第27話 伊藤新世という人物について
優李は、席を立った新世の背中を見つめていた。
「…………」
「優李ちゃん?」
「……なんでもないわ」
優李は七海に問いかけられ、首を横に振った。
「それにしてもどうしたんだろ、新世くん。お腹痛くなったのかな?」
「さぁ? 褒められ過ぎて恥ずかしくなったんじゃない?」
新世がいなくなった場でも変わらず、会話は続く。
あれほどまでに登山の時、不機嫌な顔をしていた紗奈はその面影を見せることなく、笑顔を見せていた。
それも新世のおかげであることを優李は知らない。
口喧嘩になって、新世と共に戻ってきた時。七海がいなくなって焦っていた優李を不器用ながらも慰める──とはいかなくとも声をかけてくれたのは紗奈だった。
その時から幾分か話しやすくなった。
(アイツと何かあったのかしら?)
そう思えば辻褄が合う。
思えば、この春に新世と出会ってから少しずつ、何かが変わっている気がしていた。
優李はこれまで七海以外とは一切関わりを持とうとしてこなかった。なのに、最近は新世、そしてそれにおまけして草介とも話すようになっている。
今日だって、初めはいがみ合っていた紗奈とも今なら少しは会話をしている。いろんな噂が飛び交う彼女だったが、話してみれば以外と話しやすく、そしてどちらかといえば、自分に似ているとすら思ったのだ。
更に言えば、今日こうして初めて話すにも関わらず、翠花ともすんなりと会話に溶け込めている。
失われた晩御飯を分けてもらったという建前はあるにしろ、ここまで話せる仲になるとは思っていなかったのも事実だ。
(この子もアイツとなんかあったみたいだし……)
その起点が間違いなく新世にあることに優李は気がついていた。
この縁も新世がいなければきっとなかったことだろう。
でも、どうして新世とは軽口を叩きながらも、他の生徒とは違い話すことができているのか、優李自身わかっていなかった。
(事故になりそうなところを助けてくれたから?)
まさか。本人の言葉を全て信じてるわけじゃない。カフェで話した時のしどろもどろな感じを思えば、不可解な点も多かったのは事実。
でもどうしてか、そう思うと腑に落ちるのも確かだった。
そう優李が思ったところでまた、話題は新世のことになる。
「そういえば新世くんって、転校生だったよね! なんとなく話しやすいから忘れてたけど、前にいたところではどんな感じだったんだろ?」
「何? 新世のこと気になるの?」
翠花の疑問に紗奈が様子を窺う。
「き、気になっ!? 違うよ! 料理とかも自然にできるようになった、って言ってたから。応急処置とかもそうだし、そういう経験してたからなんだろうけど……そういうのって気になんない?」
「まぁ、確かに気になるといえば、そうかも」
「でしょー? 翠花なんて、普通にしてても料理なんて全くできるようにならないし、テーピングですら、部活でやってるのにうまくなんないから……」
自分で言っていて翠花は元気がなくなっていく。
性別を抜きにしても器用さでは圧倒的に翠花は新世に負けていることを自覚したからだ。
「……ま、確かに新世の転校前とか結構、気になるかも。どんなのか聞ければ、いじれそうだし!」
紗奈の目的はそこへ帰結する。新世をいじるための材料がそこにあれば是が非でも聞きたいと思っていた。
「倉瀬さんたち同じクラスだよね? 新世のことなんか知ってる?」
「伊藤くんのこと?」
七海が聞かれているのを傍目に優李も考える。
(そう言われれば、私も聞いてないわね。店長さんに話を聞いて以来、特に聞いてこなかったけど……ッ!)
そこで優李は頭を振った。店長さんの話を思い出していたのだ。
自分だって触れてほしくない部分はある。親戚でもない知り合いの家に居候なんて考えただけでその家の事情がややこしいことは分かる。
知らないというのもある。
だけど、この場にいない彼の複雑そうな過去について言及するのは違うと思った。綾子に聞いた話だけをしてもよかったが、この場の空気が悪くなるかもしれない。それに新世が戻ってきた時、それに違和感を覚えるかもしれない。
(だから──)
「……そ、そういえばだけど、瀧本さん? だっけ? あれって本当なの?」
(藤林さんごめん)
優李はわざとらしく話題を変えた。
かなり強引な話題の変え方だったように思うが、翠花は気にすることなく、話に食いつく。
七海もその意図に気がついたようだった。ただ、露骨に話題を変えられたこと紗奈だけは眉を顰めた。
「あれって?」
「この前、怪我した瀧本さんをお姫様抱っこで抱き上げて保健室まで連れて行ったって言う話」
「ええ!?」
実を言うと気になっていたのは本当の話。
聞いた噂だと、実は付き合っていて、この前も抱き合っていたのだとか。
本人は否定していたが、なんとなくアイツの口からは信じられないので、優李はこの機会に聞くことにしたのだった。
「ないないない! ないよ、そんなの!!」
顔を真っ赤にして大手を振って翠花は否定した。あまり否定しすぎるのも可哀想な気がした優李だったが、なんであの男のことをそんな風に思わないといけないのかと思い直す。
