第41話 過去と未来のこと

 異常を察知した俺は、俯く朝霧を連れて、ちょうど近くにあった公園に入る。

 公園には屋根付きのベンチがあり、そこで話を聞くことにした。これでいつ雨が降っても大丈夫。雨がまた降ってくる前に帰りたいのが本音だが。


「どうしたよ?」

「…………」


 俺の言葉にも反応を示さない。表情は暗いままだ。


「生きてる?」

「…………」

「死んでる?」

「…………」


 ダメだ。反応がない。ただの屍のようだ。


 ……そんな冗談はさておき、かなり重症なようにも感じる。

 心ここに在らずって感じだな。


 俺じゃ、こんな状態の朝霧をいつもみたいに戻すことはできそうにない、と早くも諦めモード。話を聞くことすらままならない。


 いつもならここで帰ってるところだろうけど。


 ──アンタがしてた顔、私も知ってるから。


 あの時の言葉がまたフラッシュバックする。

 、って感じだな。


 俺もそんな顔してたのか。

 誰にも必要とされないと感じている孤独な顔。世界で一人ぼっちのような……そんなことあり得るはずないのに、そう思ってしまっている顔。


 どうすれば、反応してくれるだろうか。


 ……おっぱいでも揉むか?


「……」


 流石にそれはダメ。下手したら殺される。一瞬バカなことを考えた。

 だけど、そのくらいしないとこの状況は変わらなさそうだ。胸を揉む、はダメだけど、それに近い衝撃があれば。

 仕方ない。これは仕方ないんだ。どうか、許してほしい。


 ***


「何考えてんのよ!? ふざけんじゃないわよ!!」


 ***


 そんな未来を見せてくれたってしょうがないよ。ほら、それでちゃんと話ができるなら甘んじてその罰を受け入れよう。


「悪い」

「…………?」


 朝霧の正面に立って、顎に手を差し伸ばす。そして角度をつけて、自分の顔を近づけていく。


「………………っっっ!!!?」


 ワンテンポ遅れて、パシンと初めて会った時のような衝撃が頬を襲った。

 ……痛い。あ、本当に痛い。顎外れそうなんだけど……。涙出てきた。しかし、危なかった。


「何考えてんのよ!? ふざけんじゃないわよ!!」


 そしてやってくる未来視で見たまんまの結果。

 顔を紅潮させて息を荒くした朝霧の姿。


「痛い……じゃなくて、やっと喋ったか」

「…………っ」

「こうでもしないと本気でずっと黙ってそうだったからな。悪い」

「……だとしてもやっていいことと悪いことがあるでしょ……」


 正論です。まさにそうです。俺のやったことはセクハラです。未遂に終わったけど、訴えられたら負ける。


「本当に悪い」

「……べ、別にいいわよ……」


 頬を紅潮させたまま、徐々に声が小さくなっていく。どうやら、朝霧も俺が本気で心配してそんなふざけたことをやったと分かってくれたようだ。


「そうか。それで何があったんだ……?」

「な、んでもない……」


 多少の反応は見せてくれるようになったが、それでもまだ朝霧は心を開かない。

 もう少し踏み込むしかないか。


「……家族のことか?」

「──ッ!」


 どうやら図星らしい。

 両親と何かあったか……はたまた弟か。

 弟と言えば、倉瀬の件も気掛かりだ。これも朝霧に聞かなければならないというのは、今の状況を考えれば気が重い。


 そのためにもまずはこの状態の朝霧をどうにかする必要がある。


「親と不仲なのか?」

「……七海に聞いたの?」


 朝霧はすぐにこちらをキッと睨んだ。どうやら俺の予想は当たっていたらしい。


「いや、聞いてない。おばあさんと二人で暮らしてるってことだけ聞いた」

「……そう」


 また小さくつぶやいて、下を向く。

 そしてしばらくしてからまた、重たい口を開いた。


「……そうよ。私は両親に捨てられたの」

「……!」

「両親が可愛がったのは弟だけ。だから私は……こっちでおばあちゃんと暮らしてる」


 そして、朝霧は続ける。


 ──親が自分を見てくれなかったこと。

 ──親が自分を必要としてくれなかったこと。

 ──弟だけが優しくしてくれたこと。

 ──弟だけは自分が守ってあげないといけないこと。


 朝霧の口から次々と飛び出してくる過去の事実。

 半ば投げやりに朝霧は俺に話しているように思える。

 重たい真実に俺は口をつぐむ。


 ポタリと雫がアスファルトを濡らした。気がつけば、雨が降ってきている。

 鼻を啜る音がする。


「それでさっき、弟に頼まれて地元まで送ってきた時、偶然母親と会ったの。あんたには何も期待していないってさ……やっと忘れられると思ったのに……」


 蚊の泣くような声で下を向く朝霧。こんな時、どんな声をかければいいのか分からない。

 自分だったらどんな声をかけて欲しかっただろうか?


