第11話
狭い部屋に差し込む日差しは既に傾いていた。部屋の半分は赤みがかった色に支配され、残りは影が覆う。そのコントラストが今の空気をよく表している。
「自分が消えることによって、現世における願いが叶うという思想を使わせてほしいと彼に許可を取り、あの動画作成に至りました。これこそ私が緒環蓮という存在の作成に至った経緯です。私は、彼の思想を丁寧に紐解くことによって、ある種で自ら命を絶つという行為に対して特効薬を産み出したかった。」
真田はため息混じりに、自己否定を重ねた。
「いえ、より直接的に言えば、聡さんの死を無駄にしたくなかったのです。彼はあまりに純粋でした。父の乱暴な言動を見た事で、彼への憎しみよりも、自分の血に流れる同様の資質に気づいてしまったのでしょう。今思えば、それも考えれば神経症の一種ではあります。そんな診断も今になってしまえば、なんの意味すらありません。」
真田は自分の感情について、判断しきれていないのか、自嘲気味に曖昧な断定を繰り返す。
「ただ、私は聡さんが生きたという痕跡を残すべく、あの動画を作り、世に残そうと思いました。ただ単純に彼の為、というわけではありません。彼の死が私に与えた感情の大きさに、私自身が行動を任せてみたかった、といった方が正しいと思います。公開した結果その波及効果は、想像を遥かに超えていましたが。」
概略の説明を終えた彼は少しの間、目を閉じた。
「すみません。少し、話が長過ぎましたかね。」
あの時の「僕の思想ではない」という意味が分かった。そして予想通り、この男は葛藤はあれども、善意で動いていた。誰かの命を落とさせる為でなく、やはり自殺を止めようとして「命を捨てろ」と緒環蓮に語らせていた。恐ろしいまでの面倒な手続きと矛盾を経て、救えなかった友人の代わりに、誰かを救いたかったのだ。
一方で一連の説明を聴いた興梠さんは、ボイスレコーダーを握りしめたまま俯いていて、表情は伺えなかった。少し震えている様子にすら見えた。自分の両親、そして兄にまつわる、今まで知らなかったであろう事実が、突如津波のように押し寄せたのである。決してすぐに整理出来る情報量ではなかったのは間違いない。
ペラペラと過去語りをするのはいいが、当事者の家族が目の前にいるのだ。繰り広げた述懐の末に、彼女がどのような感情を抱くのか気遣いすらしなかった。僕はその事に幾ばくかの怒りを感じ、反駁と共に真田への疑問を口にした。
「真田さん、貴方は確かに誠実ではあるかもしれませんが、良心的な人間ではないようですね。」
その皮肉すらあまり意味が伝わらなかったようで、優しいまなざしはそのまま、瞬きもなくこちらを眺めている。それも僕を苛つかせた。
「そもそも、聡さんの死を活かすという目的で、貴方はあの動画を作ったと言った。これは流石に詭弁じゃないですか。その発想にはリスクが多すぎる。現にオリジナルである聡さんは、その思想で自ら命を投げて亡くなっている。貴方は、動画を拡散することによって誰かが死ぬ責任を負わねばならないと、そう考えたことはなかったのですか。」
真田は目を細めて、僕を諭すように言った。
「考えました、考えましたよ。ただ、次第にそんな事は正直どうでもよくなったんです。最初はむしろ、理性に則って連絡先を公開しました。私みたいに誰かを失う事を減らしたいと思っていたんです。自死を勧めるというリスクも承知していましたから、緒環蓮にすべて任せるのでなく、私が話を聞いて自殺を食い止めることで、バランスを図ろうとした。」
そこで多少、苦い顔に変わった。
「でも、それは浅はかな方法でした。すぐに悪意を持った人間が私の元へと攻撃のような連絡を投げつけてくる。悪意を以て私に連絡をよこす連中も、その方法を選んでしまった自分も、そこまで浅はかだと思っていなかったんです。だから、私は止めました。むしろ緒環蓮の、聡さんの考えに任せようと。その説得で、聡さんのような幸せな自死に至る人もいれば、自らの希望を真剣に考えて自殺を思いとどまる人もいる。それは、私の責任下にある現象ではないと考えるようにしたのです。」
