第56話 負けられない戦いとつきまとう怪我

「ちょっと賭けでもしない?」


 バスケットコートに立ち、ボールを翠花に手渡して、さてディフェンスからかと気合を入れようしたところ、いきなりそんなことを言ってきた。


「なんだ急に?」

「いや、こういうのってやっぱり緊張感あった方がいいじゃん? ナツともいつもそうやってるんだよね〜」

「んなこと言ったって、普通に翠花が勝つだろ」

「そんなのやってみないと分からないじゃん? それに……新世くん経験者でしょ?」

「……!」


 一言もそんなこと言ってないのだが、翠花にそのことを見破られたことに驚いた。


「よく分かったな」

「だって、さっきのシュート練習の時、リバウンドも様になってたし、パスとかかなりうまかったんだもん。出す位置も的確だったし、指示とかもね。まるで鬼コーチだったよ」

「いや、それは……すまん。ちょっと久しぶりだったから熱くなりすぎたっていうか……」

「別に責めてないよ? こんな個人練習でも部活みたいな強度でできてすっごい良かったし!! 翠花としては嬉しい誤算ってやつ?」


 一体何が誤算なのかは分からないが、さっきの練習は必ずしも翠花に迷惑をかけていたわけではないらしい。よかった。


「って言っても片手だぞ?」

「じゃあ、ハンデあげるから!」

「……まぁ、分かったよ。でもお手柔らかに頼む。まともにするのは3、4年ぶりなんだ」

「おーけーおーけー! 全力で勝ちに行く!!」


 全然手を抜く気ないな。


「で、賭けって言っても何を賭けるんだ?」

「う〜ん、そうだね〜。いつもだったら飲み物奢るとかだけど……もうさっき買っちゃったしな〜」

「帰りにコンビニで何か奢るとかは?」

「この辺、コンビニ中々ないよ? 一番近いところで二十分くらい歩かないとないかも」

「…………」


 そうだった。田舎をなめていた。


「あっ、じゃあこれはどう?」


 翠花は何かを思いついたようだ。


「負けた方が勝った方の言うことを一つ、なんでも聞くって言うの!」

「……それ、俺が圧倒的に不利なんだけど」

「えーいいじゃん! やろうよ!! 何でも命令できるんだよ?」


 得意気な表情で煽ってくる翠花。


 なんでもって……。


 一瞬、良からぬことを考えてしまい、頭を振った。


「そんなこと言って本当に大丈夫か?」

「ふふん、そんなの勝てばいいんだよ!!」


 自信満々に答える翠花。


「ね、どう?」

「分かった。ただし、負けても文句言うなよ?」

「ふっ、そっちこそ!!」


 負けられない戦いが始まってしまった。



 このコートにはスリーポイントラインはない。なので一本あたりの得点を一点としてカウントする。

 通常なら五点先取という話だったが、ハンデということで翠花は六点、俺は、三点を取れば勝ちということになった。流石に片手で利き手じゃないから、半分とはだいぶ甘めのハンデだ。

