第3話

 仕事は進んで、夜の12時。外はすっかり暗くなって灯りを落とす店も多くなる中、外の看板のそばに吊るしたランプの灯を消して、タニアが店内へと振り返った。


「じゃあ、今日はこれでおしまい。皆お疲れ様」

「お疲れ様でしたー」


 その声を受けて、店内のテーブルやカウンターについていた女中達が返事を返す。とはいえ、今日は客など数えるくらいしか来なかった。ほとんどの女中は暇をしていたと言わざるを得ない。

 座りっぱなしで暇な12時間を過ごし、片付けるものもなく、さっさと掃除を始める女中達に混じってリセも掃除をしようと立ち上がる。と、そこで玄関付近にいたタニアが手を挙げた。


「ああリセ、ちょっといいかしら」

「はい、タニアさん」


 手招きをするタニアへと、リセが足早に歩み寄る。するとタニアは、入り口傍にある丸テーブルの上に、文字通り「どさっと」手紙の束を置いた。


「はいこれ、今日来た分の同伴依頼」

「うっわ」


 そうあっけらかんと言い放ったタニアに、呻くようにリセは漏らした。

 別に、彼女が一気に二通も三通も、同伴依頼の手紙を受け取ることは珍しいことではない。封蝋を捺された巻紙の束が山になっている場面も初めてではない。

 だとしても、一見しただけで十はある手紙の山。これが一気に、今日に届いたというのか。


「またずいぶん、来ましたね」

「今週が使えない方が多いから、来週以降のがどさっと来たみたいね。相変わらず人気者なんだから」


 ぽかんとしながら巻紙を取り上げるリセに、肩を竦めつつタニアが答えた。

 リセ含め、女中宛ての同伴依頼はこうして手紙の形で来ることもあれば、店に来た客が同伴依頼を取り付けることもある。今週は大概の客である貴族や商人が店に来れないから、こうして手紙の形で送ってきたのだろう。

 他の女中にも同伴依頼の手紙を渡しに行くタニアの、大きな背中と長い尻尾を見送りながら、リセは封蝋を破るためのナイフを手に取った。

 封蝋と紙の隙間にナイフを入れて、硬くなった封蝋を破る。巻かれた紙を、テーブル上に置かれた重石を使いながら広げていった。


「他人事みたいに言ってくれるじゃないですか。どれどれ……」


 広げては破り、破っては広げ。そうして届いた手紙のすべてを広げて、封蝋の欠片を蝋入れ用の容器にまとめ、手紙の中身を確認したリセは唸った。


「うーん」


 これは困った。ではないか。

 ちょうど近くまで戻って来たタニアに手招きをすると、タニアもきょとんとした顔になった。


「タニアさん、どうしましょう」

「何、どうしたの?」


 ぱたぱたと足音を立てながらリセの手紙を覗き込むタニアに、リセは両の人差し指で手紙の束の中の二つ、希望日程の書かれた箇所を指し示した。

 一つは財務庁長官、アーチボルト・ロックハートから。もう一つは法務庁所属、モンタギュー・アンドルースから。どちらも何だかんだ、リセとは縁の深い人物である。

 そして問題は、二人がリセを指名してきた日程だ。いずれも8の月29日。モンタギューからの依頼に至ってはそこから31日までの三日間だ。


「ロックハート伯爵とアンドルース子爵の同伴依頼が被っちゃってるんですよ。お二人とも来週の太陽の日で」

「あら」


 困ったようにリセが言うと、タニアも驚きに目を見開いた。

 このように、要求してきた日程が他の客の要求と被ってしまうことはままあることだ。特にリセのように人気の女中は、要求日程の被りが起こりやすい。

 店に来て直接予約を取るのならその場で日程調整が出来るし、よほど大がかりな依頼でない限りは時間を調整するなどして複数の同伴依頼を一日に収めることもする。

 だが、今回はその『大がかり』な依頼が来てしまったのだ。タニアも嘆息しながら手紙を取り上げる。


「調整が必要かしらね。私の方でお手紙を出しておくわ。お店に来てリセと日程を調整してほしいと」

「よろしくお願いします」


 口角を下げるタニアにリセは申し訳なさそうに頭を下げた。ただでさえ稼ぎ頭なのに、三日間ぶっ通しで同伴依頼。「赤獅子亭」に入ってくるお金も相応だが、その分だけリセを必要とするお客には顔を見せられない。

 手紙に目線を向けながら、タニアがついとひげを撫でた。


「ちなみに、そんなに時間を取られるような依頼内容だったの?」

「ちょっと待って下さい……えーと」


 タニアの言葉に、リセが手元の手紙に視線を落とした。もう一枚の手紙はタニアの手の中、そっちは別に構わない。問題は手元にあるモンタギューからの手紙の方だ。


「ロックハート伯爵が財務庁のパーティーに出すワインの選定手伝いで……そっちはいいと思うんですけど、アンドルース子爵が、アビー郡エイドリアン領の別荘に行くのに同行してほしいと。あちらでワインを飲むとかで」

