第5話
ここのところ晴れ間を見ていない気がする。天気予報を見れば、高気圧と低気圧の狭間にちょうどこの国が挟まれているらしい。季節の移り変わりを感じさせる冷たい雨が続く中、あっという間に部会の日を迎えて、私たちは目の前にプレゼンを控えている。
企画が決定してから、資料集め、分析と解釈、そしてプレゼン資料作成といった形で役割分担を行い、できる限り授業後や授業のない空いた時間には集まるようにした。当初、二週間なんて短い時間で企画なんて立ち上げられるはずがない、と心のどこかで思っていたが、人間一度スイッチが入ってしまえば一週間でも何とかなるものらしい。手元にズッシリと乗っかった資料の束を眺める。なんとか人前で発表できる形には纏まった。
文学部棟の五階の端。いつもの場所に各々授業を終えたジャーナリズム研究会の部員がぞろぞろと集まってくる。二週間ぶりの部会は、我々を含めた十五人のメンバーが全員出席予定だった。それにしても先々週の部会と異なり、張り詰めた空気はない。なんだか柔らかい雰囲気が流れている。
「おう、お疲れ。よく寝れたかい?」
教室に入ってきた松本先輩が柄にもなく、親身な言葉をかけてくる。
「ありがとうございます。調べものやら資料まとめで寝不足です。」
「正直でいいね。」
背中をポンと叩かれる。先週、松本先輩がしてくれたネタばらしについて思いを巡らす。よくよく考えれば、私たちが提出を要望されたのはA4のペーパーたった一枚。対して先々週、遠藤みどりが提出した資料はA4にして二十枚を悠に超している訳で、やはりハナからこれは既定路線通りのオリエンテーションだった。
今年の新入生の実力はどんなもんなのか、何を考えているのか、お披露目会といったところだろう。実際、会誌の内容に影響もせず、見ている側も特段厳しい意見は求められない。そうした前提を踏まえれば、今日の部会の雰囲気も頷ける。ただ、そんな緩い雰囲気の中、我々三人だけは違った。遠藤みどりの企画と真正面から対峙して、特集を乗っ取るという野望がある。
鼻息荒く教壇の近くで配布する資料の準備をしていると、今度は席に座った田中先輩と目が合った。こちらに向かって、苦笑を浮かべながらもゆっくり頷きかける。複雑な立場ではあるものの、私たちを応援するという意思は伝わってきた。
先週以降、我々の企画を先んじて聞いてしまった先輩二人は、企画書の作り方や、資料集め、プレゼンの方向性などアドバイスをくれるようになった。
「もっと適当に、新入部員の様子を見るだけで終わるはずの仕事だったんだけどな。」
そんな不平も何回か聞いた。手助けすること自体本意ではないという素振りを見せてはいたが、結局二人は比較的楽しそうに相談役を買って出てくれたのだった。
部員全員が教室に収まったのを確認してから、三年生の相田先輩が場を取り仕切って、いよいよ部会が始まる。
「はい、皆さんお疲れ様です。先々週の部会から二週間ということで、改めて集まってもらいました。今日の議題は事前にお伝えしていた通り、今年の春から入部してくれた、興梠さん、春日さん、君津君という新入部員三名の企画プレゼンとなります。それを受けてから、「SAJAM」秋号の特集を最終的に決定するという段取りを予定しています。」
いかにも業務連絡然とした感じで一気に説明してから、彼女は一呼吸間をとって私たちに確認をした。
「さて準備は大丈夫かな。」
「問題ないです。」
言うべきことを言った相田先輩が教壇から降りていく。ふとそこから教室を見回すと、葬儀の日、うたた寝をして見た夢の光景が蘇った。今目の前の視界と、記憶に残っている映像は瓜二つだった。「何か言うべきことがあるんだろう?」その時に水原おじさんから聞かれた問いに対して、これからプレゼンする内容が正しい答えなのかは分からない。ただ、今は喋るべきことがハッキリしている。その事実だけでもありがたい。
持っている紙の束を一度教壇に置き、春日さんと君津に分けていく。正面後方に座る高山部長と遠藤副部長、そして近くに座る多田が目に入る。それぞれを見据え、届いているかはわからないが怨嗟の念を送っておく。
