米米ケーキ

増田朋美

米米ケーキ

とても暑い日であった。本当に暑い日であった。もう暑すぎて仕事なんて手に付かないほど暑かった。

本当にこれからどうしていけばいいか、わからなくなるほど暑い日であった。暑さのせいで何もできない、暑さに耐えられなくて、疲れ果てて倒れる人が続出していくことだろう。

杉ちゃんとジョチさんは、ちょうど富士本町通りにある本屋さんへ行くため、富士駅の北口でタクシーを降りた。駅の近くに、見たこともない店が立っていた。

「あれえ、こんな店あったっけ?」

「見たことがありませんね。」

杉ちゃんとジョチさんは顔を見合わせた。よく見ると、何人かの人が出たりはいったりするのが見える。何かなと思ってよく見ると、女の人達が、四角い箱を持って、出入りしているのだ。

「なにか商売している家なんでしょうか?」

と、ジョチさんが言うと、

「行ってみようぜ。」

杉ちゃんはすぐにそこへ行ってしまうくせがある。二人は、店のいりぐちまで行った。看板を見ると、「米米ケーキ」と書いてあった。

「なんだか、昔、浪漫飛行とか言う歌で流行った有名なバンドみたいな名前ですね。」

と、ジョチさんが言うと、

「その米米と言うんだったら、米ばっかり使った料理を売ってるんじゃないのかな?」

と、杉ちゃんが言った。店の中から一人女の人が出てきたので、

「おいお前さん、米米ケーキで何を買っただよ。」

杉ちゃんが聞いてみると、

「米粉で作ったケーキです。小麦アレルギーがある息子がどうしてもケーキを食べたいと言っていましたから。」

と、その女性は答えた。

「米粉でケーキなんて作れるのかな?」

杉ちゃんが言うと、

「ふくらし粉を改良すればできないことも無いと思いますが。」

と、ジョチさんが言った。

「よし、僕らも買ってみよう。」

好奇心たっぷりの杉ちゃんはすぐに店の中へはいってしまった。ジョチさんも続けて店にはいった。店は、木製のテーブルと椅子が4セットほどおいてあって、どうやらカフェとしても使えるようになっているらしい。店内は、オルゴールが流れていて、正しく癒やしの場所という雰囲気の店だった。

「いらっしゃいませ。お持ち帰りですか?それとも店内でお召し上がりですか?」

一人の若い男性が、杉ちゃんたちに声をかけた。

「両方できるかな?水穂さんに食わして上げたいんだ。僕らは店内で食わしてもらうけど。」

杉ちゃんがそう言うと、

「わかりました。では、こちらのお席へどうぞ。」

男性は二人を椅子に座らせた。

「ご注文決まりましたら、お知らせください。」

小さな冊子を渡されて、ジョチさんがそれを開いてみると、何でもケーキばかりではない。米粉で作ったパスタなどもあり、メニューはバラエティがある。カフェと言うより米粉で作った食事ができる店だった。

「じゃあ僕はガルボナーラと。」

「僕はボロネーゼにする。水穂さんにショートケーキを一個持って帰る。」

杉ちゃんに言われて男性はにこやかに笑って、

「はい、しばらくお待ち下さい。」

と言って、厨房に戻っていった。

「本当に変わった店だなあ。なんでも米粉で作ったものを売ってるなんて。まあ、変わったものは、少数民族のためにあるようなもんだからな。でも良かった。これで、水穂さんにもショートケーキを食べさせられる。」

「そうですね。確か、水穂さんは、ケーキというものを一度も召し上がっていないと仰ってましたよね。」

杉ちゃんの発言にジョチさんも賛同した。

「だから、こうしてのぞみがあるんだな。まあ、富士にもさ、小麦のケーキを食べられないやつはいっぱいいるんだし。そういうやつのために頑張ってやってもらおう。」

「そうですね。」

ジョチさんは、水を飲みながら言った。

「失礼いたします。ガルボナーラとボロネーゼです。」

先程の男性が、お皿を二枚もってきた。

「お!うまそうだねえ。いただきまあす!」

杉ちゃんはそれにがぶりついた。

「それから、先程のショートケーキです。お箱にドライアイスがはいっています。崩れないように、気をつけてお持ち帰りください。」

「お前さん、お料理人か?」

杉ちゃんはさっきの男性に言った。

「いえ違います。父がお料理作って、僕がケーキ焼いて。だから、店の名前も米米ケーキですよ。」

と、答える彼。

「そうなんだね。じゃあ、はやりのバンドを意識して作った名前では無いわけだね。どうして、こんな店をオープンさせようと思ったの?」

「いや、ごめんなさい。悪い意味で店を作ったわけでは無いんですよ。」

杉ちゃんの言い方は結構乱暴なので、少々怖がられても仕方なかった。

「杉ちゃん、あんまり根堀葉掘り聞くと怖がられますよ。すみません。こんな街に米粉専門の店をオープンさせたなんて、本当に珍しいから、それで聞いただけです。僕達は何も悪戯はありません。」

