第43話 哀れな姉と優しい弟

 朝霧が雨の中、走り去って行った。

 しばらくその場から動くことができなかった。


 朝霧の弟が倉瀬を襲うかもしれないという焦りもあったが、それだけじゃなかった。

 やっぱりどうしても自分と重ねてしまったのかもしれない。

 安い同情など一番欲しくなかったものだろう。


「……戻るか」


 考えていても仕方ないと思った俺は、元来た道を戻ることにした。朝霧のことももちろん心配だが、命が関わっている以上、倉瀬を優先せざるを得ない。


 もう少しで下校の時刻となる。この時間ならまだ学校に倉瀬はいるはずだ。

 俺は周りの様子を窺いながら、それらしい人物がいないか注意して学校へ向かった。

 未だに頭痛は警鐘のように鳴り響いていた。




「あれ? 伊藤くん?」

「お、おお。倉瀬。ちょうど探してた」

「え!?」


 なんていう事はなく。俺の心配をよそにあまりにもあっけなく倉瀬と合流することができた。


 下駄箱でローファーを片手に戻ってきた俺を見て固まっている。


「体調大丈夫なの?」

「あー、うん。治った」


 嘘だ。ここで自分のことで心配をかけても仕方ないと思ったので、本当のことは言わないでおくことにした。


「そ、それでなんで私を探してたの?」

「一緒に帰ろうかと思って」

「ええ!? そ、それでわざわざ戻ってきたの!?」

「ああ」


 一緒に帰れば、何かあったとしても対処できる。それこそあんな未来が訪れたとしても回避できる可能性をあげられる。


「伊藤くん?」

「いや、何もない。帰ろうか」

「……うん」


 倉瀬と並んで校門を出た。

 雨はまだ緩やかに降り続いている。


 可愛らしい水玉模様の入った傘を片手に倉瀬は無言で歩いている。

 なぜだか気まずい空間ができている気がする。


 そういえば、朝霧のことを話さなくてよかっただろうか。

 あんな状態だったことを話せば余計に心配させてしまう気がするな。


 それにしても朝霧の弟は現れる気配がない。

 もしかして、今日じゃなかったか? そう思ったら、一気に緊張感が……いかんいかん。そう油断して何かあったら、どうするつもりだ。


「えっと、伊藤くん」

「……ん?」


 あーでもない、こーでもないと考え事をしていたら倉瀬から声をかけられて、反応が遅れてしまった。


「今日は、どうしてわざわざ戻ってきてまで誘ってくれたの?」

「あー、まぁ、そうだな……。実はさっき朝霧と会ったんだ」

「え!? 優李ちゃんと!?」


 結局のところ、俺は誤魔化さず話すことにした。今の不安定な朝霧をどうにかできるとしたら倉瀬以外にいないと思ったからだ。


 俺は、倉瀬に朝霧との間にあったことを話した。

 もちろん、弟が倉瀬を襲うとかそういうことは、ぼかしてだ。


「そうだったんだ……。やっぱり、ご両親が……」


 倉瀬は目に見えて落ち込んでいる。きっと優しい倉瀬のことだ。自分がこんな時に何も力になってあげられないことを悔やんでいるのだろう。


「まぁ、また見かけたら何か声をかけてやってくれ。って俺に言われるまでもないと思うけど」

「……うん…………ふふ」


 倉瀬は小さくうなずいた。そして少し間を開けて笑った。


「やっぱり伊藤くんは優しいね」

「俺が優しい?」

「うん。だって優李ちゃんのことが心配で頭が痛いのにわざわざ私に教えに戻ってきてくれたんでしょ?」

「いやいや、俺は単に自分の中で気になることを放っておけなかっただけだから」


 そこに嘘はない。まるで自分を見ているようでもどかしいのだ。

 あのまま面倒だと切り捨てることもできたはできたが、そうなると結局、後悔するのは自分。そんな未来の自分が分かっているからこそだ。


「やっぱり優しいよ」


 もう一度、倉瀬が笑う。イマイチ釈然としなかったが適当に話を合わせることにした。


 気がつけば、雨は止んでいた。しかし、空は相変わらずの曇天模様。またいつ振り出すかわからない。


「また降り出す前に早く帰ろうか」

「……そだね!」


 ***


 空は薄暗く、今にも降り出しそうだ。


 どこかで五時を知らせる音楽が鳴っている。


 そこにはレインコートを着た朝霧の弟。冷たい瞳で地面を見下ろしている。

 近くには誰かが倒れている。


 ……誰だ? 前に見た時と違って制服を着ていない。相変わらず、顔はぼやけている。


「姉ちゃんが悪いんだよ?」


 そこには朝霧が血だらけで倒れていた。


 ***


「────ッ!」


 その一言で我に帰った。


「伊藤くん?」

「……まずった」


 倉瀬だと思っていた。てっきり倉瀬が朝霧の弟のに襲われるのかと思っていた。

 だが、今視た未来では間違いなく朝霧だった。


 どうしてだ? なんで朝霧が? 未来が変わった? いや、そもそも元から朝霧だったのか?


