第54話 VS父親
チクタク……チクタク……。
静寂な空間に時計の針音だけが響いている。
その音は、小さく、しかし確実に時間の経過を知らせてくれる。
俺はそんな静けさが支配するその中で、早く時間が過ぎるのを今か今かと待ち望んでいた。
時折、音のする方へ視線をずらす。しかし、目に入るのは、先ほどの数センチ、いや数ミリ程度しか動いていない長針。短針など夜ご飯を食べ始めてからほぼ動いていない。
……早く終わってくれ。頼む……っ。
先ほどから心の中ではそればかり。なのに、人生思うように事は進まないものだ。それは数々の未来を避けたのにも関わらず、トラブルが絶えないことが証明している。
「うぉっほん」
でかい咳払いが目の前に鎮座する男性から聞こえてくる。
「七時か……」
はい。
目の前の男性も先ほどから時計が気になる様子。俺も早く帰りたいです。
まだ一口しか倉瀬の作ったカレーを食べていないので、お腹も空いてきた。
「……で、七海とはどういう関係だ?」
ようやく。
中々、本題に入らずいたずらに時間を経過させていた目の前の男性──おそらく、倉瀬のお父さんは、なんともありふれた定番の質問を口にした。
「友達です」
「今から警察署に連れて行ってもいいんだぞ?」
「…………」
どうしろと?
倉瀬の話ではお父さんは現役の刑事らしい。さながら取り調べのように行われるこの問答。これって自白強要では?
「七海と一体何をしようとしていた?」
「あ、いや、あれは……事故で……っ」
「事故……? 事故であんな状態になる奴がどこにいるっ!!!」
「いや、確かに普通ありえないですけど、ホントなんですって!!!」
疑いたくなる気持ちも十分わかります。どうやったらあんなベタな展開になるんだって俺でも驚いてる。ただ、それを現実にしてしまうのが倉瀬の天然&ドジ能力である。
「黙れ!! 男手一つで育てた娘がどこの馬の骨とも知らぬ小僧に傷モノにされる、この気持ちがわかるか!!」
「傷モノも何も……何もしてないですから!!!」
「そうだよ、お父さん!! まだ胸触られただけだよ!!」
「よーし、倉瀬は黙ろうか」
「っ、貴様っ!! 表へ出ろ。切り捨ててくれるッ!!」
「ほら、話がややこしくなった!!!」
横に座る倉瀬の発言に倉瀬のお父さんは目が血走っている。
事実なんだけど、それが事故なんだって今説明していたところ!!!
「もう、お父さん。落ち着いてよ! まだご飯中だったんだからね? お父さんのせいでカレー冷めちゃったじゃない」
「…………うぅ……七海ぃ……」
情緒が不安定である。
やはり父親というのは娘に弱いらしい。頼む、倉瀬。お父さんをどうにか説得してくれ。
「じゃ、じゃあ七海。その男とは一体どういう関係なんだ!! ただの友達と二人っきりで晩ご飯を食べるか!? しかも手料理まで振る舞って!!」
「しつこいよ、お父さん。今時、友達と夜ご飯くらい一緒に食べるでしょ? 優李ちゃんだってきたことあるんだし」
そりゃ、同性だからじゃないっすかね……?
もしや、倉瀬は異性も同性も友達だったら同じだと思っている可能性がある。
「そ、それに今はまだ友達かもしれないけど……しょ、将来は……どうなるかわからないしっ……」
「な、七海……?」
倉瀬がごにょごにょと何かを言うとお父さんは顔を真っ青にさせた。
「ともかく! 伊藤くんはまだ友達だからね! 私の友達に何か失礼なことしたらお父さんでも許さないから!!」
「…………!!!!」
ポタリ。静かにお父さんの目から涙が溢れた。
娘に拒絶される父親ってどんな感覚なのだろうか。ちょっとだけお父さんに同情した。
だが、それと同時にこれが家庭のあるべき姿だと実感した。倉瀬は愛されてるんだな。
「貴様──」
「お父さん?」
「っ、き、君の名前はなんと言うのだ?」
「伊藤新世です」
「伊藤くんか。伊藤くんと言うのか……?」
「そ、そうですが」
そうか、こいつが……ッ!! とまた歯を食いしばってるけど、俺のいないところで変なこと言ってない? 倉瀬、大丈夫なんだよな?