「……気持ちはわかる。だけど、そんなこと気にしても仕方ないだろ? 朝霧は今、こっちにいて、倉瀬と楽しく過ごしてる。それでいいんじゃないか?」

「…………」


 朝霧は何も答えない。

 ……違う。今かけるべき言葉はそんな薄っぺらい言葉じゃない。だけど、これは本心でもある。いつまでも過去のことに囚われていたって仕方ない。過去に縛られる必要なんてどこにもない。朝霧も。


 しばらく二人の間に沈黙が続いた。朝霧が俺の言葉をどう受け取ったかは分からない。そして今、何を考えているのかも。


 この辺が潮時かもしれない。弟の件は、また後日聞けばいい。今の朝霧に聞くのは難しい、そう判断した。


 それに弟のことだって、さっきは地元に送ったって言ってたんだ。ストーキングの真相はわからないが、しばらくは大丈夫だろう。


「そうよ……弟……優斗を探さなくちゃ……」


 朝霧は思い立ったように立ち上がった。相変わらず、表情は暗いが焦っているようにも見える。


「探すって……地元に送ったんじゃなかったのかよ? それに今、雨すごいぞ」


 先ほど話している時から、雨が降ってきた。雨脚は強くなりつつある。

 そんな中を飛び出していきそうな朝霧を俺は止める。


「きっと親が来るって分かってたんだわ。だからきっとあの子も逃げてきたのよ! だから私が守ってあげないと……」

「逃げた……ってなんで?」

「そんなのあの親が嫌になったに決まってるわ」


 朝霧は、少し興奮している。

 どうも弟の行動がよく分からない。

 だから俺はもう一歩、踏み込んだ。気になることを清算する必要がある。


「なぁ……五月五日、何してた? もしかして弟と一緒にいたか?」

「…………なんで」

「いいから。大事なことなんだ。教えてくれ」


 朝霧と目が合う。俺は真剣な目で彼女を見つめる。


「……弟と長浜にいた。でもだからって何?」

「その時、弟におかしなことはなかったか? 例えば、途中いなくなったとか」

「……別にいなくなったんじゃない。あの時、弟は用事があるって先に帰っただけ。おかしなことなんて何もないわ」


 やっぱり、藤林が言っていたことが現実味を帯びてくる。長浜で倉瀬を見つけて、跡を付けた?

 でもやっぱり、おかしい。朝霧は弟の行動をなんでなんとも思っていないんだ?


「もしかしてだけど、親を呼んだのは弟なんじゃないか?」

「……何を言ってるの? あの子がそんなことするわけ──」

「いや、だっておかしいだろ。地元に帰った途端、なんで弟はいなくなって親が来るんだ? それまでにおかしなことなんて本当になかったか?」


 朝霧は弟は姉思いの優しい子だと言っているが、どこかその行動にチグハグさを感じる。

 本当に優しい子が出先で姉を放ってどこかへ行くだろうか。

 親がいるかもしれない地元に無理やり連れて帰るだろうか。

 その場に数年ぶり親が現れるのだっておかしな話だ。


 聞いていないだけでその弟が他にも異常な行動を繰り返しているかもしれない。

 弟はもしかしたら、姉である朝霧のことなんかなんとも思っていないんじゃないか? そんな疑問が生まれた。


「…………そんなわけ……」


 朝霧は頭を抱えながら悩んでいる。どこか思い当たる節があるのかもしれない。


「なぁ、弟としっかり話した方がいいんじゃないか? 親のことも含めて……弟が大事なのは分かるけど──」

「──うるさい」

「……っ」

「アンタに何が分かるの!? あの子は両親に見捨てられそうだった私にたった一人優しくしてくれたの。そんな弟を大事にして何が悪いの!?」


 返ってきたのは朝霧の怒鳴り声。悲痛な叫び。限界だったのかもしれない。


「ちょ、朝霧! 落ち着け!」

「離して!! ……あっ!」


 俺は大雨の中飛び出そうとした朝霧の両腕を掴んで、引き止めた。朝霧は激しく抵抗する。

 その弾みで朝霧のスマホが地面に落ちた。


 落ちた衝撃でスマホのディスプレイが表示される。


「──ッ!」


 そこには──朝霧と屈託のない笑顔をしている、右の目元に泣きぼくろのある少年が映っていた。


 朝霧はすぐに落としたスマホを抱きしめるようにして拾う。一方、俺はそこに映し出された少年を見て固まってしまった。


「…………朝霧、それ……弟か?」

「……だったら何?」


 ……あの男はやっぱり朝霧の弟だ。夢に出てきたレインコートの男。

 予感が確信に変わる瞬間だった。


 嫌な汗が出始めた。それと同じくして心臓がやたらとうるさくなってきた。

 そういえば、雨が降っている。あの夢と状況が重なっている。


「…………」


 おいおい、まじか。やっぱり、夢じゃなかったのか?