「そ、その翠花なんかと噂になって迷惑かけてるって思ってるもん……」
「え、翠花ちゃん。可愛いのに! だって、小柄で女の子ーって感じで」
「ち、ちっちゃいのはコンプレックスなんだからやめてよ……これでも翠花バスケ部なんだよ?」
「ご、ごめん! そんなつもりじゃ……」
「いやいや、そんなに真剣に謝らないで! 気にしてるのは本当だけど、そこまでは怒ってないから!!」
何やら七海と翠花で頭をへこへこと下げ合うコントが始まっていた。
「ふーん、新世そんなことしてたんだ」
「してないよ!? お姫様抱っこなんてされてないからさ!」
「じゃあ、何されたの?」
「えっと、それは…………おんぶ……」
それを聞いた紗奈は口を尖らせ、目を細める。どうやら紗奈の興味はうまくシフトしたようだった。
「でもそう思えば、私も優李ちゃんも伊藤くんに助けてもらってるね!」
「……倉瀬さんたちも」
「うん。私もさっき迷子になった時、怪我したんだけど手当してもらったの。後、この前は川で溺れかけたところも助けてもらったし! あはは!」
「七海、それあんまり笑えないから」
「えーそうかな? しかもね、川で溺れて恥ずかしい下着まで見られちゃった……えへへ……」
七海は恥ずかしいエピソードトークのつもりなのだろうが、紗奈はそうは思わなかった。
(やっぱスケベじゃん)
そんな風に今度、どういじってやろうか考えているのだった。
「じゃあ、朝霧さんは?」
「優李ちゃんは、交通事故になりそうなところを助けてもらったんだよね!」
「ちょっと、七海! 私のはなんでもないから。あれはそう言ってるだけで私は信じてないんだからね?」
優李は慌てて否定する。そうは言うものの半信半疑が実際のところだった。
「ふーん……みんな新世に助けてもらってるんだ」
なぜだか分からないが紗奈はつまらない気分になっていた。
その感情がなんなのかまだ自分の中でわかっていない分、余計にイライラした。
「あ、じゃあ藤林さんは? どこで新世くんと知り合ったの?」
みんなはそれぞれいろんな場面を助けてもらっている。対して、自分は……ナンパ?
「あーあたしはナンパされた」
「え!?」
「ナンパ!?」
「そ、それって……」
正直に新世との出会いを暴露する紗奈。嘘は言っていない。それは、東高の奴らを避けるためという理由があったが。実際のところ東高の奴らに絡まれていたかは不明のため、紗奈自身、助けられたという感覚はあまりなかった。それよりもサボって、遊んだことの方が記憶に残っていた。
しかし、紗奈以外のみんなはそんなこと知る由もない。
まさかそんな出会い方だったとは思わず、声に出して驚く。そんな反応が意外だったのか、紗奈は少し気分が良くなった。
「ま、まぁ、普通にサボって遊びにいこーって」
──新世ってそんなことするんだ……。
みんなそんな風に思っていた。そこで優李が重要な事実に気がつく。
「ちょっと待って。藤林さん。それっていつのこと?」
「んー? 先週の火曜日とかだったっけ?」
(──アイツ! 嘘ついてたのね!?)
そうその日は、初めての委員会の日だった。翌日、サボった日に何をしてたのか、聞いた時は一日家で寝てたと言っていたことを優李は思い出した。
今度は優李が無性に腹が立ってきた。
自分が大変な時にナンパして遊んでいたこともそうだが、嘘をつかれたことに対しても。
そしてみんな一同にそれぞれの出会いを口に出す。
「えっと、私が怪我をしてるところを助けられて」
「私は溺れてるところ……」
「私は痴漢」
「私がナンパ……」
そしてみな一同に思ったことがあった。
──女の子ばっかりじゃない?
「うーん……お腹痛い……」
そこで沈黙を貫いていた草介が唸り声を上げた。
そして突如とし、立ち上がりトイレへと走っていった。
それにみんな我を取り戻した。
◆
施設にあるトイレにて、顔を洗う。
冷たい水がやる気のない俺の顔を少し引き締めた気がする。
「よし」
鏡に映った自分の顔を見るとやっぱりいつものようにやる気のない顔がそこには映っていた。
「あー、だめだだめだ。いつまでも過去のことを気にしてちゃ。生産的じゃないことは嫌いなはずだろ」
誰に言うでもなく目の前の自分に言い聞かせた。
おそらく誰にも気取られることはなかったと思うが、なんとなく戻るのが億劫になった。
さっきの自分はなんというか──そう、自分らしくなかった。
「ふぅ」
もう一度、深呼吸をして頭の中を整理する。
「お、新世」
「ッ!」
そんな折、気合を注入しなおしているところを唐突に声をかけられ、体がはねた。
鏡越しに映るのは、草介だった。
──見られてないよな?
「草介か。何してんだ」
「んなもん決まってんだろ。腹痛くなったからんーこだ!」
「ならさっさと行けよ」
「だな。……漏れるッ!!」
草介は慌ただしく、個室へと入っていった。
何となくだが、気が紛れた気がする。
「戻るか」
俺は個室から聞こえてくる唸り声を無視して、みんな待つ場所へと戻った。
「な、なんだ?」
戻ると何故か女子のみんなからジト目で見られた気がした。
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