが、少し考えるとすぐに理解して問題を解き始める。


 教えていて思ったが紗奈は要領がいいのだろう。このまま勉強を進めていけば、テストもおそらく合格できるし、二学期以降もいい成績を取るだろう。


 要はやる気さえあれば、紗奈はなんでも卒なくこなすことができるということだ。

 今まではそれがなく、サボりにサボっていただけ。母親との間に何があったかは知らないが、今まで頑としてやる気になれなかった紗奈が俺の説得ですんなりとやる気を出すのは変な気分だった。


「んぁー疲れた……」


 慣れないことをやると人は疲れるものだ。だけどどこか充実している気もしなくはない。


 夜になっても相変わらず夜は暑いが、ゆっくりと歩いて帰るのも悪くない。

 しばらく歩いて帰ると公園が見えてきた。

 前に翠花とバスケをした公園だ。


 少し前のことなのにどこか懐かしく感じる。

 耳すませばボールが跳ねる音が聞こえてくる気がする。


 ──ダン……ダン……。


 ……あれ? 本当に聞こえる?


 疲れて幻聴でも聞こえたのかと思ったがそうじゃないらしい。

 音の出る方へ吸い寄せられるようにその場所に向かう。


 そこには──


「っし! もう一本!」


 シュートを決めながら楽しそうに笑う翠花の姿があった。


 ……またバスケしてるのかよ。


 いつ来ても彼女がここにいるような気がする。

 日中も部活があっただろうにそんなのは彼女に関係ないようだ。

 翠花は俺に気が付かないまま難しいドリブルムーブを繰り返し、シュートを放つ。


 そしてシュートが入っても入らなくても何度も同じムーブを練習する。時に悔しそうに、時に嬉しそうに笑っていた。


 そんな太陽のように眩しく笑う彼女のプレイに見惚れること数分。


「ふぅ……ってあれ!? 新世くん!?」


 ようやく一段落して息を整えた翠花が俺に気がついた。


「よう。集中してたな」

「ま、まさか見てたの……!?」

「ちょっとだけな」

「(は、早く声かけてくればいいのに……しかも、こんなに汗かいてる時に……)」


 俺がそう言うと翠花は顔を頬を紅潮させ、何かを呟いた。


「まだ練習は続けるのか? よかったら相手になるけど」

「ほんと!?」

「っ」


 翠花は目を輝かせて俺に近寄る。あまりの勢いに少しのけぞった。


「あ、でもダメだ……そろそろ帰らなくちゃ……」

「あー、確かにもう遅い時間だもんな」


 時刻は午後十時前。

 見つかれば補導されてしまう時間でもある。

 田舎だから巡回する警官なんてあまりいないけど、それでもよくはない。


「でも前はそれも忘れるくらい夢中にやってたけどな」

「ぐっ……それを言わないでよ。新世くんだって夢中だったくせに」

「悪い。俺もやり出したら周りが見えなくなるんだよな」

「あはは、一緒だね!」


 翠花とはもう少し気まずくなるかと思ったけど、その心配は今はなさそうだ。


「そういえば、翠花は補習とかないのか? 勉強苦手だって言ってたけど」

「え? いや……えーっと……」


 俺の問いに露骨に目を逸らす翠花。この反応からすぐに分かってしまった。


「ち、違うよ? 一教科だけだからね?」

「ちなみに何が苦手なんだ?」

「す、数学……」

「ああ……」


 なんとなくだけどそんな気がした。


「だ、だってあんなの意味不明だもん! 二次関数とか指数関数とか一体何に使えるのさ!」

「俺に聞くなよ。でもそれなら明日も補習あるんじゃないのか? こんな時間まで練習しててよかったのか?」

「い、息抜きのつもりがいつの間にか……」

「やっぱり夢中になってたのかよ」

「そ、そういえば! 紗奈ちゃんとの勉強会はどうだった?」


 俺が呆れたように言うと翠花はわかりやすく話を逸らす。

 紗奈のことはみんな心配していたので玲奈さんとの話し合いの後、ちゃんとどうなったか連絡をした。


 ……ちなみに責任云々は言っていない。あくまで勉強を見ることになったということだけだ。


「ちゃんとやってたよ。今回は本人もやる気あるみたいだな」

「よかった……」


 翠花は安堵のため息を吐く。そしてすぐにこちらを何かを言いたそうにしてみた。


「どうした?」

「そ、その……紗奈ちゃんいいなって思って」

「……何が?」

「だって新世くんと二人きりで勉強とか……翠花もしたことないし」

「……──っ!」


 言われてすぐは分からなかった。

 だけどその意味を理解した瞬間、顔が熱くなる。


 感情をストレートに表現するのは翠花の魅力でもあると思った。


「よかったら、翠花も勉強教えようか?」

「ほんと!?」


 バスケをしようと提案した時と同じように翠花は目を輝かせる。それはつまり……それくらい俺のことを……。


 思わず意識したことに心臓の音が激しくなる。

 お、落ち着け。


「あ、でも……昼間は補習と部活ある……」


 夜は紗奈の勉強を見ることになっている。

 つまり翠花の勉強を見る時間はない。あまりに残念そうな顔をする翠花。自分から提案してしまったが故に今更、無理とは言えない。


「じゃあ、翠花がよかったらだけど紗奈と一緒に勉強するのはどうだ?」

「……じゃ、邪魔じゃない? それに新世くん二人も大丈夫なの?」

「翠花は数学だけだろ? 二人だったらどうにかなる。多分」


 紗奈に特に許可は取っていないがおそらく大丈夫だろう。


「悪いな、その……ふ、二人きりじゃないけど」

「ううん! 嬉しい! ありがと!」


 自分で言うのは恥ずかしかったが、翠花は気にすることなく満面の笑みを返す。


「とりあえず、今日は帰ろうか。送るよ」


 そこから、時間も時間だったので翠花を家まで送って俺も帰ったのだった。


────


ようやく名前呼びになりましたね!

ここからさらに、距離感は縮まるのか……!


翠花との再会もデジャブ……。

せっかくなので可愛くしていきたいですね!


【お知らせ】

コミカライズ4話公開しました!

ちょうど紗奈の登場回にもなりますのでよければ下記より、是非お読みください!

かなりかわいいですよ……!!


https://comic-walker.com/detail/KC_005690_S/episodes/KC_0056900000500011_E?episodeType=first


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