ジョチさんが急いでそう言うと、

「ああ、すみません。二方とも着物着てらっしゃるから、もしかしたらそっち関係の人と思ってしまったんです。」

青年はとても正直に言った。

「馬鹿だねえ。実に馬鹿だねえ。きもの着ているとやぐざなんてそんな法律はどこにもありませんよ。ちなみに僕の名前は影山杉三で、杉ちゃんって呼んでね。こっちは親友の曾我正輝さん。あだ名はジョチさん。まあ、気軽にあだ名でよんでくれればそれで良いから。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「僕は、石井由多加と申します。ちょっと変わった名前だと言われますが、それでも由多加と呼んでください。」

青年は、杉ちゃんに言った。

「石井由多加さん。どこかで聞いたことがある名前ですね。」

ジョチさんが思わずそう言うと、

「あの、ケーキはこの箱に入れておきましたから。」

石井由多加さんは、ちょっとびっくりした顔でそう言った。

「細かいことは気にしないから大丈夫。それにしても、米粉のボロネーゼは結構うまいぞ。米粉がこんなふうに変幻自在だったなんて、僕は全然知らなかったよ。これからも頑張って、ケーキを作ってね。もしかしてこの店のファンクラブみたいなものができてさ、その名も米米クラブか。ははははは。」

杉ちゃんは、そう言って笑いながら、ガツガツと米粉パスタを食べ続けた。ジョチさんの方は、そうですね、たしかに味は良いんですけどと言いながら、なんとなく石井由多加という人物の名前を思い出していた。なにか自分が関わった名前でもあるような気がしたのだが、あまりにも昔過ぎて、思い出せなかった。

「よし、お勘定を払わなきゃな。おいくらだ?」

杉ちゃんとジョチさんはレジがおいてあるところに行った。先程の石井由多加さんが応答する。

「えーと、パスタが、税込みで1100円ですから、それが2つで2200円。それと同時に、ケーキを一つということで、ケーキ一つ400円ですから、2600円になります。」

「はいわかりました。」

ジョチさんは、そのとおりに支払った。

「領収書はご利用になりますか?」

「はい、持っていきます。」

ジョチさんはしたり顔で領収書を受け取った。

「ありがとうございました。また来てくださいね。」

と、石井由多加さんに深々と頭を下げられて、杉ちゃんたちは退店した。その後急いで書店に行き、買いたい本を買って、杉ちゃんたちは、製鉄所へ戻るため、またタクシーに乗った。

「あの、石井由多加っていう変わった名前の青年ですが。」

と、ジョチさんがやっと思い出したように言った。

「なにか関わり合いがあったのか?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ。確か、僕が少年刑務所を訪問したときに居たような気がするんです。最も、そのときは、本当に落ち着きがなくて、じっとして居られないような素振りを見せて居ました。刑務官の方から、あの子はちょっと精神がと言われましたが、先程見た彼は、その時とはぜんぜん違う印象でした。」

と、ジョチさんが答えた。

「はあ、刑務所か。何をしたんだか知らないが、そういうところってのは、二度とこっちへ帰ってこないように教育するから、やたら熱心なんじゃないの?」

と、杉ちゃんが言った。ジョチさんがそうですねえとつぶやくと、ジョチさんのスマートフォンが音を立ててなった。

「はい、曾我です。ああ、竹村さんどうしたんです?ああ、また彼女がやらかしましたか。懲りないですねえ。彼女も。まあ、それも病気の一つですから、彼女なりに対処してもらわないと困りますね。」

実は製鉄所には、一人問題児というか、そういう女性が通っていた。時折、社会のどこにも居場所をなくしてしまって、自暴自棄になってしまった女性が、製鉄所にやってくることがある。名前は霧原美奈子というが、こんなきれいな名前に似合わないほど太っていて、大量に薬を飲んでいる子だった。薬を飲めば静かになるが、切れると妄想を口にしたり、幻聴が聞こえてくるとか、そういう事をいうのである。こういう状態を世間では、統合失調症とか言うようであるが、ジョチさんも杉ちゃんも、病名にはこだわらないで、彼女を受け入れてやることにしたのだった。

