第77話 呼び捨てって思ったよりハードルが高い
あの後、しばらくすると綾子さんが帰ってきた。
どうやら用事はもう済んだらしい。
今日は、あまり客も入っていないということで今日の俺の仕事は終わりとなったのだ。
そして、今はゆゆと朝霧の座っていたテーブルに俺も混じる形となった。
つーか、このメンツで一体何を話すのか。
疲れたらからベットで横になりたいんだが。しかし、後輩はそれを許してはくれなかった。
「せーんぱいっ。お仕事お疲れさま!」
「ああ、ありがとな」
「はい、これ。アイスコーヒーです。愛を込めて入れましたよっ」
「ああ、ありがとう。入れたのは俺だけどな」
そして、席に着くと早速ゆゆが俺の隣に椅子を寄せ、密着してくる。
先ほどからしつこく、仕事を理由に適当にあしらっていたが、それが終わるや否や彼女に遠慮はないようだ。
「…………」
慎しながらも確かに感じる柔らかな感触。
……やめてほしい。
確かにゆゆは前以上に可愛くなった。そんな子に懐かれたら嬉しくない男なんていないだろう。
しかし、俺としてはどうしても彼女を妹のように扱ってしまう。
それは単に年下だからか、世話がかかるからか。自分でもその辺のところはわかっていない。
ただ、前よりかは適当に扱うようになったのは事実である。
「こほん」
と、そんな俺とゆゆの様子を見た朝霧から咳払いが聞こえた。
「み、三谷さん? 引っ付きすぎじゃなくって?」
若干声が震えている。それに言葉遣いだっていつもとちょっと違う。
……どうした?
「ええー? そんなことないですよぉ! ねっ、せんぱい!」
「いや、朝霧のいう通りだから。もうちょい離れてくれ」
「むっ、せんぱいもそんなこと言うんですか? 仕方ないですねぇ。朝霧先輩も引っ付きたいならそうすればいいのに……」
「なっ!? だ、誰が引っ付きたいのよ、新世なんかに!!」
なんかってなんだよ、おい。
「ええ〜? だって、さっきから羨ましそうにチラチラ見てたじゃないですか? 私が先輩とイチャイチャするところを」
「誰がイチャイチャしてたよ」
「べ、別にう、う、羨ましいとか思ってないから!! 私は、ただ新世がすぐ鼻の下を伸ばすからそれを見るのが不快だっただけ!!」
「いや、伸ばしてねぇよ!! とんだトバッチリが来たな、おい」
「ふん、どーだか。どうせ、三谷さんに抱きつかれて、む、胸の感触でも楽しんでたんでしょ!!」
「ちょ、そういうこと言うなよ」
「ええっ、そうなんですか!? せんぱいのえっち」
「ゆゆは、黙ってろ」
ああ、ややこしい!!
この二人なんなんだ!? なんでこんなことなってんの!?
決して、仲が悪いわけじゃないんだろうが……。
なんというかゆゆが朝霧のことをからかっているように思える。
しかし、これはある意味貴重な場面なのでは?