「じゃあ、これからその資料を配ります。結局ペーパー一枚のはずだったのですが、五枚程度になってしまいました、申し訳ありません。各自、後ろに回すようお願いします。」
それを聞くと、座っている先輩部員らが少しどよめく。
「すごいね。」
「気合入っている・・・」
課せられたタスクの分量をオーバーする新入生など過去にあまりいなかったのだろう。そして、資料が後ろの席まで回るのに伴って、どよめきの質が変わっていくのが分かった。
「って、このテーマにしたのかよ・・・」
「これって・・・」「確かそうだよな・・・」
耳に入ってくる先輩たちの苦笑やひそひそ話に対して、それらを一蹴するかごとく私に代わり、君津が教壇に上って話しを始めた。
「さて今回の企画プレゼンについてですが、始める前に一点確認事項があります。」
冒頭からの呼びかけ。教室の緩んだ空気に緊張感が走る。
「先日、某所からこの新入部員のプレゼン自体、実は毎年の単なる恒例行事だという情報を耳にしました。結局、秋の会誌の特集決定とはまるで関係なく、我々新入部員三人がどのような企画を立ち上げ、それをただ確認するだけのための機会。そのために、このような資料をわざわざ作らされた、という可能性を先に排除させてください。」
全く物怖じすることなく言い切ってしまった。この偏屈な男は、本当に人の皮肉を言い散らすときが一番生き生きとしているように見える。その情報漏洩の原因である松本、田中両先輩は視線を逸らす一方で、所々から滲み出る不穏な言葉遣いに一部の先輩の目線が厳しくなる。もちろん、後方で話を聞いている遠藤も多田も険しい表情に変わった。
君津が言い放った宣戦布告。確かに刺激は強かったかもしれないが、私たちの意思からすれば当然の表明だ。これは単なるお披露目会なんかじゃない。私たちは売られた喧嘩に対して、明確に応えるため、ここまで準備してきたのである。最終確認といった具合に君津が続けた。
「先々週の部長の説明では、我々は秋の会誌における特集企画の対抗馬としてここに立たせて頂いているという認識ですが、それで問題ないでしょうか、部長。」
「まったく。ほんと手厳しいなあ。」
高山部長は急に名指しされ、苦笑しているが、そこまで慌てる様子もない。
「ああ、その認識で問題ない。君たちの案は当然のことながら、特集企画の案のひとつだよ。そのクオリティを踏まえた上で秋号の特集は最終決定をする。思い切ってやってくれ。」
落ち着き払って、正論を返した。
「それを聞いて安心致しました。余計な時間を使わせてしまい申し訳ありません。それでは実際の発表に移りたいと思います。早速我々が今回このテーマ「緒環現象」を選んだきっかけについて、興梠から話を致します。」
君津壇上から降り、私に場を譲る。いよいよ勝負の時間が始まった。大きく息を吸う。
「今回はこのような機会を頂き、ありがとうございます。」
敢えて慇懃無礼に受け止められるように努めた。
「まず唐突な話で恐縮ですが、先日私の兄が亡くなりました。」
これまで何度か行った説明を繰り返す。冒頭の一言。思惑通り、場が一瞬固まる。
「そして、その葬儀の場にやってきた「緒環蓮」こそが、今回彼についての特集を組もうと考えたしたきっかけです。」
そしてやはりというか、教室の一部がざわついた。
我々のプレゼンテーションが企画になるだけの力を持っているのは、正直言ってしまえば私の兄の葬儀にやってきた「緒環蓮」という不可解な現象あればこそだ。いくら君津の選考が宗教学で、もとより緒環現象に興味関心があったからという理由を掲げても、遠藤みどりの掘り下げには勝てるはずもない。まずインパクトを与える事が目的だった。
「ご反応いただけた通り、一部の方は既にご存じの事とは思います。これから我々が特集を組む「緒環蓮」という人物はネット上における概念とされている存在です。これから、それがどのような経緯で彼の存在可能性を考えるようになったのかを説明させて頂きます。」
台本とは言え、話す単語から文脈まで、自分がまるで君津のような説明をしていることに違和感を覚えた。
