第21話 二人っきりの時間

 分かれ道を右に進んで少し。やや険しい林道の木の下で誰かが蹲っているのが見えた。


「倉瀬?」


 俺は何かあったのかと思い、焦ってその人物の元へ駆け寄る。蹲っているのは間違いなく、倉瀬だった。


「おい、倉瀬!」

「…………」


 俺はゆっくりと倉瀬の肩を揺らした。反応がなくて焦燥感が増したが、倉瀬はすぐに顔をあげた。


「ううん……にーちゃん?」


 ぼーっとした瞳でこちらを見つめる倉瀬。


 兄ちゃん? 兄と間違えているのか? というか、前に一人っ子って言ってなかったっけ。

 それとも…………。


 俺はもう一度、倉瀬に問いかける。


「倉瀬、大丈夫か?」

「え? あっ……おはよう、伊藤くん」

「……はい?」


 呼んでいるのが、俺だと気が付いた倉瀬は全く緊迫感のない反応をした。返ってきた予想外の返事に気が抜ける。


 おはようて、おい。寝てたのかよ。

 思わず、ため息が出た。じゃあ、さっきは寝ぼけていたのか?


 そんな俺の様子を未だに呆けた表情で見つめる倉瀬。状況が把握できていないようだ。


「倉瀬が迷子になったって聞いて探してたんだ」

「私が迷子? ……あっ」


 俺がそう言ってからしばらく。自分がどういう状況だったのか思い出した倉瀬は声を上げる。


「あはは……ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい……」


 そして気まずそうに謝った。

 全く呑気なものだ。朝霧があれだけ心配してたのも肯けるわ。


「とりあえず、無事でよかった」

「うん、本当にごめんね……心細かった。伊藤くんが来てくれてよかった」

「……どういたしまして」


 倉瀬ほどの美少女に見つめられてそんな風に言われるとなんだかドキッとしてしまう。草介じゃなくても勘違いしてしまいそうになる。

 そんなことあるはずないけど。


 まぁでも、とりあえずは安心か。そう思ったのも束の間。


 倉瀬のお腹あたりから『ぐ〜〜』っという音が鳴った。


「──ッ!?」

「…………」


 倉瀬の頬が薄紅色に染まった。安心したらお腹が空いたのだろうか。ここは何かあげた方がよい?


「あー、よかったら何かいる? チョコとかあるけど……」

「こ、これは違うからね? 今のは……」


ぐぅ〜〜〜〜。


「ぁぅ……」

「…………」


再び。そして、さっきより長かった。

倉瀬の顔が更に赤くなり、ゆでだこのようになっていく。


「な、なんでもないからね?」

「いや、でも──」

「なんでもないよ?」

「お、おう……」


 有無を言わさない圧力だった。

 ま、まぁ、俺に気取られたくないなら聞かなかったことにしておこう……。

 とりあえず、話題を変えよう。


「とりあえず、立てるか?」

「……うん。大丈──いたっ」


 倉瀬は立ち上がろうとして、顔をしかめた。

 よく見れば、まくられたジャージから見える右膝から血が出ていた。


「足、大丈夫か?」

「え?」

「ちょっと見せて」


 俺はすぐにリュックから包帯や消毒液などの医療用セットが入ったポーチを取り出した。


「何から何までごめんね……準備いいんだね」

「一応、保健委員だからな。朝霧に押し付けられた」

「あはは……」


 これは保健委員に配られているものである。重たいという理由で朝霧にもたされたものが役に立ったようだ。

 ポーチからガーゼを取り出して、消毒液を染み込ませる。


「ちょっと染みるかも」

「え? 〜〜っっ!?」


 そして、出血した右膝に押し当てた。倉瀬は声にならない声を出す。不謹慎だが、少しエロい。

 