「あらまあ」


 リセが話した内容を聞いて、ますます目を見開いたタニアだ。

 王都の酒場の女中が、王都の外に脚を向けるということはまずない。というより、貴族か商人でもない限り、自分の住む町や村から他所へ行く、ということはほぼない。

 そんな中で、客である貴族からの依頼とは言え、貴族に同伴して別荘に来てほしい、というわけだ。それは大口の依頼にも程がある。


「お貴族様の別荘への同伴とは、あなたも随分偉くなったわね」

「今更じゃないですか、それ。いえタニアさんに言うのもあれな気がしますけれど」


 苦笑しながら手紙を返すタニアに、リセも小鼻を膨らませて言った。

 リセが人気者なのは今更のことだし、三番街の酒場の女中としては異例なほどに貴族から頼りにされているのも今更のことだ。何しろ、国王直々にお呼びがかかる程の女中である。

 しかしこの「赤獅子亭」では一番偉いのは間違いなく、女中長のタニアなのだ。その彼女よりも偉くなってしまっては、立場が無い。

 はっきりしない物言いのリセへと、タニアが肩を竦めて言う。


「本当にそうね、今やラム王国の貴族や商人であなたを知らない人はいない。それどころか王家にさえも顔が知れている。そりゃあ、偉くなって当然よ。多分私の次くらいにはね」


 タニアは、そう言うと軽く拳を握ってリセの肩を小突いた。軽くとはいえ腕力の強い虎の毛耳族ファーイヤーズ、その握った拳も大きく重たい。僅かに身を揺らしたリセへと、タニアが手元にあった手紙を取り上げながら告げた。


「でも、そうね。そういうお話だったら、ロックハート伯爵の方にご遠慮いただこうかしら。アンドルース子爵のお話は、少なくとも二日はかかっちゃうでしょう?」

「ですね、太陽の日から火の日まで貸してほしい、というお話です」


 リセの発言にタニアが頷く。クリフトンからアビー郡まで、どんなに馬車を急がせて走らせても15時間はかかるのだ。三日で済むなら上等である。

 他の手紙にもざっと目を通し、希望されている日程を確認してから、タニアはリセの肩をそっと叩いた。店一番の稼ぎ頭、稼いでもらうには仕事をしてもらうのが一番だ。


「だいぶ日程を控えめにはしてくださっているけれど、ちょっと多めに同伴料をいただかなくちゃ。リセ、存分に貰ってきなさい」

「はーい」


 微笑みかけるタニアにリセもこくりと頷いた。返事こそ気楽だが、これも彼女のタニアへの信頼があってこそだ。

 手紙をまとめ始めながら、リセは嘆息するように言葉を零す。


「それにしても、女中のお仕事の中でクリフトンを離れることがあるとは、思ってもなかったです」


 リセの発した言葉に、歩き出し始めていたタニアが振り返る。耳をぴこんと動かしてから、タニアはふっと柔らかい笑みを浮かべた。

 彼女の言う通りだ。普通の女中ならまず間違いなく、同伴の仕事は市内で完結する。そもそも、女中の主な仕事場は酒場の中だ。


「そうよね、あまり市内の酒場でも聞かないお仕事だもの。アビー郡はワインの一大産地、たしかアンドルース子爵もアビー郡にワイン畑をお持ちだったと思うから、あなたを誘ったのはそれも関連してのこととは思うけれど」


 タニアの言葉にリセも神妙な顔つきになる。

 ラム王国はワインの生産が盛んな国だが、中でもアビー郡にはワイン畑を所有する貴族が数多く居宅を構えており、モンタギューのように畑付きの別荘を持っているケースも多い。

 そうして所有した畑から採れたブドウを有力ワイナリーに卸し、収入を得るという手段は貴族の太い収入源だ。小作人を雇うことで雇用も作り出せる。

 とはいえ、モンタギューは自分の畑だけではなく醸造施設も自分の敷地に持っており、なんなら「アンドルース・ワイナリー」というワイナリーも持っている。今回のお誘いも、きっとその搾りたての新酒をリセに飲ませたいがためだろう。

 くすくす笑いながら、タニアがリセの鼻先をつついた。


「案外、あなたと二人でじっくりお酒を飲みたいのかもしれないわよ、子爵は」

「そうなんだろうなぁ、きっと」


 つつかれたリセも、されるがままになりながら手紙の束を抱えた。

 モンタギューは「赤獅子亭」の常連客だが、それと言うのも店で飲めるワインを飲みに来たいから、という意味合いが大きい。なんなら「赤獅子亭」にもワインを卸している、重要な顧客であると同時に仕入れ先だ。いわばワインに関してはプロである。

 そんな彼が、リセを指名して自分の領地にわざわざ連れて三日間。どう考えたって、一緒に酒を飲む場面はあるだろう。

 ともかく、遠方への外出。準備はしっかり整えなくてはならない。


「どうしよう、次の休みの日に新しい旅行かばん買ってこなくちゃ」

「ええ、ちゃんとしたのを買っていらっしゃい。今手持ちにあるかばんは私に渡してくれればいいから」


 ぼやくリセに、タニアがまたも苦笑しながら歩き出した。

 もう夜も遅い。明日の営業の為にも準備をしなくてはならないのだ。掃除のほぼ終わった店内を歩きながら、リセはもう一つため息を零した。

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