「ここで更に個人的な話になりますが、私はその亡くなった兄の存在を葬儀のタイミングまで知らされていませんでした。母から彼の自死と葬儀についての連絡を受け、私はその場に参加したに過ぎません。そこで聞いた話によれば、生前兄は友人が少なく、葬儀も非常に小規模、働いていた介護施設の職員の方や関係者が数名参列に来て頂いたというレベルです。」
今日は気楽に席に座って新入生のプレゼンを聞くだけ、と思っていたであろう教室の雰囲気は一変した。案の定、ここまでプライベートなことを開け広げに話し出すとは思ってもいなかっただろう。先ほどまでのヒソヒソ話は完全に息を潜め、窓の外遠くから聞こえる喧噪がかえって教室の静けさを際立たせている。
「そんな中、明らかに場の雰囲気からは浮いている男性の姿がそこにはありました。年齢層も、出で立ちもまるで他の参列者とは異なっています。そもそも職場関係の方は数人のグループで固まっていたのに、その人物だけやはり一人。十人も訪れない葬儀だからこそ、その異質さは明白なものに感じました。ただ「浮いている」という印象も単なる私の思い込みかもしれません。念のため、後から兄の勤めていたという介護施設にも連絡をしてみましたが、その日、その男性に該当するような人物は存在していませんでした。」
特集が決まってから、実際に兄が働いていたという施設へ葬儀参列の御礼という建前で一報を入れてみた。そして、話の流れで聡の印象も聞いてみた。「真面目で穏やかな人。人の話は聞いてくれるけれど、あまり自分のことをしゃべることもなかった。」という。兄についての情報を得る度、その実像がぼやけていくようだった。一瞬の回想を打ち切って、話を続ける。
「また、私の母は訳あって、兄の事はおろか家族の話をしたがりません。兄のことを葬儀で知った為、そこまでの悲しみは感じませんでしたが、やはりそこに家族がいたという事実は残ります。何か彼について知る手がかりはないかと探していたところ、その浮いていた男性の存在こそが、死を選んだ兄へ届く唯一の鍵のように思えたのです。」
部会開始から一層重くなった空気を感じながら言葉を発していく。しかしながら、少しずつこちらに向いている視線の質が変わってきているのが分かる。
「結局、葬儀の場で直接彼に話をすることは出来ませんでした。何とか足取りを追えないか、そこで思いついたのが芳名録の存在です。遺族の私ですら名前を書かされた事を思い出し、葬儀を取り仕切った叔父に確認をしたところ、その男性も名前を書いていました。そこで出てきた名前こそが「緒環蓮」でした。」
当初は冷やか一辺倒だった先輩部員らから、徐々にではあるが企画としての興味関心を得ることに成功しているようだった。これはただの研究発表ではない。冒頭から続く私の独白はそれを伝える効果はあった。導入部の結論に繋ぐ。
「我々の今回の特集企画案は、単純なカルトとしての思想特集に終わらず、ネットミームの実在可能性を追うという所に主眼があります。きっかけは非常に個人的な事情がスタートではありましたが、それを晒すことすら我々の覚悟として捉えていただければ幸いです。」
私が一礼すると、張り詰めた沈黙が破られ部員の一部からどよめきと溜息が漏れる。先の挑発的な君津の宣言から高まり続けていた緊張感が一旦ほぐれた。なぜか松本先輩は、ドヤ顔でこちらを見ている。
冒頭の動機を示しただけだが、一気に話しやすくなった気がした。明らかに教室の流れが私たちを後押し始めている。それでも、まだ聴衆の顔を眺めれば、半々といった情勢。ここで春日さんに後を託した。
「では興梠さんに次いで、私春日からは、具体的な研究対象についてお話ししたいと思います。緒環蓮という人物が上げた動画の内容ですね。そもそもパッと見は自死を推奨するような思想ですから、運営動画サイトからも削除された訳です。普通に考えれば倫理上よろしくはないんですけれど、一部の論者の間からは、実は自ら命を絶とうとしている人を止めようとしているんじゃないか、という指摘が未だに出ています。そんなアンビバレンツな要素を持っている点について、もう少し詳しく紹介したいと思います。それでは手元の資料をめくって下さい。」
