第39話 トラウマは中々忘れられない

 ゴールデンウィークが終わり、人は五月病という厄介な病に苛まれる。

 今日から連休が終わり、また学校生活に戻らなければならない。


 行けなかった時は、あれほど行きたかったのに、行くのが当たり前になると行くのが面倒臭くなる。人間とは現金な生き物である。


 ゴールデンウィークであった倉瀬のストーカー問題は、結局のところ進展していない。

 あれから倉瀬には気を付けるように言っていたが、何か視線を感じたとか、家に不審物が届くとか、そういうのはないようだ。


 それと問題の倉瀬をストーキングしていた相手について。

 藤林によれば、朝霧の弟が有力らしいのだが、その辺りのこともゴールデンウィーク中に朝霧から話を聞くことは叶わなかった。


 というか、ラインを送っても、うんともすんとも連絡が返ってこない。


 ──これ、交換した意味あったんか?


 こう思ったのは二度目。

 俺が行間を読み間違えてなければ、困ったときに頼れと交換した時は言っていた。いや、言ってないけど。

 なのに、連絡を返さないとは何事か。


『頼む、朝霧!! 困ったことになった!!』


 これほどまでに簡潔に助けを求めているメッセージはないだろう。自分のスマホの画面を見ても、そこに『既読』の文字はない。


 読んですらない。え、ブロックされてない?

