第6話

 8の月31日、火の日の夜。その日の朝にアンドルース村を発ったリセは、王都クリフトンまで戻ってきて三番街通りの「赤獅子亭」の前で、馬車に向かって頭を下げていた。

 馬車の幌の向こう側では、モンタギューが山高帽を持ち上げながら微笑んでいる。


「ありがとうございました、アンドルース子爵」

「こちらこそありがとう、またよろしく」


 モンタギューがそう簡潔に言うと、彼を乗せた馬車はそのままゆっくり、三番街通りの石畳の上を走り去っていく。このまま彼は、クリフトン市内にあるアンドルース伯爵の邸宅に向かうのだろう。

 馬車を見送ったリセは、踵を返すと店の扉を開けた。既に時刻は夜の10時を回っている。「赤獅子亭」の店内は多くの酔客で賑わっていた。


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、リセ」


 リセが店内に声をかけると、カウンターの内側で普段どおりに、慌ただしく料理の盛り付けをしていたタニアが微笑んだ。出かける前が嘘のような盛況ぶり、久しぶりにタニアのヒゲがぶわっと広がっている。

 カウンターに歩み寄ったリセへと、タニアが視線だけ向けながら声をかける。


「どうだったかしら、今年のワインは」

「うーん、ちょっと辛口めになりそうですね。気温が高かったからブドウの糖度が上がらなくて」


 問いかけられて、リセは少々眉間にシワを寄せる。今回の同伴の目的は、今年のワインの出来栄えチェック。アンドルース・ワイナリーのワインはこの店に入ってくる主要な酒であることを考えると、そのワインの出来栄えは店の売上にも大きく関わるのだ。

 リセの言葉を聞いて、タニアが小さく鼻息を漏らした。


「なるほど……分かったわ、お土産のワインは、モンタギュー卿からいただいてきた?」

「あ、はい。ちゃんと持って帰ってきましたよ」


 タニアが問いかけると、リセは手に持っていた手提げ袋を持ち上げた。ブドウの蔓を編んで作ったこの袋の中には、お土産にとモンタギューに持たされた、アンドルース・ワイナリーのワインが入っている。

 今年のブドウはまだまだ発酵途中の段階だが、ワイナリーのワインは一年中売り出されている。今回は今年の果汁にブレンドする予定の醸造済みワインを瓶詰めしたものを、土産として持ち帰ってきたのだ。

 ワインの瓶を受け取り、手早く開栓したタニアが瓶に鼻を近づけ、香りを確かめてから言う。


「ふうん……なるほどね、後でアビゲイルにも飲んでもらって、お料理の味を調整しましょう」


 そう漏らしてからワインの瓶に再び栓をして、それをカウンターの内側に置いたタニアが小さく笑った。


「それにしても、あなたがお酒に詳しくて助かるわ。おかげで他の店より、今年のワインに合ったお料理で先んじることが出来るもの」

「まぁ、そこは、ほら」


 片眉を持ち上げて、いたずらっぽく笑うタニアに、リセは視線をそらしつつ、頬を掻きながら返した。

 酒に詳しいのは今更だし、逆に言うと自分が他より秀でているのはそこだけだ、と考えている節のあるリセだ。こうして褒められるのも、嬉しくはあるがもどかしい。


「私はそれが取り柄ですし、それを売りにして仕事しているわけですから。そのくらいは、『赤獅子亭』に貢献しないと」


 困ったようにはにかんで、タニアにそう返すリセへと、タニアが自分のヒゲを指で撫でながら笑う。


「まあね。でもあなた、知ってた?」


 そう前置きしてから、タニアは不意にカウンターに向かって身を乗り出してきた。そのままリセへと小さく手招きする。何事か、と身を乗り出したリセに、耳打ちするようにタニアは言った。


「『双頭そうとう鷲亭わしてい』あるでしょう。あそこもあなたのお酒の評価を頼みにしていて、その年に作るお料理の味付けを決めているんだそうよ。あとはほら、同じ一番街であの人の持ってる『瑠璃色るりいろ鹿亭しかてい』も」

「うえっ」


 タニアの発した言葉に、リセがぎょっとした声を漏らした。

 クリフトンの一番街には高級レストランが立ち並び、まさに貴族の社交場と言った様相を呈している。この「赤獅子亭」の店長、タニアの夫であるロビン・ラーキンスは、「双頭の鷲亭」や「瑠璃色の鹿亭」など、一番街にいくつものレストランを所有する一大実業家なのだが、その一番街のレストランにも、リセの持つ酒の情報やら、リセの下した酒の評価やら、流れていると彼女は言うのだ。

