第53話 二人っきりのままでは終わらない
倉瀬の教え方は非常にうまく、この短時間でもかなり頭に入った。
ただ、たまにトンチンカンな回答もあったり、ボーッとしてたり、途中お茶を入れてくれるときにこぼしたりとハプニングは付き物だった。
……それにしても本当に勉強だけだったな。いや、別に何かを期待してたわけじゃないけど。断じてな。俺は勉強をしにきただけである。
決して、“親がいないから”という言葉に少し心を躍らせたわけではないのである。
……いや、俺だって男だからね?
別に倉瀬のことを異性として好いているとかはないし、向こうもそんなことは思ってないだろうけど、倉瀬みたいな可愛い子と二人っきりだと流石にな。
そしていよいよ、日が暮れ初めてきたので、そろそろお暇しようかと思ったら、倉瀬からとある提案をされた。
「伊藤くん。よかったらご飯食べていく?」
「……え?」
少し止まって考える。
……いいのか?
また、倉瀬の何気ない一言に惑わされる。
確かに今から家に帰っても自分で作るか、綾子さんに手伝いをさせられるかのどちらかになるだろう。
にしても日が暮れても、誘うあたり警戒心がないというかなんというか……。いや、単に男として見られてないだけか。
「えっと、ご両親は?」
「うち、お父さんだけなんだけどね。知っての通り、刑事やってるからいっつも遅いんだ。帰ってこないこともあるくらいだし! だから遠慮しないで!」
「……あー、じゃあ、お言葉に甘えて」
結局、俺は倉瀬の家で晩ご飯を食べていくことにしたのである。
お父さんしかいないことも驚いたし、そんなことを聞いてしまった手前、帰れないと思った。
綾子さんにそのことを連絡入れると、『私のおつまみはどうするの!?』っと返ってきたので『どうにかしてください』と返しておいた。
私の、じゃなくてお客さんのだろ。
「それで夜ご飯は何を作るんだ? よかったら手伝おうか?」
「ううん。大丈夫。カレーを作ろうと思って! この前のリベンジ!」
この前というのは登山か。あの時は、ひっくり返したんだっけ……。
嫌な記憶が蘇る。
「私もちゃんとできるんだってところ、伊藤くんに見せてあげるんだからっ! だから伊藤くんはテレビでも見て、ゆっくりしてて!」
何やら自信満々のようなので、俺は倉瀬の言葉に従って、待っていることにした。
倉瀬は可愛らしいフリルのついたエプロンをするとキッチンへと立つ。
そして慣れた手つきで料理を始めた倉瀬を横目でチラ見する。倉瀬は鼻歌を歌いながら、スムーズに調理を進めていく。
その姿が微笑ましく映った。
なんだかこれ、新婚みたいだな……。
「──っ」
少し変なことを考えてしまった。
そして、ほどなくするとご飯の炊ける匂いとカレーのいい匂いがしてきた。それがまた空腹に染み渡る。
「よし、完成!」
倉瀬は鍋を一掻き回すと声高にそう叫んだ。
そして容器にご飯を盛り、カレーを入れてテーブルに持ってくる。
隣にはレタスと一緒にポテトサラダ。これも手作りの様だ。
美味しそうである。
「じゃ、食べよっか!」
「ああ。……いただきます」
何かを期待する様な目でこちらを倉瀬が見てくる。そんな視線の中、手渡されたスプーンで恐る恐るカレー掬って口へ運んだ。
「…………!」
「ど、うかな?」
「うまい……!」
「よかったぁ……。伊藤くんってお料理上手だから私のじゃ、口に合わないか心配だったの」
「いやいや、そんなことないって。倉瀬が作ったのかなりおいしいよ」
そこは調味料を間違えるだとかベタなこともなく、普通に俺好みの甘くて美味しいカレーだった。
「えへへ、褒められちゃった」
「…………」
やばい。可愛い。