「理事長さん、のんきな事言ってられませんよ。それを止めようとした水穂さんまで突き飛ばされて、打ちどころが悪かったら大怪我するところでしたよ。」

と、竹村さんの声が聞こえてくる。確かに、体重100キロ近くなった美奈子さんは、それと同時に腕力も強くなっていて、止めようとした水穂さんを突き飛ばすこともある。

「わかりました。すぐに帰りますから、まず、霧原美奈子さんのことは、できるだけ刺激を与えないで、静かに落ち着ける環境を作ってやってください。」

と、ジョチさんはそういった。霧原美奈子さんは、感情のコントロールが上手くできないのだ。自分で悲しみや怒りなどを処理できなくて暴れ、ものを壊したりする。薬を飲めば静かになるが、逆にそうしないと静かにはならないのである。

杉ちゃんとジョチさんが製鉄所に到着すると、甲高い女性の泣き声が聞こえてきて、この声の主は、間違いなく霧原美奈子さんだとわかった。ジョチさんと杉ちゃんが、玄関に入ると、靴がめちゃくちゃに散らばっていて、所々に血痕が見られる。おそらく、死にたいと言って製鉄所を飛び出した美奈子さんを、水穂さんが止めたのだろう。二人が製鉄所の建物に内に入って四畳半のふすまを開けると、中には竹村さんがいた。ジョチさんが水穂さんはと聞くと、竹村さんは眠っているから大丈夫と答えた。

「で、下手人はどうしてる?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、とりあえず居室にはいってもらいました。一応南京錠もかけてあります。まあ、とりあえず、脱走することは無いとは思うんですが、彼女が自殺するのは防がなければいけないと思ったので、そうさせてもらいました。」

竹村さんは、事務的に言った。

「それで、一体どういうことで、霧原美奈子さんは、パニックを起こされたのでしょう?」

と、ジョチさんが聞くと、

「ええ、なにかキーワードになる言葉を言ったとか、そういうことではありません。ですが、今回は、寿司屋がお昼を持ってきてくれたんです。それで、霧原さんが応答してくれたんですが、その時の寿司屋の顔を見たら、霧原さんは急に怖いと言って泣き出しましてね。きっと、怖い思いをさせた誰かににた人だったとか、そういうことだと思いますが、寿司屋さんにしてみたら、いきなり暴れられて、びっくりしたと思います。」

と、竹村さんは簡潔に答えた。

「そうですか。もともと彼女は、恐怖心を人一倍感じてしまうというか、その対処が難しいんですね。影浦先生が、精神科の薬は、役に立たないと言っていましたけれど、彼女も太るばかりで、本当に役に立ちませんね。」

と、ジョチさんは言った。

「それで、彼女は自殺したいと言って大暴れしたわけか。それを水穂さんは止めたけど体力的に無理だったか。」

杉ちゃんは腕組みをした。

「そうならないように、彼女が幼い頃、教育を受けてればよかったんだろうが、残念ながらそれは無理だよな。日本の教育は、問題を対処してくれるところじゃないもん。精神科の薬と同じ。まるで役に立たない。」

「そうですね。今の教育は、知識ばかりを詰め込んで試験でいい点数を取らせるばかりで、感情をどう処理するかとか、どうやって自立していくかなどは、教えてはくれませんよ。」

杉ちゃんとジョチさんがそう言うと、眠っていた水穂さんが、少し体を動かした、

「どうしたんです?」

とジョチさんが聞くと、

「いえ、大丈夫です。彼女に、寿司屋さんは決して、彼女をひどい目に合わせた親と、同じ人物ではないと伝えてください。」

と細い声で言う水穂さん。こんなふうに、最後の最後まで他人につくそうとする男もまた珍しいものだった。それはきっと、水穂さんが自分の事を、彼女、霧原美奈子さんより、身分が低いと思っている他に理由はなかった。

「つまり、親と同じだと彼女の口から出たのですか?」

とジョチさんが聞くと、水穂さんはぐったり目をつぶったまま頷いた。

「はあなるほど、これで彼女のことが少しわかってきましたね。彼女に生い立ちを語らせても、自分のはなしたことでやたら興奮して、文章にならなかったのでできなかったんですが、寿司屋さんは女性ではありません。つまり、父親がなにかひどいことをしたのかもしれない。」

と、竹村さんが言う。

「そうですね。でも、彼女のお母さんの話によれば、お父さんは、彼女が20歳になるまでになくなったと聞きましたが。」

ジョチさんがそう言うと、

「いえ、ひどいことをさせた記憶は、何回忌をやっても薄れないものです。それをなんとかして決着をつけないと、彼女は永遠に救われることはありません。どうでしょう、催眠療法のような事をやらせてみましょうか?もう、そういうスピリチュアルな事でないと、彼女は解決できないのではないかな?」

