感情質量説

人の感情を全てかき集めると、一定の重さになるという説はどうだろうか。

何を感情と呼ぶか、感情の正しい名前すらよくわからないし名前のない感情だって多く存在するだろう。

その名もなき感情も含め、収容している感情の質量が一定だとすれば、感情を別の感情へ変換することもできるのではなかろうか。


例えば殺意

殺意ほど強い感情はないようにも思える。それもあって、これだけは感情を行動に表すと法律に触れ、処罰を受け、身内にも迷惑をかけることになる。また前科持ちとして生きていくのは非常に不利だ。

では「殺意」という非常に強い感情を何に昇華するのが良かろうか。

ゲームに例えると、強化素材にレアキャラを使うようなものだ。


ベストアンサーのひとつとして「向上心」が挙げられる。

自分が誰よりも強くなることで、より多くのことを成し遂げられる。

強さには知恵も含まれる。知恵があれば、何だって成し遂げられる。

そして精神的に殺せばいい。


ひとつ恐ろしいことを言うと、

肉体を殺せば殺人犯。しかし精神を殺すことは、自分の手を汚さずして実行可能である。いじめなど悪質なものである必要もない。死にたくなるくらいの劣等感や失望がもたらされる環境に身を置く、それだけで十分なのである。


私は自分の中に生まれたこの上なく強い気持ち、殺意を、向上心に昇華することに成功した。向上心によって向上した成果は失われることはない。仮に目標がずれても、高めたスペックはそのまま残るのだから、時間も無駄にならない。なんとコスパが良いのだろう。


この、殺意レベルの向上心によって得られるものは、なんと多いのだろう。

日ごとに強く、賢く、美しく、華やかになっていく自分が、今日も鏡に映っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

テセウスの船 雨野瀧 @WaterfallVillage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る