緒環の思想から始まり、問題の動画が現れてからの経緯、そしてどういった面から擁護されているのかについて、彼女には丁寧に解説を行ってもらった。つまるところ、今回の本筋であり総論といった所だ。資料の紙幅はほぼこのパートに割かれている。
「緒環現象の面白いところは、その思想の性質もさることながら、全くもって組織だっていない事にあります。緒環の思想をベースにした啓蒙動画やブログ、あるいはネットで検索すればグレーな私設心理カウンセラーまでいます。それに対して、オリジナル動画のアップ主である緒環蓮は何かアクションを起こす事なく、静観しているのです。」
調べれば調べるだけ、緒環へ届く足掛かりは最初の動画以外にないことがわかってくる。
「ネット上でカリスマ性を得ながらも、それを踏まえて世間に出てくることもなく、思想だけが静かに広がっていく。「緒環現象」はカルトや宗教組織にありがちなヒエラルキーが存在しないまま、放置された自死への推奨だけが今もネットミームとなって、語り継がれWEB空間を浮遊しているかのような状況なのです。」
資料を元に多少時間をかけながら、彼女はじっくりと二0分ほど解説を続けた。一週間前、そんな一部インターネット上に起こったムーブメントのことなど、まるで知らなかったにも関わらず、春日さんは目の前で専門家のようにたち振る舞っている。
君津からの説明を聞いて即座にその思想の奥行きに気づいたあたり、勘も鋭いのだろう。淀みなく話し続けるその姿からは緊張している素振りも感じられない。改めて彼女の大物ぶりを思い知った。
「では、私から解説出来ることは終わったので、君津君に戻します。ご静聴ありがとうございました。」
春日さんも礼を終えると、教壇を君津に明け渡す。
「以上、我々がこのテーマを選んだきっかけ、そしてその内容について説明を行いました。これらを踏まえて、どのように特集に落とし込むのかという方針の話に移ります。」
教壇の脇からふと教室を眺める。私が冒頭に掲げたテーマ決定の経緯、そして春日さんの丁寧な企画対象の解説を終えて、どうやら意見は恐らく二分しているように見える。既定路線通り遠藤みどりの研究発表を推すべき、いや、目の前に現れた穴馬に賭けるのも面白いかもしれない。所々悩ましい表情を見せる先輩たちから受け取れるのは、そんな葛藤だった。悪くない情勢だ。君津もそんな揺れている教室をしばらく眺めていた。
ここまで大風呂敷を広げてきたわけだが。正直にぶっちゃけてしまうと、私たちが用意した資料は未完だった。最後のパート「どのように取材を行うのか」というところまでは三人で詰めきれなかったのだ。要するに、これ以降は君津頼みになっている。
配布した資料を見れば案の定「ネットによる調査、SNSによる取材申し込み及び聞き込み」という至極簡単な一文しか掲載していない。一週間で詰められる事にはやはり限界があった。当の本人は「なんとかする。」と言ったまま、今日の日を迎えていたのだが。私と春日さんは、半ば祈るような気持ちで君津を眺めていた。すると、我々の視線の先にいる彼は、突如として取材方針の説明を投げ捨てた。
「そうですね・・・早々に具体的な方針の話に進むつもりでしたが、ここで先に質疑応答及び議論を行いたいと思います。恐らく今日集まって頂いた皆様は、当初新入生のプレゼンをただ聞くためだけにやってきた、という気持ちだったことでしょう。」
聞いている方も少しずつ発言の調子に慣れてきたのか、苛立ちより先に図星を指摘されたといった塩梅の苦笑が漏れる。
「ただ、プレゼンを聞いて頂く中で、少しずつこの企画を推してもいいかもしれない、といった感情も一部現れ始めているのではないでしょうか。そこで、そもそもこの企画に対して、今どのような意見を抱かれているのか、先輩方の素直な感情を聞いてみたい。その結果として、我々がどのように進むべきなのか、部として考えていければと思います。今時点でこの企画に対する疑義やご意見がある方は挙手をお願いいたします。」
思わぬ方向に話を進めだした。すると、この時を待っていたかのように、最後列に座っていた多田が垂直に手を挙げ、わざわざその場に立ち上がった。ここまで反論を抑えに抑えてきたという顔だった。
