第45話 エピローグ 未来が分かってもやっぱり分からないことはある

 あの事件により、数針を縫うことになった俺は、右手が不自由になった生活を送っていた。


「ちょっと、いい加減、こっち向きなさいよ!」

「だから! 別に左手で食べれるからいいって言ってんだろ!!」

「別にいいじゃない。私に食べさせてもらえることを光栄に思いなさい! ほら、じっとしなさい。こぼれるわよ!!」

「綾子さん、なんでこいつ入れたんですか?」

「面白いから」


 綾子さんはそういう人だった。

 右手がしばらく使えない俺の元へ、毎朝、朝霧は通い、身の回りの世話をすると、買って出た。

 気にしなくてもいいといったが、どうやら自分のせいだと思わずにはいられなかったようだ。


 俺からしたら、朝の寝起きという誰にも邪魔をされたくない時間に他人が入ってくるのはどうも耐え難い。


 しかも、あーだこーだと言いながらも片付けをしてくれたり、料理を食べさせようとしてくれたり、踏んだり蹴っ──至れり尽くせりの状態だ。


 料理を食べさせるって普通に考えて、恥ずかしいからやめてほしい。これってあーんだよな?

 しかもその間、ずっと綾子さんがニヤニヤとこちらを見てくるものだから本当に困る。なぜかやたらと仲良いし、この二人。


「あ、もうこんな時間じゃない!! あんたがゆっくり食べるから!! 綾子さん、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


 俺は引きずられるようにして、朝霧に連れられ、学校へと向かった。

 怪我人だということを忘れてないよな?



「おはよー」

「朝霧さん、おはよ」

「ええ、おはよう」


 朝霧はあんなことがあったにも関わらず、以前よりも笑顔を見せるようになった。

 親との確執、弟の本音、あげればキリがないがどれも彼女の精神を破壊するには十分だったはずの衝撃だ。


 だけど、今はどこか吹っ切れたかのようにも見える。


「朝霧さん、前も美人だったけど、最近やばいよな?」

「ああ、わかる。俺、マジで惚れたかも……」

「今ってフリーだよな?」

「おま、抜け駆けは許さねぇからな!?」


 そんなこともあってか、元々美人だった朝霧の表情には柔らかさがともり、より美しさに磨きがかかったと周りは噂していた。


 男子たちはそれにいろめきだっているし、女子だって、よく話しかけるようになっていた。朝霧自身、前みたいに倉瀬以外の生徒を拒絶まではしなくなっていた。

 本人といえば、告白される回数が増えたことをうざがっていたが。

 表情が柔らかくなったのは確かだが、本当の根の部分というのは変わらないのだろう。


 その後、朝霧は職員室に用事があると言って、途中で別れた。

 そして一人で教室へと向かっていると後ろから、肩を軽く叩かれた。


「伊藤くん。おはよ」

「ああ、倉瀬。おはよ」

「手、大丈夫?」

「まぁ、まだちょっと痛い」

「そうなんだ……ねぇ、よかったら朝、迎えに行ってもいい?」

「……なんで?」

「その……やっぱり右手が不自由だと準備にも苦労するかなって……? 少しでも私にできることがあったらいいと思って」

「…………」


 どうすんの、これ。朝霧だけでも手に余ってんのに、倉瀬まで?