 考えてもわからないし、無駄な話だ。

 今は、すぐにその場所に向かわないといけない。


 ……いや、どこだ? そもそもどこへ行けばいい?

 周りは似たような家や田んぼに囲まれており、そこを特定できない。


「どうしたの?」


 ……いや、待て。五時を知らせる音楽だ。あれはどこから鳴っていた?


「倉瀬!」

「キャッ!?」


 俺が急に肩を掴んだことに驚き、悲鳴をあげたが俺は気にせず続けた。


「五時を知らせる音楽。あれってどこから鳴ってるか、知ってるか!?」

「え? 音楽? あれって確か……公園からだよ」

「公園ってどこの?」

「えっと……ピンクの像の滑り台がある……」

「…………あの屋根付きのベンチがある公園か?」

「あ、うん。そうだと思う」


 それは先ほど朝霧と話していた公園だった。確かにあそこには倉瀬が言っていたようにピンクの像の滑り台があった。

 俺はそれが分かった瞬間、その場から全力で駆け出した。


「あ、伊藤くん!?」


 後ろから倉瀬の声が聞こえたが、今はそれどころじゃなかった。


 まだ十五分はある。スマホの時間を見てスピードを上げる。


 ***


「────……」


 ***


 そこで俺は再び、とある未来を視たのだった。


 ◆


 カフェ&バーのカサブランカを後にして、私はまたあてもなく弟を探し回る。頭は少し冷静になったけど、結局居場所はわからない。


 優斗だったらどこに行くだろう?

 もしかして、忘れ物だけ取りに帰ってもう家に帰ってしまっただろうか。

 いや、それはない。おばあちゃんが家には誰も来なかったと言っていたし……でも入れ違いになった可能性もおばあちゃんが気づかなかった可能性もある。


 …………仕方ない。

 私は震える手でスマートフォンを手に取る。

 画面に映し出された連絡先には“母”という文字。


 それを見るだけで震えが止まらなくなる。

 でも、優斗が帰っているか確認をするならこれが一番だ。


 ……怖い。でも……。


 店長さんから聞いたアイツの過去。それに比べたら、どうってことない。


 私は思い切ってその電話番号をタップした。

 耳に電子音が聞こえてくる。緊張のせいか、喉が渇く。数コール経ってからガチャリと電話をとった音が聞こえてきた。


 喉が鳴った。


『……はい。どちら様?』

「ゆ、優斗は帰っていますか?」

『……ああ、あんた。まだ見つけられてないの? やっぱりあんたなんかに期待なんてできないものね』


 返ってきたのは、厳しい言葉。聞きたくない言葉。


『……はぁ。本当に使えないわね。いい? 私もちょうど今──』

「──っ!」


 耐えられなくなった私はその電話を切った。

 やった。やってやった。まだ震えが止まらない。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 息も荒く、動機も止まらない。涙まで出てきた。