 倉瀬が危ない、そんな焦りが顔に出る。い、いや落ち着け。


「朝霧、弟は地元にいるんだよな……?」

「…………いない」

「……どこにいるんだ?」

「…………」


 朝霧は答えない。嫌な予感と焦りが加速していく。

 まさか──


「こっちにいるのか?」

「……」


 こくりと小さく朝霧はうなずいた。

 本格的にまずい気がする。


「倉瀬が危ない」


 気がつけばそうつぶやいていた。


「……それどういう意味?」


 ──しまった。朝霧に聞かれてしまった。一番聞かれてはいけない相手に。


「どういうこと? ねぇ、説明してよ。どうして、優斗がいると七海が危ないの?」

「い、いや……」


 ここに来てもまだ迷っている自分がいる。

 家族のことで悩んでいる朝霧に余計に負担をかけるだけ。そんなことをしてしまっていいのか。


 だが、教えなかったとして、もしあの未来が本当だった? 倉瀬が巻き込まれたらどうする?

 その時、朝霧はどう思う?


 どれを取っても嫌な未来しかない。


 朝霧は真剣な表情でこちらを見ている。この瞳からは逃れられない気がした。

 大きく息を吐いて、暴れ馬のような心臓を落ち着かせる。俺も覚悟を決める。


「倉瀬から聞いたか? ストーカーされてるって」

「…………っ」

「下駄箱の件なら知ってると思うけど、その後にもいろいろおかしなことあってな。家に倉瀬の写真が送られてきたりしたらしい」

「…………そんなの聞いてない」

「言わなかったんだろ? 倉瀬も朝霧に心配かけたくなかったんだろな」

「……そんなのって……」


 朝霧はショックを受けていた。きっと親友である自分に言ってくれなかったことが悲しかったのかもしれない。だけど、そんなことを悲しんでいる暇はない。


「それでゴールデンウィーク中、倉瀬が誰かに付けられてたらしいんだ」

「──っ。それ……どうしたの?」

「その時、偶然藤林が居合わせてな。付けてたやつは実際いたらしいんだが、逃げていったんだと」

「……そう」


 朝霧はそれを聞いて、安堵の表情を浮かべる。


「ただ、その付けていた相手っていうのが……朝霧。お前の弟らしい」

「…………っ!」


 朝霧は目を見開いた。全く予想にしていなかった、という顔だ。


「そ、そんなわけない。あの子がそんなことするわけない」

「すまん。こればっかりは、俺も藤林の目撃証言からでしか、話せてないから確証があるわけじゃない。だけど、現に倉瀬はストーカー被害に遭ってる」

「そんなことしないって言ってるでしょ!?」


 親のこともあって、平常心を保てないのか朝霧はこちらの話を聞く耳持たない。

 だけど、ここで弟のことを止めないと倉瀬が危ない。

 あれが本当にただの夢なのであれば、それでいい。だけど、万に一つ。そうじゃなかった時。俺は間違いなく死ぬほど後悔するだろう。


「でもそれが本当だったとしたら? 倉瀬に何かあってからじゃどうするんだ!」

「ふざけないで! それだけで弟が七海に何かをするだなんて言うつもり!? その根拠は!? 出鱈目なこと言わないで!!」

「根拠は……ない。でも俺には分かる」

「はっ……何が分かるって言うの? アンタ預言者か何か? 未来のことでも分かるって言うの?」


 朝霧は鼻で笑う。図らずしもそれは当たっていた。


「…………そうだ。信じられないかもしれないが、俺には未来先のことが分かる」


 気がつけば口に出していた。きっと、頭のおかしいやつと思われるかもしれない。それでも少しでも信じてもらえる可能性があるならと思って、言ってしまった。


「朝霧を初めて助けた時もそうだ。朝霧が車に轢かれることがわかっていた。だから、ああするしかなかった」

「…………」

「それで次は、朝霧の弟が倉瀬に危害を加えるかもしれない」

「……っ。バカにしないで」


 パシンと頬を痛みが伝う。


「バカにしないでよ!! そんなことで私が納得するとでも思ってるの!? 未来が分かる? ふざけるのも大概にして! さっきから聞いてれば、分かったようなこと……気持ちは分かる? うんざりよ!! 弟はそんなことするような子じゃない!!!」


 朝霧はそう吐き捨てて、立ち上がり、走り去っていった。


 気がつけば、雨が降っていた。

 俺は一人、雨に濡れゆく朝霧の後ろ姿を見送ることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る