「……悪い。そこまで痛がるとは思わなかった」

「だ、だっていきなりするんだもん。痛かったよぉ」


 少しだけ涙目になった。なんだかいけないことをしているかのように錯覚してしまう。

 その後も俺は、新しいガーゼを準備し、傷口の上からテープで貼り付けた。


「……どうした?」


 その様子を倉瀬が不思議そうにじっと見ていたので気になって聞いた。


「伊藤くんってかなり器用だよね」

「そうか? どちらかと言えば不器用だと思うんだが」


 さっきの藤林の件しかり、気の利いたこととか何も言えないからな。


「ううん。かなり器用だと思う。今だって手際いいし……それにお店の料理とかも手伝ってるんでしょ? この前、店長さんが嬉しそうに話してたよ? メニューが増えたって」

「いや、あれは無理矢理……まぁ、住まわせてもらってるし、一応」


 思わず本音がこぼれそうになったが、どうにか押し止まった。実を言うと、あれからちょいちょい綾子さんに店の料理を手伝わされている。

 普段は、既製品を出していたらしいのだが、俺が料理を作れると分かってこき使われ始めた。

 カフェなのに既製品を出すのってどうよって思ったが、それまでも意外にも客はそこそこ入っていたらしい。


「でも料理までできちゃうなんて、なんだか女の子としては少し悔しいかも」

「あー……?」


 もしかしなくても、倉瀬って料理できないのか。なんとなくイメージしやすい。入れる調味料とか普通に間違えそうな気がする。


「あ、今料理できないって思ったでしょ?」

「い、いや、思ってない」


 あまりに顔に出しすぎたのか、倉瀬は頬を膨らませた。


「私だってちょっとだったらできるんだからね? 疑うんだった今度得意料理食べさせてあげる!!」

「……まぁ、そこまで言うなら」


 やけに自信満々だ。そこまで言うならおそらく大丈夫なのだろう。……ベタに暗黒物質とかは出てこないよな?


 そんなことを考えていると倉瀬はなぜか一人で何かをぶつぶつと盛り上がっていた。声をかけていいのか迷う。

 やっぱり倉瀬ってどこか変わってるよな。


「とりあえず、立てる?」

「え? あ、はい!」

「なぜに敬語?」


 足の処置はもう終わっているので、いつまでもここにいるわけには行かない。

 倉瀬は少しだけ痛そうにしていたが、歩けないほどではないようだ。


「それでみんなはどこにいるの?」

「…………あー……あ?」


 俺は改めて周りを見渡す。

 ……俺ってどこから来たっけ? これはもしや迷子というやつでは。朝霧にあれだけ偉そうに言っておいてこの様とは……恥ずかしい。


「残念なお知らせがある」

「え?」

「俺も迷子」

「ええ!?」


 ◆


「とりあえず、歩く?」

「うん」


 少しだけ気まずそうに伊藤くんは言った。

 きっと助けに来た自分も迷ってしまったことが恥ずかしかったのかもしれない。だけど、私は一緒にいてくれるだけで嬉しかった。


 それに……もう少しだけ伊藤くんと二人っきりでいられると思うとなぜか嬉しい気持ちになった。


 でもさっきお腹の音聞かれた時は、恥ずかしくて死ぬかと思った。だって、迷子になった上に爆睡してて、お腹まで空かせてるなんて……でも誤魔化せたようで安心した。


 もう鳴らないように気をつけないと。お腹殴っとこ。



 それから道らしき道を伊藤くんと進んだ。

 時に伊藤くんは過剰に私の足元を気遣ったり、たまに優しく手を差し出してくれたり、後は……何かに感づいたように道を変えたりとかもあった。


 そのことを不思議に思っているとまた似たようなことがすぐにやってきた。


「倉瀬! こっち」

「キャッ!?」


 今度は急に腕を引っ張られて、抱き寄せられた。


 な、何!? え、これってどういうこと!?


 あまりに突然だったので頭が追いつかない。あ、伊藤くんいい匂いする。


「わ、悪い。大丈夫か?」

「うん、なんだか落ち着く」

「……え?」

「な、なんでもないよ!? どうしたの?」

「あ、ああ。そっち足元悪かったから」

「そ、そうなんだ。ありがと」


 そう言えば、みんなとはぐれる前もさっきみたいに助けてもらった。伊藤くんは人一倍危機管理能力が優れているみたいだ。


 またぬかるんでいたのかな、危ない。そう思って、言われた通り、足元を見るもぬかるみは見当たらない。特におかしな点もない。


「……?」


 その時。


「ほう。迷子だと聞いていたが、随分と楽しそうじゃないか」


 前の方から桐原先生の声がした。

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