6 『シールド』

 ひかるが夕飯の支度をしていると、訪問者を告げるチャイムが鳴った。玄関ドアを開けると、そこに立っていたのは『グレイトヒーロー』だった。今日もまた、ジャージ姿だ。

「来てくれたんですね」

ひかるは、にっこり笑って彼を迎え入れた。


「いま支度してますから、もうちょっと待ってくださいね。あっ、そうだ」

 ひかるは彼の方へ向き直って聞いた。

「今朝、どうやって玄関ドアの鍵をかけて行ったんですか?」

「ああ」

 彼は玄関ドアの方を向くと、右手でドアノブを指差した。すると、カチャリと音がしてロックが解除された。

「えっ? 今、触ってませんよね?」

 彼は頷いて、もう一度ドアノブを指差すと、またカチャリと音がして、今度はドアがロックされた。

「これも超能力ですか?」

「そういうこと」

「それじゃあ私、『グレイトヒーロー』さんに合鍵を渡さなくても大丈夫ですね」

 おいおい、何が大丈夫なんだ。普通、これは物騒だと考えるもんじゃないのか?


「それからこれ、食費だなんて、こんなに受け取れませんよ」

 ひかるは、手を付けていない三十万円の札束を彼に差し出した。

「いや、足りないかなと思ったけど、手持ちがそれしかなかったんで、銀行で下ろしてきたんだけど」

 彼はおそらく百万円位の札束を、逆に差し出した。ひかるはびっくりして、心臓が止まりかけた。


「金銭感覚がおかしいですよ。そんなにいただけません」

「だって、ホテルに一泊してレストランで食事したら、四,五万円とられたりするだろう?」

「比較の対象がおかしいですって。アパートとホテルは違うし、高級レストランと私ごときの手料理じゃあ、雲泥の差ですよ」

「高級レストランよりもおいしい料理をいただくのに、それより安いのはおかしいんじゃないか?」

 まじめに言っているらしいが、屁理屈にも聞こえる。


 ひかるは、疑問に思っていることを思い切ってぶつけてみた。

「『グレイトヒーロー』さんって、年収いくらぐらいなんですか?」

 彼は、ちょっと考えてから答えた。

「一応、政府から法人として報酬を受け取っているけど、経理は政府に任せてあるから、よくわからないなあ」

「でも、銀行で下ろしてきたということは、口座に振り込まれているってことですよね? 残高確認できるってことじゃないですか?」

「そうだね、残高は今、五億円くらいじゃないかな」


 ひかるは、一瞬気が遠くなりかけた。かわいそうだと思っていたホームレス同然の男は、とんでもない高所得者だったのか?

「食費だけじゃなく、家賃とか光熱水費とか日用品費とか、いろいろかかるよね? とりあえず受け取っておいてくれないかな」


 もしかしてこれ、パパ活だと思われてるんじゃないか? そう思うと、ひかるは胸がドキドキしてきた。とりあえず三十万円だけ預かることにし、百万円は固辞して、ひかるはキッチンへ行った。


「本当は手伝うべきなんだろうけど」彼は、頭をかきながら言った。「なにせ、調理経験がないもので。故郷の星系では、食事はサプリメントみたいなやつだけなんだ」

「いいですよ、もうできてますから。テレビでも見ていてください」

 彼が言われたとおりテレビをつけると、ちょうどニュースをやっているところだった。


『今日午後三時二十八分、都内の一部の地震観測装置が、局所的に震度一を観測しました。震源地は国会議事堂付近ですが、ほかの観測地点では一切揺れを観測していません』

 ひかるが夕飯を運んできたので、彼は立ち上がった。

「運ぶくらいなら、手伝えるよ」

「それじゃあ、炊飯器をお願いします」


 ニュースキャスターは、続けて報じた。

『同じ頃、国会議事堂前の歩道の植え込みが壊され、深い穴が開いているのが発見されました。付近の監視カメラ映像を調べたところ、』

 画面が監視カメラの映像に切り替わると、画面の奥から、ヨレヨレの帽子をかぶった作業服っぽい男が歩道を走ってきて、いきなり植え込みに入ってしゃがみ込んだ。

 その数秒後、画面が縦に大きく揺れ、そしてそれが治まると、男は立ち上がり、何事もなかったかのように画面の外へ去って行った。そのあと、何人かの男が集まってきて、植え込みをのぞいて何か話し合っていた。

『この映像に映った人がしゃがみ込んだ場所と思われるところに、深い穴が開いていました』


 画面がまた切り替わり、植え込みに開いていたという穴を映し出した。歩道の一部も壊れていたので、直径は一メートル以上あるかもしれない。

『この穴は深さが十メートル以上あるようで、どうやって開けられたのかわかっていません。気象庁では、この穴の発生原因が地震と関連があるのか、現在調査中です。また、器物損壊の疑いで警察も捜査を開始しています』


