第51話 両手に花(ただし、空気重め)

 おかしい。一体なぜ?


 俺は心の中でそう繰り返す。


 カリカリカリカリ。


 少し強めの筆圧でノートを書く音が三人だけの教室に響き渡る。

 俺は、そんな中で机を囲む二人の少女の様子を窺う。


 一人は真剣な様子で勉強を進めている至って真面目な生徒。そしてもう一人は明らかに口を尖らせて、つまらなさそうに、時折手が止まっている真面目とは言い難い生徒だ。


 あ。あくびした。


 しかし、なぜだ? なんでこんなに空気重い?

 完璧だったはずだ。


 藤林に勉強を教えてとほぼ強制的に言われて困っていた俺は、妙案が浮かんだ。学年でもトップクラスの秀才である朝霧に二人とも見て貰えばいい!!

 そんな結論に達し、無事、朝霧とも勉強の約束を取り付けた俺は、今日一日を完璧に乗り切れる算段だった。


 決して二人の仲は悪くはない様に見える。時折、藤林は朝霧に勉強の内容を質問し、朝霧もそれに答えていた。


 じゃあ、この空気が重くなっている原因は何?

 それを考えた時、導き出される答えは一つしかなかった。


 ……俺のせい?

 え、もしかして俺が悪かったりする?

 いやいやいや、待て待て。確かにさっきの藤林の発言は大変よろしくないものだった。


 危うく俺が、藤林に下着姿の写真を送らせる変態ということになるところだった。

 今思い出しても寒気がする。


 ◇


「新世、来たよー! ちなみに昨日写真で送った下着着けてるんだけど、見たい? ……って、え?」

「え」

「……下着? 新世……これはどういうことかしら?」


 空気が冷え固まるとはまさにこのことだった。

 突如として来訪した藤林の一言によって、今まさに俺に勉強を教えてようとしてくれていた朝霧のボールペンが音を立てて折れ曲がった。


「あー。ああー、失礼しましたー」

「こら、待て藤林ィ!!」


 逃げようとする藤林を立ち上がって追いかけようとしたところで後ろから肩を掴まれた。

 ゆっくりと振り返るとの朝霧がいた。ただ、怖い。根源的な恐怖を感じる。

 俺は思わずにいられなかった。どうして、こういう時は未来視が発動しないの? と。


「あんた。藤林さんに下着姿の写真送らせてるの? というか、見たいって、どういう会話?」

「お、落ち着こう。話せば分かる」

「……変態」

「ここには大きな誤解がある」

「やっぱり変態だったんじゃない」

「違うからな」


 前のように取り付く島もない朝霧に逆戻りしてしまった。

 久方ぶりの蔑んだ目である。


「何が違うって言うの?」

「あれは、藤林が俺をからかうために……」

「人のせいにするなんて最低」

「いや、マジだから!!」

「…………誓って言える? 私は、下着の写真なんて送ってもらう様にお願いしていません、って」

「い、言えます!」

「じゃあ言ってみて」

「え……」


 声に出すの? 何その羞恥プレイ。


「早く!」

「わ、私は、誓って! 下着の写真なんて送ってもらう様にお願いしていません……」

「…………」


 おい、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃねぇか。何誓わせてくれてるんだ。んなもん、誓うまでもないわ!


「まぁ、そこまで言うなら信じてあげる」

「釈然としない」


 何かを失った気がする。


「ち、ちなみにだけど、ど、どういうのが好みなのよ」

「はい?」


 なんだその質問。


「…………。と、ともかくそんな軽々しく女子に下着姿送らせるなんて絶対ダメなんだから!!」


 意味のわからない質問から一呼吸おいて、朝霧は顔を赤くして、またガミガミと説教をし始めた。


 ◇


 その後、そんな俺をみて、不憫に思った藤林が戻ってきて誤解を解いてくれたのだった。


 戻ってきてくれるならもっと早くしてほしかった。

 それでそれからは今の様な空気だ。


 絶対、まださっきの件が尾を引いている。

 ……この空気の中で勉強っていうのも中々、気が重いな。


「ふ、藤林?」

「何?」


 不機嫌そうな返事だった。


「なんか怒ってる?」

「なんでだと思う?」

「……っ!」


 このパターン知っている。

 なぜか聞かれて、わからなかったとする。その場合、『なんで分かんないの?』となる。

 しかし、答えて正解したとしても、『なんで分かってるのに初めからそうしないの?』と言われるのである。

 所謂、詰みの状態だ。どうすればいいのこれ?