 でも今はやってやったという思いが強かった。


 そして聞きたい事も聞けた。まだ、優斗はこちらにいる。


「あ、ここ……」


 気がつけば、雨が止んでいる。そしてアイツと言い合いをした公園の近くにいた。


「姉ちゃん」


 そしてそこで後ろから声をかけられた。


「優斗……」


 振り返るとそこにはレインコートを着た優斗がいた。雨は止んでいるが優斗はフードを被っている。

 見慣れない姿に若干の不信感を持つ。


「どこ行ってたの?」

「えーっと、姉ちゃんのがっこ」

「……何をしに?」

「んーまぁ色々ね。どんな学校なのかなって思って。いい学校だったら俺も今年受験しようかなって思って」

「……そうだったの」


 何もかもが思いつきの行動。それが優斗らしいと言えば、そうなんだけどやっぱりおかしさを感じた。


 アイツに言われたことを思い出す。


 ──倉瀬に危害を加えるかもしれない。


「優斗に聞きたいことがあったの」

「……んー何?」

「ゴールデンウィークに長浜から先に帰った日、どこで何をしてたの?」

「……それ、姉ちゃんに関係ある?」


 いつもなら、そうねと返しているところ。そこに違和感など感じた事なかった。


「いいから教えて」

「……はぁ。うざ」


 優斗は大きくため息を吐いた。そして優斗の口から聞いたことのない言葉が聞こえてきた。小さく呟いたようだが、私の耳にはしっかりと聞こえていた。


「なんて答えたら満足するの? 適当にぶらぶら散歩して帰った。これでいい?」

「……本当にそうなの?」

「何が言いたいの?」


 優斗は煩わしそうに言った。

 違う。明らかにいつもと違う様子だ。


「と、友達が優斗を見たって言うの。その……優斗が七海の跡を付けてたって」

「…………ふーん。七海ってあの七海さん? 姉ちゃんの話に出てくる。そもそも会ったことないのに、どうして? そんなこと、僕がすると思う?」


 そう。そもそも優斗は七海に会ったこともないのだ。

 私との話の中で出てきたくらいで、接点は存在しない。


 ……だから優斗が七海を付ける理由なんてどこにもない。


「そ、それは……そう、よね……」


 そう言われれば私も答えようがなかった。

 やっぱり、優斗はそんなことをしていない……?


「……ふふ。あはははは」

「……!?」


 優斗は徐に笑い出した。


「姉ちゃん、さぁ。チョロ過ぎない?」

「え?」

「僕がしてないって言ったら簡単に信じるだもん。笑いを通り過ぎて、イライラしてくるよ」

「──っ」


 笑っていた優斗の顔が冷たい表情へと変化した。そのあまりにも唐突な変化に心が追いつかない。


 お、落ち着いて。しっかり話を聞かなくちゃ。


「……じゃあ、本当に?」

「あーうん。そうだよ」


 一転、あっけらかんに優斗は肯定した。

 アイツの言っていた事は本当だった。


「ど、どうして? そんなことを?」

「……どうしてって? そんなの決まってるじゃん。あの女をめちゃくちゃにしてやろうと思って」

「……っっ!?」


 頭が混乱する。どうして、なんで、なぜ?

 七海と優斗に接点などないはずだ。


「わからないって顔してるね。当然だよ。姉ちゃんが悪いのさ」

「わ、私?」

「そうだよ。僕がこうやって苦しんでるのにさぁ、自分だけはそんなの知らないみたいに。過去なんか忘れて楽しそうにしてさ」

「な、何を言ってるの? く、苦しんでるって? も、もしかしてあの人たち!? 何か言われたの!?」

「……はぁ、マジでムカつく。それもこれも全部姉ちゃんが出来損ないだからいけないんでしょ?」

「…………」


 言葉が出ないとはまさにこのことだった。優斗のあまりの豹変具合に脳が追いつかない。


「な、なんで……そんなこと言うの……?」


 ようやく絞り出した声も震えている。

 親に言われた言葉を優斗の口から言われたことにショックだった。まるで親を目の前にした時のようだ。


「なんでって当然じゃん。昔からちょっと優しくしたらなんでも言うこと聞いてくれてさ。僕が姉ちゃんのこと利用しているのも知らないで……本当にバカみたい。傑作だったよ」

「もう、やめて!!」


 視界が歪む。聞きたくない。私は耳を塞いでその場に屈む。

 胸が痛い。心が張り裂けそうになる。


 頭があの優斗が本当に? 今までの優斗は仮初だった? もう何もわからない。


「分かる? そんな姉ちゃんがさ、僕が大変な目に遭ってるのに、呑気に楽しそうにしてるなんてさ。腹が立ったよ。許せないよねぇ……」


 そう言って、優斗はサバイバルナイフを取り出した。


「ムカつくから姉ちゃんの大事なもの壊してやろうかと思ったけど……まぁ、この際、もう姉ちゃんでもいいや」

「い、いや……やめて……優斗……」


 私はあまりのショックと恐怖でその場を動けない。

 優斗はそんな私に笑いかけて、ナイフを持ってにじり寄ってきた。


「じゃあね、姉ちゃん」

「────ッ!?」


 鮮血が舞った。


「…………」

「…………」


 目を閉じている私に静寂が訪れる。

 でも不思議と痛みはない。


 …………本当に痛くない?


 私は、ゆっくりと目を開けた。


「……え?」

「あぶねぇ……」

「ど、どうして……?」


 その目の前にアイツがいることが信じられなくて、そんな言葉が口から勝手にこぼれ落ちた。


「だ、誰だよ!! 離せよ!!!」


 優斗は急に現れた存在に声を荒げた。

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