第120話 母親との確執

 新世の家を後にしてから、しばらく。自宅である高層マンションを見上げる。

 既に日は暮れており、目を凝らせばどうにか空に瞬く星が見えた。


 田舎には似つかわしくはない建物だと思う。

 だけど、もう何年も住んでいるあたしには慣れてしまった光景でもある。

 昔は……お父さんが生きていた頃はここには住んでいなかった。


 小さいアパートでお父さんとお母さんと三人で暮らしていた。

 今みたいに自由にお金が使えるわけでもなかったし、生活も貧しかったと思うけど、それでも楽しかったのは覚えている。


「なんでこうなっちゃったんだろ……」


 マンション前にある道路のフェンスに腰掛けながら、ため息をつく。


 今のあたしとお母さんの関係は最悪だ。

 今も家に帰って、何を言えばいいか考えているのに何一つ言葉が思い浮かばなかった。


「何してんだ?」

「──っ。な、なんでここにいるの?」


 声のかけられた方を振り返る。そこには大量に荷物を抱えた新世がいた。


「忘れもんだ。買ったもの家に置いてくなよ」

「だからってそれ全部持ってきたの!? 歩いて……?」

「そうだよ。おかげでこんな時間になった。場所も先生から聞いた」


 新世が持ってきてくれたのは昨日、買い物でいっぱい買った服だ。翠花の家に泊まるのに大量の荷物を持ち込むのは申し訳ないと思って、新世の家に置かせてもらっていたのだ。


 額から汗を掻く、新世の顔は不機嫌そうだ。


「……ごめん」

「……珍しく素直に謝るんだな」

「あ、あたしだって悪いって思ったら謝るし!」


 今は新世をからかう元気もなかった。

 新世もそれが分かってなのか、特にあたしにからかい返してくるようなことはしない。


「……みんなは?」

「帰ったよ。疲れ切ってたからな。それに藤林のこと心配してた」

「そっか」


 なんだか悪いことをしてしまった気がする。あの時は、機嫌が悪くて周りのことを考えられなかった。

 きっと楽しい空気だっただろうに。昔からの悪い癖だ。


「何かあったのか? 桐原先生と話してたみたいだけど」

「……」

「言いたくないならそれでもいいけど」

「……別にいい。話したくないわけじゃない」

「前はそう言って、話さなかったけどな」

「──るさい」


 新世は小さく笑う。それに釣られてあたしも少しだけ笑った。

 おかげで少しだけ暗かった気持ちが吹き飛んだ。


「あの時ね」


 あたしはそれから新世に新世の家の二階であったことを話すことにした。


 ◇


「さて。なぜ君が私と面談しているかわかるかな?」

「……知らないけど」


 カフェでの仕事が落ち着き、閉店することになった間際、新世の担任である桐原先生から話があると言われた。

 新世から二階の部屋を借り、話をすることになったんだけど……。


 苦手なんだよね、この先生。

 生徒指導ということもあり、一年の頃から目をつけられて度々、注意されていた。


「まず一つ。補習サボるのは感心せんな」

「うげっ……」


 忘れてた。期末のテストでの点数があまりよくなかったあたしは、補習を受けなければならなかった。


「そ、それならカフェが始まる前に言ってくれればよかったじゃん」

「私も補習を受けなければならない生徒全員を覚えているわけではないからな。それに私の担当は数学。今日は補習がないのだ」


 正直この暑い中、学校にわざわざ勉強しに行くのは気が向かない。ただでさえ、今は家出してるって言うのに。


「明日からはしっかり受けるように」

「……はぁい」


 黙っているわけにもいかないので、適当に返事する。

 そしてすぐにどうやってサボるかを考え始めた。


「それともう一つ。こっちの方が重要な話だな」

「……何?」

「藤林。君のお母様より、学校に連絡が入っていてね。昨日から家に帰ってないだろう?」

「──っ」


 先生から言われた言葉に動揺する。

 まさかお母さんから学校に連絡が入っているとは思っていなかった。いつも放置しているくせに。


「だったら何なの?」

「親御さんが心配している。家に帰りなさい」

「嫌」


 先生の言葉に反発するように私は、睨みつける。少しの間、目を逸らさずに睨み合ったところで先生が先にため息をついた。


 ……勝った。

 心の中でほくそ笑む。


 しかし、先生はあたしのことを無視してスマホを取り出し、どこに電話をかけ始めた。


「お世話になっております。水原高校の桐原と申します。昨日、ご連絡いただいた件でお電話させていただきました。……ええ。はい、そうです。すぐに代わります」


 そう言ってから先生は自分のスマホを耳から離した。

 会話の内容からその電話相手が誰かわかっていた。


「君のお母様だ。しっかりと話しなさい。君からは電話しないと分かっていたのだろうね。君と会ったら電話してほしいと頼まれていたのだよ。言っておくが逃げるとか考えないように」