「どうも二年の多田です。」
知ってるわ。と内心無駄なツッコミを抱きながら、彼の方を向くと真正面から目が合ってしまった。
「まず興梠さんに伺いたい。家族にご不幸があったことはお悔やみ申し上げる。ただ、その事と特集決定の話は別だ。説明を聞いている限り、君は自分の家族の手がかり探しをこの部の会誌で行おうというんですか。そんな理由から特集を組もうというのは、公私混同も甚だしいのではないですか。」
やはり、最初から飛ばしてくる。遠藤の案を絶対に通すという使命感に燃えているのが見え見えだった。内心が完全に漏れ出ているかのような勢いで、質問はまだ終わらない。
「加えて、その葬儀にやってきたというという男。緒環蓮が本人という証拠もなく、あくまでも芳名録に書かれた名前だけが手がかりなのでしょう。お兄さんの友人の誰かの悪戯ということも十分に考えられる。そんな不確定要素が大きい中、企画をスタートさせ取材を行い、何も得られなかった時には、秋での会誌発行自体が危ぶまれる。会誌を作る期間も予算も限られている中、そんな賭けに出るべきではないと私は思います。」
息継ぎも少なに毅然と言い切った。新入生が二週間そこらで練ってきた案など絶対に通すものかという強い意思を感じる。
多田に対して先輩として多くの疑問はあるものの、反論としての筋は通っている。我々も資料を作りながら、叩かれるかもしれないと考えていたポイントが的確に突かれている。さて、どう答えたものか。と私が考えだそうとするまでもなく、既に君津は前のめりになって反撃体制を整えていた。そこでようやくこの男の狙いに気づいて唖然とする。
「・・・こいつ最初から取材方法について話す気なんてなかったのか。」
思えば、質疑応答を始めるにあたって「我々がどう進むべきなのかは、部として考えていきたい」と挟んでいた事を思い出す。そんなの、よくよく考えれば「方針については、企画を決めた後に皆で考えましょう」という宣言ではないか。本来話すべき段取りをすっ飛ばして、質疑応答を始めた理由はもはや明らかだった。
さっさと聴衆の疑問や反論を叩き潰し、優勢状態を保ったまま相手に勝利するつもりなのだ。我々の目的は確かに完璧なプレゼンテーションを行うことではない。遠藤みどりの案よりも、面白いかもしれないというアピールを行って、最終的に部員による多数決を勝ち取ることにある。そんな卑怯と呼ばれても仕方のない手段に、自ら多田は乗ってしまったと言える。なんなら、少なくとも多田からは攻撃に近い質問が引き出せるという確信があったのかもしれない。
「興梠への指摘も含めて、私から答えましょう。」
きっと君津の中ではそんな賭けに勝った訳で、横顔を見れば自信というよりナルシズムに溢れているように見える。そういえば高校時代はディベート部出身とか言っていたような。語るべき事を語らず、自分の得意なフィールドに引き込んで事を構える。それって人としてどうなんだろう。教壇の脇で呆れ顔の春日さんと目を見合わせる。しかしながら、我々が今頼りに出来るのはこいつだけなので、なす術もなく静観することにした。
「まず我々がテーマを決めたきっかけについて。公私混同だという指摘ですが、多田先輩、ひとつお伺いします。先輩がこの部に入部された動機はなんでしょうか。」
問いを問いで返すという常套手段。しかも入部動機という、青臭くなりがちな話を持ちかけられ多田は多少口ごもる。
「それは、決まってるじゃないか。自分の手で出版物を刊行したいという思いからだよ。」
どこか恥じらいを感じながら漏らしてしまった言葉を、この偏屈メガネが見逃すはずはない。
「先輩。その願望は、いたってプライベートなものではないでしょうか。」
さも最初から言うことを決めていたかのように言い放つ。
「プライベートとパブリックな場を混同すべきでないという事でしたが、この件についてはまず公と私の領域を定義すること自体が難しい。そもそもここは自分自身が学業を収めたいと望んで集まる大学という場所です。さらにこの教室にいる皆さんは、そんな大学内から雑誌を作りたいと自ら望んで集まった人たちではないですか。多田先輩も同様ですね。」
