第30話 夢の中のあの子とうまく行かない現実

 ***


 雨が降っている。


 そこに立っているのはレインコートを着た男だった。


 誰だ……? 


 それが自分じゃないことはわかっていた。


「ハッ……ハッ……ハッ……」


 男は肩で息をしていた。

 そして手には何かを持っており、その男の傍には誰かが倒れている。


 倒れているのは女性だ。しかもうちの学校の女子制服を着ている。

 倒れている女子生徒の腹部からは、おびただしいほどの血が流れていた。


 血は雨に流され、その場に広がっていく。


 そこに倒れていたのは────。


 ***


「ッ!?」


 目が覚めた。

 カーテンの隙間からは、光がわずかながらに溢れて、外からは鳥のさえずりが聞こえていた。


 体をゆっくりと起こし、その場で伸びる。

 それでもまだ眠気は取れない。ぼーっとした頭のまま、枕元の時計を見た。


『08時02分』


 そこにはそう記されていた。


「……遅刻じゃねぇか」


 普通の人だったら慌てて布団を飛び出すところではあるが、俺は一味違う。どうせ遅刻になるのならば、急いだって意味ないのだ。急いで行っても疲れる。さらには遅刻なので怒られる。それならば、ゆっくり行って怒られた方がいい。


 その結論に達したところで俺はもう一度、布団をかぶって横になった。


「…………」


 横になったはいいものの目が冴えて、二度寝ができなかった。

 おかしい。三度の飯より、だらけるのが大好きなこの俺が二度寝できない?


 そのワケを布団を被ったまま考える。


 今日は、四月末の連休が明けたばかりの五月との連休の間にある登校日である。


 登山という名の林間学校が終わり、そのまま連休に入ったはいいものの疲れすぎて、一日家でだらけてい──ようと思ったけど、例によって綾子さんにこき使われて連休を過ごした。


 朝からほぼフルタイムで。

 うちのカフェは夜になるとお酒を提供するバーにもなるので、休む暇などほぼなかった。おかげでちっとも疲れが取れなかった。

 むしろ余計に疲れたくらいだ。


 疲れが残っている……にも関わらず、眠れなかった。それはなぜか?


「──ッ!」


 そしてすぐに思い出した。


 奇妙な夢だった。まるでいつも見る未来視のような感覚。

 でも自分は夢の中を漂うようななんとも言えない感じだった。


 それと同時に嫌な夢でもあった。内容を思い出すと気分が悪くなった。


「縁起でもない夢だな。誰かが死ぬ夢なんて」


 うちの学校の制服を着たあの女性とは一体誰だったのだろうか。

 思い出そうにも顔がはっきりと見えなかった。


「……学校向かうか」


 しばらく考えても答えを出せなかった俺は、布団から這い出てゆっくりと準備をして学校へと向かった。


 ◆


「おっそいのよ、アンタは!!」


 登校してすぐ。俺は隣の狂犬にキャンキャンと吠えられていた。


「なんでそんなに怒ってんだよ? そんなに俺に会いたかったのか?」


 なんて軽い冗談を飛ばしてみる。

 言ったところで、はん、と鼻で笑われるだけだろうけど。


「ば、バカじゃないの!? んなワケないでしょ!?」


 思っていた反応と違った。なんか、朝霧が妙に優しくなっている気がする。登山が終わったあたりからだろうか。

 連絡先を交換したはいいが、一度もこちらから連絡をとっていないし、あちらからも連絡は来ていない。


 これ交換した意味あったのか?


「それでなんでそんな怒ってんだよ?」

「日直!」

「あ?」

「今日、アンタと私で日直なのっ!」


 なるほどね。納得した。

 日直の仕事を全部押し付けてしまったわけだな。


「なんとも思ってない顔ムカつくわね」

「いや、本当に悪いと思ってる。この通り」

「アンタわざとやってんでしょ。顔色一つ変わってないわよ」


 怒るどころか朝霧は呆れ顔でため息をついた。よっしゃ、俺の勝ちだ。


「いいわ。今度、七海とカサブランカ行くから」

「…………?」


 カサブランカというのは、我が居候先。つまり綾子さんが経営するカフェ&バーである。

 怒らせてしまっておいてなんだけど、ヤケ食いでもすんのか?

 もったいないからやめておいた方がいいと思う。俺が作らなければ、あそこの料理はその辺で売ってるもの盛り付けてるだけだからな。


「綾子さんに頼んでアンタのツケで頼むから」

「っ!?」


 それは勘弁してほしい。

 一応、手伝っている間はバイト代をもらっている。ただでさえ、懐が寒いのにこれ以上、俺からお金を取って行かないでくれ!!


