第4話

 翌々日の午前12時が過ぎてすぐ。アーチボルト・ロックハートは颯爽と「赤獅子亭」の扉を開けて帽子を取った。


「やあ、リセ」

「お疲れさまです、ロックハート伯爵」


 扉の中で応対するのは例によってリセである。

 アーチボルトに手紙が届いたのが恐らくは昨日。そこから今日の昼にクリフトンに到着となると、かなりの急ぎ足だ。ロックハート領はアリンガム郡に位置するので、比較的クリフトンから近いのが幸いである。

 ジャケットの肩のほこりを払いながら、アーチボルトは話す。


「タニアから手紙をもらった時は驚いたよ。日程調整が必要なんだって?」

「はい、すみません……アンドルース子爵のご領地であるエイドリアン領に同行を依頼されていまして。太陽の日から火の日まで不在になるんです」


 アーチボルトの言葉にリセは深く頭を下げた。

 爵位で言っても立場で言っても、モンタギューよりアーチボルトの方が何倍も上なのだ。本来だったらアーチボルトの用事を優先して然るべきものだが、今回は依頼内容が内容だ。

 素直に話すリセに、アーチボルトも小さく肩をすくめる。こう言われては、彼としても文句のつけようがない。


「なるほど、それじゃあ仕方がない。パーティーが再来週の土の日だから……リセ、来週か再来週でどこか、開いている日はあるかな。選定は2時間もあれば終わるだろうから、最悪別の同伴の入っている日でもいい」

「あー、そうですねぇ……」


 アーチボルトに問いかけられて、リセはジャンパースカートのポケットから手帳を取り出した。

 スケジュール管理はタニアにも任せているが、自分でもチェックできるようにと手帳をポケットに入れている。この手帳に書き留めた、来週の同伴予定を確認して、リセは口を開いた。


「来週ですと、金の日の夜7時からなら空いていますし、木の日の昼12時から3時、再来週の太陽の日の夜6時からも大丈夫です。あとは直前になっちゃいますけど再来週の火の日も空いてはいますね」


 そう話しながら、リセはポケットに放り込んでいた硬筆を取り出す。この内容だけ見ても、また随分と忙しい来週だ。普通の女中では、ここまで店にいない状況にはなり得ない。

 硬筆の先端で手帳を叩くリセに笑みを向けながら、アーチボルトは頷いた。


「なるほど、分かった。それじゃあ金の日にお願いしよう。金の日の夜8時から、大丈夫かい?」

「承知しました。大丈夫ですよ、金の日の同伴は市内での話なんで」


 アーチボルトの問いかけに頷いたリセが、手帳に硬筆を走らせる。来週の金曜日は昼から夕方の6時まで、外務庁のパーシヴァル・コンラッドから同伴を依頼されている。懇意にしている客であるゆえに無下にも出来ないが、幸いにして同伴場所はクリフトン市内の酒場。移動に時間はかからない。

 リセの言葉に満足そうに微笑んだアーチボルトが、申し訳無さそうに眉尻を下げた。


「そうか、それならちょうどいい。本当はもう少し早めに予定を入れて選定できたら良かったんだが、どうしても今週が都合が悪くてね」

「いえ、それならしょうがないです。むしろあたしの方がごめんなさい」


 小さく小首をかしげるアーチボルトに、リセは小さく頭を下げた。本当なら謝ってもしょうがないことは彼女も分かっているのだが、状況が状況だ。

 同伴依頼の日程が重なることは、人気の女中なら珍しくもない。しかし、数日間店を空けるほどの長期の依頼が入るとなれば別だ。その間の依頼を軒並み断らなければならないのは、女中としては非常に痛手だ。