 というか、朝霧言ってなかったのかよ。自分が行ってるって。


 朝霧が倉瀬に黙っている理由がイマイチわからんぞ。親友だろ、お前ら。


「……ダメ、かな?」


 そんな上目遣いで見るのは卑怯だ。

 俺にどうしろっていうんだ。いや、別に二人が一緒でも別にいいんだけど……そこじゃない。


 俺は一人で気楽にしていたいのに、勘弁してくれ。


「ま、まぁ、考えておくよ」

「うん!!」


 そんな曖昧な返事をしてから教室に入って、席に着き、いつものように授業が始まった。


 そしてまた一日、ありがたくも退屈な日々が過ぎていく。




「こんなとこにいたの?」

「んあ……?」


 四限目になって何となく、サボりたくなった俺は屋上で寝転がっていた。

 この屋上は、本来は鍵がかかっており入れないはずだが、俺は登山の時に桐原先生との約束で手に入れたご褒美である、その鍵を持っていた。


 なんともありがたいものだが、その貸し出した生徒がサボっていることがわかれば、即刻没収も免れないだろうな。


 それでもこの数日、色々と考えることもあって疲れていたのは確かだ。人の命を散々救ってきたんだから、たまには授業の一つくらいサボったってバチは当たらない。


「よいしょっと」


 俺の隣に声をかけてきた少女──朝霧が座る。

 横目に見れば、風に靡く髪を抑えていた。


「サボりは良くないな」

「あんたに言われたくないわ」

「それにここは俺の秘密の憩い場なんだけど」

「へぇ、じゃあここでサボってたって桐原先生に教えてもいい?」

「やめて」


 朝霧に口喧嘩で勝てなくなってきたな。あれ? 勝ったことってあったけ?

 まぁいいや。何しにきたんだ?


「……」

「私、あんたのこと嫌い」


 いや、本当に何しに来たんだよ。サボってるやつのところに来て、わざわざ嫌い宣言? 何の嫌がらせだ。


「そう思ってた」


 思ってた?


「だって、第一印象が痴漢よ? あの場で警察呼んでたら絶対に捕まってたわ」

「その節は……すまん」

「別にいいわよ。今となってはあんたの言い分が本当だったかもしれないってわかったし」


 それって……?


「それに私こそ、ごめん」

「……何の謝罪?」

「わかってないのは、私の方だった」

「何のこ──」

「私気づいたの。過去を忘れて安心したつもりになっていたけど、過去からは逃げられないんだって」


 朝霧は真っ直ぐに前を見据えて話を続ける。


「だから私ももっといろんなことに向き合おうと思う。自分のことも。


 俺のこと?


「だからあんたも何かで悩んだ時は私が同じようにしてあげる。同じように……」


 急に言葉に詰まる朝霧。顔を見てみるとなぜだか、顔が赤くなっていた。

 なんだ?


「と、ともかく! 私が言いたいのはこんなことじゃなくて……!」

「別に逃げないからゆっくり言えよ」

「……そうね」


 そして少し間を空けてからさっきまでグラウンドを見ていた朝霧はこちらを見た。


「ありがとう。弟のことも含めて全部。本当に、感謝してる。全部、あんたのおかげ。ありがとう」


 俺は寝返りをうち、朝霧に背中を向けた。


「……朝霧からお礼を言われるとなんだかむず痒い」


 恥ずかしかったのだ。純粋なお礼を言われることに。あまりにも真っ直ぐに笑う朝霧の笑顔がかわいいと思ったことに。


「──ばか」


 小さくいつものように罵倒する言葉が耳に入ってきた。

 そして同じく、チャイムが鳴る。


「さっ、戻りましょ。お昼でしょ。七海も心配してるかも!」

「かもな。俺と朝霧がいなくなって変に勘繰られるのもアレだし」

「……私と何かあるって思われたら嫌なの?」

「……そう言うわけじゃ……」

「ふふ、冗談。ほら、いくわよ。!」


 今までに見せなかった表情に少し戸惑った。朝霧は笑うと先に駆けていく。

 ……ん? 呼び捨てされた?


