テセウスの船

雨野瀧

***

過去の話をした。

「学生のころは__」

語るまでもない、それはどこにでもある、かつ誰もが憧れる、絵に描いたような青春ストーリィである。誠実な男と純粋な女が出逢い結ばれる喜劇。

「こんな感じでね」

制服を着た一組の美しい男女が写っていた。

写真に映る男の子は、もうこの世のどこにも存在しない元恋人である。


死者を思うとき、人はなぜ涙を流すのだろうか。

思い出すことでそれが復活するなら、いくらでも思い出すだろうに。

どうにもできないという現実が押し寄せ、蘇ることのない再現不可能な記憶を探っては、どうしようもない感傷に魘される。そうだとしても尚、

甘く、尊いその感傷は、決して不要なものではない。


沈黙の室内でホロッと零れる独り言。

音楽と呼吸で自律神経を整える。

しかし次第に呼吸は乱れ、鼻は詰まり、耳は濡れていく。


時間の流れというのは恐ろしいものだ。

「絶対」は絶対じゃなくなり、「一生」も死ぬことによっていとも簡単に効力を失う。


死者を思うこと、現世を生きること。正解なんてあろうものか。

私は過去の話を慈しみ、写真に視線を戻した。そして気づいた。


写真に写るこの女の子も、今はもうこの世のどこにも存在しない。


その話の帯にはこう書かれていた。

「これは、死者と死者による美しい物語」

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