 友達少な過ぎて、不安になってくる。


「登校したら絶対に無視した理由、聞いてやる。そして文句を言ってやる」


 ゴールデンウィーク明け一番の目標が決まった。

 なのに……。


「なんで学校来てねぇんだよ」


 隣の席を見て呟く。

 一人だけゴールデンウィーク終わってないとかずる──心配だ。


 授業中に窓の外をぼんやりと眺める。休み明けだっていうのに、空はどんよりと曇っていて、余計に気分が落ちてきた。帰りたい。


「ふぁ……」


 あくびまで出る始末。心なしか頭も痛い。


「伊藤。私の授業であくびとはいい度胸だ。この問題を解いてみろ」

「…………」


 ほんと、休み明けからいいことがない……。


 ◆


 ゴールデンウィークが明けた日の月曜日。

 私はいつも通り、制服に着替え、学校へと向かうつもりだった。


 ただいつもと違うのは朝一、弟──優斗が家に帰るため、駅まで見送りに来ていたことだった。

 本来であれば、ゴールデンウィークの最終日に帰るつもりだったのだが、実家の事情で今日の朝となった。


 しかし、駅で優斗を見送ってお別れをするはずだったのに、優斗は中々、改札に入ろうとしない。


「どうしたの、優斗?」

「ねぇ、このままサボってどこか遊びに行っちゃおうよ?」

「え、何言ってるの。ダメよ……優斗も学校あるでしょ?」

「俺は成績優秀だから一日くらい大丈夫だし。ね? いいでしょ?」

「でも……」

「いいから」


 結局、私は優斗に流されるままに電車に揺られ、学校をサボって違う土地まできてしまったのだった。

 ゴールデンウィーク中、散々いろんなところを連れ回されたはずなのに……私は、優斗のお願いに首を横に振ることはできなかった。


 でも本当はこんな場所来たくなかった。そして戻ってくるとも思ってなかった。


「変わってないな……」


 五年ぶりに降り立ったその地は、私が生まれ育った場所でもある。

 懐かしくも苦しい日々が蘇る。


 相変わらず人の多さは水原町とは比べ物にならない。

 長浜も栄えている方だが、こことは比べ物にならなかった。駅前は多くのビルが立ち並び、空へと向かっている。


 ……人酔いしそう。


 いろいろな意味で私は、気分が悪くなっていた。

 ただでさえ、人が多いところは苦手。それにも関わらずこのゴールデンウィークはそういうところばかりで疲れていた。


「じゃあ、姉ちゃん。この辺で休憩しようよ」

「ええ」


 優斗に促されるままに私はカフェへと入店する。歩き回って疲れた。もう時刻は昼過ぎを迎えていた。

 昼間ということもあり、そのカフェにはサラリーマンやOLたちがランチを食べており、座る席を確保するのも大変だった。


「やっと座れたね」

「うん……注文してくるわ。何がいい?」

「いいよ、姉ちゃん疲れてるでしょ? 僕がしてくるよ。何がいい?」

「……えっと」

「僕が選んでこようか?」

「……お願い」


 珍しくも優斗からの優しい提案に言葉が詰まってしまった。そのまま優斗におまかせをして、私は椅子に座ってそれを待つことにした。


「ふぅ……」


 優斗がレジへと並ぶのを見送ってからそこでようやく私は一息つく。

 このゴールデンウィークは優斗に連れ回されて大変だった。

 特に前も長浜に行った時は、途中で先に帰るものだからびっくりした。相変わらず、優斗の奔放さには振り回されてばかりだ。


「あ、スマホ……」


 優斗を待っている間、私はスマホの電源を入れ直す。

 ゴールデンウィーク中はほとんど電源を切っていた。

 理由は、優斗に頼まれていたからだ。私がスマホばかり見て、自分に構ってくれなくなるのが嫌だったらしい。


 スマホの電源を入れるとラインには通知がいくつか溜まっていた。

 七海からも連絡が来ている。

 同じ場所に住んでいるのに、長らく連絡をとっていないと変な気分になる。


「七海にまた謝らななくちゃ」


 せっかく遊びに誘ってくれたのに断ってしまった。今日だって無断で休んで、七海から心配の連絡が来ているのを無視してしまっている。

 なんだか無性に七海に会いたくなった。


「あ、アイツからも……」


 七海以外に連絡が来ることは珍しい。そもそも七海以外の連絡先を知らない。

 よくよく思えば、連絡先を交換してから初めての連絡だった気がする。


『頼む、朝霧!! 困ったことになった!!』


「何よこれ」


 変なテンションで送られてきたそのメッセージに思わず、笑ってしまった。アイツらしくないとも思った。


「あれ……?」


 そういえば、座ってから長らく優斗が戻ってこない。

 レジの方を見ても優斗らしい姿が見えない。

 ……どこ言ったのかしら? お手洗い?


 スマホで優斗に連絡を取ろうと目線を落とした時、誰かの影がかかった。

 それに気がついて顔を上げる。


「──ッ。な、なんで?」

「こんなところで何をしているのかしら」


 そこにいたのは──母親だった。



 母親はしばらく私を立ったまま見つめる。


「へぇ。平日から学校をサボっていいご身分ね」

「…………す、すみません」


 声が震える。思わず、飛び出てしまったのは敬語。母親は高圧的な態度のまま、私の前の席へと座り、足を組んだ。


「ここに優斗がいるって聞いたんだけど」


 ……一体誰に?


「し、知らない……」


 私は咄嗟に嘘をついた。


「とぼけんじゃないわよ。アンタが優斗を連れだしたんでしょ!!」

「っ……」


 急に怒鳴り声を出されて、身が縮こまる。

 ……怖い。

 周りもその大声に釣られてこちらをチラチラと見ていた。


「あの子はね、あんたと違って出来た子なの。だから私に黙って家を出ていくはずない。分かる?」

「…………」

「確かに今はちょっと成績が悪いかもしれないけど、これから受験に向けて勉強に集中すれば、きっとすぐに良くなるわ」

「え……? 優斗成績悪い……んですか?」


 ギロリと睨まれて、声が小さくなっていく。

 私が優斗から聞いていた話と違う。優斗はいつも優秀で成績が良くて……私とは違って……。


「それなのに、あんたと来たらこんな大事な時期に連れ出して……とことん私たちの邪魔をしてくれるわね」

「じゃ、邪魔なんてしてな……い」

「ふん。優斗が母さんの家にいたことは知ってるの。大事な時期って分かっていながらゴールデンウィークも連れ回して。いい加減にして」

「そ、それは優斗が……」

「うるさい!!」

「──っ」

「……!」


 机を叩く音に怯える。

 そこで母親の携帯に着信が鳴った。母親は迷わずに電話を取る。そして何かを話し始めた。

 仕事の人と話しているにしては、高圧的な話し方は変わらない。


『ええ。そうしてちょうだい。じゃあ、後でかけ直す』


 そしてすぐに電話を切って、もう一度こちらに向き直った。

 体の震えが止まらない。


「ともかく、優斗を見つけたらすぐに戻ってくるように言いなさい。あんたには何も期待しないけど、それくらいのことなら出来るでしょ」


 そう吐き捨てて母親は立ち去っていった。



 母親がいなくなってしばらく、私はその場から動くことができなかった。

 ポタポタと机に雫が落ち、広がっていく。


 スマホが震えた。


『忘れ物しちゃったから、ばあちゃんちに取りに帰るね』


 優斗からそう連絡が入っていた。


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