 頭を下げるリセに、アーチボルトは小さく手を振る。


「気にしなくていいさ、財務庁のパーティーはそこまで規模が大きいものでもない。国内の各郡の領主を集めての懇談会みたいなものだ」


 そしてアーチボルトの発した言葉に、リセは難しそうな顔をしながら顔を上げた。

 財務庁は国内の財政を管理するための省庁である。ラム王国という王国全体のものだけではない、王国内の各郡、各領の財政にも目を通す必要がある。

 だからこの決算の時期となると、財務庁はことさらに忙しくなるのだ。先日にメレディスが自分の領地から王都にやってきたのも、そうした業務がらみでのこと。仕方がない。

 何とも言えない表情をしながら、リセが言葉を漏らした。


「懇談会、ですかぁ」

「そう、各郡の財政状況の正常性を毎年確認しているんだが、その会合の後に例年パーティーがあってね」


 リセの言葉に頷きながら、アーチボルトが頬を掻いた。

 慣習として、そういうものだ。堅苦しい会合をして、わざわざ地方から領主や郡の長を集めたのに、何も楽しみを設けないのは相手に悪い。

 しかし折角集まってくれた各地の長に、下手な酒や料理を出す訳にはいかない。そういう会合で出す酒の選定に、協力してもらう人員としてリセは最適だ。

 問題は、彼女の都合がなかなかつかない、というその一点に尽きる。


「要はその懇談会で皆に飲んでもらうワインを選定してもらいたいだけの話さ。だから来週初めは、アンドルース子爵の方のお仕事に集中してくれ」

「承知しました、ありがとうございます」


 アーチボルトの言葉に、リセは深く頭を下げた。調整してもらったこともそうだが、他の仕事に理解を示してもらえるのは純粋に有り難い。

 と、話がまとまったところで、アーチボルトが店内に視線を向けて言った。


「さて……折角店に来て、何も頼まないで帰るというのも気が引ける。リセ、数十分でいいから付き合ってくれるかい?」

「あ、ですよね。勿論です」


 今度は、客と女中としての対応だ。来店してくれた客を追い返すようなことは当然しない。リセは今日に自分があてがわれている、2番テーブルにアーチボルトを通した。

 着席して、布巾で手を拭ったアーチボルトがリセに告げる。


「じゃあ、サワークラウトと、適当に白ワインを一本。軽い調子のワインがいいな」

「かしこまりました、選んでお持ちしますね」


 簡潔な注文に、リセはすぐさま頷いた。今日に店で出るワインは概ね把握できている。懐から出した注文用のメモ用紙に硬筆で内容を書き留め、すぐに厨房へと向かっていった。

 厨房に面したカウンターで、副料理長のコーディ・アリスへと声をかける。


「2番テーブル、『エーデルワイス』を一本とグラスを二脚。それとサワークラウト、お願いします」

「はーい」


 返事を返したコーディが、厨房側の冷蔵庫からワインのボトルを一本取り出した。ワインの一大生産地であるアビー郡の中でも特に新しく、具合がいいと評判の『エーデルワイス グリエ』を受け取り、ワイングラス二脚を手に取ってから、リセは2番テーブルへと取って返す。


「お待たせしました、アビー郡の白ワイン『エーデルワイス』になります」

「ほう……これか、話に聞いたことはあるが」


 持ってこられて、手早くリセがシーリングを外すワインを見て、アーチボルトが目を見開いた。

 『エーデルワイス』は近年、アビー郡に畑と醸造所を構えたワイナリーの造る新しいワインだ。当然、実際に味わったことのある人間も多くない。ワインにある程度明るいアーチボルトであっても、少々尻込みをしているようだ。


「初めて飲むから不安だな。リセ、テイスティングをお願いしても?」

「かしこまりました」


 アーチボルトの言葉に頷いたリセが、ワインオープナーで『エーデルワイス』のコルクを抜く。瓶から少量をグラスに取り、そこからテイスティングだ。

 色味の確認、香りの確認、グラスを回して空気を含ませてからの香りの変化。それらを踏まえた上で、口に含んで味の確認。


「ふぅん……」


 口の中から鼻腔にワインの香りを運びながら、リセは吐息を漏らす。

 しばし口の中でワインを転がして、さらに空気を含ませてから飲み込んだリセが、アーチボルトの目を見つめながら話した。


「そうですね、白い花の香りが強く立ちます。華やかですね。そして奥からミネラル感の強い香りも上ってきます。味わいは比較的穏やか、ですがミネラル感がやはり強くてカチッとしていますね。水の硬さをよく出しています。抜けは非常に静かですね」

「ほう……」


 リセの説明を聞いて、アーチボルトが自分の顎に手を持っていく。この的確で、分かりやすく、かつ詳細なテイスティングがリセの真骨頂だ。かつて故郷の世界で酒を売り込む仕事をしていただけのことはある。

 満足そうに頷いたアーチボルトが、す、とワイングラスをリセの前に持っていった。


「なるほど、なるほど。それじゃ私にも注いでくれ」

「はい、ただいま」


 アーチボルトの言葉に、頷いてからリセはワインボトルを手に取った。ボトルの底部分を掴むようにして、ゆっくり静かに傾けてワインを注ぐ。

 その堂に入った注ぎ方は、まさしくプロのソムリエのそれだ。実際リセの故郷の世界での彼女は、酒に精通してこそいたが技術はそこまででもなかったわけで。これも、こちらの世界に身についた技術だ。

 二脚のグラスがワインで程よく満ちて、アーチボルトがグラスを持ち上げる。


「それじゃ、乾杯」

「はい、乾杯」


 アーチボルトが小さくグラスを掲げると、リセもそれに合わせてグラスを持ち上げる。

 そして、二人はほぼ同時に、薄い小麦色に色づいたワインの入ったワイングラスを、くい、と何でも無いことのように傾けた。

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