第5話

 アーチボルトとの日程調整が完了して、その翌日。

 朝早くから「赤獅子亭」に馬車をつけて、リセを迎えに来たモンタギュー・アンドルースは、三日分プラスアルファの同伴料金を前払いで支払うと、リセを伴って王都クリフトンからアビー郡エイドリアン領、アンドルース村へ。

 馬車でのんびり15時間かけて、到着後はモンタギューの屋敷で歓待を受け。翌朝にリセは、モンタギューと共に彼の所有するワイナリー、「アンドルース・ワイナリー」のブドウ畑に来ていた。


「ここが、私が所有するブドウ畑だ」

「うっわ……」


 二人乗りの馬車を降りてブドウ畑を紹介するモンタギューの腕が伸びる先を見て、リセは驚きの声を漏らす。

 何しろ、見渡す限りブドウ畑が広がっているのだ。地平線の向こうまで広がっているのではないか、と錯覚するほどの広さ。これは圧巻の一言だ。


「広ーい」

「広いだろう。我がワイナリー自慢の畑なんだ」


 感動を素直に表現するリセに、モンタギューが自信たっぷりに胸を張った。

 「赤獅子亭」の顧客であると同時に酒の納入元、ワイナリーの所有者であるモンタギューだ。そのワイナリーの畑を前にした馴染みの女中に感動されて、嬉しくならないわけがない。

 ブドウ畑の奥、小高い丘の上に見える石造りの建物を指さして、興奮冷めやらぬといった口調でリセが問いかける。


「あっちに見える建物が、ワインの醸造施設ですか?」

「そうだよ。あっちにタンクとプレス機、破砕機が用意されている。ボトリングの機械もあの中だ」


 リセの問いかけにモンタギューが頷いた。あの石造りの城のような建物が、つまりワイン園だ。ブドウジュースを貯蔵するタンク、ブドウを圧搾するプレス機にブドウの果実を砕いて発酵を促す破砕機。さらには発酵や熟成も済んでいよいよ完成となったワインをボトリングする機械も置かれている。

 つまるところ、あの城の中にワイン造りに必要なものが全て詰まっているのだ。リセの瞳がますます輝く。


「ブドウの品種は何を育てているんですか?」

「バルヴェーラとシャレドンが中心だね。あっちの畑ではガヴェルスも育てている。白も赤も、両方とも作れるように栽培しているよ」


 リセの続けざまの問いかけに、モンタギューはブドウ畑のポールに目を向けながら答える。バルヴェーラは赤ワイン用のブドウ品種、シャレドンとガヴェルスは白ワイン用のブドウ品種だ。いずれも高地気味の畑で適性のある品種である。ラム王国でも比較的山がちな、エイドリアン領では具合がいいのだろう。

 きびすを返して二人乗り馬車の扉を開けるモンタギューが、リセへと微笑みかけた。


「今はちょうど破砕と圧搾を終えて、タンクで熟成させている時期なんだ。行ってみるかい?」

「行きます!」


 その申し出に即座にリセは飛びついた。馬車に乗り込み、先ほど見えていたワイン園へ。馬車で20分ほどかけて向かった先、城の正面玄関をくぐって醸造設備室の扉を開いたリセは、感嘆の吐息を目一杯漏らした。

 ずらりと並んだ合金製のタンク。ゴウン、ゴウンと音を立てながら稼働する破砕機、機械式の垂直式プレス機が所狭しと並んでいる。

 まさに、ワイナリーのワイン園のリアルな姿がそこにあった。


「うわー……」

「どうだい、すごいだろう」


 自身に満ちた表情でモンタギューがリセに言った。ラム王国内のワイナリーでも有数の、最新設備を揃えたワイン園だ。当然、リセも「すごい!」と声を大にして言うと、モンタギューは見ていたのだが。

 リセはそうではなかった。しみじみとした表情で、絞り出すように言ってくる。


「なっつかしいぃ~~~」

「うん……うん?」


 外見的には20にもならない若い女性の口から発せられたとはとても思えない、あまりにも本職の人間らしい言葉に、モンタギューは目を丸くした。

 今、「」と言ったのか、この女性は。

 キョトンとしているモンタギューを放っておいて、リセはワインを熟成する真新しい木製の樽にほほを擦り寄せながら言った。


「この生木の香り! 発酵して微かに聞こえるガスの音! クラッシャーが稼働するでっかい音! やっぱワイナリーってこういうのがあってこそですよねー、はーたまんない」

「ん、うん、あ、あの、リセ?」


 なんだかもう自分の世界に一息で飛び込んでしまって、樽にすがりつくリセを見て、いよいよモンタギューが両手を広げながら声をかけた。

 もう完全に、訳がわからないと言った様子の表情だ。


「君、ワイナリーの設備にそんなに興奮するほど、性癖が特殊だったかな?」

「ぶっふ」


 困ったように話すモンタギューに、リセが小さく吹き出しながら脱力した。体勢を直しながら、肩をすくめつつリセははにかむ。


「いや、欲情してるわけじゃないですからね? ただ興奮しているだけです、この環境、前の世界で仕事していた時に営業に行った時以来なんで」

「あ、ああ……確か、酒専門の買い付け業者なんだったかな、かつての君は」


 リセの言葉に、モンタギューも納得したように息を吐いた。

 リセ・オーギヤはこの世界で覚醒する前、「チキュウ」の「ニホン」で酒専門の買い付け業者として働いていたらしい。酒販メーカーに勤めながら、新たな酒造会社とやり取りをして、自社で酒を取り扱うための取引を担当していたのだとか。