 まさかそんなことになっているとは露ほどにも思わず、リセは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして聞き返す。


「私のしたお酒の評価、もしかしてロビンさんの持つお店全部に行ってるんですか」

「そうよ、知らなかった?」


 対してタニアは涼しい顔だ。むしろ知らなかったのか、と言いたげにキョトンとしている。どころか、指を振りながらタニアは言葉を続けた。


「ほらあなた、たまにうちの人の店のスタッフがうちの店に来ているでしょう。その時、私やアビゲイルからあなたのお酒評価を伝えているのよ」

「えぇっ、来てたんですか!? 全然気付かなかった……」


 タニアの発言にリセは思わず大声を上げた。カウンターに座っていた女中や客の貴族だけではない、周囲のテーブルに座る客達も、何事かとカウンターを見ている。

 視線を集めているとは気付きもせず、リセはカウンターに額を押し当てた。


「マジかー……私はソムリエでも何でもないのに……『満月橋亭まんげつばしてい』のカミーユさんとかの方が確実に話せると思うし、そういうの……」


 同じく三番街、西三番街通りに位置するバー「満月橋亭」のオーナー、こちらも『チキュウ』出身の覚醒者、カミーユ・バイエの名前を挙げながらリセは言葉を漏らした。

 カミーユも酒には非常に精通しており、「満月橋亭」はワインのみならず、蒸留酒にも通じている店として有名だ。王家の主催するパーティーで、飲み物の提供を任されたことも一度や二度ではない。リセと比べると、実績も知識も多いことは彼女自身がよく分かっている。

 呻くように話すリセに、タニアが小さく肩を竦めながら告げる。


「うーん、そむりえってのがどんな職業か、私には分からないし、バイエさんも非常にお酒に詳しい人ではあるけれど」


 リセの言葉にタニアが素直に告げる。地球ではよく知られた職業であるソムリエも、異世界アーマンドではその存在も、格も知られない。

 故にタニアはタニアの知る限りの、事実を以て話した。


「やっぱり、あなたの評価だからこそ、価値があるってことなんじゃない? あなたなら、真に迫った表現をしてくれるってことでしょう。バイエさんを信用していないんじゃなくて、表現の好き嫌いの問題よ」

「そういう、もんですかねぇ」


 タニアの言葉に、リセは僅かに眉根を寄せる。納得がいっていないというよりは、釈然としないと言いたげな表情の彼女に、腕を伸ばしたタニアが優しく触れた。

 肉球でぽんと頭を触りながら、タニアが微笑む。


「そういうことにしときましょ。ほら、早くバックヤード入りなさい。今日は席の空きが無いから、悪いけれど夕食はそっちでね」

「はーい、ありがとうございます」


 彼女の言葉に素直に頷いて、リセは身を起こしてカウンターから離れた。ここでこうしていたら他の客の邪魔になるし、女中の仕事の邪魔になってしまう。

 バックヤードに向かおうとする彼女に、3番テーブルでデビーと飲んでいたメレディスが声をかける。既に酔いが回っているのか、毛皮の奥の肌が赤い。


「おぉリセ、今年の新酒は酔えそうだったか!?」

「もう、メレディス卿はいい加減、酔うこと以外の要素をワインに見出してくださいな」


 だいぶ出来上がっている様子のメレディスに、リセが苦笑しながら言葉を返す。

 本当に、この貴族は飲み会好きだし酒好きだが、酔っ払うことしか酒に見出さないので面倒だ。それでいて酔いが回ると乱暴さに拍車がかかる。面倒なこと極まりない。

 そんなメレディスに、リセはクールにウインクしてみせた。


「酔えそうでしたよ、しっかりと」

「ヒューッ、さすがだ! モンタギューのやつもいい仕事をしてくれるぜ」


 モンタギューと旧知の仲なメレディスが、ワイングラスを掲げてモンタギューの仕事ぶりを称える。ワインが美味しいということは、酒飲みが喜ぶということに他ならないわけだ。

 今年も、「赤獅子亭」は忙しくなりそうだし、自分も忙しくなりそうだ。そして何より、仕事が楽しくなりそうだ。

 そんな予感にふと嬉しさを感じながら、リセは店内に向かって優雅に一礼する。そしてするりと、バックヤードへと消えていくのだった。

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酒豪の女中、今日も酒場でのんびり酒を飲むのこと 八百十三 @HarutoK

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