 先生に釘を刺され、諦めて、差し出されたスマホを手に取った。

 そして保留を解除してから、恐る恐る電話に出る。


「……もしもし」

『もしもし? 紗奈かしら』

「何の用? 言っておくけど、家庭教師の件は──」

『そんなことより、今すぐ帰ってきなさい。家庭教師の件は、それから話し合いましょう』

「嫌だけど」

『言っておくけど、逃げられると思わないことね。この夏休みは遊ばずにずっと勉強をしてもらうわ』

「そんなこと言われて、帰るわけないじゃん」

『……あくまで言うことを聞く気はない、ということね』

「だったらどうするの?」

『それならあなたが使っているカードを止めましょう』

「はぁ!? そんなの卑怯じゃん!!」

『何が卑怯なものですか。当然よ。そのお金はあなたが家出して好き勝手に使うだけのものではないの。高校生ならそれくらいもうわかるでしょう』

「……」

『それが嫌なら帰ってきなさい。それでも帰ってこないなら私にも考えがあるわ』

「なに?」

『あなた、最近はよくカサブランカというカフェに出入りしてるでしょう』

「し、調べたの!?」

『伊藤新世くんと言ったかしら。そこでお世話になっている子よね。最近、あなたと一緒にいるのは』


 新世の名前を聞いて、心臓が跳ねる。

 最悪だ。この人はあたしの交友関係を全部調べ上げている。それが直感で分かった。


『そこに食材を卸しているのは、うちの会社の知り合いのところでね。これまでも好意で安い値段で卸していたんだけれど、最近は物価の上昇もあって採算が取れなくてね』


 血の気が引いていく。これは脅迫だ。あたしが家に帰らないとこのカフェに食材を卸さないと言っているのだ。


「そこは関係ないでしょ!? なんでそんな話になるの!!」

『あなたがいるということはそれだけで迷惑がかかる、ということなの。いい加減そのことに気が付きなさい』

「……っ、それにしたって新世の家は関係ないでしょ!! それならあたしは別のところに──」

『何を言っているのかしら。私はビジネスの話をしているだけよ。このままあなたが意地を張って、そこに居座っててもいいことはないわよ。わかったら早く帰ってきなさい。今日は夕飯を一緒に食べるわ』


 そのままお母さんが一方的に話したいことだけを話し終えると電話がブツっと切れた。


 最低だ。あたしの言うことを聞かせるためだからってそんなこと……。

 これじゃあ新世に迷惑がかかる。あたしのせいで……。


「そ、そうだ。先生はここの店長さんの知り合いなんでしょ? そしたら」

「藤林。家に帰りなさい」

「……っ」

「電話口から話は聞こえていた。私とて、あまり気分のいい話ではないし、やり方も気に入らない。しかし、君が家に帰れば済む。ただそれだけのことだ」

「……」


 先生の言う通りだった。あたしの都合で新世に迷惑をかけている。

 お母さんの先ほどの言葉が脳裏をよぎる。


「それでは私は帰らせてもらおう。頭が冷えたら、君も帰りなさい」


 そう言って、藤林先生はスマホを手に取って下へと降りていった。


 ◇


「そういうわけ」

「…………」


 あたしが話し終えると静かに聞いていた新世は押し黙る。

 あたしのせいで居候先に迷惑がかかる、これじゃあもう関わりたくないと言われても不思議じゃない。


 しかし、新世は口を開いて予想外のことを口走った。


「なぁ、藤林のお母さんと話をさせてもらえないか?」


 それは予想していない提案だった。



──────

書き溜めが底をつきそう……。


新世くんが動きます。

次回VS紗奈母。


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