 俺の焦った顔を見て満足そうな顔をする朝霧。

 遅刻したのは俺なので何も言えない。


「あ、おはよう伊藤くん」


 そこへやってきたのは倉瀬。

 どこかへ行ってきた帰りだろうか。


「七海。今はお昼よ。おはようの時間じゃないわ」

「あはは、そうだね!」

「ところで大丈夫だった?」

「え? 何が?」

「また呼び出されてたんでしょ? 変に迫られなかった?」

「うん! 大丈夫だったよ! なんか遊びに誘われたけど、優李ちゃんと遊ぶ日だったから断った!」

「他の日は誘われなかった?」

「誘われたけど、それも断ったよ? その日は特売の日だったから! 他の日にもいろいろ誘われたけど、優李ちゃんに予定聞いてみるねって言ったら、どこかへ行っちゃった!」

「…………あ、そう」


 朝霧の質問にニコニコ答える倉瀬。どうやら話を聞く限り、告白のために呼び出されていたらしい。

 しつこい相手にいつもの天然で撃退したようだ。


「そういうことよくあるのか?」

「しょっちゅうよ。しつこい男子ほど鬱陶しいものはないわ」


 これは倉瀬だけじゃなくて、朝霧本人にもあるようだ。実感のこもっている言い方だった。


「そ、そう言えばなんだけど伊藤くん!」

「ん?」

「その──」

「新世ー!! 遅い!! 遅すぎるぞ!!」

「ぐっ、こら。草介! いきなりなんだよ!?」

「腹減った。食堂行くぞ」

「あ、おい! わ、悪い。倉瀬また、後でいいか?」

「え、うん! 大丈夫!」


 俺はその後、草介に引きずられるようにして食堂へと連行された。


 ◆


「はぁ……」


 ため息がこぼれでた。

 なかなかうまく行かないなぁ。


「どうしたの?」


 親友である優李ちゃんの前で思い切り、ため息をついてしまった。目の前でされたら気になるよね……。


「何か困ってることがあるならいいなさい。七海はすぐ無茶しちゃうんだから」

「ふふ、ありがと」


 優李ちゃんはそう言うとお弁当の蓋を開けて卵焼きを取り、口に頬張った。

 それを見て、ぐぅ〜とお腹が鳴る。いつ見てもおいしそう……。


「七海、お昼は?」

「今日は食パンなの」

「食パン……?」

「本当はお弁当作ろうと思ってたんだけど、お弁当に使おうと思ってた食材、昨日の晩ご飯で全部使っちゃったんだ。お父さんにえらく豪勢だなって喜んでもらえたよ!」

「そうなの……」


 私は食パンを鞄の中から取り出す。6枚切りの食パン。私は袋からパンを取り、何もつけずに食べた。


 優李ちゃんは今度は唐揚げを食べている。

 いいなぁ。やっぱりおいしそう…………。


「…………いる?」

「え、いいの!?」


 優李ちゃんはそう言うと私の食パンの上に唐揚げを置いてくれた。


「お返しにこれあげるね!」

「いや、いらないから」


 食パンを一枚あげようと思ったが断られてしまった。おいしいのに。

 私はもらった唐揚げを食パンに挟んで食べた。


「ん〜〜〜! いつ食べても優李ちゃんのおばあちゃんが作った唐揚げおいしい〜!!」


 優李ちゃんのお弁当は優李ちゃんのおばあちゃんが作っている。優李ちゃんのおばあちゃんは本当に料理が上手で私のお父さんがお仕事でいない時は、たまにご馳走になることもある。


「ふふ、その分だと悩みは特に問題ないみたいね」

「あ、うーん……」

「あるの?」


 優李ちゃんに言われ、改めて先ほど悩んでいたことを思い出す。

 おいしいものを食べるとすぐに忘れてしまうのは私の悪い癖だ。


「伊藤くんのことなんだけどね……?」

「アイツの? もしかしてさっき何か言おうとしてたことと関係あるの?」

「う、うん……」


 優李ちゃんの眉間にシワが寄った気がした。


「実は……伊藤くんの連絡先聞こうと思うんだけど、なかなか言い出せなくって」


 思い切って私は優李ちゃんに打ち明けた。

 実は、前から聞こうと思っていたんだけど、私から男の子の連絡先を聞いたことがなかったからどう聞けばいいかわからなかった。


 やっぱり恥ずかしいし……。


「へ、へぇ〜アイツの連絡先ね……いらないんじゃない?」

「伊藤くんってまだ転校してきたっばっかりだし、あんまりみんなと連絡先交換してるとこ見たことないから! それにもっと仲良くなりたいし……」

「仲良くね……」

「そうだよ! 優李ちゃんも一緒に聞こうよ! そしたら二人で一緒に交換できるし!」

「いや、私は……別に……」

「もう、またそんなこと言って! クラスメイトなんだから連絡先くらい交換してもいいでしょ?」

「ま、まぁ気が向いたらね」

「む〜」


 なんだか優李ちゃんの歯切れが悪い。優李ちゃんは伊藤くんのことをよく敵視している。だから伊藤くんとあんまり仲良くなりたくないのかもしれない。


「伊藤くん……いい人なのになぁ……」


 その後、その話は一旦終わりを迎え、6枚切りパンを全て食べ終わったところで予鈴が鳴った。


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