第55話 夜の公園でのできごと

「あんた勉強は!?」

「帰ったらするからー!!」

「もう、そんなこと言ってまた──」

「行ってきまーす!」

「あ、こら!」


 お母さんの言葉を無視して、私は外へと飛び出した。

 この数日は息が詰まっていた。

 やっぱり、テスト期間なんて大っ嫌いだ。部活は休みになるし、勉強勉強勉強……勉強ばっか!!


 あんまり成績がいいわけじゃない私だけど、体を動かさないとどうにかなっちゃいそうになる。

 だからこれは息抜きってことで!


 私はリュックにボールを詰めて、いつも部活をするようなバスパンにスポーツ用のTシャツで外に出た。


「おお。空綺麗……よし!」


 星空を見上げてから、気合を入れて私は走り出した。

 目標は、この辺では珍しくバスケットボールのリングがある公園だ。そこまで走って軽くシュート練習をして帰ることにした。


 もうすっかり左足の捻挫や右のふくらはぎの張りも良くなっていて全く運動には支障がない。


 あの時。新世くんが忠告してくれていなかったら、大怪我につながっていたかと思うと感謝しても感謝しきれない。

 保健室まで連れていってくれたことも。


 ……そういえばまだお礼もしてない。


「……ふぅ」


 信号機が赤になり、立ち止まる。ゴールデンウィークが明けてから、気温もすっかり暑くなり、じんわりと汗が吹き出てくる。


「お礼するって言ったけど、一体何すればいいんだろう……?」


 こういう時の定番が分からない。今まで男の子にお礼とかしたことないし……う〜ん、ナツに今度聞いてみる?


『へぇ〜お礼? んなもん、デートにでも誘えばいいんだよ!!』


「……ナツのことだから絶対そう言うに決まってる……」


 うーん、アテにならない。他の子とかに聞いてみるかぁ……。って言ってもそういうこと聞けそうな人いないしなぁ。


 ──プァン。


「あ……す、すみません」


 交差点の信号が青に変わっていることに気がつかなかった私は、止まっていた車にクラクションを鳴らされ、頭を下げて、また走り出した。


 ……また考えとこ。


 お礼の件は、また後で考えることにして、そのまま私は公園まで無心で走り続けた。


 公園に着いてからリュックからボールを取り出す。

 すでに体は温まっているので、特に何の準備運動もせずにボールをつき始める。


 ボールは地面にぶつかると心地の良い音を立てて、手に戻ってくる。


 これこれ!!


 テスト期間中、部活がないからボールが恋しくて仕方がなかった。家で触るのもいいけど、やっぱりこうやって思い切りドリブルできないとね!


「ほっ!」


 私がリングに向かってシュートを放つとボールは放物線を描き、


「……あれ?」


 リングを空振った。


「あ〜もう鈍ってる! ほい!」


 それから私はしばらく、時間も忘れてシュート練習に没頭した。


 ◆


 倉瀬の家を後にして、腹ごなしにちょっと遠回りをして家に帰ることにした。

 こちらにきて、1ヶ月以上は経ったとはいえ、まだまだこの辺の地理には疎い。


 だからたまにどこかへ行った帰りにこうやってわざと遠回りをして、散歩しているのだ。


「お父さんが出てきたときはどうなるかと思ったけど、なんとかなってよかった」


 いや本当に。

 息が詰まって死にそうだった。

 ああいう最低限の礼儀というか、そういうのがいるのはちょっと苦手だ。


「でもなんていうか、結婚の挨拶みたいだったな」


 倉瀬が隣にいて、お義父さん。娘さんをください! ってな感じで。

 倉瀬がお嫁さんとかどこの幸せもんだよっつー話だよな。抜けてるところもあるけど、大概が可愛いで済ませられるからな。


「…………」


 倉瀬の家でのことを思い出して、また顔が熱くなってしまった。


 ──ダムダム、ダムダム。


「……?」


 するとどこかからボールをつくような音が聞こえてきた。

 音源を探すとそこには少し大きめの公園があった。

 入り口につけられたプレートを読む。


「深山公園?」


 そして中に入っていくと、誰かがバスケットボールリングに向かってシュートを放っていた。


「へー、バスケのリングがあるのか。珍しいな」


 日本ではそこまでストリートバスケットが普及しているわけではない。

 だからリングが置いてある公園も珍しい。


 遠目で見て、シュートを打っているのは背丈からして女の子だとわかった。

 なんだか懐かしい気分になる。


「……ん、あれってもしかして?」

「とぅ!! ……あっ!」


 そのシュートを打つ少女を見ていると少女が放ったシュートがリングの端っこにあたり、勢いよくこちらにボールが転がってきた。


「あ、すみません……って、新世くん?」

「翠花。奇遇だな」


 俺は足元にやってきたボールを拾って、翠花に向かって放り投げた。


「っと。散歩でもしてたの?」

「そんなとこかな」

「勉強はしなくてもいいの〜?」


 いたずらな顔をする翠花。


「残念ながら。友達の家で勉強してきた帰りだ」

「ええ!? そうなの!?」


 そして一瞬で焦り顔に変わった。


「翠花は勉強しなくていいのか?」

「うぅ……耳が痛い……仲間を見つけたと思ったのに……」

「翠花って、もしかしてあんまり勉強できない?」

「そう見える?」

「見える」

「ひどっ!! 事実だけどさ!!」

「悪い悪い。でもそれだったら、なおさら勉強しなくていいのか?」

「そ、そうなんだけどさぁ……やっぱり? 勉強ばっかりっていうのも息が詰まるじゃん? だからこれはちょっとした息抜き!!」

「ちなみに前回の学年順位は?」

「191位」

「…………」

「そ、そんな目で見るなぁ!!」


 リアクションに困る。

 一クラスに生徒の数は30人ちょっと。八クラスあるから大体全体で240人程度か。191位/240位。まぁまぁ悪いよな、これ。


 それなのに息抜きしてる場合じゃないだろ。


「赤点は?」

「ぎ、ぎり……?」

「帰って勉強した方がいいんじゃないか?」

「だ、だってさぁ……」


 翠花は本当に勉強が嫌いなようである。

 俺も好きではないから分かるけど、これは単なる現実逃避。


「も、もうちょっとだけしたら帰るから大丈夫!」

「本当だろうな? って、別に俺がどうこう言う責任はないんだけどな」

「へへ、ありがと! じゃ、もうちょっとだけ汗掻いてくる!」


 そう言って、翠花はまたすぐにリングの方にドリブルをしながら向かっていく。


「まるで子どもだな」


 初めてボールを触って、好きになったような無邪気な少年みたいだ。本当にバスケが好きなんだろうな。


「よかったら、リバウンド手伝おうか?」


 気がつけばその後ろ姿に声をかけていた。翠花は、立ち止まり振り返る。


「いいの?」

「ああ。あんまり遠くにボール拾いに行きたくないから正確に決めてくれよ?」

「ふふん! スイちゃんの正確無比で華麗なシュートに見惚れないでね!」

「さっき外したからこっちまでボール取りにきたんじゃなかったっけ?」

「…………。さっきはさっきだから。ほら、そこから見ててよ? ほっ!」


 そう言って翠花はシュートを放つ。ボールは綺麗な弧を描いて、ネットをくぐり、心地の良い音がした。


「……ね?」


 得意気に振り返って、笑う無邪気な姿が眩しかった。


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