その言葉に、緒環蓮にメールを打った時の僕自身と、そしてIさんの顔がハッキリと脳裏に蘇ってしまった。一瞬にして感情が泡立つのを感じた。
「幸せな人間が、あんな空虚な目をするはずない。」
気づいた時には、僕は激昂していた。のど元に張り付く様な、どこからでもないIさんの視線を感じながら、声をふり絞っていた。
「僕が引き止めようとした彼女は、私には何もないと言った。時間をかけて、その何かを一緒に探せればどれだけ良かったか。探した結果見つからなくてもいい。探すことが大事なのに、都合よく消えることを希望なんてものに置き換えて、誰かを残してこの世を去ることは結局エゴでしかない。実際、あの動画でそう考え込んだ人がいる。その罪が自分にはあると、そう思わないのか。」
もはや、この男に強く迫ったところで特に意味はない。出発点は真田と僕も同じようなもののはずなのに、この男が選んだ方法は僕と違っていた。
「真田さん。貴方は心の奥底では純粋に、自殺する人を止めたかったのでしょう。」
もはや聞き慣れてしまった小さなため息が再び漏れた。
「それは、可能であればそうしたかったです。高山さんと同じように、私だって聡さんに死んでほしくなかった。なのに、私はその希望を叶えられなかった。」
表情に影が過ぎったように見える。その影はまるで、自分が欲しいものを得られなかったという恨み節に近いような。
「私は分からなくなったんです。この気持ちを誰にも味わってほしくない、という感情と、同時になんで私だけこんな思いをしなければならないのかという感情。聡さんの考えを緒環に託す中で、自分が一体どうしたいのか、ずっと考えていたのです。でも、動画を公開してみると、緒環は次第に私の手からも離れていった。皆が、あの動画を見て独自の解釈を広げていくのを見て。ああ、これで良かったんだと思いました。現に、聡さんの思想が手垢にまみれていくのを見て、私はなんだか癒されました。」
誰か身近な人を失って、初めて感じた喪失感。この悲しみが広がることを抑止しようとする理性と、むしろ共感したいという本能。この葛藤の中で緒環蓮は生まれた。
「高山さん。結局、どういう選択をとったにせよ、誰かをエゴだとする判断すらエゴなんです。聡さんや、自ら命を投げる人が、その生に対してどう考えるか。それは我々が決めていいことではなかったのです。であるからこそ、私は、あくまでも聡さんは幸せに逝ったと信じてあげたいし、彼の中で由香さんが幸福に生きているという願いが成就したものだと伝えたい。そうじゃないですか、だって誰にも答えは分からない。だから、答えは誰もが持っているんです。」
そう言うと、静かに微笑んで同意を求めてくる。その笑みが余りにも悲壮に満ちていて、僕は目を逸らしてしまった。
そして、彼は興梠さんへ話しかけるように次に話を進めた。
「恐らくここまでで行動を止めておけば、私は聡さんの遺言通りに振舞ったと言えたのに。でも、僕自身も更なるエゴを持つに至ってしまった。」
反応の有無など構いもせず、彼女に向かって滔々と解き始める。
「一度にお話してしまい、多少お辛いでしょうが。貴方はどう感じたでしょうか、緒環蓮という存在の実態。私のエゴを差し引くと、緒環蓮が抱いていた思想の全ては、貴方のお兄様が抱いた、貴方への愛そのものだったのです。」
ここまで丁寧に話をした真意や、彼本来の興味の対象がここでようやく掴めてきた。興梠さんを呼び出した時点で、僕は最初から完全に目的外だったと言っていい。恐らく顛末を知った興梠由香の行動にこそ、真田にとっての救済をそこに見出しているのかもしれない。
愛された人がいて、その愛した当事者がいなくなっても尚、その愛は成立するのか。父と兄、その双方の人生に深く入り込んでしまった挙句、パズルの最後のピースを埋めるようにして、娘であり妹でもある興梠さんの反応を待っている。それは歪んだ形での好奇心にも思えた。
「貴方はお兄様のその愛に、どう応えるべきでしょうか。由香さん。」
彼女はようやく顔を上げ真田を見返した。薄っすらと涙を浮かべ終えた表情が見える。その目は真田を睨むでもなく、見つめるでもない。むしろ自分自身の中を覗くような眼をしていた。