 ***


「きゃっ!?」


 ***


 こちらを見て、前を見ずに走っていた朝霧がつまづく

 そしてそのまま転けてしまて、スカートの中を晒す。そんな未来が視えた。


 なんだかなぁ……。


「きゃっ!?」


 そして同じように朝霧から小さな悲鳴が漏れる。

 でもさっき視たものとは違う結果だ。


 朝霧はこけなかったし、スカートの中のピンクの下着も見えていない。

 だけど……。


「…………」

「…………」


 なんでこうなるかなぁ……。


 今の俺と朝霧は、そう。初めて出会った時のような状態だ。

 つまり、俺が朝霧を抱きしめている。


「…………っ」


 ああ、これは前にも見たやつだ。

 俺は朝霧を抱きしめる腕を離して覚悟を決めた。


「〜〜〜〜っっっ!!」

「……あれ?」


 しかし、俺が想像した結果にはならなかった。

 朝霧は顔をりんごのように真っ赤にさせたかと思うとそんな顔を腕で隠して、屋上を出て行ってしまった。


 ……分からない。

 なんで朝霧がそんな行動を取ったのか、なんで前と違う反応を見せたのかも。そしてその前に急に名前で呼ばれたのか、俺には皆目見当もつかなかった。


 ◆


 屋上を後にして、まだ心臓の高鳴りは治ってくれなかった。

 アイツはまだ屋上で足を止めている。


「ふぅ……」


 小さく息を吐いて、荒くなった呼吸を整える。


「顔、あっつ……」


 手で軽く仰いで見るも中々、赤みは引いてくれない。このまま教室に帰ったら絶対に七海に何かあったか聞かれる。


「ああもう!」


 しょうがないじゃない。

 あんな風に助けられて、あんな風に自分のために身を粉にしてくれて、あんな風に……私の中のトラウマをいとも容易く砕いてくれたんだから。


「そんなの……す、好きにならないって方が無理に決まってる……っ!」


 ここ数日、あいつに対する想いを自分の言葉で昇華すると余計に意識が止まらなくなってきた。

 口に出して、また顔が熱くなる。


 あいつは、まだ屋上から出てくる気配はない。


「どうしてくれんのよ……もうっ」


 屋上への扉をキッと睨み小さくつぶやく。だけど口角は上がっていた。


 まだ心臓の音がしばらく止みそうない。私はゆっくりと熱くなった頬を覚ましながら、一足先に教室へと戻ることにした。


 この心臓の高鳴りが今までになく、心地よかった。





 ◆


 昼下がりの午後。

 あの事件から数日が経っていた。俺の右手は未だに癒えていない。


 それに朝霧はなぜかすぐに目を逸らすようになったし、なんだか会話もたどたどしい。後は、倉瀬とギクシャク?までは行ってないけど変な感じがしている。まぁ、普通に仲はいいんだけど。


「くぁ……」


 そんなことを考えていれば、自然とあくびが出ていた。

 そしてそれはまた、突然としてやってきた。


 ***


「で、これが2√3となるわけだ」


 俺は、教室で数学の授業を受けていた。

 板書をノートに写しながら、時より晴れた外の景色を見る。


「──ッ!?」


 その時、俺の視界に信じられないものが映った。


「え!? 今、何か落ちなかった!?」

「きゃあああああーー!!」


 それと同時に騒がしくなる教室。窓の外を見て、上がる悲鳴。

 教室の状態はカオスだった。


 ***


「おい、伊藤。私の授業はつまらないか?」

「ッ!」


 気がつけば目の前に先生が立っていた。


「せ、先生。すみません。トイレに……」

「漏らせ」

「え"っ!?」

「冗談だ。早く戻れよ。ああ、女の元へ行くならサボっても構わん」


 なんつーこと言ってんだ、あの先生は!


 俺は笑い声の聞こえる教室を後にして、屋上へと向かった。



 最近は比較的、落ち着いていたと思ったが、俺はまだまだこの未来予知に振り回されるらしい。

 今日もそんなクソみたいな未来を仕方なく、変えに行くことにした。


──────


【後書き】


ここまでお読みいただきありがとうございました。これで章の完結となります。

こんなにも多くの方に読んでいただけるとは初め思っておりませんでした。

色々重い展開だったり、ありましたが、ご感想などいただけるたびに嬉しい気持ちでいっぱいでした。


割と満足して、エピローグまで書けたのではないかと思います。いろいろ予定外に文字数が増えてしまったのはありますが。


最後の方は、次回のお話のちょい見せみたいな感じですかね。

次回といいつつも、一旦キリがいいのでどうするか迷っているところでもあります。

このまま更新を続けるか、それとも別の話を書くか。せっかくここまで多く方にフォローいただいたので、続きを書きたい気持ちも強いですが、何分、新しい話も思いついたら書きたくなってしまうもので……。両方書ければ一番なのですが中々、時間が取れないものですみません。


よければ、この話、また作品などの感想や、まだの方はレビューなどよろしければお願いいたします。

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