「わ、わからないです……」

「はぁぁ……」


 大きなため息をつかれてしまった。うぅ、プレッシャーが……。


「右手」

「……え?」

「その怪我! 聞いてない!!」


 ……機嫌が悪かったのはそういうことか。

 そう言えば先ほど怪我の件について聞かれた時、朝霧が説明してくれてからそんな感じだった。


 確かに怪我してから藤林に会っていなかったので、言ってなかった。

 わざわざLINEで言うことでもなかったしな。


「これは……その、すまん」

「別にいいけど。心配になるじゃん……と、友達なんだから」


 ツーンと口を尖らせてから藤林は恥ずかしそうに言った。


「次から気を付ける」

「まっ、次あっても困るけどね」

「だな」


 どうやら藤林の機嫌は少しはマシになった様だ。

 だが、もう一人。もう一人いるのだ。


「あ、朝霧」

「何?」


 ギロリ。


 目つきが鋭い。これは、あれだ。転校してきた初日を彷彿とさせる鋭さだ。というか、藤林と同じ反応なんだが。

 まずはジャブだ。ジャブを打って様子見だ。


「この問題なんだけど……」

「ああ、これね。これは、こうやって──」


 しかし、聞けば冷たいけどしっかりと教えてくれる朝霧。

 怒っているのかと思ったけど、そうでもないのか。最初にお願いした時もそうだが、考えがまるで読めない。


「……で、こうなるわけ。ってちょっと聞いてる?」

「聞いてる聞いてる」

「そっ。じゃあ、私が言ったこともう一回言ってみて」

「…………あれだ。余弦定理を使う」

「やる気ある?」

「……すまん」


 あ、今は怒ってる。これはわかった。じゃなくて、本気で怒る前にしっかりと取り組むことにしよう。

 そう肝に銘じたところで、視線を感じた。


「……どうした、藤林?」

「なーんか……二人とも距離感近くない?」

「ッ!? ち、ちがっ!? べ、別にそんなことないから!!」

「妙に焦るし……なんかアヤシイ……」

「そうだぞ。別に勉強教えてもらってるだけだ。藤林だってさっき同じ感じで教えてもらってただろ」


 朝霧をフォローする。朝霧も俺とそんな風に見られるのは嫌だろう。


「…………」

「ふーん?」

「……なんだよ?」

「なんでも。朝霧さん、ここ教えて」

「え? ええ。ここは……」


 なんだったんだ一体。

 それでもなんだかよく分からんが、藤林も真面目に勉強に取り組む姿勢になったようで何より。

 というか、怒ってるのも気のせいだったか?


 さて。空気が若干、マシになったところで俺も集中しよう。


 ◆


「その藤林さん、よかったの?」

「……何が?」

「新世と二人で勉強するつもりだったんでしょ? 私がいてもよかったの?」


 朝霧さんからヒソヒソとそんなことを言われた。

 確かに今日は新世と二人で勉強をするつもりだった。というか、新世しか誘ってないのでそうなるものだと思い込んでいた。


 だから、朝霧さんがいたことには驚いているし、そのことを言わなかった新世には若干、怒っている。

 でもだからと言って、三人が嫌なわけじゃなかった。


「いや、別に……確かに誘った時はそうだったけど、それは気軽に誘えるのは新世くらいってだけで、朝霧さんの方が頭もいいし。それに教えてもらうなら断然その方がよかったくらい」

「そ、そうなの。なんだ、勘違いだったのね……」


 朝霧さんが小さく最後の方で呟いた。

 あまり聞き取れなかった。


「それより、あたしこそなんだか邪魔したみたいだけどよかったの?」


 本当に何気なく、そう聞いた。というのもあたしが来るまで二人っきりで勉強をしていたみたいだ。

 さっきも感じたけど、今日の朝霧さんと新世は少し様子が違う。いや、正確には朝霧さんの方が、新世に対する接し方が前とは違った様に感じたのだ。


「わ、私こそ別に構わないわよ。(よくよく考えたら、ずっと二人だと何話していいかわかんなくなるし……)それに前は失礼なこと言っちゃって、また謝りたいって思ってたの」

「それなら、もう済んだことでしょ? あの時、謝ってもらってるし」


 おかしなことを言う。登山の時は、確かにお互い熱くなっていらないことを言い合ったけど、それはもう解決したはず。


「ううん、なんて言うか……その……自分を見つめ直す機会があって。藤林さんとも、もうちょっと仲良くなりたいなって思って。改めて」

「……!!」


 それを聞いて、あたしは衝撃が走った。

 初めてそんなことを言われたからだ。


「え? ちょ……!?」


 気がつけば、朝霧さんの手を取っていた。


「なろう。仲良く」

「え? ……え?」

「朝霧さんの下の名前って、優李だったよね?」

「そ、そうだけど……」

「じゃあ、これから優李って呼んでいい? てか、呼ぶね! あたしのことは紗奈って呼んで。ほら!」

「え、あの……え? えっと……さ、紗奈?」

「うん! 優李! 実はね、優李と行ってみたいところあるからこの後行かない?」

「え? え?」

「よし、行こ」

「ちょ……」

「じゃ、新世! またね〜!」


“友達”と言う存在に嬉しくなったあたしは、すぐに優李を連れて、教室を後にした。


 ◆


「……勉強は?」


 一人残された教室で俺は小さく呟いた。


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