「私の兄は、私に知らせるなと言ったんですよね。」
念を押すように興梠さんは聞いた。
「はい。正直に懺悔と告白をしましょう。彼との最期の電話でも、聡さんは貴方に自分の存在を絶対に知らせないようにと釘を刺しました。私は承諾しましたが電話を切った後、この兄の純然たる愛が、愛された当人に伝わらないという事に、涙しました。悲しくて、悲しくて泣いてしまいました。それは、私が初めて得た本当の悲しみでした。」
人間が、大人になってからひとつひとつの感情を理解していく様を想像する。それは、なかなかに残酷な様子に思えた。
「聡さんの生きた証を残すことこそ私のエゴであり、願望でした。聡さんは数少ない私の友人です。少なくとも私はそう思っています。ああ、なるほど、これが死を悼むという感情なのかもしれません。」
真田が一人納得する姿を見て、ある種の虚しさを覚えた。彼は理屈や損得は理解できても、人より感情というものに疎い。ひとつひとつの機微を認知して、当てはめなければ感情を理解できない。現に死を悼むという感情すら、たった今目の前で理解をしたらしい。そんな男が作った動画に、多くの人間が人生の最期を揺さぶられていた、その事実に僕は思わず眩暈がした。
「でも、この悲しみを理解すると同時に、その感情をそのまま受け入れることが、私には出来なかった。悲しみは、治療のように解消せねばならぬと感じてしまったのです。」
興梠さんが、その言葉を聞きながら改めて問い直す。
「つまり、兄の考えを使い、緒環蓮の思想を動画として生み出した目的の一つは、あなた自身の悲しみを癒すためでもあった、ということですか。」
興梠さんが静かな声で確認をする。真田は、ふと気づかされたような顔をした。
「そうですね。そうかもしれません。自分が傷ついたことを誰かと、その思いについて共有するというのは、悲しみを解消する事にもつながるようです。そして、最終的に。彼の意思が、いつか、どういうルートを巡ってか、貴方に届くことで本当に私の悲しみは完全に癒えるものだと思っていました。本人から釘を刺されていましたから、積極的には行いたくありませんでしたが。」
「それが実際、私に伝わった今、どう感じていますか。」
短い質問に、軽く首を振って返す。
「そうですね。幸運にも、すべきことは完遂できたとは思っていますが、やはりこれだけでは完成ではないようです。」
友人との約束を反故にした事を反省しているようには見えなかった。寧ろ、その先にある何かを求めているようにも見える。真田の話はまとめに差し掛かろうとしている。
「今日、私がお話すべき事は粗方お話を致しました。残るは簡単なエピローグであり、私にとっては答え合わせのようなものです。先日ウィキペディアに書き込んだ通り、緒環蓮という存在は興梠聡さん、いや古賀聡さんの死をもって役割を終えました。何より、あの葬儀に由香さんが来てくれた事、そしてこのように雑誌で特集まで組んでくれたという事実、いや奇跡を緒環蓮は起こしてくれました。十分すぎる働きをしたと言えるでしょう。」
満足げに語り終えた上で、大げさに手を差し出し人差し指を立てた。
「ただもう一つ、興梠由香さんにお願いがあります。最後のエゴに付き合って頂きたい。」
改まった要請に、一瞬の沈黙が流れる。これ以上何を彼女に要求することがある。全ては終わり、緒環蓮の役割も済んだ。もう伝えるべきことは伝えたのだろう。興梠さんは、少しだけ躊躇いながら、覚悟を決したように頷いた。
「貴方が、今、幸せだということを私に証明してください。」
オレンジ色に染まった真田が微笑む。幸福の証明。口の中でその言葉を反芻してから、彼が何を言いたいのか、やはり部外者である僕にはわからなかった。
「由香さん。私は貴方にお兄様の存在と、その思想、どれだけ愛が貴方に注がれたかを伝えるだけで満足すると思っていたんです。半ばそれは私にとって夢に近いものでした。ただ、夢が叶い、醒めてみるとまだ私は、聡さんの願いが本当に叶ったのか、僕は確信できずにいる。」