 翠花はそれでも勝つつもりらしいが……そのハンデが誤りだったことを分からせてやろう。

 ぶっちゃけ自信はない。


 先行は翠花からだ。

 俺は数年ぶりの1on1。久しぶりの感覚にしっかりと腰を下ろして、ディフェンスの体勢に入る。


 そして翠花は、俺の顔を見て、右、左、そしてまた右にフェイクを入れたかと思うとドリブルで俺を抜き去ろうとする。

 フェイクに引っかかりつつもどうにか、半歩遅れて翠花に追いつこうとする。しかし、翠花はそれを意に介さず、強引にシュートへ持っていった。


 レイアップで放たれたボールはそのままリングを潜った。


「くそっ」

「へへん! どうだ!!」


 思わず悔し紛れのセリフを吐く。翠花はしてやったりの顔をする。


「次は俺の番!」

「よし、こい!!」


 ボールを受け取ると俺はすぐに左手でドリブルを突く、そして右左と揺さぶった後、勢いよく抜きにかかる。


「っ! ぁ!」

「ふっ」


 翠花は俺のドリブルにもついてきた。しかし、すぐに俺はその場に止まってジャンプシュートを放った。それに翠花は反応ができない。完全に振り切った状態だ。

 しかし、俺が放ったボールはリングに弾かれてしまった。


「あー、入らねぇ……」

「あっぶなー!! それで利き手じゃないの!?」

「利き手だったら入ってたな」

「それでも勝つ! 次は翠花の番!」

「よっしゃ、こい!」


 そこから俺と翠花はオフェンスとディフェンスを交代交替で繰り返していった。

 久しぶりの感覚だったから初めの方はシュートが入らなかったが、徐々に慣れてきて、入るようにもなってきた。


 だが、それは翠花も同じことで俺のディフェンスの甘い部分を見切ると容赦無く、抜いてはシュートを打ってくる。

 この辺はやっぱり現役選手との差ではある。


 あとは俺がちょっと疲れたら体格差を利用した攻めをしたりもした。その度に翠花は何も言わなかったが、悔しそうに顔を滲ませていた。


 そうして気がつけば、お互い夢中でシュート打ったり、止めたりと白熱した戦いを繰り広げていた。


 そして──


「おりゃああ!!」

「っ、くそっ!」

「やった!!! 勝ったぁ!!!!」


 最後に翠花が放ったシュートは見事にリングに当たることなく、ネットを潜り勝敗を分けたのだった。


「勝った勝った勝ったぁーーーー!!!」


 翠花はよほど嬉しかったのか、飛び回っている。

 ……にしても、やっぱり翠花って相当うまいんだな。

 そんな情熱は残ってないと思っていたが、普通に悔しかった。


「……まぁ、久しぶりにやったし、こんなもんかな」

「おや? 新世くん、言い訳かな?」

「いや、別に。そういうわけじゃないけど。事実だし……」


 なんだか翠花にも煽られるようになった気がするのは気のせいだろうか。藤林といい……。

 それに服装とかも違ったしな。俺は私服だし。これは言い訳じゃないぞ。


「ふっふっふ、それでも負けは負け。勝ちは勝ちだからね」

「だな。俺の負けだ。じゃあ、例の、賭けはどうするんだ? 何をすればいい?」

「そうだねぇー、じゃあ、新世くんには……」


 ごくりと喉が鳴る。一体、どんな命令がされるのか。

 なんだか今になって緊張が高まってきた。


「また今度!!」

「はい?」

「何かいいの思いついたら、使わせてもらうよ」

「……まぁ、いいけど。変な命令はしないでくれよ?」

「変なって…………っ!!」


 なぜか翠花は顔が赤くなった。おい、一体何を想像した?


「し、しないよ。それに前に助けてもらったお礼もまだだからね。まずそっちからしないと!」

「前のお礼?」

「そ! 怪我した時の!」

「ああ、それか。完全に忘れてた。別にお礼なんてしなくていいのに」

「だーめ! それじゃ翠花の気が治らないのっ!」

「じゃあ……そのお礼っていうのと相殺っていうのは?」

「それはなし!」

「……へい」


 ダメだったか。いい案だと思ったんだけどな。

 翠花のことだから、変な類の命令はしないと思うけど……。これが藤林とかだったら貞操の危機だった。


 戦いの決着もついたところで、俺はポケットに入れていたスマホを見る。そこに表示されていた時間を見て、目を疑った。


「九時半……」


 おおよそ、二時間ほどここにいたことになる。

 にしてもやりすぎた。翠花のシュート練習もそうだが、1on1も白熱して、途中からは点数が動かなかったからな。


「ええ!? もうそんな時間!? や、やばっ!! お、お母さんからめっちゃ連絡来てる……っ!!」


 翠花も俺の言葉に慌てて、スマホを見た。そして悲鳴を上げる。

 どうやら、遅くなりすぎたせいでお母さんから心配の、または怒りのLINEが来ていたようだ。


「か、帰ったら絶対怒られる……」


 どうやら顔を真っ青にしているところを見るに後者のようだ。

 翠花は急いでボールを片付けた。


「じゃ、またね、新世くん!!」


 そして脱兎の如くその場を走り去ろうとする。


 ***


「ヤバイヤバイ! 急がなくちゃ!!」


 翠花が全力で暗い夜道を走っていた。

 先ほどの汗もまだ引いていないままで、さらに汗をかきながら全力で走っている。


「……え?」


 キキーというブレーキ音とともに翠花が何かと衝突をした。

 衝突した何か──無灯火の自転車はその場に横転し、カラカラカラと車輪が空回りする。


「痛ぅ…………」


 そして翠花は、その場に足を抑えて倒れ込んでいた。


 ***


「よく怪我するな、ホント……」


 俺は息を深く吸ってから翠花を追いかけた。

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