 ニュースを見ていたひかるは、炊飯器を持ってキッチンから戻ってきた『グレイトヒーロー』の方を向いて言った。

「あの防犯カメラに映っていたのは、『グレイトヒーロー』さんじゃないですか?」

 えっ?と言って彼がテレビを見ると、ちょうど監視カメラ映像がリプレイされているところだった。

「うわっ、監視カメラに撮られていたとは・・・。ダメージが大きかったから、確認する余裕がなかったんだ。わかってたら映像に細工していたのに・・・参ったなあ。まるで、俺が犯人みたいに報道されてるし」


「ダメージって、どういうことですか?」

 彼は、都合が悪そうに顎を撫でて答えた。

「テロリストを尾行してたら、アタッシュケースを歩道の植え込みに置いて突然走り出したものだから、先回りして確保したまではよかったんだけど・・・アタッシュケースには時限爆弾が入っていて、思ってたより起動時間が短かったんだ。透視してみたら、爆発まであと十秒もなくて、カウントダウンを止める時間的余裕がなかった。だから『シールド(防御壁)』を発動せざるを得なかったんだ。だけど」


彼はため息をついて続けた。

「どの程度の破壊力があるのかわからなかったからね。もし国会議事堂を爆破するつもりなら、相当な威力があるに違いないから、フルパワーで『シールド』を発動するしかなかった。フルパワーで発動すれば、もう俺の中の超能力のストックは、スッカラカンだ。時間がたったからちょっとだけ回復したけど、さっきドアロックを操作してみせたやつで、また底を突いた。回復するにはたぶん、三日はかかるだろう」


 ひかるは、さっきの映像を思い出した。彼が植え込みに飛び込んだ途端に激しく揺れた監視カメラ。彼はきっと、超能力で爆発の威力を押さえ込んだのだ。だからあんな深い穴が開いたんだ。

 ということは、それと同じくらいの反動を、彼は受け止めたことになる。ダメージなんて言葉で表現できるものじゃない。


「無茶しないでくださいよ」ひかるは思わず言った。「死んだらどうするんですか」

 彼は、ちょっと考え込んでから答えた。

「確かに、その可能性はあった。でも、逃げても爆発に巻き込まれるわけだから、命を落とす確率は高い。近くに人も結構いたから、巻き添えになってもいただろう。だから、一か八か『シールド』を張るしかなかった」


 ああ、この人はやっぱりヒーローなんだ。日本と日本人を守ってくれたんだ。

 ひかるは、彼にそっと抱きついた。不意を突かれた『グレイトヒーロー』は、ドギマギしてしまった。

「助けられた人たちと、日本政府に代わって感謝します。ありがとうございました」

「いや、その・・・どういたしまして」

 彼女にお礼を言われたのは、何回目だったろう?でも、今までのは私的なお礼だった。今回のは、自分のした仕事についての感謝の言葉だ。


 考えてみれば、バイオビーストを倒しても、テロリストを捕まえても、誰にも感謝されたことなんてなかった。日本政府は、多額の報酬を支払っているのだから当然のことだと思っているのだろう。日本は礼儀深い国だなんて言ったのは、どこのどいつだ?

 もしかしたら記憶にないだけなのかもしれないが、本当に今、初めて感謝されたのかもしれない。彼はちょっとした感動を覚えていた。


 そのことを彼は、ひかるに率直に話してみた。

「ひどいですね」ひかるは驚いていた。「でも政治家や官僚はともかく、国民がそのことを知ったら、ほとんどの人が感謝すると思いますよ。知らないから言わないだけで」


 彼女のおかげで、本当にそうだろうなと思えた。彼は仕事についてのやりがいを、初めて感じることができた。

「俺の方こそ、どうもありがとう」

 ひかるは、何に感謝されたのかわからないという顔をしていた。


 照れ隠しに、彼は言った。

「ご飯をいただいていいかな?大分エネルギー補給しなければならないので」

「そうですね」

 ひかるは頷いて、彼のために炊飯器からご飯をよそった。

「エネルギーにならないような夕飯ですけど、どうぞ」

 今夜は焼き魚がメインだ。それと、卵焼きにポテトサラダに味噌汁。

「ああ・・・なんて美味しいんだ」

 彼は、食べながらしみじみと言った。


「こんなので、超能力のエネルギー補給になるんですか?」

「いや、体力の補給にはなるけど、超能力の回復には、栄養じゃなく時間が必要なんだ。どうしても三日位はかかる」

「それじゃあ、三日間は、今日みたいな危ない仕事はしないで、ここで休んでいてくださいね」


 またお泊まりのお誘いか?

「いや、久しぶりに借家に帰ろうと思っているんだ」

「どうやって帰るんですか?」

「政府から車を一台、用立てしてもらっているんだ」

「あっ、普通に地球の車は運転できるんですね?」

「勿論。そうだ、君も行ってみるか?」


 けれども今は、彼には休んでもらうべきだ、とひかるは思った。

「スペース・シップ、見たいですね。でも、明日にしてくださいよ。今日は疲れたでしょう?」

 そんな成り行きで、彼はまた彼女のアパートに泊まることになってしまった。



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