「それで私に、何をしろと言うんですか。」
自然な問いだった。自分が幸福であることを示す。聡さんが願った未来が現実になっているか、具体的に示す為に出来る事なんてあるのだろうか。真田は微かに首を傾け、これまで以上に優しい口調で興梠さんに語りかけた。
「貴方には、以上の事を知った上で、語るべき相手がいるのではないでしょうか。」
「・・・母のことですか。」
途中からうっすらと分かっていた。真田が求める「その先」。半ば諦めたように私は呟いた。長々と父と兄の存在と行動を聞いて、これまでの母の振る舞いに、少しずつ理解が及び始めていたのだった。葬儀に出席する事を説得された日、水原おじさんに説かれた言葉が脳内で響く。
「彼女は沈黙することで、母であろうとしたんじゃないかな。」
あの時、私はその考えを全否定したが、その態度は私のみに対するものでなかったのだ。もう一人の子、聡の母でも在り続けようとした結果、彼女は沈黙するに至ったのかもしれない。
「はい、その通りです。」
悪戯っぽい微笑が癪に障る。
「葬儀の日、貴方とお母様の様子を見ました。座っている位置や、その後の態度からしてお世辞にも上手くいっている関係でないことは一見して分かりました。そして、多分。その関係性の原因は、聡さんが残した願いであり、呪いなのだろうとも理解しました。私はふと、貴方が本当に幸せになったのか。聡さんがその身を捨てて、残そうとしたものが、却って悲劇を産んではいないかと。私は不安になったのです。」
兄の願いの先を知ること。それは間違いなく真田自身のエゴであるとしても、とことん兄、聡の思いを成し遂げようとしているだけに過ぎない。つまりそれに協力するか否か、私が家族という繋がりを、ここから信じられるかどうか。不在の兄が、家族の形をかろうじて残してくれた事を、素直に受け入れられるかどうか、という話になってくる。
「もし私が、貴方の要望に頷いたとして。私が彼女と話して、どうすればいいんでしょうか。結果の報告でもしにこいと言うのですか。」
なるべく冷静な様子を取り繕って、問いを返した。
「貴方たちは、アマチュアだとしても、一端の編集者なのでしょう。」
デスクの上には、私たちが作った「SAJAM五十三号号」が置かれ、彼はそれを軽く叩いた。
「私にそれを対談記事として、読ませて貰えないでしょうか。」
それを聞いた瞬間、高山先輩が突発的に返す。
「ふざけてるのか。そんなプライベートな内容の対談記事を作れなんて。既に自分でエゴだと言っていたが、人の幸せをそんなもので確かめようとする事自体、エゴ以前に狂っているんじゃないか。」
そう、狂っているのだと思う。この真田という人は、私の兄を介して初めて実感としての感情を得たという。悲しみも、愛の形も、慈悲も、誰かを救いたいという思いも。それらを経て、方法論はどうかと思うものだったけれど、動画を作ってまでして彼なりの「死を悼む」行為を行った。兄の死を無駄にしないように、そして、兄の私への愛を無駄にしないように。確かにその過程は、狂っているとしか言いようがなかった。
ふと頭の中で想像上の兄の姿を思い浮かべてみると、その先にぼんやりと母が見えた気がした。私の人生を拒絶するような態度。家族なんて形は最初からなかったと思わせるような無関心さ。心底彼女を私は嫌っていた。とことん一人で不幸にでもなってしまえと思っていた。でも、彼女のその態度は、私を愛した兄、一人の息子の願いだけでも叶えようとした不器用な一人の女の葛藤の姿そのものだった。私は呟く。
「対談か。」
真田は人の心が余り分からないと言った。いや、私だってそうだ。文字にしなければ、実際に話さなければ、愛されているかなど、愛せているかなど分からなかったりする。そして、一度そのきっかけを失うと、いつまで待っていても機会は訪れてくれない。分かり合える可能性はゼロに近づいていく。そんな分かりきった事実から私は目をそらしたまま、ここまで来てしまったのだと、少し反省をした。
「高山先輩、すみません。」
そう言ってから、一瞬悩んだものの、結局やるべきことは決まっていた。