「本当に友達なんだな? 七海のことは異性として一ミリもやましい気持ちでみてないな? 誓って言えるな?」
「と、友達です」
「本当か? しょっ引かれたくなかったら納得のできる答えを言え!!」
「友達で納得してくださいよ!?」
「お父さん!!」
「だ、だって七海ぃ……」
「それ以上、伊藤くんを困らせたらお父さんのカレーなしだからね?」
「あ、いや、七海? それはどうなの? お父さん、お仕事して疲れてるんだよ?」
「大丈夫。安心して。晩ご飯はちゃんとあるから」
そう言って、倉瀬は冷蔵庫から謎の真っ赤に染まった何かを取り出した。
……あれ? なんか動いてない?
失敗したって言ってたのってこれのこと?
「な、七海? これは?」
「お父さんの晩ご飯。お酒のおつまみにするといいよ」
にっこりと微笑んでいる倉瀬が怖い。可愛いだけの倉瀬に恐怖を抱くことなんてあるわけがないと思っていたが……意外な一面だった。
「わ、悪かったから七海……」
「謝るのは私じゃないよね?」
「…………。わ、悪かった。伊藤くん、この通り……」
倉瀬のお父さんは悔しそうな顔をしながら頭をテーブルにつけて謝った。
「い、いえ。そこまで謝らなくても大丈夫です。お父さんの気持ちもわかりますから」
「お義父さん……? 貴様に──ひっ……」
また暴発しそうになった倉瀬のお父さんは倉瀬の一睨みにより、一瞬で鎮静化された。
助かったけど、あらゆるところに爆弾埋まりすぎじゃないの、この人……。
「じゃ、お腹も空いたし、晩ご飯の続きにしよっか!」
「え、ええ……」
この雰囲気のまま、晩ご飯に戻るの?
というか、三人で? それって地獄じゃない?
結局、俺と倉瀬と倉瀬のお父さんという異色の組み合わせで晩ご飯のカレーをご馳走になった。
美味しいはずなのに、あんまり味がわからなかった。
◆
「あ、忘れてた!! 私、ちょっと洗濯物取り込んでくるね!! 」
晩ご飯をご馳走になり、そろそろお暇するかという頃。倉瀬が急に思い出したかのように洗濯物を取り込みに行った。そしてリビングには俺と倉瀬のお父さんが残された。
…………どうすれば?
気まずく感じながらも、何を話していいかわからない俺は、無言で待つことにした。
「伊藤くん。ちょっといいか?」
しかし、向こうはそうではなかったようだ。
また、何かを言われるのではないかと反射的に身構える。
「私の名前は、誠一郎という。間違ってもお義父さんとは呼ばないように」
「は、はぁ……?」
急な自己紹介。一体何を……?
「先ほどは済まなかった。つい、七海のこととなると熱くなってしまってな。それに……七海が世話になったらしいな」
「……へ?」
「ストーカーの件だ。聞けば、君が危ないところを助けてくれたらしいじゃないか」
一瞬、何のことかわからず、反応が遅れた。
「い、いえ。俺は、何もしていませんよ」
「そうか。それでもあの子の父親として、礼を言う。ありがとう」
「……!」
また頭を下げられた。
今度は倉瀬に下げさせられたのではなく、自分の意思で。
「頭をあげてください。本当に何もしてないので」
「そうか」
誠一郎さんは頭を上げる。
でもストーカーって朝霧の弟のことだよな? 詳しいことは聞いたのか?
「あの、ストーカーの件って」
「七海からはもう解決したとは聞いた。だが私は刑事だ。そのまま放っておくことはできない。自分の娘のことなら尚更だ」
ごもっともだ。実際、刃物まで持ち出してヘタをしたら刺されていた可能性すらあったのだ。
でも、これをどうやって話せばいい? せっかく、通報しなかったのにこれじゃバレるのも時間の問題だ。
「ど、どこまでご存知で?」
「全てを聞いたわけではない。だが、犯人が優李ちゃんの弟が犯人だったということは聞いた」
「それは……倉瀬が言ったんですか?」
「これは私の立場上、無理やり聞いただけだ。七海は最後まで話したがらなかったがな」
「そうですか……あのっ……」
「安心しなさい。これついてはこれ以上、言及するつもりも事件として取り上げるつもりもない。聞けば、嫌がらせ程度のことだったようだからな」
「…………」
倉瀬には、俺の手の怪我に際して、朝霧の弟の凶行を話している。つまり、ストーカーの相談をしたまでも、刃物を持ち出したことまでは言っていなかったようだ。
きっと、倉瀬の性格上、親友の弟がしたことを大事にしたくなかったのだろう。もしかしたら、それは自分に向けられたものかもしれないのに。
「知っての通り、あの子には母親がいない。褒められたことではないが、私もこんな仕事柄、ほとんど何もしていなかったようなものだからな。それゆえ、小さい頃からあの子は抜けているところもあるが、本当にしっかりしていた。一人でも大丈夫なように。……そしてあの子は誰よりも優しい子に育った」
誠一郎さんは、静かに語る。
「だからこそ、私は心配なんだ。いつの間にか、その誰かを思う優しさが自分を傷つけてしまわないか。昔も……一度、そんな優しい性格のせいで事件に巻き込まれたこともある」
「…………!」
初耳だった。何かの事件に巻き込まれたことがある……?