そう呼びかけられた多田は君津を渋い顔で見据えている。そんな視線を気にすることなく演説を続ける。
「必然的に通わなければならない義務教育、また雇用契約に基づいて組織づくる企業と異なり、大学という空間は個々の希望が尊重され、自治によって成り立つ場所です。確かに先輩がおっしゃるとおり、ここはパブリックな場だ。ですが、裏を返せばそれがそれぞれのプライベートを差し出して成り立っているということも確かなのです。」
公私の定義、この議論を真正面からやりあっては泥沼化する。どうやら端から罠を踏まされたことに気づいた多田は、慌てて切り返す。
「だが、この場が個々の希望や意思の反映であったとしてもだ。公な場所だということは君も認めただろう。そんな、多数が所属する場所において、明らかに自分の都合に偏った言動や企画は許されないのが道理じゃないのか。」
そう発言をしながら、徐々に自分の足場が狭くなっていることに気づき出している。最初の勢いがない。そんな多田に対して君津は容赦なく追い打ちをかける。
「ではその規律、あるいは道理というものを定めるのはなんでしょうか。先輩ご自身がおっしゃった自治という言葉がすべてを物語っています。そもそも、我々はこの場において何も興梠家が抱える諸問題を解決しようというのではない。」
応酬を聞いているうち、この時間は当初から質問を投げるであろう多田の意見を潰すためだけに用意されたものだと気づき始めた。
「今回、我々がテーマを選んだきっかけに対して、過度にプライベートな事情ではないかと考える人は先輩の他にもいらっしゃることでしょう。ただし、そんな公私の判別などはっきり言ってしまえば些末な問題なのです。ここで自らの思いを晒した興梠の勇気から生み出されたテーマが、雑誌を作るに値するものなのか。そこに道理があるか判断するのはここにいる皆さんです。」
「・・・その通りだ。」
これ以上の反論は余計な時間が経過するだけと判断したようで、多田は自ら席についた。いくら新入生の発案であったとしても、一度対抗馬として認知されたら、最終的には多数決をとらざるを得ない。そして最後に数を得たものが特集企画になる。新入生と先輩というパワーバランスを使って、議論によって押さえつけることは既に不可能だった。そして君津は、その多田をフォローするかのように結論に繋げた。
「先ほど、多田先輩から指摘を頂いた問題はその通りです。スケジュール上のリスク、そして緒環の実在に対する不確実性についても同様です。もちろん、我々の案は遠藤副部長の企画案よりもそうしたリスクの発生可能性が高いことは認めます。それを踏まえ、賛成も反論も含めて、多数決に沿って決めていただきたい。私が申し上げたいのは、それだけです。」
そう言い切って、君津は早々に教壇から降りてしまった。最後の項目に触れることなく、多田からの非難をかわしきったことで、自然と我々のプレゼンテーションは締まった空気になっている。
あとは、部員たちの多数決を踏まえて特集を決めるだけ。ここで相田先輩が周囲を見回しながら、多数決に移るタイミングを伺っている。結局最後は高山部長に促され、彼女が前に出ようと立ち上がったその時。
もう一人、やはりというか、当然というべきか。本件に関して意見をお持ちであろう人物が手をあげた。元々次号の企画を持ち込んでいる遠藤みどりだった。成り行き上、教壇近くに残っていた君津が「どうぞ。」と一言促す。彼女は静かに立ち上がり真っ直ぐに前を見据えたまま喋りだした。
「すみません。最終的な決をとる前に私からひとこと、お話させて下さい。」
冒頭からどんな鋭い反論が飛び出してくるのか身構えたが、どうやらそんな雰囲気は感じない。彼女から発せられる丁寧な物言いは、先々週の部会における様子とは全く異なったものだった。
「今日は、君津君、興梠さん、春日さん、本当にお疲れ様でした。ハッキリ言って、ここにいる部員が想像していたレベルを超える密度のプレゼンをしてもらえたのではないでしょうか。特に興梠さん、貴方の覚悟には感服しました。多少、私個人としては不謹慎だと感じる部分はあるけれど、本件にかける熱意に関して迷いがないものと受け取りました。」