 その仕事の中で、当然酒造会社の設備は見ていたわけである。アーマンドの数ある国家の、最高峰のワイナリーが所有する設備よりも、何倍も設備を。

 彼女にとっては『久しぶり』の、ワイナリーの生の空気を堪能するリセの背中を見ながら、モンタギューが苦笑した。


「しかしまあ、本当に幸運というものだ。転生前でも酒に関わる仕事をしていたのが、こっちに来ても酒に関わる仕事に就くだなんて」

「全くです。おまけに酒たくさん飲んでも誰にも怒られないし、どれだけ飲んでも酔っぱらわない最強の肝臓のおまけつきだし」


 モンタギューの言葉に振り返りながら、リセはにんまりと笑った。

 彼女曰く、覚醒する前に老婆の声で語りかけてくる者がいたらしい。覚醒者は得てして、そうした老婆の声を聞いているとまことしやかに言われているため、この声の主こそ、アーマンドの『主神』であろう、と、今では常識のように言われている。

 この『主神』から、覚醒者には何かしらの恩恵がもたらされる事があるらしい。リセの肝臓の類まれな強靭さも、その恩恵、つまりギフトだ。


「主神からのギフトか。まったく、それほど君に相応しいギフトもそうそうないだろうね」

「ですねー」


 息を吐きながら言うモンタギューに、リセは小さく首を傾げながら答えた。

 元々酒には詳しく、酒への興味も大きかった。その上で酒を飲みながら他人と話す仕事に就き、肝臓の強靭さも手に入れた。これほど都合よく事態が回る例も、そうそうあるものではない。

 と、リセが首をこてんと傾げつつ、モンタギューへと声をかけた。


「ちなみに、アンドルース子爵。ここに連れてきたってことは、つまりそういう・・・・ことなんですよね?」

「さすが、お見通しというわけか」


 リセの思わせぶりな問いかけに、モンタギューがまたも肩をすくめた。

 言うと、モンタギューがワイン園の片隅に歩いていく。そこからワイングラスを一脚取ってくると、リセに渡しながら言った。


「お察しの通り、テイスティング・・・・・・・をお願いしたいんだ。まだワインになりきっていない、若い果汁をだけれどね」

「やりぃ!」


 そう言いながらブドウジュースの詰まった合金製タンクの前に立つモンタギューだ。話を聞いたリセがぐっと拳を握る。

 ワインとして世に出る前の、ブドウジュースの状態を味わうのは、ワイナリーでしか出来ないことだ。ワイナリーにいて、オーナーであるモンタギューとの信頼感もあり、なにしろ酒に詳しい。リセはテイスティングに、これ以上のない人材だろう。

 気持ちが盛り上がりながら、るんるんとタンクの前にグラス片手にやって来るリセである。


「ワイナリーの特権ですもんねー、このワインになりきっていないブドウジュース」

「今年の天候が、どうにも不安だったからね。君の舌で、ブドウの出来栄えを確認してほしい」


 待ちきれないといった様子でグラスをスタンバイするリセの姿に苦笑しながら、モンタギューがタンクのコックを外した。白ワイン用のブドウを収めたタンクなのだろう、透き通った淡い小麦色の液体がグラスの中に注がれる。

 今年の春から夏にかけて、例年よりも気温が高い日が続いていた。標高の高いエイドリアン領でも気温が上がり、ブドウの生育に影響が出たのである。

 モンタギューも勿論、大規模なワイナリーのオーナーとして、市場に質の悪いワインを流したりはしない。このタンクのブドウジュースも、貯蔵されている他の年のブドウジュースと混合されたり、他の品種のブドウジュースと混合されて発酵されるのだろう。

 とはいえ、ここで味わうのは単一品種のブドウジュース。質がそのまま味に出る。


「じゃ、失礼します」


 一つ言葉を挟んで、リセはワイングラスを傾けた。中のブドウジュースを口の中、そして喉へ。味わいながら、空気を含ませながら、目を閉じつつ味を分析するリセが、ごくりとジュースを飲み込んでから声を漏らした。


「あー……」

「どうだい」


 その声には僅か、落胆の色がある。そっと声をかけるモンタギューに、眉間を寄せながらリセは返した。


「ちょっと酸味が立つかなぁ……もうちょっと甘味が強かったらよかったんですけれどね。でも香りはいいです」


 曰く、生育が不十分だ、ということだ。いつもだったら収穫までもう少々熟成が進んで、ブドウに含まれる糖分が多くなっていていいのだが、それが足りないとリセは言う。

 思い当たる節は多分にあったようで、モンタギューも肩を落とした。


「やはりそうか……仕方がないな、今年は例年より辛口気味に仕上げよう。ありがとう、リセ。せっかくだからボトリングラインも見ていくかい?」

「あ、興味あります!」


 苦笑しつつリセからワイングラスを受け取ったモンタギューが、そのまま瓶詰め機のある区画へと足を向ける。

 先程の落胆がどこへやらと言った様子で、嬉しそうに声の端を上げながらリセが後を追いかけた。

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