第32話 心配な二人

 私、倉瀬七海は最近悩んでいる。

 どうすれば、伊藤くんともっと仲良くなれるかということをだ。


 伊藤くんとは出会った時から不思議な人だと思っていた。なんというか、懐かしい気持ちというのが一番だった。

 この懐かしい気持ちがなんなのかはよくわからない。私が昔、お世話になった従兄弟のお兄ちゃんに似ている……というのもあるかもしれないけど、それだけじゃない気がした。


 川に溺れた私を助けてくれたのが始まり。

 登山中、迷子になった時も私を見つけ出してくれた。

 男の人をそんな風に意識したことはなかったけど、これは意識せざるを得なかったと思う。


 だって、命の恩人なんだもん。


 でも、自分からどうやったらもっと仲良くなれるかが分からない。いつもの自分なら相手が誰であろうと気にせず、話しかけれるのに……。


 急に恥ずかしくなってしまう。


「はぁ……」

「どうした、ため息なんてついて」


 朝、家を出る前、テーブルで向かい座る無精髭を生やした男性──お父さんから心配をされた。

 刑事をしているお父さんは最近、ベテラン刑事の風格が出てきたように思う。部下にも厳しい人だけどその分、愛があるとわかっているのか、よく家に連れてきて呑んでいる。ただ呑ませ過ぎな時もあるのでアルハラで訴えられないか心配だ。


「はは、まさか恋の悩みかぁ?」

「む……お父さんには関係ないでしょ!」

「なっ!? ま、まさか本当に!?」


 きっと冗談で言ったつもりだったのだろう。別に恋とかそういうのはおいておいて、悩んでいるところを茶化されて面白くはないことに間違いない。


 だからちょっと強めに言ったら……


「い、いつからだ……?」

「え?」


 なぜかいつもの事件を追う時のような真剣な表情へと変わった。


「いつから、かかか彼氏ができた?」

「か、彼……っ! べ、別にそんなんじゃないもん!」

「……………………」


 お父さんはなぜか急に無言になった。それと同時に何か圧力を感じる。


「彼氏じゃないならなんなんだ!」

「だ、だから伊藤くんはただのお友達だって!!」

「……そうか。伊藤くんと言うのか。俺の娘を誑かしているのは」

「あっ……」


 お父さんに詰められ、つい伊藤くんの名前を出してしまった。本当に伊藤くんとは何もなく、ただの友達であることは事実だ。

 ……ただ、一方的に私が気になっているだけ。


「と、ともかく! 本当にただの友達だから!」

「──………なさい」

「……えっ?」

「本当に友達なら今度、その男をここへ連れてきなさい!!!」

「…………へ!?」


 顔が一瞬で沸騰したように熱くなる。

 その反応を見たお父さんは、一転泣きそうな表情になった。


「その反応……まさか本当に……そうなのか……?」

「ち、違うからね!? もう行くから!」

「待ちなさい!! 七海ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


 恥ずかしくなった私は、席を立ちカバンを取って慌てて家を出た。



「もう、お父さんたら、大袈裟なんだから」


 学校についてからもお父さんへの愚痴は止まらない。

 あの時、一瞬、家に伊藤くんを連れてくることを想像した。そして結婚の挨拶を想像してしまった。伊藤くんはスーツを着ていて、お父さんに向かって頭を下げるのだ。


『娘さんをください!!』


「えへ。えへへ……」

「えっと、倉瀬。朝からご機嫌なところ悪いがそこ、どいてくれるか? 俺の下駄箱の前なんだけど……」

「い、伊藤くん!?」


 妄想に耽る私の前に現れた伊藤くんに驚き、その場を飛び退く。


「お、おはよう。伊藤くん。スーツ着てないんだね」

「スーツ……? 着たことないけど……」

「え? あ、ううん。こっちの話!」

「それならいいけど……」


 危ない。妄想がはみ出るところだった。

 おかげで伊藤くんに怪しまれてしまった。


「今日は、朝霧と来てないんだな」

「うん。いつも一緒ってわけじゃないから。今日はちょっと家の用事で遅れてくるらしいよ?」

「そうなのか」


 いつもなら優李ちゃんとは待ち合わせをして学校へ向かう。でも、偶に日直だとか用事があるとか言う場合は別だ。家の用事っておばあちゃんに何かあったのかな?

 少しだけ心配になった。


 あれ……そういえば、今って伊藤くんと二人なんだよね……?


