第3話 助けられた美少女の憂鬱

 私、朝霧優李あさぎりゆうりは朝の教室で深くため息をついた。


「はぁ……」


 これで何度目か。わかっていても止められなかった。


「もう一発ぶん殴っておけばよかったわ」


 そして思い返せば思い返すほど、苛立った。

 昨日あった出来事をだ。


「どうしたの、優李ちゃん。ご機嫌斜めだね」

「……イヤなことを思い出してたのよ」


 親友である七海が心配の声をかけてくる。

 おっとりとしたその優しげな声に荒んだ私の心が癒されていくのが分かる。


「ほぇ?」


 我慢できなくなった私は、思わず七海に抱きついた。


「あ〜、七海だけが癒しだわ」

「え? えへへ〜そうかな〜?」


 七海は私の言葉に表情を緩める。それがまた七海のかわいいところだ。


「それで何があったの?」


 七海成分をたっぷりと補給した後、改めて七海が聞いてきた。


「それが、聞いてよ! 昨日、痴漢にあったの!」

「え!? 痴漢!?」

「そう! しかも白昼堂々抱きつかれたの!! ホントッ最悪!!」


 昨日道端を歩いているといきなり腕を引っ張られた。と思ったらそのまま抱きつかれた。冷静に一発ビンタしてやったけど、あの時は驚きが勝っていてあれ以上のことはできなかった。

 そのことを今になって後悔しているのだ。


 私の言葉に七海は眉間にシワを寄せた。緩かった表情が真剣なものへと変わる。


「……それは許せないね。私が見つけたら絶対にとっ捕まえてやるんだやるんだから!」

「ふふ、頼もしいわね。その時はおじさんにも協力願おうかしら」

「へへ、任せて!」


 七海のお父さんは現職の刑事だ。七海もその血を引いているのか、ぽわぽわしているようでかなり正義感が強い。


「だけど、無理はしないようにね? 七海に何かあったらそれこそ一大事だから」

「うん! 無理はしないよ!」

「とか言って、昨日七海も大変だったんでしょ?」

「え?」

「偶然おじさんに会った時、聞いたの。なんかびしょ濡れで帰ってきたらしいじゃない。雨なんか降ってなかったのに」

「あ、お父さんに会ったんだ。そうなの! おかげでお父さんに怒られちゃった……」

「それはご愁傷様。何があったの?」


 刑事だけあっておじさんはかなり怖い。だけどシングルファザーで七海を育てていて、それだけ七海のことを心配しているのだ。


「うん、実はね……川に飛び込んだの!」

「……なんで?」


 明るく朗らかに訳のわからないことを言う七海に質問を返す。


「男の子が私のせいで川に大事なもの落としちゃってね」

「だからってアンタ……いくらなんでもそれはやりすぎじゃない?」

「いや〜気が付いたら飛び込んじゃってて……」

「気が付いたらって……」


 七海はそういうところがある。考えるよりも先に体が動くのだ。そのせいで毎回、おじさんに怒られてるけど。今回もどうやらその後先考えない行動を怒られたらしい。


「でも確か、七海って泳げなかったわよね?」

「うん!! 溺れかけた!!」

「お、溺れかけたって!! アンタ、それどうしたの!?」


 私は思わず、身を乗り出し、七海の肩を掴む。七海はそれでも気にすることなく、呑気に笑っている。


「えへへ。実はね、男の人が助けてくれたの」

「男……?」

「うん! ちょうどそこに居合わせた人でね。おかげで助かったの! あ、でもこの辺であまり見たことない人だったね」

「へ、へぇ〜そう……よかったわね」


 七海を助けてくれたのは、感謝したいけど七海に変な虫が付かないか心配ね……。


「あ、でもその後も大変だったの!」

「……まだあるの?」

「うん! 助けてもらったのはよかったんだけどね。その後、服が透けちゃって……おかげで下着まで見られちゃったよ」

「下着……?」


 自分でも眉間にシワが寄るのがわかった。


「しかも、ちょうどその時着てたのがね、スケベな下着だったんだよね」

「……その言い方やめなさい。なんでそんなの付けてたのよ。というかなんでそんなの持ってるのよ」

「いやー、今年のお正月に買った下着の福袋に入ってたんだよね! 後、付けてたのは偶々なの。はぁ……もっと地味なのにしてればよかったよ」

「……」


 論点がそこなのかはともかく。

 やっぱり七海はどこか抜けている。今までも意味もわからずナンパに付いていくこともあったくらいだ。

 おじさんが心配するのもうなずける。


「それで上着だけ貸してくれてね。すぐにどこか行っちゃったんだ」

「へぇ、意外と紳士的なのね」

「そうなのかな? 今度会ったらお礼しないと! 今度は地味なの付けて!!」


 助けてくれた人が無害でよかった。私が抱きつかれたような不審者じゃなくて本当に……。


「ッ!」


 またムカついてきた。

 まだあの変態がうろついてるかもしれない。できるだけ七海と一緒に行動するようにしよう。

 

 私は改めてそう誓った。


「あ、そう言えば聞いてる? 今日転校生くるらしいよ?」

「転校生?」

「うん! みんながそんな話をしてるの聞いた」


 田舎は噂が回るのが早い。この辺りで見知らぬ人がいたらすぐに余所者だと分かるし、悪いことをしようものならすぐに広まってしまう。


 ……待って。もしかして昨日のって……?

 この辺で見たことないやつだった。それに年齢も同い年くらいだった気がする。

 いやいや、ない。ないわよね……?


 そんな嫌な予感を感じさせつつも七海とホームルームが始まるまでダラダラとお喋りを続けた。


 そしてチャイムが鳴ると先生が教室に入ってきた。七海は自分の席へと戻っていく。


 私たちの担任──桐原先生はパンツスーツスタイルでいつも通り、教壇の前に立つ。

 教員は私服姿も多いが、なぜか桐原先生はいつもスーツ姿だ。そして美人でモデル顔負けのスタイルと凛としたその姿から男子女子問わず、人気が高い。ただ、ちょっと変な人ではある。


「静粛に、諸君」


 その号令でクラスは一気に静まり返る。


「ようやく静かになったな。今日は、転校生を紹介しようと思う」


 その一言で教室内はたちまち騒がしくなる。


「静かにしたまえ。それでは転校生が入って来づらいだろう? 男子諸君。残念ながら君たちが期待しているような結果にはならない」


 先生がそう言った瞬間、男子からは落胆の声が溢れる。女子を期待していた男子からしたら残念極まりないのだろう。


 ──男ってやつはこれだから。


「そして女子諸君。おめでとう」


 その瞬間、女子たちから黄色い声が発せられる。先生の一言により、一気に女子からの熱量が高まった。


 …………女子もあんまり変わらないかもしれない。そりゃ、イケメンと言われればね。ちょっとくらい期待はするものね。私は興味ないけど。


 というか、尋常じゃなく転校生のハードル上がってない? かわいそうに。


「では、入って来たまえ」


 先生がニヤリと笑って転校生に促すと転校生が入ってきた。


「では転校生。自己紹介を」

「…………伊藤新世です」


そう言って、顔を上げた瞬間、私は確信した。


「……っ!?」


 ────そう、入ってきた転校生の男子というのは、昨日、私に痴漢をした男だった。

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