後輩に煽られる朝霧。これはこれで面白い。
「と、とにかく! 三谷さんは新世に引っ付くの禁止!!」
「ぶー。横暴ですよ。私が抱きついて朝霧先輩が困ることないじゃないですか?」
「そ、それは……そう! 言ったでしょ? 新世のニヤケ面は目に毒なの!」
「ニヤけてなんかないから」
酷い言い草である。
「とにかく! ダメったらダメなの!」
「……分かりましたよ」
しかし、朝霧の力説?が効いたのか、意外にもゆゆは、素直にうなずいた。
俺としてもそこらかしこで抱きつかれるのは困るので、いい話だ。
今までは引き離そうとすれば、より引っ付く力が強まるだけだったので、相手しないように放置してたが、それすらもなくなるならありがたい。
「分かったらいいのよ」
「まっ、朝霧先輩のいないとこでは引っ付きますけどね!」
「分かってないじゃない!!」
どうやらそれは無理らしかった。
「はーい、盛り上がってるとこ悪いけど、もうちょっと静かにしてねー? 他のお客さん入ってきたからね」
と、そんなところで綾子さんから注意された。
気がつけば、カフェには先ほどより席が埋まっている。
「す、すみません……」
「ごめんなさい……」
「綾子さん、俺手伝う?」
「いや、いいよ。その席楽しそうだし、もうちょっとそうしてて」
「……?」
楽しそう? 騒がしかったなら分かるけど。普通にゆゆと朝霧が言い合いしてただけだぞ。
綾子さんはそれだけ言うとすぐにカウンターの方へ戻って行った。
「……」
「……」
「……」
なんか気まずい。
「そ、それとなんだけど」
「なんだ」
「三谷さんのことはゆゆって下の名前で呼ぶのね」
「……? それがどうした?」
「別に……なんでもないわ」
……わからん。俺がゆゆをゆゆと呼ぶことになんの問題があるのか。なぜ、朝霧はちょっと拗ねているのか。
……なぜ?
「せんぱいは分かってないですね。ダメダメです」
「ダメって何がだよ」
「はぁ〜。いいですか、せんぱい。朝霧先輩は、私だけが下の名前で呼ばれてることに嫉妬してるんですよ」
「み、三谷さん!? 余計なこと言わなくていいから!!!」
ゆゆの言葉に朝霧は取り乱す。嫉妬? なんで朝霧が嫉妬するんだ。
下の名前なんて別に今まで気にしてなかっただろ。翠花とか下の名前で呼んでたし。
というか、藤林もそんな会話したな。
もしかして、女の子って下の名前で呼んだほうがいいのか?
……分からん。ゆゆとか、翠花とかは呼びやすいけどなんか朝霧はなぁ……。
「いいから、朝霧先輩のことも下の名前で呼んであげてください! ほら、早く!」
俺がゆゆに急かされるとなぜか朝霧は黙って、少し何かを期待したような目でこちらを見てくる。
「うっ……」
そんな目で見られるとたちまちなんだか、恥ずかしくなってきてしまう。
こ、これは呼ぶしかないのか?
「あ、新世……」
朝霧が俺の名前を呼ぶ。より緊張感が高まる。
ええい、こんなことに緊張してても仕方ないだろ。普通に呼べ!
「ゆ、優李……」
「……っ!」
俺が名前を呼んだ瞬間、優李は顔を赤く染める。
それを見て、俺も瞬間的に顔が熱くなった。
なんだか不思議な空間が出来上がってしまった。
「ストーップ!!!」
「っ」
「……!」
そしてゆゆの一声に俺も朝霧も現実に呼び戻される。
「なんですか。なんなんですか、その甘い空間は!!!」
「あ、甘い?」
「そ、そうよ。別にふ、普通だったでしょ?」
「ゆゆの時はそんなんにならなかったのに〜」
ゆゆがこちらをジト目で見てくる。
「そりゃ、あの時はなんというかそういう流れだっただろ。改まった感じで言うとこう……なんか違うだろ」
「……むぅ〜。しょうがないですね。そういうことにしときます」
なんとかゆゆを宥めることができた。納得いっていない表情ではあるが。
一方の朝霧は、未だ若干顔を赤らめていた。
頼むから早くいつもの朝霧にもどってくれ。
「なんか思ってたよりも変な感じになっちゃったので、話変えます!」
「唐突だな」
「せんぱいたちのせいですよ!」
「で、何を話すんだ? そろそろ、俺自分の部屋で休みたいんだが」
「まぁまぁ、これだけ聞いときたかったんですよね。せんぱい球技大会は何に出るんですか?」
「何って、球技大会あるのは二年だけだろ。一年は関係なくないか?」
「あります。大有りです! だって教えてもらわないと応援行けないじゃないですか!!」
「授業サボる気かよ」
「そう言えば、私も新世が何に出るか聞いてなかったわね」
「ああ、俺は──」
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