 この下駄箱の前にいるのは自分たちだけだった。

 い、今だったら連絡先聞けるかな? よし……今がチャンス……。


 私は勇気を持って、伊藤くんに話しかけた。


「そ、そういえば、伊藤くん。れ、れ連絡さ──」


 そう言いながら下駄箱を開けた時だった。


「……え?」


 私が手に取った内履きがぐしゃぐしゃに濡れていたのだ。

 一体何で濡れていたのか分からないが、少し異様な匂いがした。


「倉瀬? な、なんだこりゃ……」


 それを見た伊藤くんも顔をしかめた。


「どうしよう…………」

「とりあえず、先生に言って、何か履けるもの貸してもらおう。倉瀬はここで待っててくれ」

「え、うん……」


 伊藤くんはそう言うとすぐに職員室へと向かっていった。


 …………また、連絡先聞けなかった…………。


 ◆


 朝、登校した時に倉瀬にあったことはちょっとした問題になった。いじめ、というものを疑われたりしたが、今のところそれらしいことはなかった。倉瀬は誰とでも仲が良いし、恨みを買われることをした覚えもないとのことだ。


 そしてそのことを確かめるため、クラスで倉瀬の動向を目で追っていた。

 朝、その場に出会した俺もそのことについては気になるからだ。


 結果、倉瀬は誰にでも優しく接して、評判通りのいい子であるという結果が得られた。

 それって何にも得られてないんじゃ……? っていうツッコミはなしな。


 そして偶に目が合うと露骨に目を逸らされたのは、少し胸がえぐられた。


 ともかく、倉瀬は誰かの恨みを買うような人物じゃないってことだ。それは転校してきてから接している俺もよくわかっている。


 偶にド天然を発揮するが、それがクラスメイトに受け入れられているのも普段の行いがあってのことだろう。


「にしても倉瀬そりゃ、落ち込むよな」

「まぁな」


 そして草介と話題は今朝の話へ。

 いつも通りに見えるが、倉瀬はどこか元気がないように思える。やはり気丈に振る舞っていてもショックなのだろう。


「でもさ、こんなの朝霧が聞いたらブチギレてやった相手半殺しにするだろ」

「だろうな。犯人見つかると良いけど、朝霧に見つかると多分死ぬ」


 自業自得ではあるが、倉瀬LOVEの朝霧なら何をしでかすか分からん。

 そんな朝霧もまだ学校へは来ていなかった。


 家の用事で遅れてくるって言ってたけど……二限目が終わってもまだ登校していなかった。

 そう思った矢先。ガララと教室の扉が音を立てた。


 入ってきたのは、朝霧。そしてゆっくりと自分の席──俺の隣の席へと腰を下ろした。


「……何?」


 じっくりと見すぎたようだ。


「いや、なんでも」

「そう……」


 なんか元気ない?


「そう言えば、聞いたか? 倉瀬のこと?」

「おい、バカ!」


 俺は草介を引っ張り、朝霧に背を向けてヒソヒソと話す。


「わざわざ言わなくて良かったろ。倉瀬の話題になると情緒おかしくなるんだから。そうなった朝霧が隣にいる俺の身にもなれ」

「いや、まぁ、そうだけどどうせ知るだろ? なら先に教えておいたほうがいいかと思ってな」

「そうだけどよ……」


 草介の言い分も一理ある。二人は紛うことなく親友だし、一番に教えてもらった方がそりゃ当人からしたら嬉しいだろう。


「まぁ、隣なのは頑張れとしか言えねぇ」

「おい」


 くそ、他人事みたいに言いやがって。


「七海がどうかしたの?」

「あー、いや……実は、今朝、倉瀬の内履きがな」


 結局、説明することになった。

 説明を聞いた朝霧は予想通り、ブチギレ──ると思ったが、想像していた反応と違った。


「……そう。そんなことが」


 静かにそう言って、立ち上がると倉瀬を探しに行ってしまった。


「なんか様子おかしかったな」

「そうかぁ?」


 俺がそう言うと草介は首を傾げた。


「あれは嵐の前の前触れだぜ。多分、怒りすぎて逆に冷静になってるパターンだ。明日には犯人が血祭りにあげられてると俺は思う!」

「ま、そうかもな……」


 草介の言うこともあるが、なんだかそうじゃない気もした。


 ……やっぱり元気ない?






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