それは反論というより、副部長からの講評のようなコメントだった。そんな調子のまま、彼女は続けた。
「対して、私が先々週掲げた企画についてですが。当然のことながら、準備時間は彼らの比ではありません。誌面に起こしても面白い特集になるという自信もありますし、「SAJAM」において取り上げるべきもののだという自負も消えておりません。」
ここで、小さくため息をついた。それは何か決意めいたものに聞こえた。
「但し、そのタイミングは秋号での特集でなくても良いと思っております。」
その瞬間、私たち三人を含めて、部員の多くが耳を疑った。先ほど体を張って我々に質疑を投げた多田は、目を見開いて彼女を見つめいている。
「ええと。少し遠巻きで分かりづらかったですかね。あらためて言いましょう。今回の秋号に関しては私は候補から降り、彼らの案で特集を組みたいと考えておりますが、皆様はいかがでしょうか。」
困ったように笑いつつ、遠藤みどりは提案した。しばらくそこにいる誰もが次いで話すことが出来ず、数秒の沈黙が教室を包む。当初多数決を取ろうとしていた相田先輩は判断を仰ぐため、高山部長に目をやる。それに気づいてか、最初からそうするつもりだったのか、相田先輩を制して高山部長が教壇に立った。
わざとらしく間を空けた後、コメントを発した。
「えー、遠藤副部長、勇気ある撤退をありがとう。今の発言にあった通りだ。遠藤副部長が用意していた企画は一旦保留ということにしたい。よって次回のSAJAMは、今一年生三人がプレゼンをしてくれたテーマで特集を組み、作成をしていきたいと思うがいかがだろうか。」
想像もしなかったあっけない幕切れ。まさか立案者が自ら旗を降ろすとは。今、目の前で見た出来事にも関わらず、現実感がついてこなかった。それは先輩部員らにとっても同様だったようで、部長が行った確認にしばらくリアクションはなかった。この異例な事態に対して、果たして安易に賛同していいものなのかという微妙な空気が教室には流れている。
停滞した時間を打ち破ったのは、松本先輩と田中先輩の拍手だった。私たちをまっすぐ見つめ、不必要に大きく手を打ってくれている。そんな姿勢は徐々に周囲にも伝播していった。拍手は一人、二人と広がっていき、最終的に全会一致で可決となった。
多田は最後まで手を叩くことを渋っていたものの、他の部員と一緒になって拍手を送る遠藤みどりを横目に、二度三度手を打った。ようやく全員が賛同したのを見回して、再度高山部長が私たちのいる方向に向いた。
「色んな意見があるだろうが、纏まったかな。とりあえず三人とも。この短い間であったにも関わらず、ここまで熱量あるテーマを選び出し、プレゼンを行ってくれたこと。お疲れ様という言葉だけでは足りないな。そして、君津君が触れていたが、今回の件は誰かさんからのリーク情報の通りだ。新入生にプレゼンをお願いするのは毎年の恒例行事というのは確かだよ。でも、決して単なるエキシビジョンという訳ではない。毎度「SAJAM」の特集候補として提案をお願いしている。」
揃って私たちが疑わしい目になったのに気づいたのか、高山部長は苦笑しながら説明を足す。
「まあ、その中で結局その提案が通ることがほとんどなかったというだけだよ。過去の実績から考えれば、そういう解釈をされても仕方がない。だが今回の結果はこの通りだ。君たちの意見が通ったというのは間違いない。ただ、正直に言ってしまえば、大変なのはこれからだ。どのように取材を行うかといった説明はほぼ皆無に等しかったし、実際どういう誌面にしていくかはこれから決定せねばなるまい。時間は通常の進行よりもタイトになるだろう。」
無理やり突破しようとした点について、やはり多田との言葉遊び程度では見過ごされなかった。その上で、遠藤みどりが自ら降りた。今更、自分でもどこか無責任とは思いながら、部としてこのテーマを選択して大丈夫なのか、という不安が過る。
「諸問題はあれどもだ。部としての総意がここでまとまった訳だ。皆で打ち上げ、と行きたいが、それは校了後にしよう。」