と竹村さんが言った。

「まあねえ。そうかも知れないけどさあ。」

と、杉ちゃんが間延びした感じで言った。

「彼女に一番必要なのは、恐怖に対処する力だよな。それはどうやって養えば良いんだろう。それに、今日米米ケーキであったあの青年は、刑務所にはいってたのに、あんなに落ち着いていて、ちゃんと更生しているじゃないか。そういうところにぶち込んじまうのも、ある意味必要なのかもよ。」

「そうですね。」

ジョチさんはため息を着いた。

「それは誰ですか?」

と竹村さんがそう言うので、ジョチさんは先程の米米ケーキという店であった、石井由多加という男性の事を話した。竹村さんも真剣にその話を聞いている。

「石井由多加ですか。もう刑期を終えて出所したんだ。確か僕も彼の事件の事は、報道で知りましたよ。最近の少年法は、より厳しくなってきていますから、結構実名を公表することもあるんですよね。確か、石井由多加は、母親を殺害したとか、そう言ってましたよね?」

と、竹村さんが言った。

「あのときも、弁護側が、石井由多加も精神疾患があって心神耗弱と言っていましたが、本当はどうだったのか、僕達もわかりません。ですが、僕は、きっと、そうしなければ、米米ケーキの店員にはなれなかったと思うんですよ。お母さんにわざと、小麦でできたパンを食べさせて殺害したと報道で言ってましたし。」

「へえ、つまり、パンが凶器だったわけか。それで、米粉のパスタだったりお菓子を作り始めたというわけね。なるほど。」

と、杉ちゃんが言った。

「まあ確かに、その石井という子もいろいろあったと思うんだけど、でも人の事をどうのするのは、やっぱり行けないよ。でも、刑務所に行って、普通のやつ以上に真面目な男になっちまったと言うんだったら、それは死んだお母ちゃんにもらった最大のメッセージかも知れないな。」

「そうですね。それもそうかも知れません。でも、大事なことは、石井由多加さんのことではなく、霧原美奈子さんが、こっちの世界に戻ってきてくれるにはどうしたらいいか、を考えることです。」

杉ちゃんの話に、ジョチさんは訂正する様に言った。水穂さんは、まだ薬が回ってしまっているのか、一生懸命会議に参加しようとしてくれているけれど、ウトウト眠ってしまうらしいのだ。そうなれば戦力にはならないので、

「寝てもいいよ。」

と、杉ちゃんは言った。

「そうですね。無理に罰則を与えてしまうと、彼女が余計に自分が異常でだめな人間であるという気持ちを持ってしまいます。そうなれば、彼女もたちなるきっかけをなくしてしまう。僕達に出来ることは、彼女がなぜ、寿司屋のおじさんの顔を見て大暴れするほど怖がったか、理由を聞くことですよ。それは、口に出して言うのは、もうできないほど怖かったのだということです。それをすることで、ある意味彼女は、自分を守っていたのかもしれません。だからそれを解いてもらって、彼女がなぜ、暴れたか、理由を話してもらうまで持っていくことが必要なんですよ。そのためには、特殊な職業の人の技術が必要です。僕は、クリスタルボウルで、それをお手伝いしたことがありますので、先生にちょっと相談してみましょうか?」

竹村さんは、心を扱う人らしく、きっぱりと言った。

「そうですね。カウンセリングを受けさせても、彼女は話していながらパニックになってしまって、言いたいことがあるならはっきり言ってみろと言っても答えてくれませんでした。それなら、竹村さんの言うとおりにしなければならないかもしれませんね。それなら、僕からもお願いします。」

ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんが、

「まあ確かに、そうなんだけどさ。大事なのは、彼女が本当に恐怖を感じやすいやつで、それならそれに対してどうするかってことを、家族が教えてやらなかった事何だと思うな。そういう特殊な職業の人に頼る前にな。」

と、でかい声で言った。ジョチさんは、またスマートフォンを取って、あもしもしと電話をかけ始めた。杉ちゃんは、まだ声を上げて泣いている、霧原美奈子の部屋の方向を眺めながら、

「それでも頑張らなくちゃな。」

と呟いた。

その頃、水穂さんのサイドテーブルに置かれた米粉のショートケーキは、食べてもらうのを静かに待ちながら、箱のなかで眠っていたのだった。




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米米ケーキ 増田朋美 @masubuchi4996

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