「この話、受けることにします。」
「・・・興梠さん、いいのか。結局、この男のわがままに付き合うだけじゃないか。」
先輩は本気で私を心配してくれているようで、不要なお節介だという非難の目を向けてくる。私は先輩に同意した。
「でも、真田さんはきっと不器用なのを自覚しながら、自分の心と精一杯向き合ってきたのだと思います。そして、同様に不器用だった兄の在り方に寄り添ってくれた。例えそれが自分の為であったとしても、私と無関係とは言えません。単に今事実を知っただけの私に、まだそれを言う資格がありません。」
正直、これまで母が私にとってきた態度、そして私がとってきた母に対する態度を振り返ると、話をスムーズに行うことすら想像が出来なかった。そんな状況で記事の作成なんて、出来るものかとも思った。
それでも、その態度に隠された意味があったのであれば、絡まった糸をほぐす為の手掛かりと、価値が生まれる。私は、いつだってその躊躇いを乗り越えるきっかけが欲しかったのかもしれない。私は真田をしっかりと見据える。
「勘違いしないで下さい、真田さん。私が貴方が兄という友人を失った悲しみを癒す為の行為ではありません。緒環蓮を作り出した事に意味を与えるわけでもありません。」
自分なりに厳しい口調で伝えたつもりだった。それでも、多分声は震えていたかもしれない。
「ただ、私自身の為に。家族から愛されていたかもしれないという可能性を、自分から捨てたくないというだけです。」
その発言を聞いた真田はきっと心から喜び、微笑んでいた。
「私は、その可能性を信じています。だからこそ、貴方の書いた対談記事が読みたい。きっとそれはお互い、いや、それぞれの望みを満たすものになるでしょう。」
緒環蓮が、予想以上の仕事を果たした今、彼は絶対的に確信をしている。聡の死は「願い」を叶えられる死であったと。しかし、それを証明するものは、私自身がその後、愛されて育ったという事をはっきりさせる事に他ならない。聡という友を現世に引き止められなかった後悔も、それに伴う心理士としての敗北も、人の感情が分からないという欠落も、彼はそれで救われてしまう。なんて歪んだ依存だと思う。こんなヤツの歪んだ人生観の為に、私は大嫌いである母と会話しなければならない。下らない、意味が分からない、なんで私が、そう思った。
それでも、真田の話から兄である聡の面影を伝えられる度、徐々に気づいてしまったのだ。兄が自らの存在を消してまで、私を生かしたかったという不在の献身があったという明確な事実。そしてその「愛されていた」という証明を、真田だけでなく、私自身も欲しがっていたのだと。
この受け答えをもって、真田は伝えたいことはすべて伝えた、と私たちに告げた。同時に私も先輩も、もう彼に言うべきことはなかった。もう一度RECボタンを押し、録音を停止する。
帰り際、改めて彼は我々に名刺を手渡した。どうやらこことは別の場所で個人クリニックを開業しているらしい。対談文が完成したらそこにある連絡先まで、現物でもデータでもかまいません。私は待ってますよ、と一言付け足して笑顔で見送られた。宿題を与えられた私は、少し重い気持ちのまま、高山先輩と一緒にビルを出た。
「それにしても、勢いで物事を進めすぎじゃないか、君は。」
ビルの合間、雑踏を抜けつつ駅に向かう途中、先輩の苦言が耳に刺さる。
「まぁ、勢いでしか成し遂げられないこともあるんですよ。きっと。」
「その比率が多いんだよ、それも興梠さんらしいけれど。」
皮肉がいつもよりキツイ。どうやら私が、真田からの依頼を受けたことに未だ納得しかねている様子だった。
「自分にも分からないんですよ。家族についてどうすべきかって。今までは、もう知るかって思ってましたけど。でも、そこに意味やら答えがあるのなら、やっぱし見つけなきゃいけないのかなって。」
「自分が傷つくリスクを負ってもかい?」
怪訝そうな先輩の表情を見て、またもや場違いな笑いが漏れた。
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