部員数人からのブーイングを躱して高山部長が喝を入れる。
「毎度だが、企画決定によって我々はスタート地点に立った。そしてここからは、全員の共同作業になる。これからの役割分担については、この場で決めてしまおう。もちろん、三人には企画持ち込みの責任がある。特集企画でメインで動くスタッフとして、気合を入れ直して欲しい。ここからは、単なる思い付きで事は進まない。計画と実直な作業のみが求められる。改めて遠藤副部長にも協力を仰ぎながら進めていきたい。」
名前を出された遠藤みどりは、どんな心境なのか。一見、穏やかな笑顔で部長からの発破に応えた。
その後、部長と相田先輩の取り仕切りで、大まかな役割分担や簡単なスケジュールが提示されたが、私はほとんど上の空で聞き流していた。
「じゃあ、そんなところかな。今日は解散。細かい進行スケジュールや、打ち合わせ予定は改めてメールで送るので各自確認すること。以上。お疲れ様でした。」
そして気づけば、会議が終わっていた。独特の緊張感が解け、途端に教室がにぎやかになる。
「お疲れ様!やっぱり、こうなったか。これからよろしく頼むよ。」
松本先輩が握手を求めてくる。これからは共に一冊の雑誌を作っていく仲間として認められた気がした。やり切った安心感と共に右手を差し出すと、周囲からも一気に声がかかる。
「すげえな、本当に特集テーマ選ばれたな。」
「新入生の案が採用とか、初めてなんじゃないの?」
もともと応援してくれていた田中、松本両先輩だけでなく、他の先輩も私たちの元に集まっては、労い言葉をかけてくれた。その輪の中には、遠巻きにではあるものの、遠藤みどりと多田もいた。テーマさえ定まってしまえばジャーナリズム研究会は、一つのチームなのだ。いよいよ本格的な雑誌作りが始まるとあって、集まった当初冷えていた教室は気づけば熱気を帯びていた。そんな中、春日さんを見るとどこか浮かない表情を浮かべている。
「いやあ、あんな勢いで作った企画やん。実際、通ってしまったけれど、うちら大丈夫なんかな。」
とんでもない方法でプレゼンを締めた男も、多少の緊張感のある表情をしていた。
「もう、やるしかないだろう。」
春日さんと君津がまるで催眠から覚めたように、これからのことを案じていた。部会が終わってから、しばらく温かいコメントをもらい充足感に浸っていた私たち三人だったが、ここにきてようやく「雑誌を作らねばならない」という現実味も感じ始めていた。
打ち合わせの話を纏めれば、書店での発売まで三ヶ月弱。記事の校了締め切りは二ヶ月後を予定しているらしい。取材方法の確定に、調査、記事の作成。これからしなければいけないタスクを想像するだけでも、この一週間の準備期間を遥かに上回る修羅場が待っていることは間違いなかった。
同時に自分たちが提出した企画が記事になり、印刷され、いよいよ現物の雑誌になるという高揚感もある。そして、遠藤みどりを押しのけて自分たちのテーマが決定されてしまったのだ。私自身も二人と同様にこれまでと異質なプレッシャーを感じ、胃のあたりが引き締まる思いだった。
そもそも「緒環蓮」なんていう男は、本当にいるのだろうか。もし多田の指摘の通り、芳名録も単に誰かによるふざけた悪戯で、我々が探すべき「教祖」など存在していなかったのだとしたら。自分が印字した資料にある「ネットミームの存在」という文言を眺めながら、会ったことのない兄の存在がぼんやり浮かぶ。
「さてと、私はどうしたものか。」
私は誰に言うでもなく自問してから、自分が作った資料と荷物を抱え帰る支度をする。夕飯を食べるにも少し遅いほどの時間。あわよくば先輩方が奢ってくれないだろうか、と周囲を見渡すと、田中先輩が手招きをしている。君津も春日さんも同じ方向へ向かっている。焦燥感と一緒に、私は受け入れられる、という感覚の味を知った。教室の電灯を消すと風の感覚がより一層、感じられた。窓から入ってくる空気は、既に夏のそれではなくなっていた。
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