というか、これいろいろ勘違いしかねないやつだよな。二人っきりで勉強で家に誘われて夕食までもらうなんて。
「味付けもね、前に作ってくれた時甘めだったから、甘めにしたの」
「よく覚えてるな」
「まぁね。でも、あの時食べた味再現したかったけど、できなかったんだよね……」
「カレーの味なんて人それぞれでいいと思うけどな。倉瀬が作ってくれたカレー、俺好きだよ」
「────っっ」
俺がそういうと倉瀬は顔を赤くさせ、顔を背けた。
そんな恥ずかしいことを言った自覚はないけれど。
「ほ、本当はね。もう何品か作ろうと思ったんだけど……」
「思ったんだけど?」
「調味料間違えちゃって! あまりうまくできなかったからなしにしたの」
「そ、そうなのか」
「うん。私は食べれるけど、多分伊藤くんだとちょっと辛いかなって!」
黙っていればいいのにな。でもやっぱりベタなミスしてたんだな。それが卓上に並ばなくてよかった……。
一応、一般的な味覚も持ち合わせているようで。そう一安心した時、俺の脳内に久しぶりの感覚がよぎった。
***
「誰だ。七海。その男は一体誰だ……?」
そこには無精髭を生やした体格の良い男性がスーツ姿でこちらを見下ろしていた。
***
「伊藤くん……?」
「あっ、わ、悪い。ちょっとぼーっとしてた」
……今見えたのは?
おそらくだが、倉瀬の父親だ。いや、状況からして間違いない。
力強い目つきでこちらを睨んでいた。
え、もしかしてだけど、もうすぐ帰ってくる?
なんだか嫌な予感しかしない。
俺は急いでカレーを口の中へとかきこんでいく。
「ど、どうしたの、急に!?」
「ちょ、ちょっと用事を思い出して……んぐっ!? げほっ……げほっ……」
「伊藤くん!?」
「ごほっ……」
焦りすぎて気管に入ってしまい、むせた。
倉瀬は椅子から立ち上がり、慌ててこちらに駆け寄ってくる。そして背中をさすってくれた。
「大丈夫?」
「ごほっげほっ……だ、大丈夫……」
「あ、お水持ってくるね!! ──キャッ!?」
「っ、倉瀬!?」
倉瀬は運悪く、椅子に足を引っ掛けそのまま後ろに倒れ込んでしまう。
一瞬の出来事だった。
無意識のうちに俺は腕を伸ばし、倉瀬の腕を掴もうとした。
だけど、そのまま受け止めることはできなく俺は彼女と共倒れになった。
がたんがたんと大きな音が倉瀬の家に響き渡る。
「……いつつ。倉瀬、大丈夫か?」
「わ、私は……だ、大丈夫……。伊藤くんが受け止めてくれたから……。そのひ、左手……」
倉瀬は無事だった様で安心した。
それにしても左手?
あ、もしかして怪我を心配してくれたのだろうか。いや、待て。怪我をしているのは右手だ。
じゃあ、なんで左手?
疑問に思った俺は、自分の左手の感触を確かめた。
「ひゃっ……」
扇情的で甘ったるい声が耳元に届いた。
それに気がついた俺は、慌てて左手を元のあった場所から離した。
「ご、ごめん。倉瀬っ……!」
「だ、大丈夫……」
お互いの顔はまるでリンゴのように真っ赤。顔を逸らすことに精一杯だ。
ベタ極まりない展開に俺はその状態がまだどういう状態かと言うのをはっきりと認識できていなかった。
「な、七海…………?」
震える声のする方に顔を向けた。
そこには、無精髭を生やした壮年の男性が絶望した表情で持っていた鞄を地面へ下ろした瞬間が映った。
「あ、お父さん。おかえり!!」
俺の人生でかつてないほどの身の危険に全身の毛が逆立った。そしてそんな中でも俺は心の中で冷静にツッコミを入れていた。
──倉瀬、この状況で『おかえり』はない。
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