まるでそんな薄暗い過去などなかったかのような姿を毎日、倉瀬は見せている。
「……だからもう一度、君にも確認しておく。本当に、それだけだったんだな?」
「……っ」
倉瀬がした判断が間違いだったとは思わない。俺も同じように警察には通報しなかったから。
だけど、本当にそれでよかったのだろうか。今一度、自分に自問する。
倉瀬の父親である誠一郎さんの立場からしたら、堪ったモノじゃない。昔事件に巻き込まれた娘がまた事件に巻き込まれる、そんなことがあれば……。
「──っ」
フラッシュバックする。自分のせいで命を落とした妹のことを。
「す、みません。それだけじゃないです」
思わずにいられない。こんな時、もっと先の未来が分かればいいのに、と。
俺は、誠一郎さんに本当のことを話す決断をした。
俺が話す言葉を誠一郎さんは黙って聞いていた。そして聞き終わるとゆっくりと口を開いた。
「そうか」
「で、でも本当にもう朝霧の弟は大丈夫で──」
「安心しなさい。今更何をどうしようというつもりはない。証拠も残っていないだろうからな」
「……!」
その言葉に胸を撫で下ろした。
「そしてもう一度、礼を言う。あの子たちのこと守ってくれてありがとう」
「いえ、俺は……」
「私からすれば、優李ちゃんももう一人の娘のようなものなのだ。だからその判断はきっと間違ってはいない。君が大丈夫だと、そう判断したならそれを信じよう。刑事としての判断は間違っているのかもしれんがな」
小さく誠一郎さんは笑った。
「その代わり、と言っては何だが」
そして誠一郎さんは続ける。
……代わり? その言葉にまた心拍が上がる。
「また何かがありそうなとき、私がいないときは、君が守ってやってくれ。厚かましいお願いかもしれないがな」
「……はい」
頷くことしかできなかった。これがやっぱり本当の家族なんだと深く実感した。
「ただいまー! あ、お父さん。また伊藤くんをいじめてるんじゃないよね?」
「い、いや、七海、これはだな!?」
「倉瀬。夜ご飯、ありがとう。美味しかった。俺はこれで失礼するよ」
「え? もう帰っちゃうの!? 泊まらないの!?」
「いや、待て。それはおかしい」
最後まで倉瀬は天然っぷりを炸裂させた。
玄関まで見送ってもらった俺は、軽く手を振って家への道を歩み始める。
「間違ってない、か……」
空を見上げて、呟いた。
田舎の空は綺麗だな。今日は特にそう思わずにいられなかった。
◆
「七海。彼はもう帰ったか?」
伊藤くんを見送り、家に入ろうとした時、なぜかお父さんも外へ出てきた。
「うん、どうしたの? わざわざ」
「ちょっと一服がてらな」
そう言って、お父さんはタバコを取り出して咥える。
「ちょっと、臭いから私の前では吸わないでよね!」
「そ、そんな……昔は、かっこいいって言ってくれたのに……」
「髪に匂いつくの嫌なんだもん」
「くっ」
お父さんは泣く泣くタバコをしまう。もう私も家に入るのだから、別にしまわなくてもいいのに。
「彼はいい男だな」
「……へ?」
唐突にそんなことをお父さんが言うものだから変な声が出た。
お父さんが伊藤くんを認めた?
「昔の俺に似ている」
「ふーん? そうかなぁ」
「ああ、だからたまになら、家に連れてきてもいい」
「別にお父さんの許可とかなくても連れてくるけどね」
「ぐっ……今日みたいに二人っきりは禁止だ!」
「お父さんが帰ってこない時にするからいいもん」
「…………」
「じゃ、私家に入るけどお父さんは?」
「一服してから戻る……」
「吸ったらしばらく近づかないでね」
「…………ぅぅ」
どこか元気のなくなったお父さんを置いて、私は家に入った。
今度は伊藤くんとどこか出かけたいな、そう思った。
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